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25.深まる誤解

 ミルシュカを娶ってお飾りの妻として顧みず、辺境の領地に放ったらかし、後継をつくらせない──


 もしかしたら、協力の代償として求められたのは、そういう遠回りな嫌がらせだとしたら?


 疑念が、頭をよぎってしまう。


(私の身体と心を散々惹きつけて、自分を刻んで、離れられなくしたくせに──捨てる、とか?)


 悲劇の戯曲のような筋書きだ。だとしたら、最高にできた嫌がらせ。


 浮かんできた涙を乱暴に手で拭った。

 これ以上こぼれてくるなと、精神力で抑えようとしたが、自分の身体であるというのにまるで制御できない。

 誰にも見られたくなくて、人通りのない路地の陰で膝を抱える。


 涙が途切れるまで、魔法衣の袖で目元を覆った。



 ◇◇



「待ったぞ、どうしたんだ……なにか威勢が足りないな。嫌な目にでもあったのか?」


 待ち合わせの海獣の像の前で、エリアスが怪訝そうにミルシュカをうかがった。


「……何もない。色とりどりのものを見物して目が疲れただけだ」


 伊達に貴族をやっていたわけではない。

 この程度なら、腹芸で隠せる。


 エリアスはそっとミルシュカの頭に手を置いて、ぽんぽんと優しく叩いた。


「喜べ、俺の方は収穫があったぞ。次の遠出の時はもっと遠くへ行く」


「そうなのか、よかった」


「なんだ嬉しくないのか?」


「まさか、進展があったことに心が追いつかないだけだ」


 そう、心が追いつかない。

 ミルシュカの心はまだあのアーチの前で立ち止まったまま。


 話題を持ちかけられても、すぐに立ち消えさせてしまう。

 その繰り返しで、ほとんど言葉を交わさずセレスタイト伯爵邸へと戻り、ちょうど馬車の停留所で、帰宅したユリウスと鉢合わせた。


「ユリウス様!」


「兄上とミル。今日は遠出の日だったのか」


 騎士の装いで帯剣するユリウスを見て、ミルシュカは剣で心の濁りを清める手段を思いつく。


(剣を振るえば、迷いも憂鬱も吹き飛ばせる)


「ユリウス様、私に時間をいただけませんか? 二人でまた試合をしましょう」


「おい、剣の相手なら俺でもいいだろう」


 ミルシュカの腕をとろうとするエリアスを、首を振って拒む。


「セレスタイト卿は町の遠出で疲れているはずだから、結構だ。部屋で休んでいろ。ユリウス様となら騎士団新採用の剣で戦える、もっと試したいんだ」


 目を合わせず言うと、エリアスは小さく息を吐いて、あっさり手を引いた。


「……わかった。おい、ユリウス。俺の女はお前と遊びたいそうだ、悪いが少し相手をしてやってくれ」


「かしこまりました、兄上」


「本当に、俺の心痛ばかり増やす女だ」


(疲れているだろうと労ってやったのに、なんて言い草だ。出会った当初の小憎たらしいセレスタイト卿復活か)


 エリアスが去ったから、ミルシュカは試合う生垣の前までユリウスの背を押す。

 精一杯の空元気を出して。


 剣を撃ち合い続ければ夢中になれて、気がつけば辺りに薄闇が落ちていた。


 ユリウスが一歩下がって、汗を拭う。


「ミル、兄上と何かあったのか? 剣に、こもっているものが違う」


「え……あ、剣に出てバレてしまいましたか」


「兄上関係か?」


 図星に、ミルシュカはうつむく。


「セレスタイト卿は女性にも皮肉を言ってしまう、適切な話し方ができない人だと思っていたのですが、そうではないところを見てしまって」


 ユリウスはキョトンと気の抜けた顔をした後、ミルシュカに言う。


「兄上は、女性に対して巧みに言葉を扱えるぞ。社交界では兄上から詩のような甘い語らいを受けたいと、そばに行きたがる令嬢が垣根になっていた」


「そうなんですよね。私には嫌味だらけだから、てっきり会話が残念でも、容姿で女性を釣っているのだと勘違いしていました」


 ユリウスが、心配そうにしてミルシュカに近づいてくる。


「兄上はお前に愛の言葉をくれないのか?」


「えっと、ユリウス様?」


「その上、こんなに軽やかに剣を振るえるお前を、手元で飼い殺すだけなのか?」


 笑いかけるつもりが、心の引っかかりが邪魔をしてうまくできなかった。


「その覇気のない顔はどうした。お前は兄上のことを話す時いつも距離を置いた話し方をする。兄上は、お前の心を満たせていないのではないか」


「満たすもなにも、私は、……そう私はセレスタイト卿とは契約で結ばれてそばにいるのです」


「……なんだと。買った側とはいえ、兄上は心ではなく書面でお前を縛り付けていたのか」


 ユリウスの声は鋭くなっていた。

 まずい言い方だった。

 このユリウスの怒り方は誤解をされているのではないか。


「俺は……お前の生き生きとした表情がいいと思う。剣を振るときなど風の妖精みたいで、目を奪われて負けてしまう。そして、そんなお前が今のように生気を欠いた顔をしていると、胸が痛む。……どうも俺はお前が好きらしい……いや、好きだ。兄上のものだとしても」


「あの? ユリウスさ──」


 敬称をつける前に口に柔らかいものが押しつけられる。

 ユリウスの唇だった。

 ただ当てるだけのキス。


 しかしミルシュカは誰が口付けをしたかだとか、いま触れている唇よりも、それを不足だと感じる自分に衝撃を受けていた。


 エリアスの口付けでなければ、なにもときめかない。


(ずっと……気高くあろうと誓っていたのに。セレスタイト卿でなければならないと、彼の腕の中で受ける口付けが恋しいだなんて……)


 目を丸くするばかりだったミルシュカの視界に人影が映る。


 ユリウスから顔を離せば、そこに立っていたのはエリアスだった。


 形のいい唇は半開きで、アイスブルーの瞳は瞬きもせず、こちらを、密着するミルシュカとユリウスを見つめていた。

 顔色は薄闇の中、浮くように蒼白だ。


「……部屋に戻ってくるのが遅いから、見に来たんだ」


 震えるのをどうにか音にした、そんな声色だった。


「セレスタイト卿! これは……」


「……お前は、ユリウスは名で呼ぶのだな」


「……セレスタイト卿……?」


「契約でなくても、唇を許すのか……ユリウスには」


 そう言うエリアスが、痛々しい。

 ユリウスが手を伸ばし、ミルシュカを庇うようにエリアスとの間に立ち塞がる。


「兄上、契約で彼女を縛っていると聞きました。そんなくらいならミルを俺に譲ってくれませんか。いつも遊具も本も俺が欲しいと言えば譲ってくれたでしょう。彼女だって欲しい。俺なら彼女を正妻にできるのだから、兄上だって彼女の今後を思うなら俺に譲ったほうがいい」


「ユリウス! お前……っ! ミルシュカ……そんなに契約で俺に応じるのは、嫌か」


 激した様子のエリアスは懐から、一枚の紙を出した。

 ミルシュカとの契約書だ。


 エリアスは引きつかんだそれを、裂こうとした。

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