23.嫉妬
ミルシュカはユリウスの発言に目を瞬いた。
長男より結婚相手を自由に選べる。次男とはそういうものである。
なにを分かりきった講釈を垂れているのだ。
「それは一般常識ですから、踊り子でも知っていますよ。貴族社会について教えてくれているんですね、ありがとうございます」
「…………鈍い」
鈍色とかなんとか、ユリウスの言葉は小さくて聞き取りにくかった。
ミルシュカが聞き返そうとしたそのとき、帰宅したエリアスが通りがかる。
「セレスタイト卿」
振り向いたエリアスは、ミルシュカではなくユリウスに視線を定めていた。
「お前たち、何をしていたんだ?」
「ああ、手合わせだ。ユリウス様は良い剣を持っていたのでな。ついでに私の剣の使い勝手を試した。楽しいぞ!」
「……ふん、そんなに剣を振り回したかったのか。我慢の足りない田舎騎士だ」
エリアスはミルシュカの手を取り、そのままぐいっと引く。
「え、セレスタイト卿……? まだ決着がついたばかりで」
「気にしなくていい、俺と部屋に戻るぞ」
「ええっ、横暴だな。……そういうわけらしい、ユリウス様、また」
ユリウスへの別れを告げた瞬間、エリアスの手に力が入った。
(セレスタイト卿……? おかしい、なにかいつもと違う)
違和感は気のせいではなかった。
部屋に戻るなり、エリアスはミルシュカの身体を壁に押しつける。
「んっ……!」
突然口付けされ、息を乱される。
苦しさにエリアスの胸板を何度も叩き、やっと解放され、荒くなった呼吸を整えた。
「まだだ」
エリアスはなおもミルシュカの唇を奪う。
離してもすぐまた深く重ねられ、押し返そうとした手は、エリアスに絡め取られた。
「弟と……楽しそうにしていたな」
「……え?」
「手なんか握り合って。お前は誰のものなのか、わからせてやる」
エリアスの声は低く、切なげだった。その様子に心を揺らされて、抗う気持ちが薄れてしまう。
「わからなくなってしまえばいい。今は俺以外のことなど、考えるな」
ベッドに組み敷かれ、合わせた肌と肌の熱が同じになっていく。
エリアスと密着していると、鼓動が速まって、頭がぼんやりするのだ。深い水底に二人で沈んでいくよう。
「ふ、こうしている時ばかりは、お前もいじらしいな……」
くすりと笑うエリアスの指先が、熱を帯びた肌をなぞる。抵抗するどころか、ミルシュカはさらにエリアスを求めてしまう。
「……もっと、こっちへ……抱きつかせて、セレスタイト卿」
その一言で、エリアスは満足そうにミルシュカの腕の中に滑り込んだ。
色気と優しさの同居した、とろけるような笑みを浮かべている。
「もちろん、俺がお前を拒むものか」
耳元での囁きに、全身が甘く痺れる。
くらくらと、彼に酔ってしまいそうだ。
夢見心地のまま、ミルシュカはエリアスに身をゆだねた。
意識がじんわりと霞んでいき、抱きついているエリアスの逞しい感触だけが、すべてになる。
◇◇
成果のない遠出を繰り返し、さすがのミルシュカも焦れてきた。
もういいからスペルサッティンに連れていってくれ、そう何度口から出そうになったか。
そんな折に、転機が訪れる。
訪れた街の、寂れた通りにある看板も古びた酒屋で、店主はグラスを拭きながら教えてくれた。
「解呪士っていうなら、白の解呪士ってのを知っているか?」
「白の解呪士?」
ミルシュカが問い返すと、店主はあいまいに肩をすくめる。
「あまり詳しくは知らんよ。昔、白の一族という流浪の家系がいたらしい。国家よりも進んだ魔法を扱えるとかで、呪いで体がめっためた傷ついた男を、解呪と同時に回復させ、一瞬で健康体に戻したって話だ」
