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YU-RI

 アリゾナ州の研究施設に、教授たちが集められたのは2年前のことだった。アメリカ政府は昨今の中国の台頭に焦りを感じ始めており、彼の国を経済的に封じ込める方法を模索するよう望んでいた。そこには教授みたいな数学者だけではなく、産業界の著名人や他分野の第一人者も大勢招集されていた。


 普通なら議論が迷走しそうなところだが、一線級の人物だけで構成されていたお陰か、方針は思ったよりもスムーズに決まり、彼らはAIによるシミュレーションによって経済をコントロールする方法を導き出した。そうして開発された彼らのシミュレーターの精度は高く、その予測は現実世界でほぼ100%の結果として現れた。


 これに気を良くした大統領は、いよいよ中国を封じ込める策をシミュレーターに計算させてみることにした。そうして機械が叩き出してきた答えは、なんと並行する2つの世界の地球を衝突させるという、まるでSF地味た荒唐無稽なものだったのだ。教授たちはもちろん、その答えを馬鹿馬鹿しいと一笑に付した。


 だから逆にやってみようという気になったらしい。彼らはシミュレーターに命令した。もしもそんなことが出来るものならやってみろと。その瞬間、世界は大衝突を起こしたのだ。


「……冗談を言ってるんだよな?」


 パテルの話を要約すると、大体以上のようなものだった。そんなでたらめな話を黙って聞いていた都原(いちはら)は、話が終わるなり間髪入れずにそう言った。パテルはそのリアクションを予想していたように何度も頷きながら、


「俺も教授に向かって、お前と同じことを言ったよ。だが、彼は大真面目だったんだ。都原はシミュレーション仮説って聞いたことはあるか?」

「ああ、この世界が実はコンピューターのシミュレーションかも知れないって話だろ? テレビゲームをやったことがある者なら、誰でも一度は考えたことがあるような、小学生だって思いつきそうな、そんな話だ」

「そうだ。ただ小学生と違って、量子論を学んだ科学者が真剣に考えても、意外とその可能性は否定しきれないそうなんだ。元々、量子論ってのが扱いづらい現実世界を離散値(飛び飛びで、数えられる数値)を使って表現しようとして出来たものだろう? だからやろうと思えば、この現実世界も全部デジタルデータに置き換えることが可能なんだよ。問題はそんな膨大なデータを処理できるようなコンピューターが存在しないことだったんだが……」

「それが出来たっていうのか?」


 パテルは頷いて、


「シミュレートするにしても、この宇宙全体をシミュレートする必要はなかったんだよ。考えてもみれば、4光年先の星系の中でなにが起きてても、それが俺達の太陽系に影響を及ぼすことはまず無いだろう。それよりもっと近い、月や火星の上でも同じだ。シミュレートする範囲を地球だけに限定してみれば、意外となんとかなってしまったらしい。


 逆に、宇宙が広いことを思えば、地球で何が起きようが些細なことでしかないんだ。


 彼らは自分たちが作り上げたそのシミュレーターに、この地球を好き勝手に書き換える能力があることに気がついた。それがシミュレーターの100%の予測結果だったんだ……それが分かったなら、真っ先に考えなければならないことがあるだろう」

「何を?」

「この世界は、どうもコンピューターのシミュレーションの結果だったらしい。なら、今まで誰がそのシミュレーションを行っていたんだろうか? つまり、神は存在するのかと言うことだ」

「まさか! お前は本気でそんなものが居るとでも?」


 都原が驚いて叫ぶと、パテルも肯定するように頷いてから、


「ああ、俺ももちろんお前と同意見だ。だが……もう一度言うが、俺じゃなくて教授がそう言っていたんだぞ?」

「ああ、分かってるよ。しかし、お前はもうすっかり信じているように見える」


 都原がそう指摘すると、パテルはうっと息を呑んでバツが悪そうに顔を歪めた。きっと、年下の友人に馬鹿にされたくないと思っていたのだろうが、しかし、すぐに諦めたように脱力すると、


「……そのシミュレーターってのは、要は生成AIのことなんだ。なら、信じるかどうかはともかく、聞くのは簡単だろう? だから科学者たちは聞いてみたんだそうだ。この世界に神は存在するのかって」

