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パテルの遺産

 結論から言ってしまえば、この時もう、パテルはこの世に存在しなかったのだ。


 都原(いちはら)はそうと知らずに来る日も来る日も図書館で待ち続けていた。ポケットの中にUSBメモリを忍ばせて、早くこの中身を確かめたいと焦れったい思いを抱えながら、持ち主がやって来るのを待った。


 もしも彼が辛抱強く、時間が無限にあったなら、きっとそのまま待ち続けていただろう。しかし彼はまだ若く、時間には限りがあった。夏休みが終われば、彼は短期留学から日本に帰らなければならなかった。


 いよいよ夏休みが終わりに差し掛かったある日、彼はついに決心してパテルの家を訪ねてみることにした。二人の家はさほど離れておらず、行こうと思えば歩いていける距離にあった。逆に言えば、あれだけ親しかったのに、夏休みの間一度も顔を見せない友人のことを、心配して訪ねていかないことのほうがよっぽど不自然だった。都原はそう自分に言い訳して、ドキドキしながらパテルの下宿先へと向かった。


 予想はしていたが、やはりパテルは不在だった。アパートの管理会社に尋ねてみたところ、彼らもその住人のことを探しているらしく、不在中の荷物を預かってるから見つけたらすぐ取りに来るよう言ってくれと逆に頼まれてしまった。駐車場に彼の車は見当たらず、よく見れば玄関のドアノブにはうっすら埃が積もっていた。あれから一度も帰ってきてないと考えて良さそうだった。


 思い切って電話もしてみたが、電波が通じなかった。そういえば彼はスマホを捨てたと言っていたから当然だろうと、掛けてから気がついた。大学の事務局にも聞いてみたが、プライベート情報だから教えられないとにべもなく断られてしまい、これでもう打つ手がなくなってしまった。


 パテルとは仲が良いつもりだったが、こうしてみるとカナダ人であること以外、彼について知ることは何も無かった。カナダのどこからやって来たかも、どの高校に通っていたかも、家族のことも、彼は何も話さなかった。


 学内の交友関係もほとんどなくて、彼の指導教官みたいに学生の噂にも上らなかった。そうこうしている内に都原の留学期間は終りを迎え、彼は日本に帰らなければならなくなった。その最終日にも下宿を訪ねていったが、相変わらずパテルは不在で、大学にもしも彼が自分のことを探していたら連絡をくれと頼んだあと、都原は後ろ髪を惹かれる思いで、飛行機に乗って帰国の途についた。


 帰国してからも暫くの間はパテルのことが気になっていて、何度かスマホで連絡を取ろうと試みたが、もちろん返事がかえってくることはなかった。何か事件に巻き込まれてないかとニュースサイトを漁ったりもしたが、特に見当たらず、そうこうしているうちに大学が始まり、時差ボケに苦労しながら課題に追われているうちに、だんだんパテルのことは考えなくなっていった。


 考えたところで彼が現れるわけでもないし、その結末を妄想していても不安しか募らなかった。だったらいっそ忘れてしまったほうが良いと思い、こちらから連絡をすることはもう一切しないようにしようと心に決めた。


 そうしているうちに段々と都原はあの日のことを考えなくなっていった。アメリカの記憶は日本での新たな記憶に上書きされていき、あの時預かったUSBメモリは、机の奥にしまわれたまま、そのうち忘れてしまった。


***


 それから数年の月日が過ぎて、大学院に進んだ都原は情報工学を専攻していた。


 その頃のコンピューターサイエンスは、唐突に終わった学問と言われるようになっており、補助金が得られない不遇な分野として有名になっていた。数年前のGAFAMの失墜がその引き金となっており、また各国がAIの利用に制限を掛け始めたことが追い打ちをかけた。世界では、人間の仕事を機械に奪われてはならないという風潮が強くなっていたのだ。


 それなのにどうして都原が情報工学の道に進んだのかと言えば、それはパテルの件があったからだ。


 留学から帰ってきたあと、遅れを取り戻すように学業に集中していた都原は順調に単位を修得し、いよいよ卒業後の進路を考えねばならなくなった。その時は普通に就職しようとして、公務員を目指すか民間企業にするかの二択で迷っていた。国家公務員試験を受けるならタイムリミットが迫っていた。


 そんな時、彼は机の引き出しの奥に眠っていたUSBメモリを見つけた。すっかり忘れていたが、こんなものを預かっていたのだ。


 その頃にはもうアメリカの友人のことは思い出さなくなっており、事件のことを考えても不安に思わなくなっていた彼は、この時になってようやく中身を調べてみる気になった。冷静に考えてもみれば、仮にトロイの木馬が仕掛けてあったとしても、USBメモリに出来ることなんてたかが知れているから、何も怖がることなどないのだ。


 実際問題、そこまで警戒する必要はなく、その中身はただのソースプログラムでコンパイルもされてないから、何も起きるわけがなかった。ただ、それは分かっても、具体的にこのプログラムが何をするものかまでは分からなかった。だから、忘れてしまえばそれでこの話は終わりだったのだろうが……


 あの夜のことを思い出す。月明かりの下でパテルは、教授は神を見つけたのだと言っていた。


 もしそれが本当なら、このプログラムこそ神のシミュレーターなのではないか?


