17.夜と肌
「ふん、兄上が悪所から踊り子を連れ帰ったと聞いたから見にきたが、みすぼらしいではないか。これで兄上が選ぶなど、信じられん」
ユリウスを見て浮かぶ既視感に、ミルシュカは笑いを噛み殺した。
(見た目だけでなく、話しぶりまで型押しでつくったみたいな兄弟だ)
「なんだ? 罵倒されて笑うとは。感性が壊れているのではないか?」
「い、いえ。覚えのある……懐かしい気持ちになりまして」
ミルシュカより年下なのにエリアスに似ているなんて、やはり面白い。
「その服も似合っていないぞ。兄上が選んだのか……? 兄上はもっとセンスが良い、こういった見立ても間違いないはずなのに……やはり鋭さを欠いたままなのだろうか」
(家族にそんなことを言われるなんて、エリアス……。しかしこの弟はエリアスが最近おかしかったのを残念がっている節があるな)
「ユリウス様はセレスタイト卿のことを慕っているのですね」
目線を外してユリウスはうなずいた。
「去年までの兄上ならば、まさに理想の兄だった。王都も領地も冴え冴えと行き来して取り仕切って。義務の騎士務めだって立派にこなす、そんな素晴らしい兄上に憧れて、背を追ってきたのに」
ユリウスがガクリと肩を落とすので、ミルシュカは気遣いつつ続きを尋ねてみる。
「追ってきたのに?」
「このところはすっかり才気が失われてしまった。そう、そうだ、これを言いにきたのだ! お前は兄上をうまく捕まえたと思っているだろうが、長続きなどしない。お前のような女は兄上の趣味ではないし、お前も兄上の近頃の行状を聞いたら愛想がつきるぞ」
なんだ、またその話か。
もう知っているという顔をしたら、ユリウスは得意そうに胸を張る。
「今の兄上はベロベロになるまで酔って赤毛の女を口説いてばかりなのだ。ここ半年、『領地の商売女から令嬢や果ては村娘まで、鮮やかな赤毛の娘がいるとなれば酒で正体を忘れ、抱きつぶしている』と我が伯爵家当主の悪評は止まるところを知らない」
ユリウスがミルシュカを指差す。
「だから、お前のようなくすんだ茶髪の女などすぐ飽きるさ。どうだ? これを聞いて、お前のほうも兄上に呆れたのではないか?」
目を丸くしているミルシュカを見て、ユリウスは満足したらしい。勝ち誇って口の端を上げている。
(そうか、本来の私は赤毛だから。それで枕がわりに妻にしたいのかもしれないな)
エリアスの嗜好が明らかになって得心がいった。
胸のどこかに滑り落ちていったそれはあっけなく、ミルシュカの心を冷ます。
「まあ、そんなものだろう。私はセレスタイト卿に過度な期待を持っていない。彼だってそうだ。抱き締めて眠れたらそれでいいということ、それがすべてなのだろう」
堂々と構えるミルシュカに、ユリウスの方がたじろぎ後ずさった。
「なんてふてぶてしい女だ! 面の皮も厚いとみえる。今に後悔することになるぞ」
わざと大きな足音をたてて、ユリウスは出ていった。
残されたミルシュカは、とりあえず髪の手入れをすることに決めた。
毛先を切って香油を塗る作業だが、今になってユリウスの言葉を思い返して上の空になり、もう済ませた箇所にも再び香油を塗り込んでしまった。
◇◇
月が高く昇り、部屋はやわらかな光に包まれる。
ミルシュカは広いベッドに仰向けになり、窓から落ちる月光をぼんやり見上げていた。
青銀の光が頬を撫でて目にかかり、なんとなくエリアスの帰りが遅いな、と思う。
(戻ると言っていたが、これでは朝帰りになるのでは?)
ほっとするような、寂しいような。
……まさか、寂しいなんて。
矛盾する気持ちが嫌で、首を振る。
(馬鹿な。単に、セレスタイト卿の私室なんて場所にいるからだ)
セレスタイト伯爵家の空気が、心細くさせるだけ。
そう自分に言い聞かせて目を閉じる。
昨夜の混乱に比べれば、今感じる心もとなさくらい、はるかに許容範囲だ。
横になった当初は眠れそうになかったミルシュカであるが、月が頂点を過ぎ、下がっていくうちに浅い眠りに入っていた。
マットレスが沈む感覚に、近くでした衣擦れの音。
人の気配に、ミルシュカはうっすら意識を戻す。
「……起こしてしまったか? そっとしたつもりだったが」
薄闇の中、シャツを脱いで、トラウザーズだけになったエリアスが、隣に横たわっている。
その整った顔立ちは月光に淡く照らされて、日頃より和らいだ雰囲気に見える。
恋人に甘く愛を囁く、王子様のよう。
返答する前に、筋肉質な腕がミルシュカの肩に回される。
彼のぬくもりがじんわりと伝わり、今日はその素肌から酒の匂いがしないことに気づく。
エリアス自身が本来持つ匂い──深い森の湖面近くにいるときを思わせる香りに、心が落ち着いて眠気が強まる。
エリアスはゆっくりとミルシュカの背中を撫ぜ、微睡の中に囁く。
「毎夜、肌を合わせろと、求めたら応じるようにと契約した。でも、お前だってその権利があるんだ……もし、お前から俺を求めてくれる日がくるなら……俺だって応じる。……俺は絶対に、お前を拒んだりしない」
ここは夢の中なのだろうか? その声は儚げで、こちらまで切なくなるくらい、やさしい。
「…………ん……」
返事をしたかったが、眠気に覆われて、唇は思うように動かなかった。
「お前も、俺と同じ温度になってくれたらいいのに」
(なにが……? 同じ夜具の中にいる、……すぐ同じ体温になるだろう?)
エリアスがミルシュカの首筋に鼻先を寄せる。
髪から濃く香るエリアスの匂い。
彼がそばにいる安堵が、ミルシュカを眠りに引いていく。
触れ合う体温の心地よさへ、沈んでいく。