「それで、なんて答えたんだよ?」

「YU-RI」


 パテルは簡潔に、その一語だけを呟いた。都原は英語を聞き取れなかったのかと思ったが、どうやらそうじゃなかったらしい。


「YU-RI YU-RI YU-RI YU-RI YU-RI YU-RI YU-RI YU-RI YU-RI YU-RI……! それまで機械的に淡々と答えていたAIが突然、堰を切ったように画面いっぱいにその単語を羅列し始めたらしいんだ。壊れたかと思った科学者たちが命じるとすぐ止まったが、もう一度同じことを聞いたらまた似たような事が起きた。


 気味が悪いだろう? だからその質問はそれ以降タブーとされた。ただ、大統領はそれをロシア人の名前と判断したようだ。つまり、自分たちと同じシミュレーターを、ロシアが持っているんじゃないかと疑い始めたらしい。でも、あの国にはもうそんな科学力はないはずだから、となると、考えられるのは情報漏洩しかない」

「マッカーシズムかよ」


 今の御時世にそんなことが有り得るのだろうか? 都原が困惑しているのとは対象的に、パテルは真面目な表情で、


「シミュレーター開発に携わった者は全員、政府に疑われて今もどこかに監禁されているらしい。長いこと教授が大学に姿を見せなかったのは、そのせいだったそうだ。ただ、彼は自分が情報漏洩をした犯人ではないことは分かっているから、いずれ解放されると思っていたようだ。しかし、ここへきて雲行きが怪しくなってきたみたいなんだ」

「怪しいって?」

「大統領が情報漏洩を疑ったのは、それを敵国に持たれると取り返しがつかないからだろう? 捜査の結果、その可能性は少なくなってきたが、すると今度は、情報を知る者の存在自体がリスクになってくる。つまり大統領は、関係者の数を減らしたくなったんだよ」

「まさか!」


 都原が最悪の事態を想像して青ざめていると、パテルは深刻そうな顔つきで、


「どうも、そのまさかが進行中らしいんだ。科学者たちはそれに気づいてせめてもの抵抗にと、自分たちの成果物を教授に託し、彼を逃がしてくれたそうだ。然るべき機関にこれを持っていき、この前代未聞の悪行を白日の元へと晒して欲しいと。だが、それこそ大統領の恐れていることだろう? 追跡は熾烈を極めた。教授はもはや自分が捕まるのも時間の問題だと思って、それで俺に情報を託すことを思いついたらしい」

「その、情報ってのが、これのことか?」


 都原は自分の手のひらの上に転がっているUSBメモリを見ながら言った。パテルは肯定も否定もすることなく、同じくそれを見つめながら、


「正直、ここまで聞いても、俺はまだ疑っていた。ただ、教授の怯え方は本物のようだったから、少なくとも冷たい態度を取るのは良くないと思って、そのUSBメモリを受け取ることにしたんだ。彼は俺に、後を頼んだと言って去っていったよ。


 その後……一人部屋に取り残された俺はだんだん怖くなってきた。それで一泊するつもりだったが、すぐにモーテルを出ることにしたんだ。都原を迎えに行くにしてもまだ時間があったから、一度家に帰ろうとして、暫くフリーウェイを飛ばしていたよ。


 そしたら、宿に忘れ物をしたことに気づいてな? 大したものじゃない、ただのスマホの充電器だったんだが、なんとなく惜しくなってさ。引き返すことにした。ところがそうしてモーテルまで戻ってみると、出るときには一台も停まってなかった駐車場に、大量の車が停まってたんだ。


 警察じゃない。黒い服を着た連中だった。大統領のSSみたいな……嫌な予感がしてさ。俺はモーテルの前を素通りした。すると携帯が鳴り出して、着信を見たら教授の名前が表示されていたんだ。俺は出ようか迷ったが、すぐおかしいと気づいてな。もし電話が出来るんなら、彼はモーテルに押しかけてくる必要はなかったじゃないか。


 俺は電話には出ずにスマホの電源を切った。それでも不安だったから、信号待ちで並んだトラックの荷台にそいつを放り込んだ。また買い直せばいいんだって、自分に言い聞かせてな。すると暫して黒塗りの車が追い越していって、そのトラックを路肩に止めたんだよ」


「まさか、本当に尾行されていたっていうのか?」


「はっきりそうとは言い切れないが、おそらくは。俺はUSBメモリを持っているのが怖くなってきたよ。でも、スマホと違ってそいつを捨てることは出来なかった。教授がどうなったか知らないが、多分もう、彼には会えないような気がして……それは遺言状みたいなものだろう?


