場違いな通行人
突然、光が目に差し込んできて、その眩しさに我に返った。あたりを見回してみれば、いつの間にか空は白んでおり、赤い太陽が真横から照りつけてきた。
太陽光線を手で遮りつつ腕時計を見れば、もう午前6時を回っていた。どうやら無限について考えているうちに、いつの間にか意識まで飛んでしまっていたらしい。頭の中で静電気がパリパリしていた。
変わり映えしない景色が続いていたから無心になるのも仕方ないが、本当に我を失ってしまっては元も子もないだろう。この乾いた景色の中で迷子になったら、下手すれば死ぬ可能性だってあるのだ。気を引き締めねばと自分に言い聞かせつつ、都原はもう一度辺りを見回した。
予定では7時までには最初のキャンプ地に辿り着いていなければならなかった。レンジャーの話では、その頃にはもうまともに動けなくなり、10時を過ぎれば死を覚悟しなければならない暑さになるとのことだった。きっと大げさに言ってるんだと思っていたが、もしかすると本当かも知れない。実は6時現在の今でも結構堪える暑さだった。
まだ時間はあったが、このまま無策に歩き続けるのは危険だろう。速度を上げて予定通りキャンプ地を目指すべきか、それとも日陰を探して早々にビバークすべきか……
悩んだ彼は、すぐ決断した。既に一晩中歩き続けて消耗しているのに、予定にこだわって暑さの中を動き回るのは良くないだろう。
少なくとも水場が近くに無くては危険だろうと思い、川の音を頼りに進んだ彼は、川にほど近い岩陰に荷物を下ろすと、方角を確かめるためにその岩によじ上った。
いよいよ日が昇ってくると、この世のものとは思えないような赤茶色の岩石の世界が広がっていた。積み重なった地層が岩石と化し、まるで砂場に撒いた水が砂を削りながら地面に染み込んでいくような、そんな地形がどこまでも続いている。
真っ白な太陽光が地面に反射し、ジリジリと気温が上がっていくのが肌で感じられた。川に近いのもあって、こんな場所でも意外と緑は多く見えたが、日を遮るような大きな木陰は見当たらなかった。もし、そんな場所があれば迷わずそこをキャンプ地にするのだが、無いんならしょうがないと、都原は今まさに自分が立っている岩場の影にテントを張ることにした。
出来れば川に入ったり、景色を楽しみたいところだが、既に体はクタクタで、そんな余裕はなかった。彼はドライフードを頬張り水で流し込むと、テントに入って目を閉じた。
あっという間に意識が朦朧としてきて、すぐにでも眠れそうだった。きっと夜まで泥のように眠り続けるだろう……夕暮れまでに目が覚めればいいのだが……
そんなこと、心配する必要も無かった。
都原は数時間も経たないうちに目が覚めた。なんか頭がガンガン痛むと思ったら、自分が信じられないくらい汗をかいていることに気づいて驚いた。テントの中なのにやけに眩しいと思ったら、薄手の生地が太陽光線を透過して差し込んできているようだった。既にテント内は蒸し風呂状態だ。
都原は自分が熱中症になりかけていることに気づいて、慌ててテントから這い出していった。風がひんやりと吹き抜けていく。彼は水筒の水をごくごく飲み干してほっと一息ついたあと、思い出したように塩分サプリを口に入れて噛み砕いた。見上げれば容赦なく太陽が照りつけてきていて、髪の毛が燃えるように熱を帯びていた。
ちゃんと岩陰で寝たつもりだったが、どうやら寝てる間に太陽が移動して日向に入っていたらしい。地球は丸いのだから、朝の日陰が午後に日向に変わるのは当然のことだろう。どうしてそんなことにも気づかなかったのだろうか。よほど疲れていたからだろうが、寝不足の頭で過去の自分を呪った。
