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32.解けるだけのものを解きに

 驚いて、ミルシュカはエリアスの膝から頭を起こした。 


「戦地に呼ばれた今からスペルサッティンに行くのか!? だって準備は──」


「準備といったら、スペルサッティンに行くことが俺の準備だ。いいか、お前の魔封じが解け爆炎が戻るなら、組んで二人で戦地に出てもいい。前と同じ飛行使い魔なら敵ではない」


「あ、ああ。そうだな」


 ククッと、小さく喉を震わせて笑い、エリアスは確信ありげに言う。


「前回より息がぴったりになったからな、もっと数が出てきても大丈夫だ。俺と、お前なら」


 その自信に満ちたエリアスの瞳に、胸が熱くなる。


「そうだな。爆炎が戻りさえすれば、私はお前を守りぬける、きっと」


(守れる、エリアスを。二人で一緒に居続ける未来を)


「明日の昼前には出発する。スペルサッティンまで馬車だと一日半かかるからな、往復を抜くと使えるのは十日だ。その間に、お前の領地の様子を探り、白の女とハリボテ男をふん捕まえて、お前を解呪させる」


 ミルシュカはエリアスに同意する。


(還る。追い出された故郷で、絶対にすべてを奪い返す)



 ◇◇



 マルーク王国兵装に準じた簡易食料や必需品を鞄に詰めて旅支度をした。

 領主が突然の領地を空けるには反発もあるだろうから、エリアスは十日程度の所用だと言って押し通し、セレスタイト領内にいるフリで通すことになった。


(話して理解を得ている時間もない。すまないなユリウス様)


 親しみを持ってくれた彼にも事情を伏せて出る、それを内心で詫び、ミルシュカたちはセレスタイト伯爵邸を出た。


 いつもの街までセレスタイト伯爵家の馬車で、そこからは外部で雇った馬車に乗り換える。

 夜も移動で過ごし、二日後の早朝にミルシュカとエリアスはやっとスペルサッティン領内にたどり着いた。


 領内に入って最初の村近くで馬車を降り、徒歩で村内に向かう。


「さすがスペルサッティンに入っただけあって、スペルサッティンの匂いがするな! 久しぶりだ……」


 ミルシュカは両手を広げて、いっぱいに深呼吸した。


「スペルサッティンの匂い……とまでは感激しすぎだ。(ひな)びたところはどこもこんな空気だろう」


「いいや、スペルサッティンの匂いだ! こう、澄んでいるが、この時期だと微かに蒸した緑と花の香りがする。ホッとする匂いだ」


 言いきったところで、ばふっとエリアスに覆いかぶさられる。


「こらっ、セレスタイト卿! 何するんだ」


「嫉妬だ。そんなに故郷の匂いがいいか」


「空気に嫉妬するなんてお前くらいのものだ! 離せ! ……離せ」


 真正面から抱きしめられて、エリアスの匂いを感じる。

 もがいていたはずなのに離してもらえないから、いつしかミルシュカはつい彼のシャツを握りしめ、抱擁を堪能してしまった。


「俺の匂いの勝ちだろう」


「馬鹿。お前の匂いだってちゃんと好きだ。方向性が違うんだ、お前の匂いは……とてもドキドキする」


 気を良くしたエリアスが笑う。

 今の彼は貴族の格好をしていない。

 商人のお坊ちゃん風の、シャツとズボンと革の肩掛け鞄、と庶民的な姿をしている。しかし、変わらず気品があって格好がいい。


 一方、ミルシュカは特に何もせず、いつもと同じ散策用の魔法衣を着て剣を下げていた。


 赤毛の辺境伯はエリアスだけしか見破れない姿。

 他の人間には、茶髪とぱっとしないそばかすの娘しか見えないのだから、変装せず堂々と顔を出している。

 側から見れば、裕福な商人の息子と女護衛といったふうに見えるだろう二人組だ。


「あと、潮時だ。セレスタイト伯爵であることは知られたくない。きっちり名で呼ぶよう切り替えろ」


「……努力する」


 素朴な村内だが、スペルサッティン領内では中央に近いこともあり、舗装などの整備は行き届いていた。

 石畳の道を歩き、宿屋までの間、村内を観察する。


「この村は辺境伯の館から離れている。じっくり滞在したことはなかったんだが。なんだか活気に欠けるな」


「領主の葬儀や交代と、色々あったんだ。活気づく要素もあるまい」


「ああ、そうだな」


 たどり着いた宿で、エリアスは部屋を一つしか取らなかった。

 これにミルシュカは拗ねた。

 同室にするから、二人の関係は金持ちのお坊ちゃんと護衛とは見てもらえなかったらしい。

 宿泊する部屋には、大きいダブルベッドがドンと一つ。


 どう見ても身分差駆け落ちカップルの扱いだった。



◇◇



「レイモンドと白い女は辺境伯の屋敷にいるだろうか」


 エリアスはベッドに座って、靴を脱ぎながら言った。


「わからない、居たとしてもそれなりに警備がある。自領の職務に忠実なだけの衛兵を斬りたくない。どうにか彼らだけと相対したいところだ」


 ミルシュカは、ずっと考えていたことを言い足す。


「そこで、師匠を頼ってみようと思う」


「……ししょう?」


「剣の師匠だ。姿が違おうと、剣を交えてもらえればわかってもらえるはずだ、腕は磨き続けたが基盤は変わらないからな」


「そうか、剣の師匠がいたのか。……まさか、割と若めのいい男ではないだろうな」


 悋気(りんき)を向けられかけ、ミルシュカは頭を抱えた。


「なあセレ……エリアス、お前変だぞ。なにかと嫉妬しすぎじゃないか? このままだとスペルサッティンの空や風土料理にまで妬きはじめるのではないか」


「お前が、愛する領地とか言っていたまさにそこにいるんだ。常より沸点は低いと考えておけ。で、どういう男だ、今だけお前の口から他の男が語られても許してやる」


「安心しろ、師匠は五十半ばの妻帯者だ。強いし丁寧な指導に尊敬はあるが、師としての感情しかない。隠居後、師匠はここから北に進んだ町に移り住んだ。明日の昼前には徒歩で着けるだろ」


 ミルシュカも魔法衣の上着を脱ぎ、ベッドのエリアスのもとへ行く。

 そうして、嫉妬深い恋人に啄むようなキスをした。



 翌日、目的の町についたミルシュカは師匠の家を訪ね、出てきた師匠の妻と思われる女性に、面会を求めた。

 しかし、彼女は言い辛そうに頭を下げて、小さな声で一言告げる。


「……夫は、もうおりません」


 夫人の力ないかすかな声を拾って、意味を理解したミルシュカに落雷のような衝撃が走った。


「……オルジフ師匠が、亡くなった……?」


 信じられなかった。

 壮健だった師匠の姿を思い起こすと胸が掻きむしられるよう。

 師の不幸に、ミルシュカは静かに涙を落とした。

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