 しかし、それをどうしていいかも分からなかった。俺は暫く車を流しながら考えていたが、結局何も思いつかなかった。こいつを公表すると言っても、単にテレビ局に持ち込めば良いってものでもないだろう。政治家は以ての外だ。大体、俺はまだこの中身を知らないんだ。


 ただ、家に帰る気にはなれなかったよ。教授の携帯から電話が掛かってきた時点で、俺もとっくにマークされてるんじゃないかと思って、帰るにしても何か対策を練っておいた方が良い。そう考えた時、お前の顔を思い出したんだ」


「俺を?」


「多分、追跡者が俺の交友関係を洗ったとしても、おまえがグランド・キャニオンを歩いているなんて知る由もないだろう。人里離れたこんな場所で、友人に会えるチャンスなんて、もう二度とやって来ないだろう。


 だから俺は家に帰らず直接ノースリムまで来ることにした。そこで2日間、車の中で過ごし、お前が到着する4日目に谷に入った。ところが、お前はやってこなかった。俺は引き返すかどうか迷ったが、お前が遅れている可能性にかけてここで1日過ごすことにしたよ。どうやら、賭けには勝てたようだ」


「お前は、俺にこのUSBメモリを預けるためだけに、そんな無茶なことをしたというのか?」


 パテルは頷いて、


「他にうまい方法は何も思いつかなかったんだ。それに、その情報を託せる相手も。全て話したうえで改めて聞くが、都原、それを預かってくれないか?」

「そりゃ、預かるのは構わないが……正直、全部聞いてもまだ半信半疑だし、お前がここまでする意味があるかどうかも分からない。それでパテル、お前はこれからどうするつもりなんだ?」


 彼は都原の返事を聞いて安堵の表情を見せた後、少し考えるように遠い目をしながら、


「そうだな。俺も自分の考えすぎだと思う。それに一生こうして逃げ回っているわけにもいかないからな。暫くロードトリップして時間を潰したあと、思い切って家に帰ってみることにするよ。悪いが、お前は一足先に帰って、俺からの連絡を待っててくれないか。大学のどこかで会えればそれが一番なんだが」

「なら、一日一度は大学の図書館に顔を出すよ」


 都原は承諾し、ひとまずこの話は終わった。


 その後、パテルの怪我も癒えたので、二人はキャンプを畳んでノースリムを目指すことにした。話し込んでいたせいで日の出まで時間が差し迫っていたが、暑くなる前になんとか目的地にはたどり着けた。


 ただ、パテルが二人一緒にいるところを誰かに見られるのを避けたいというので、彼が谷を出る間、都原はまた川岸に下りて時間を潰さなければならなかった。灼熱の太陽が照りつける中、こんな場所で足止めを食うのは少々気が滅入った。しかし、怯えている彼に文句も言えなかった。


 ノースリムに到着して観光客の間を抜け、駐車場へ行くとパテルの車はもうどこにも見当たらなかった。無事なら良いと思いつつ、都原はやって来たバスで麓まで下りると、今度は長距離バスに乗り換えてロサンゼルスを目指した。


 バスに乗ると5日間の旅の疲れがどっと押し寄せてきて、車窓の風景を見ている記憶を最後に、意識が吹っ飛んだ。目が覚めた時、彼はバスのドライバーに肩を叩かれており、気がつけば辺りはすっかり暗くなっていた。


 それだけ眠ったにも関わらず、家に帰るとまた眠気が押し寄せてきて、シャワーを浴びる元気もなくベッドに潜り込むと、都原はまた泥のように眠った。その間、パテルに預かったUSBメモリはずっと上着のポケットの中に入っていた。パテルが帰ってきたらその中身を一緒に調べるつもりだったが……


 しかし、それから2日経っても3日経っても、彼が大学に現れることはなかったのだ。


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