13.堪えてきた郷愁と慰め
ミルシュカは領地へ帰還してから結婚初夜に起こった出来事、その後、踊り子として生活してきたことをエリアスに語った。
聞き終えたエリアスはしばらく黙り、考え込んでいる。
「そうか、そういう裏があったのか」
「裏?」
「くだらんことだ。で、お前はこれからどうしたい?」
「どうしたいって……」
ミルシュカの身柄はエリアスに買われているのだ。この先は彼の気分次第、希望など述べたところでどうなるのか。
(自由の身なら、したいことなんて一つだが)
「いいから、言ってみろ」
「……領地を取り返して、故郷に帰りたい」
こぼれた言葉に、ミルシュカは案外自分が弱っていたのだと知った。
ずっと、一年間この思いを押し殺してきたのだ。
一座について地方の様々な町村を回った。
しかし、いつも心の中にあったのは、領地の自然と民だった。
夏の水気に満ちた山の木陰。秋になると真っ黄色に染まって昼下がりは黄金に見えるほどの森。冬の雪降る直前、一気に肺にまで届くような透き通った空気。
すべてが懐かしくて、帰りたくてたまらなくなる。
「取り戻したい、だってあれが私の生きる場所で生き方だったんだ」
こぼれたのは本音と希望だけではなかった。
目尻から頬に雫が伝い、ミルシュカは毛布をのばして拭う。
押さえ続けた反動だろうか、決壊した涙の止め方がわからず困っていると、エリアスに抱き寄せられた。
彼の裸の胸にくっつけられて、人肌というのは心を鎮める作用があると思った。
何も言わずそうしてくれることがありがたい。
しばらく互いに言葉もないまま抱き合って、ミルシュカの嗚咽は引き潮のように去っていった。
沈黙を破ったのはエリアスだった。
ミルシュカを腕から離し、向き合って真剣に見つめてくる。
「俺が、領地と身分を取り戻すのを手伝ってやろうか」
「……は?」
「そんなに意外なことか」
ミルシュカは強く首肯した。
なにせ、セレスタイト伯爵家の当主なのだ。
スペルサッティンの家の者を、ただで手伝ってくれるとは考えられない。
「ああ、そうだな、その辺はわかるか。そうだ、ただ親切に申し出たんじゃない。お前に代償を要求する」
取引か。その方がセレスタイト伯爵家の人間の善意より信用できる。
「取り返した領地と権限以外なら、応じよう」
ミルシュカの答えに、エリアスは不敵に微笑んだ。
「そうか。なら手助けするから首尾よくことが済んだら、俺と結婚しろ」
入ってきた言葉が頭の中で処理されて、受け付けられるまでに、一拍以上の時間がかかった。
「……はぁ?」
結局聞き返してしまったミルシュカに、エリアスは「あー、もう」と言って頭をわしわし掻きむしっている。
「俺と結婚だよ。婚姻、俺の花嫁として結婚式で誓い合って、お前は俺の妻になるんだ」
「お前……! なぜ私と結婚したがる!? もっと、ほかの女性でいいだろう!」
エリアスはつまらないものでも語るように、無愛想に言う。
「……お前の身体はよかったからな。それに、お前が今確実に約束できるものなんてその身一つしかないからだ」
なんだ、身体目当てかと納得がいった。
しかし、困る。自身の身は対価にする資格がない。
「無理だ! 私はすでにレイモンドの妻なんだぞ」
今度こそ、エリアスは呆れたという声でミルシュカに指摘する。
「は、はぁああ? お前まだあいつの妻のつもりだったのか!? 初夜に裏切って魔封じかまして放り出すような奴ではないか!」
「だって、教会の神父の前で宣誓をして……」
「だから、嘘で騙されてたんだろ!! そんな結婚は無効だ! 無効! そのレイモンドをやっつけて領地を取り戻したいんだろうが」
「そ、そうだ」
エリアスが冷静な態度を取り戻し、ミルシュカを一瞥する。
「で、どうするんだ? 他の条件なら俺は領地奪還を手伝う気はない。お前の代金を貸しにして解き放ってやってもいいが……」
この提案にミルシュカは飛びついた。
「いいのか? 買ったことはこれきりで勘弁してくれて私を自由にしてくれるということだろう?」
希望を見るミルシュカにエリアスがため息をひとつ吐いて冷淡に返す。
「そんなに俺と離れたいか。……まったく。それで? 金も身分もないまま一人になってどうできるんだ? 明日食うものにも困ってまた踊り子に逆戻りか? おそらく今度こそ色を売る日々になるぞ」
言葉に詰まっていると、エリアスはさらに畳み掛けてくる。
「モスコミュールのような、あるいはもっと酷い男たちに、昨夜、俺としたような事をし続けるのだぞ? 数知れない男に体を開くくらいなら、俺一人にしておけ」
ミルシュカは考え込んだ。
経験してみてわかったが、恋愛感情のない男に身を任せるのは、想像以上に矜持を傷つけられる行為だった。
エリアス以外にもそんな行為を繰り広げ、相手を受け入れ続ける。
考えただけで受け付けなさがある。
諦めて項垂れた後、気を強く持って前を向き直す。
「わかった。領地奪還できるなら、嫌いあっていたお前の花嫁でも構わない。協力を要請する」




