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31.離れていないことだけが、すべて

 廊下だというのに、二人は得た情報について話さずにいられなかった。


「スペルサッティンに飛行型使い魔? 前線と真反対だぞ……? それにヘルメスというのは三番目の弟さんだったな。怪我とは、心配だ」


「飛行こそ下手くそだが、頑丈なやつだ。命に関わるという報せではなかったし、回復魔法陣つきベッドで寝ていれば半日で治るだろう」


「……二週間後、出るのか。前線へ」


 不安が募り、訊ねる声は小さくなっていった。


「俺はセレスタイト伯爵なんだぞ? 爵位ある身で王命を受けた以上、出るしかない。そうだろう? スペルサッティン辺境伯ミルシュカ」


 わかっている。逆なら彼と同じ。

 選択肢があるとは考えもしない。


「ああ、そうだな。それでこそセレスタイト卿だ。忠義深いものな」


「お前もな。王命であれば、嫌い抜いていた男とでも組んで任務をこなしたろう」


 あの時あんなに嫌だった空中での飛行が、こんなにも懐かしく、愛おしい。


「それは言いっこなしだ。……今は組めてよかったと思っている。あの時、お前の命を守れてよかった」


 過去の自分を褒めてやりたい。

 守ってよかった、その人はかけがえない人になるんだぞ、と。


「……私もついて行ってはダメか? セレスタイト伯爵が私的に雇った傭兵とでも言って」


「却下だ。騎士団に弾かれるぞ。自軍だと思ってたやつすら、目くらましで潜り込んでたスパイだったんだ。そんな怪しい人物、内輪で信用が得られない」


 しゅんと項垂れたミルシュカの背を、エリアスがそっと撫でる。


「わかってくれ。爆炎を使えないんだ、戦場でのお前の危険は計り知れない。誰が許しても、俺は連れて行かない」


「だって! お前だって、前の時に死にかけたじゃないかっ! 飛べて、見えたからどうするんだ。今度は私がいない。爆炎がいないなら、攻撃手段はどうするんだ! 剣だけか? 火力なしで、使い魔とやり合うなんて……危険すぎる」


 エリアスは優しい表情でため息をついた。


「やはり、それが本音だな。俺がお前より弱いからって、死ぬんじゃないかって気にしているのだろう」


「そうだ! どんなに自信を持って言われても、わかったものじゃない。戦場だから。絶対はない、ないんだ。お前が……死んだとでも報せを受けてみろ、なんで剣をとって最後までそばにいなかったのか、きっと後悔する」


 もうエリアスの部屋の前だから、ミルシュカは遠慮せずエリアスの胸に拳をついた。

 こんなに怖い。

 戦場で自分が危険になるよりも。

 エリアスが失われる可能性を考える方がはるかに恐ろしい。


 すっぽりとエリアスの腕の中に収められて、ミルシュカは涙を堪えた。


 離れたくない。

 離れられない。


 求める気持ちのまま、二人は部屋に入るとベッドに腰掛けた。

 合わせた手で、指を絡め、頬を寄せる。

 唇を触れさせるたび、愛しさと切なさが溢れる。


「セレスタイト卿……、エリアスっ。……行かせたくない。私を連れて行かないというなら、お前に行って欲しくない」


「俺だって、お前を残していきたくない。しかし……お前を危険にさらしたくない、わずかでも」


「わかってる、身の安全を願うのが同じだってこと。でも……」


「堂々巡りだ。俺たちの望みは折り合わない」


 互いの体温を感じながら、エリアスはミルシュカを抱きしめる。

 このまま、ずっとこうしていられたら。

 エリアスを、自分の元に縛り付けてしまいたかった。

 いつでも飛んでミルシュカを置いていける彼が憎たらしい。


「エリアス……、連れて行って、いっしょにいたい……」


「…………だめだ、だめなんだ。……もしもがあったら、次はお前の死に耐えられない。お前のいない世で生きて、生かされるのは真っ平だ」


 エリアスの声は震えていた。

 彼もまた、どれだけ本気でそう思っているか、痛いほど伝わってくる。

 ミルシュカはエリアスのシャツをぎゅうっと握りしめた。まだその温もりがそばにある。それだけを支えにするように、身を縮め、流れる涙を彼のシャツに吸わせ、エリアスに抱きつき続けた。


 気持ちは通い合っているのに、だからこそ、どうしても同じ結論に至れない──それは、今までとは異なる切なさだった。



 意識が浮上する。

 それを自覚して、泣き疲れて寝ついていたのだと気づく。

 もう夜更けになったらしい。

 室内は薄暗く、満月の明るさで青白く浮き上がって見える窓から、仄かな光が降りそそぐ。

 その光を浴びて、エリアスが静かに座っていた。


 裸の上半身は引き締まった筋肉がついて均整がとれており、腰から下はシーツがゆるくかかって、陰影が美しい。


 神話の人物のような幻想的な姿だ。

 腕組みして思索に耽っている。

 精一杯、活路を見い出そうとしている、考え深げな顔つきだった。


「セレスタイト卿、ずっと起きていたのか」


 優しく、淡く。微笑んでエリアスはうなずいた。

 その膝に頭を乗せると、彼はふんわりミルシュカの髪を撫でる。


「お前も俺も納得できる道を探していた。二週間後は新月か……。逆にとれば二週間もあるということだ。その間に、片づければいい」


「セレスタイト卿? なにを?」


「お前の領地奪還だ。スペルサッティンで飛行型使い魔が現れたこと、なにかの繋がりがあると俺は考えている。今まで、引っかかることがあるたび、確証がないと判断を保留してきたが……スペルサッティンから情報が流れてこなさすぎる」


「……そうだな」


「白の女、魔封じ紋、飛行使い魔の目撃や制御紋……符丁を合わせるように、スペルサッティンが関わってくる。やはり渦中に飛び込んでみなければわからない」


 青白い月を背に、エリアスがミルシュカを見つめる。


「スペルサッティンに行こう、ミルシュカ。お前の魔封じ紋も、謎も、解けるだけのものを解きにいくんだ」

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