 しかし、本当にそうかどうかは都原には判別がつかなかった。ここまで本格的なものは、ちょっとプログラミングを齧っただけの素人には手に負えなかった。それこそ、専門の研究者でもない限りは分からないだろう。


 そう考えた時、彼の前にもう一つの道が開けていた。この謎を解くために、院に進むという道である。


 正直、神のシミュレーターなんてものが本当にあるとは思えなかったが、少なくともそれに関わった人間が姿を消している以上、このプログラムには何か秘密が隠されているに違いない。それが分かっているのに、無視して就職なんてしてる場合だろうか。


 いや、分かっている。こんなのはただ就活のストレスから逃げようとしているだけだろう。しかし結局、その誘惑に抗うことが出来ず、都原は進学することを選んだ。


 その後、両親から2年という期限を貰って大学院に進んだ都原は、周囲の者が見違えるほどの努力を重ねて、2年後にはその道の専門家と呼べるくらいに成長していた。コンピューターへの造詣も深まり、あのUSBメモリの中に入っていたプログラムの内容もほぼ全部解明していた。


 しかし、その意味が分かるようになっても、彼にはどうしようもなかった。詰まる所そのプログラムは生成AIのもののようだったのだが、これを実行するにはスーパーコンピューターを何台並べてもスペックが足りそうもなかったのだ。


 ついでに言えば、確かに凄いものではあったが、これを走らせたところで神が現れるとも思えなかった。軽く調べてみた限りでは、これはスペックを頼りにぶん回しているだけの、今となってはかなり効率が悪いアルゴリズムにしか思えなかったのだ。


 彼は落胆し、この2年の寄り道は無駄だったと受け入れるしかなかった。きっとパテルは教授に騙されたのだ。そのパテルも、きっと都原のことをペテンに掛けようとして、あんな真似をしたに違いない。彼はそう思うことにして、両親との約束通りに、今度こそ就職しようと決めた。


***


「おい、都原。お客さんが来ているぞ」


 そうして修士論文を書く傍ら、就職活動を始めた彼のもとに、ある日、思わぬ者たちが訪ねてきた。都原が研究室でエントリーシートを書いていると、室長の教授がソワソワした表情で彼のことを呼びに来た。


 ただの大学院生でしかない自分にわざわざ会いに来るなんて、一体誰だろう。そう考えながら、どこか落ち着かない様子の教授の後をついていくと、彼はエレベーターで二人きりになった途端に、不安そうな表情を向けてきた。


「FBIとCIAが同時にやって来るなんて。お前、一体何に巻き込まれたんだ?」

「はあ? FBI? CIA?」

「俺がお前の指導教官だと言ったらIDカードを見せてくれた。学長は前代未聞だと頭を抱えているよ。詳しくは聞かないが、頼むから問題だけは起こすなよ?」


 エレベーターが止まると、教授はまた黙って先を歩いていった。


 応接室に入ると、金髪碧眼の白人男性が二人待ち構えていた。教授が言ったように、彼らは都原にIDカードを見せてくれた。正直なところ、見比べたことがないから本物かどうかは分からなかったが、事務局が通したからには多分本物なのだろう。


 しかし、それが分かったところで、何故わざわざ自分を指名して来たのか、その理由は分からなかった。不安を覚えながら勧められるままにソファに腰掛けると、二人の金髪の片方が写真を取り出して訊いてきた。


「突然押しかけてきて申し訳ない。あなたはこの男に見覚えはありませんか?」


 そして差し出された写真には、パテルの顔が写っていた。都原はそれを見るなり、あの日の出来事がフラッシュバックのように押し寄せてきた。


 月明かりの下で、パテルは教授に渡されたというUSBメモリを都原に託した。教授はそれを然るべき機関に渡してくれとパテルに頼んだらしい。彼は神を見つけたと怯えていた。パテルもまた、何者かの尾行を受けたと不安がっていた。


 その彼の写真が突然目の前に差し出された。多分、高校の卒業写真だろうか、博士帽を被ったほんの少し若い彼が、済ました表情でこっちを見ている。都原は内心どきりとしながら、


