24.心は揺らいで動いて
この日の遠出では、初めての街を訪れた。
街の入り口では、壁のように水を上から落とす噴水があり、街路には鮮やかな紫の花房を垂らす木々が並んでいる。
のどかで歴史を持っていそうな街だが、道ゆく人を観察しているとそれだけではなさそうだ。
「ここは領地の中でも交通の要所になる。流れ者が多いから、今までとは違った話が聞けるかもしれない」
「そうか。いつもの街では、もう探り尽くしたものな」
さっそく聞き込みをしようと二人並んで歩いていたら、前方で樹上を眺める少女の姿がある。
「……お約束だ。やってしまっているなあ、あれは」
見上げると、紫の花房の間、5メートルほどの高さにキラキラと光を反射する風船が引っかかっている。
「セレスタイト卿、ちょっと行ってくる」
「おい『行って』とは木に登る気か?」
「そうだ、木登りなら経験を積んでいる」
「馬鹿、俺がいるだろう。俺を使え」
意味がわからず首を傾げると、エリアスは呆れたようにため息をついた。
「俺は飛行魔法の使い手なんだ。俺に頼めばいいだろう」
「ああ、そうか。失念していた。……でもな、私がやろうと思ったことだ、他者に頼むのはどうかと思って」
「……なら、自分でやれ。俺が手伝ってやる。手を貸せ。俺が手を上げたタイミングで加速上昇して風船に届くくらい飛ぶからな」
差し出された手に、ミルシュカはあっさりと左手を重ねた。
そして、ふと気づく。
(あんなに前は嫌で仕方なかったのに。そうか……最近は手どころか、毎夜……色々して、腕の中にいるんだし)
「もういいか? 行け!」
ぶんっと重ねた手が振り上げられると、ミルシュカの体も宙に舞った。
風船が目の前に来て、ミルシュカは迷わず紐をつかむ。
落下が始まると思ったら、着地までの間、滑空するゆるやかさで下降した。
「取れた……お嬢ちゃん、どうぞ」
少女に風船を渡すと、かわいらしい笑顔と幼い礼の言葉が返ってきた。
ミルシュカは自然と少女に手を振り、エリアスを肘で小突く。
「ありがとう、木に登る手間が省けた。飛行魔法ってあんなこともできるんだな」
「応用だ。相手の身体を事前に魔力で包み、一時的な飛行力を与える。俺の手を離れるから、飛ばして頂点に達したら、あとは滑空で降ろすくらいだ。距離もそこまで飛ばせない」
「それって、速さの調節は? 前に飛び出す際にも使えるか?」
思いつきにワクワクして訊ねたが、エリアスに不審と思われたらしい。
「……速さは事前に俺が決めれば調節可能だ。緩やかにも、吹っ飛ぶ勢いにも、横方向にも使えるが……お前、何か悪い応用を考えているな?」
「悪いとはなんだ。だって、それなら戦いに使えそうじゃないか。一度きりだが吹っ飛ぶ勢いで加速した突撃ができる」
「相変わらず魔法騎士じみた思考だな。お前と戦場? 組んで戦い、お前を加速で飛ばして敵に向かわせる? 俺は嫌だからな。忘れろ」
「そうか……」
今のミルシュカは、エリアスと任務で組まされても嫌ではない。
彼と共に空を駆り、国のため得意の爆炎を放つ。
想像すると心が昂る、きっと、彼と手を繋いでいれば戦場も怖くない。
(でも、お前はまだ、私と組むのは嫌か)
以前の自分がそうだったから、彼の気持ちは理解できる。
それでも……まだそうなのが残念だ。
悟られたくなくて、ミルシュカはエリアスの隣から一歩下がった。
◇◇
「お前といると情報収集の効率が悪いことがある。今日は昼下がりまで別行動をしたい」
遠出先での別行動は初めてだった。
見知らぬ街でどう動くか……迷っているとエリアスが街の地図を広げ、指で示す。
「お前にはこの新地区を回ってほしい。俺は旧地区へ行く。ティータイムにはこちらの混在区の広場にある、海獣が地面から突き出ている像の前で落ち合おう」
エリアスの指示に従って、ミルシュカは情報を集めるため新地区へ入った。
真新しい歩道、色鮮やかな土産物屋。
どの建物も築年数が浅く、話す人々も近年入居した若者が多い。領地に馴染んでない者もちらほらいる。
だからか、どこを回っても手応えが薄かった。
(観光にはいい場所だけど、これでは目を楽しませただけで終わってしまう……)
時間のことを考えて、ミルシュカは早めに混在区へ移動することにした。
混在区に入ると、建屋も路地も新しくなった部分と古い部分が入り乱れていた。
まさに街の新陳代謝の狭間といった場所で、目印もわかりにくい。
いつしか、ミルシュカが歩いているのは古い石畳に変わっていた。
通りの先に古びたアーチが見えてくる。
その向こうで、木箱に腰掛け、地図に視線を落とすエリアスを見つけた。
アーチから下がる紫の花の房。古風で趣のある街並み。
そして、物語の王子役のように優雅な貴公子──まるで一服の絵画のような光景だった。
干渉することで壊したくなくて。
ミルシュカは駆け寄るのではなく、足を止めてただ身惚れた。
その一拍を置いた間。
エリアスのすぐ横にあった窓が開き、赤毛の女が顔を覗かせる。
邪魔できなくて、ミルシュカはついアーチの端に姿を隠した。
「さあ、胸襟を開いて俺に語りかけてはくれませんか?」
密やかに、でも情熱的に。エリアスの声が響く。
昼間だというのに、彼は普段見せない色気を前面に出していた。
女の心を自分に向けさせようと必死なように見える。
「その撫子のような美しい色の唇からこぼれる声を耳にしたい。海の深層の瞳をした麗人、貴女の言葉が俺の未来を灯すのです。どうか、俺に……」
訴えて彼女の手を取り、甲に口付けるエリアスは、薔薇の貴公子そのもの。
どれだけ彼女を手厚く扱うのか、目を覆いたくなる。
エリアスに頬を赤らめた女は、彼の耳元に手を添えて、くすくすと笑いながら囁き返していた。
場を満たす甘い空気に、ミルシュカはとても踏み込めない。
力の入らない足を勇気づけ、やっとも思いでアーチの通りから離れた。
見てはいけないものを見てしまった。
重くなった気分が、晴れない。
(セレスタイト卿は、嫌いあっている家の者だから。私を嫁にと言っていても、お飾りの本妻で放っておいて、そばには愛人を置くつもりだったのかもしれない。セレスタイトの当主が、あっさりスペルサッティン家の私に心許すなんて、あり得なかったのかも?)




