無限の先に
パテルからUSBメモリを預かってから、そろそろ1週間が経過しようとしていた。その間、都原は約束通り、毎日大学の図書館に通っていたが、いつまで経っても彼が現れる気配はなかった。
パテルの指導教官も同様で、ある日カフェで食事をしていると、大学が教授のことを探しているという噂話が聞こえてきた。もしあんなことがなければ気にも留めなかったろうが、どうやら本当に、教授は居なくなってしまったらしい。他大学でも一流学者の失踪が相次いでいるらしく、21世紀のミステリーとして一部で噂になっているようだった。
他方、株式市場では突然、GAFAMの株価が急落したらしく、連日ニュースはその話題で持ちきりだった。専門家によれば株価が下がる理由はないから、これは一時的なものですぐに戻るはずだと言っていたが、何か良からぬ事態が進行しているのは間違いなかった。しかし、そうは思っても都原に出来ることなど何もなく、ただパテルの帰りを待って、図書館に通い詰めることしか出来なかった。
因みに、USBメモリは家に置いていても心配なので、いつも肌見放さず持ち歩いていた。だがその中身は未だに確認していない。別にパソコンが無いというわけじゃなくて、なんとなく一人で見るのが不安だったからだ。
もしもあの話が本当ならば、おそらくこの中には神のシミュレーターなるものが記録されているはずだ。正直なところ、都原は神なんてものが本当に存在するとは思っていなかったが、パテルが教授から聞いたという話は、あまりにも具体的すぎた。その教授が行方不明とくれば、少なくとも、彼らが何かしらの発見をしたのは本当なのだろう。
このUSBメモリをパソコンに差したら、何が現れるのだろうか……気にはなったが、おいそれと試す気にもなれなかった。
パテルを待つ間、図書館では専ら無限について考えていた。神が無限だとしたらそれは可算なのか、不可算なのかと言うパテルの言葉が漠然と心に残っていたのだ。あの時はなんのことか分からなかったが、ちょうど図書館にいることだし、暇つぶしに調べてみようと思いたったのだ。
グランド・キャニオンで月明かりの下を歩きながら考えたように、無限には種類がある。ガリレオが挙げたような数えられる無限と、超越数のように数えられない無限だ。
自然数は無限に存在するが数えることは出来る。実際に数えようとしたら時間がいくらあっても足りないが、重要なのは数える方法があるということだ。自然数は1、2、3……と順番に読み上げることが出来るため、数えることが可能なのだ。このように無限ではあるが数えることは可能なものを『可算無限』と呼ぶ。
ガリレオは平方数もまた自然数のように数えることが出来るから『可能無限』であることを示したと言える。ところで有理数(分数で表せる数)は、数直線上の0~1の間にそれこそ無限に存在するが、これもまた数えることが可能なのだろうか?
集合論の創始者であるカントールは、まだ数学者として駆け出しの頃、とても簡単な方法で有理数もまた数えられることを示した。
彼は自らが導き出した答えに驚いた。自然数と比べたら、有理数は数直線上に物凄く稠密に存在するというのに、有理数も自然数と同じ『可算無限』なのだ。無限の世界では両者に違いがないなんて、とても信じられなかった。
彼は無理数もまた数えられるか考えて、今度は殆どの無理数は数えられないということを証明した。それどころかπやeのような超越数は、数直線上に飛び飛びに存在する自然数や有理数の隙間を埋めるように無限に存在しており、これによって数直線の連続性が保たれているのだ。
例えば数直線上の一点をランダムに選んだ時、その数は100%の確率で超越数になる。有理数や代数的数も無限に存在するが、超越数の数があまりにも多すぎるため、有理数や代数的数が選ばれる見込みはまったくない。
代数的数や有理数の無限は無限に存在する。しかし超越数の無限は、無限は無限でも、より高次の無限(実無限)なのだ。
かくしてカントールは無限には種類があることを証明したが、すると今度はその順番が気になり始めた。『可算無限』は『実無限』の部分集合と考えられる。ところで『実無限』は『可算無限』の一つ上の無限なのだろうか? 『可算無限』と『実無限』の間に、これらとまた別の無限は存在しないのだろうか?