「はい、知ってます。何年か前、アメリカに短期留学をしたことがあるんですけど、彼とはそこで知り合いました。彼になにかあったんですか?」


 都原が逆に質問すると、彼らはそんなこととっくに知っていると言った感じにその質問を無視しながら、


「あなたは彼から何か預かったりしていませんか?」

「え? いえ、何も……」


 きっとUSBメモリのことだろう。それは分かっていたが都原は即座に否定してから、少し考え込むような素振りで、


「うーん……多分、何も預かってないと思いますよ? なにぶん、もう何年も前のことなので、よく覚えていませんが……多分」


 と曖昧に答えておいた。2人は都原の嘘を見抜こうとしているかのように、じっと彼の目を見ながら続けた。


「彼と最後に会ったのはいつか覚えていますか? 出来るだけ詳しく」


 都原は、きっとあの夜のことを聞きたいんだろうと思ったが、


「ええ、よく覚えていますよ。あれは帰国前の最後の夏休みでした。私は以前からグランド・キャニオン・トレイルに興味があって、日本に帰る前に挑戦しようと計画を立てていたんです。それを彼に話したら、親切にも車でサウスリムまで送ってくれたんですよ。彼とはその展望台で別れたきりです」


 都原が淀みなく答えると、彼らはお互いに目配せするように視線を交わしたあと、手元の資料をパラパラめくり始めた。多分、これは予め調査済みなんだろう。都原はそんな2人に問いかけるように、


「実はトレイルから帰ったあと、その時のお礼をしようと思って、彼の家まで訪ねていったんですよ。でも会えなくて……大学にも聞いてみたんですが、結局、彼とは会えずじまいで帰国しなければならなくなりました。だから凄い気になっていたんですけど……彼は元気にしてますか? 彼に、何かあったんでしょうか?」


 都原が聞かれてもいないことを自ら話し始めると、彼らは手元の資料と照らし合わせて嘘はないと納得したのだろうか、暫くして金髪の片方がもう片方に目配せし、その目配せされたほうが葬式みたいに深刻な表情で話し始めた。


「実は……彼はあなたと別れた直後、コロラド川で死んでいたことがつい最近確認されたんです」

「死んだ!?」


 ある意味、予想はしていたが、信じたくなかった言葉を聞いて都原が本気で驚いていると、彼らは続けて、


「数年前、グランド・キャニオンでラフティングをしていた観光客が水死体を発見しました。身元確認でバーナビー・パテル氏と確認され……その後、事件性はないと判断され、遺体は遺族に引き渡されました」

「でも、そんな! 俺は確かに彼とはグランド・キャニオンで別れたんですよ? 彼が川に落ちたなんて考えられない!」

「ええ、分かってます。当時、地元警察も事件性はないと判断し、この話は終わったはずなんです。ところが、つい最近、このパテル氏がとある事件に関与していた可能性が浮上しまして、我々が調べていたところ、この事故が改めて浮上し、再調査する必要が出来たんです。


 問題は、パテル氏がどうしてグランド・キャニオンなんかに居たのかということでしたが、その足取りを調べていたら、あなたの存在が出てきまして、こうして確認しに来たんです。彼とは、本当にその時、別れたきりですね?」

「もちろんです。俺は彼とは友達でしたが、それだけです」

「もう一度お尋ねしますが、彼から何かを預かったり、何かおかしな話を聞いたりはしていませんでしたね?」

「ええ……そう思います……」

「わかりました」


 2人はそう言うと話を切り上げ、それ以上特に何も聞くことなく去っていった。彼らが帰ると、都原はすぐに学長に呼び出されて何を聞かれたのか詰問されたが、留学時の友達が死んでいたことを知らされた以外は特にないと言うと、彼はホッとしているようだった。お悔やみを言われてから学長室を辞すと、今度は教授がやって来て、本当に何も知らないんだな? と念を押された。


 本当は……それ以上のことを知っていた。都原は、彼らに話しておいた方が良かったんじゃないかと、その後、幾度も後悔した。


 しかし、話のあまりの荒唐無稽さと、そして行方不明の教授のことを思うと踏ん切りがつかなかった。こうしてパテルが死んだという事実が判明した今、恐らくは教授も既にこの世には存在しないだろう。


 その教授がパテルに、パテルが都原に託したUSBメモリを、アメリカからやってきた捜査官たちに渡したとして、本当に自分は安心していられるんだろうか?


 もしもパテルの死が事故ではなく、殺されたのだとしたら、それは彼が神のシミュレーターの情報を持っていると思われたからだ。その彼が託したUSBメモリを都原が持っていると知られたら、安全どころか命の危険があるのではないか。


 考えすぎだと思いたいが、そう簡単に切って捨てるわけにもいかなかった。なにせ命が懸かっているのだ。しかし黙っているにしても、捜査官たちがどこまで調べているのかが気になった。


 もしかするととっくに嘘がバレていて、今夜あたりにも刺客が送られてくるかも知れない……都原はそんな妄想に取りつかれ、暫く眠れぬ夜を過ごすこととなった。


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名探偵都原「別れた直後に事故?妙だな…」
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