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11.口付けと名を呼ぶ声の甘さ

(押さえつけなくても、私は逃げられないというのに)


 絡み合う視線の先のアイスブルー。

 長年、冷たいばかりで嫌味な色合いだと思ってきた瞳を間近で見せつけられ、意外と美麗だと認めることになった。

 凍る流氷の、純粋な部分の色。

 興味が湧いてきたのに、瞼が閉じられ隠れてしまう。


 つん、と唇に柔らかくて温かいものが当たった。

 口付けをされている、エリアスなぞに。

 エリアスにされていると思うから不快なのだ。

 ミルシュカは犬に鼻面を当てられていると、すり替えた想像をして耐える。


 唇は押しつけられつづけ、湿ったなにかで上唇をくすぐられ。

 舐めてくるところまで犬のようだと考えていると、声をかけられた。


「……さっぱり反応がないというのは、なんだ、納得ずくでこうしているのだろう? 応えないか」


「……答えとは一体? 口付けに正解などあるのですか」


 エリアスは目を丸くして訊ねてきた。


「まさか、口付けの経験がないのか?」


「いいえ、おやすみのキスなら幼少期に毎日父へ……」


「深い口付けだ」


 深いとはなんだろうか。

 聞き間違えか。不快な口付けならエリアスのしてくるそれなのだが。

 回答に困っていると、彼は痺れを切らしたようだった。


「いい。そうか、ここまで誰にも奪われずに済んでいたのか。奇跡的だ、むしろ嬉しい」


「何がどういう……むっ」


 言葉を発そうと口が開いた瞬間に、キスで塞がれる。

 息苦しくなって、ミルシュカは首を振って強引にエリアスを離した。


「今からこれをもっと長く、たくさんする。息は鼻でしろよ」


 一気にまくし立てられたことを確認する間も無く、再び唇を押し付けられる。

 長い。

 助言に従って鼻で呼吸しなければ酸欠になっていた。


「ふっ……んっ」


 肉厚の舌がミルシュカの味蕾に触れ、ブランデーの香を残す。

 剣舞の鑑賞前、かなり飲んでいたのだろう。

 森林の中を歩いているような、奥深くに立つ木の樹液を舐めるような気分になる。


 溜まった唾液を口の端から垂れさせた。

 エリアスのと混ざった唾液なんて飲み込みたくなかったからだ。


「生意気な女……」


 囁きは内容のわりに甘い。


 口元を拭きたい、でも押さえつけられた手はかっちりと動かない。

 顔を背ければ、喉元にふんわりと唇が落とされた。

 彼の頭が下に降りていき、胸に鼻先が当たる。


 そこで、エリアスの動きが固まった。


「……!」


「胸に、なにか?」


「これは……! ……いや、たいしたことじゃない」


 (いぶか)しむミルシュカをエリアスは組み敷く。


「そんなことより、ちゃんと俺に集中しろよ」


 そう、色気をこめて囁き、エリアスはミルシュカに身体の重みを預けた。


 嫌いな男。

 快感。

 いがみあった関係。

 快感、甘い痺れ。

 硬さ、重さ、匂い。

 エリアスはミルシュカの心にも身体にも存在を刻みつけていく。


「セレスタイト……卿っ」


「……はっ、エリアスと呼べよ、お前にはそれを許しているっ」


「嫌っ、嫌なんだからっ」


「呼べよ…………」


 ミルシュカはふるふると、かぶりを振った。


「はぁ、……本当に、強情な女」


 文句をつけながら、エリアスは腕を伸ばし、ミルシュカの頭を抱えるように抱き込んだ。


「……こうしていると、すべてどうでもよくなる。俺は……お前さえいれば……」

 

 エリアスの腕の中にいる温かさが、ミルシュカの肌に甘く広がる。


「……ああ、やっぱりお前だ……心地いい……」


 後ろ頭と背に手を添えて、感嘆するエリアスはミルシュカの身体を離さない。

 金で買われた行為は終わったのに、ミルシュカを愛おしげに撫で続けている理由がわからない。


 嫌悪するセレスタイト伯爵家の者に、純潔を奪われた憎しみを湧きあがらせようとしても、なかなかのってこない。

 胸中にほんのり燻る熱が、嫌悪の氷を片端から溶かしてしまう。


「もう身体を離せ」と思っても、なぜかうまく言葉にならなかった。


(肌寒いからだ。セレスタイト卿の体が温かいから、暖をとるため離しがたいだけ。それだけだ)


 抱き締められて抜け出せないし、動けないなら仕方ない。

 ミルシュカは疲労を癒そうと目を閉じた。

 どんどん眠気がおりてくる。

 エリアスに呼ばれている気がするが、それもよく聞こえない。


「ミル……ミル……ミルシュカ……」


 髪を梳き、撫でてくる手の感触もぐんぐん遠ざかっていく。

 温かさに包まれているから、あとはどうでもいい。


 ミルシュカの意識はやさしい眠りの中へ移動した。

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