カントールはないと仮定した(連続体仮説)。
彼は『可算無限』と『実無限』の間に他の無限は存在しない考え、それを証明しようとし始めた。ところがこれが彼の生涯をかけても解けないような、非常に厄介な問題を抱えていたのだ。
この時期、彼は毎週のように連続体仮説は成立する! と友人に手紙を送ったかと思えば、翌週にはそれが間違いだったと撤回するということを繰り返した。自信満々に送った手紙を間違いでしたと訂正するのは、物凄くバツが悪かったろう。それでも、彼はある時には連続体仮説を証明したと確信を得たかと思えば、すぐまた致命的な矛盾に気づいて撤回するということを繰り返した。
この調子で手紙は続き、終いには疑心暗鬼に陥って手紙を出すことも出来なくなってしまい、彼は何度も考えを変えては落胆するという日々を繰り返している内に、精神に失調を来して入退院を繰り返すようになってしまう。そして、ついには物が喉を通らなくなって衰弱死してしまうのだ。
カントールが気が狂うまでこの問題に向き合っていたという事実は、我々一般人からしてみれば正気の沙汰とは思えないだろう。数学者が自分の出した結論に確信が持てないようなら、その数学者がおかしいか、あるいは少なくともその数学者の使ってる論理がおかしいと思うのが自然である。
しかし今日では、カントールがこの苦境に陥ったのは、彼の論理に欠陥があったわけではないことが明らかになっている。その時の彼には知る由もなかったが、実は彼は解けない問題を解こうとしていたのだ。
カントールが、ある時は連続体仮説は正しいと確信し、またある時は正しくないと確信したのは、そもそもこの問題には正しい答えというものが存在しないからだった。
実は連続体仮説が正しいと仮定しても、逆に間違っていると仮定しても、そこから導き出される答えに矛盾は生じない。どちらを選んでも正しい答えが導かれる。物凄く乱暴な言い方をすれば、『連続体仮説』が成立するかどうかは、それを用いようとする数学者が決めてしまうしかないのだ。
真ならば偽、偽ならば真。これが両立するような世界が、無限を追い求めたその先に待ち受けているとは、いったい誰が想像できただろうか。
***
館内アナウンスが流れて図書館の閉館時刻を告げていた。分厚い数学書を枕に、うつらうつらしていた都原はハッと目を覚ました。
寝ぼけ眼で周囲を見回してみると帰り支度をする学生の姿があちこちに見え、図書館司書が早く帰って欲しそうにじっとこっちを見つめていた。都原は慌てて本を棚に戻すと学生に混じって外へ出た。
空調の効いた建物から外に出た途端、ムッとした空気が体を包み込むように押し寄せてきた。夏だからまだ日は高く、ジリジリと照りつけるような太陽が肌を焼いてくる。このまま家に帰るか、それとも食事でもしていこうか。どちらにせよ、どこか店にでも入らないと参ってしまいそうだったが、まだ夕食という時間でもないのでどうしようか迷った。
あれから一週間も経っているのに、今日もパテルは図書館に顔を出さなかった。ほとぼりが冷めるまで時間を潰すと言ってはいたが、彼は何をぐずぐずしているのだろうか。
もちろん、彼の下宿先は知っているから、訪ねていこうと思えばいつでも行けるのだが、そうすべきかどうか判断がつかなかった。
消えてしまった教授の話を信じるなら、アメリカ政府は神を発見したのだという。
しかし神とはそもそも何であろうか? そう問われた都原は無限ではないかと答えた。パテルはその答えを気に入って、それなら神は可算なのだろうか、不可算なのだろうかと、まるで子供みたいに聞いてきた。その時はその意味が分からなかったが……
今日、一日かけて調べて分かったが、彼はその無限は有理数の無限か、無理数の無限かと聞いていたのだ。もしもその無限が不可算なら、捕らえどころが無くなってしまう。でも可算なら捕まえることが出来るかも知れない。
そう考えれば、アメリカ政府が発見したのは有理数の神なのだろう。仮にそれが無限という途方もない数であっても、数えられるのであれば人間にも理解が可能だからだ。
「有理……?」
そう考えた時、都原の脳裏にそんな言葉が浮かんだ。確か、科学者たちもまた神とは何であるかが気になって、その神のシミュレーターとやらに尋ねてみたのだ。そしたらそれは『YU-RI』と答えたという……
大統領はそれをロシア人名だと考えたようだが、有理数のYU-RIだとしたら、意外と的外れでもない答えだったのかも知れない。しかし、科学者たちはきっと英語で質問しただろうに、計算機が日本語で返してくるとも考えにくい。
「まさかね」
そもそも神のシミュレーターの存在自体が、まだ信憑性にかけているのだ。今はそんなことまで考える必要もないだろう。それより、そろそろ一向に現れようとしないパテルを直接訪ねるかどうか決めねばならない。
……でももし本当にそんなものがあるなら、パテルもまた政府に拘束されている可能性がある。もしかすると彼の下宿は政府の人間に見張られており、そんなところへ都原がのこのこ現れようものなら、自分もどうなるか分からないかも知れない。だから近づかないほうがいいような気もするが……
でも、本当にそんなことがありうるのだろうか?
ポケットの中のUSBメモリを弄びながら考えたが、いつまで経っても結論は出なかった。気がつけば全身汗だくになっており、都原は気持ちを切り替えると、さっさと帰ってシャワーでも浴びようと家路を急いだ。