エリアスは髪に手をかき入れて、視線を下に落とす。
「一瞬で回復もする? 話に尾鰭がついていそうだ。人体の回復魔法には、複雑な魔法陣がいるし、どんなに早くても半日はかかるものだ」
ミルシュカにも、この話の信憑性は残念に思えた。
戦場でも必要性があるから回復魔法部隊がいる。
ただ、描いた魔法陣の上に置いたベッドに怪我人を寝かせなければならない。癒すのには時間がかかる。
即効性がないので、救護所に行くまで保つ、すぐに命にかかわらない怪我人しか救えない。
もし即座に回復が行えるとしたら、解呪より回復能力のほうに需要がある。
「べつにそんな奇蹟の御技でなくていい。解呪について詳しい者の話でもないか?」
「おれには無いな。花街のメメックのところならなんか話が聞けるかもしれんが」
カウンターに銀貨を三枚置き、エリアスは店主に背を向けた。
「白か……」
エリアスの呟きが、耳に残る。
彼は、ミルシュカに呪いをかけた『真っ白な女』との関連を考えているのかもしれない。
「たしかに引っかかるが、白い奴なんて沢山いる。清らかなイメージの色だからいかにも解呪や回復をしてくれそうだしな、今はまだなんともいえない」
残り時間で向かった花街でも解呪士の情報は得られず、これでたどった線は途切れてしまった。
落胆したし、エリアスが花街の女たちに誘われたり引っ張られたりしたので、余計に気分が重くなった。
◇◇
その晩、共に床入りしたエリアスは、サイドテーブルの引き出しから銀のケースを出した。
「口を開けろ」
うながされるまま、口を開く。
ころん、と放り込まれた粒は、甘酸っぱく金平糖のような棘がある。
噛みごたえがパキパキしていて、食感が良い。
「おいしい、これは?」
破片を飲みながら尋ねると、エリアスも一粒口に入れ、噛み砕いた。
「避妊の魔法薬だ」
「ばっ、ひ、ひ、ひ!!?」
脳が一気に熱を持って沸騰したようだ。
行為が先行していて、閨ごと関連の言葉を聞くことに慣れがない。
茹だったみたいに、まともに言葉が出てこない。
そもそも、エリアスとの子を身籠ることになったら、それはそれで一大事である。だから彼が避妊を考えてくれるのは歓迎すること……のはずなだが。
当の相手を前に、その話をするのは恥ずかしすぎる。
「俺はいつもこれを飲んでいた」
エリアスは、なんてことないという顔で淡々と告げた。
その落ちつきぶりに、ミルシュカはいたたまれず、ぷいっと横を向く。
「身体を重ねるなら、お互い目の前で避妊薬を飲むのはマナーだ。俺たちは領主である以上、いずれ後継を求められる。結婚を前提にしているなら、婚前に子ができても問題ない。だが……お前を辺境伯に戻すまでは身重にするわけにいかない」
「セレスタイト卿……」
なら、しなくていいじゃないか。
喉まできた言葉は、最後まで出てこなかった。
ミルシュカが星形の薬を飲み込んだと見るや、エリアスはミルシュカの唇を奪い、大きな手を胸に添えてきたからだ。
あとは、避妊薬の効能を存分に活かす夜へと流れていった──
それからというもの、夜になればミルシュカとエリアスは、当然のように星型の薬を口にするようになった。
口付けとともに受け渡されたり、互いの指で摘み上げ、食べさせあったり。
夜を過ごすごとに、その行為は甘く秘めた儀式となっていった。
口の中に広がるのは、どこか柘榴を思わせる甘酸っぱい味。
柘榴を食べた者は、与えた者のもとに縛られる。そんな昔話があった気がする。
一粒、また一粒。
薬の味に慣れるほどに、ミルシュカは思ってしまう。
(私は、もうセレスタイト卿から逃れられないかもしれない)




