10.扇情の演舞
腰の飾り布をほつれそうなほど強く握って、ミルシュカは動揺を押さえ込もうとした。
(本当の本当に、夜の相手がセレスタイト卿に交代してしまったなんて……)
モスコミュールはあのとおり油ぎった壮年の男である、生理的な嫌悪があった。けれど時間があったので心の準備はしていた。
しかし、座長から告げられた突然の相手交代。
しかも知り合い……毛嫌いしていた男が相手だと知らされて、ミルシュカの胸中の海は荒れ狂い、覚悟という船は難破寸前である。
できることなら逃げ出したい。
あのエリアスに、踊り子にまで身を落としたと知れたら何を言われるか。
否、今のミルシュカはくすんだ茶色の髪をして、容貌も別人だから、彼にはミルシュカと知られない。嫌味を言われることもないはずではあるが。
とにかく、ミルシュカにとって踊り子の自分に最も関わってほしくない相手である。
それに、今夜、彼はミルシュカの身体に触れるのだろうか。
かつてエリアスのほうも、ミルシュカの手にすら触れることを嫌悪していた。
ミルシュカとわからないなら、触れてくるのだろうか。
これについては考えると背筋がぞっとした。
必死で、膝の前へ置いた剣に意識を集中する。
(剣さえ、剣さえそばにあるのなら。自分を保てる。そうだ。どんなに穢されようと)
聞こえた扉の開く音は、死刑執行を告げる鐘のようだ。
柔らかく癖のついた榛色の髪、氷河の色をした眼、すっきり整った甘い顔貌と長身。
入ってきた男は、間違いなくセレスタイト伯爵エリアスだった。
「セレスタイト卿……」
「ああ、モスコミュールと交渉して代わった。お前を買い取ったのは俺になる。剣舞の踊り子、名は?」
「……ミルです」
ミルシュカと半分かぶる名だが、今までこう名乗ってきてしまったのだから偽りようがない。
エリアスはずかずかと部屋の奥へと進み、ベッドに腰掛けてから質問してきた。
「ミル、剣を前に置いて床に座るとはどういうつもりだ?」
「……モスコミュール殿は今夜、身につけたものを一つずつ取っていきながら剣舞を踊れと私に命じておりました。引き継いだ貴方もそうなのでしょう?」
それが、あの豪商がミルシュカにさせたがった夜の行いの始まりだった。
少しずつ裸に近づいていき、それでも踊りきれと。
剣舞の踊り子を買ったのなら、エリアスも同じ目的なのだろう。
「え!? な、な…………っ」
エリアスは目を泳がせたあとしばし黙り込み、ゆっくりと命じる。
「……そうだ、俺のために、舞え」
やはりそうだ。男など皆同じ。
「では一差し」
ミルシュカは上体を沈め、剣を横にし背に通した。
楽の音を脳裏に思い浮かべながら、タイミングをとって剣を右手に捧げ持つ。
この男に、裸になっていく舞を披露するくらいなら、刃のつぶれた剣とはいえ、これでいっそ喉を突いたほうがよかった。
だがミルシュカの代金は一座へ払われてしまった、ミルシュカが自害したから返せと言われたら一座は困ったことになるだろう。
意を決して、ミルシュカは踊りに合わせ装身具を外す。
頭のサークレットとベール。
脚を上げたタイミングで太ももにつけた真鍮の飾り輪の留め具を外せば、床に落ちてカシャンと冷たい音がした。
剣を振るうごとに、薄布や肩巾を取り去って投げ。
ついに胸を隠す布の番がきた。
恥じらいが頬を灼くように熱くしたが、素の胸を出す。
「……っく」
悔しさにうめきが漏れてしまった。
こんな風に、この男の興奮を煽る羽目になるなんて。
セレスタイト卿は丸出しになった胸を注視してきた。
その強い視線で身体を刺されるようだ。
この羞恥を極力気取られたくなかった。
腰を振れば押さえるものをなくした胸が揺れ、舞踏の動きに水をさす。
それでも踊り終わりとして、剣を構えてピタリと締めのポーズで決めた。
「いいだろう、こちらへ来い」
踊りの尺が足りなかったので、まだ腰回りの布地と、アンクレットが残っていた。今すぐ取らずに済むらしい。
ベッドサイドに立てば、高圧的な口調で命じられる。
「そこへ横になれ」
(ああ、本当にこれで逃げようがない)
軋む音を立てて、ミルシュカはベッドへ横になった。
皿の上の七面鳥というのはきっとこんな心持ちにちがいない。
ミルシュカを見下ろした後、エリアスは首元を緩める。
袖のボタンを外すため上げた腕は、形良く血管が浮いていて男性的だ。
欲望のままに盛りついてくるだろうと思ったのに、ゆっくりと手首の内側を見せながらボタンを解く。
その指先がボタンを空振りし、幾度かしくじっているから、不思議だった。
もしかしたら彼も緊張しているのではないか、一瞬そんな考えがよぎる。
(なぜ? 見せ物一座を見にきて踊り子を買って遊ぶような者なら、女遊びなんていまさらだろうに)
ボタンが解き終わり、エリアスの身体から上着が滑り落ちていった。
大型の捕食動物のようにのそりと、男の身体がベッドに乗り上がる。
彼はミルシュカの両腕を上げ、まとめてしっかりと手首を押さえつけた。
「すまない、……逃げられたくないんだ」
耳元をかすめた声には、なぜか慈しみの色があった。