ともあれ、日向になってしまったのなら仕方なし、また日陰を探して移動すればいいだけだが、問題はパッと見た限りその日陰がどこにも見当たらないことだった。時計を見れば11時を少し回った頃で、つまり太陽が谷の真上に来てしまっていたのだ。最低でもこれがあと2時間は続くというわけだ。
朝、疲れからキャンプ地を目指さなかったのはどうやら失敗だったらしい。遮るものが何もない太陽の下で寝るわけにもいかないが、既に気温は上がりきっており、テントの中になんてとても帰れそうもなかった。こうなると地面に立てているだけ無駄だから、テントはたたんで、それをタープ代わりに無理やり日陰を作ることにした。
幸い、なにかあった時のためにロープは持参していたので、それはなんとかなった。問題は、風通しが良くなっても相変わらず暑くてどうしようもないことだった。気温は35度。空気が乾燥している分、真夏の東京と比べたらまだマシだったが、代わりに太陽光線がきつかった。ただじっと寝そべっていても、際限なく汗が吹き出てくる。これでまだ午前中だというから堪らない。都原はその後、水浴びのために寝床と川を何度も往復する羽目になった。
ようやく睡眠が取れたのは、日が傾いて岩陰で眠れるようになってからだった。体は泥のように重くて意識も朦朧としており、きっと起きたら真夜中だと思っていたが、3時間もしないうちにすぐ目が覚めた。
多分、眠っている間もずっと緊張していたのだろう。もう一眠りしようと思っても目が冴えてしまってどうしようもなかった。彼は鞭打つように体を起こすと、諦めて荷物をまとめて先を急ぐことにした。
西の空はまだ明るくて、藍色の空に一番星が輝き始めた頃合いだった。昼夜の気温差のせいか風が吹き始め、昼間あれだけ暑かったというのに、既にどことなく肌寒さを感じていた。実際、夜中には10度近くまで気温が下がるというから、砂漠とは本当に恐ろしい場所である。
暫く進むと当初目指していたキャンプ場へと辿り着いた。ちゃんと木立があって、人が眠るのに最適なスペースがあちこちに見えた。広場には東屋が建っており、勝手に使っても良いバーベキュー台というか、グリルまでついている。
どうしてあの時、もうちょっと頑張って進まなかったのかと後悔しつつ、その前を通り過ぎ、今日は予定変更してでも絶対にキャンプ場に泊まろうと決めた。自分はまだ初心者なのだから、予定外のトラブルには対処出来ないんだ。
そうして無理をしないと決めたことで足取りも軽くなり、その日は周囲の景色を楽しむ余裕も生まれた。月明かりの下の幻想的な世界を歩いていると、昼間の地獄が嘘のように思えてくる。昨日みたいに意識を飛ばすこともなく、途中で出会った小動物を目で追いかけたり、夜中に川で汲んだ水を煮沸してコーヒーを飲むくらいの余裕もあった。
空が白んでくる頃には、目的地のキャンプ場に到着した。無理をすれば、もう一つ先まで進めただろうが、もちろんそんなことをする気は起きなかった。
やはり時期が悪かったせいかキャンプ場は貸切状態で、好きなところにテントを張ることが出来たが、昨日の失敗からタープ泊へと切り替えた。正直、この暑さだと虫よけよりも、風を避けてしまう方がまずかろう。そう思ってコットの上に横になったら、思った以上に快適だった。もしかすると、この暑さで虫の方も参ってしまったのかも知れない。
それでも日中は気温が上がって昨日みたいに何度も起こされたが、水分をとってしっかり眠れば、夕方までにはちゃんと疲れを取ることが出来た。
お陰で3日目は多少時間的な余裕をもったままスタートが出来、これまでの遅れを取り戻せそうだった。地図を見返して自分の位置をちゃんと把握してもいたし、山歩きにも随分慣れてきたから少し急ごうと思っていたのだが、得てしてそういう時こそトラブルは起きるものである。それは怪我とか病気とか、自分ではなく天候が原因だった。
出発してから暫くすると、この時期には珍しく雨が降ってきた。砂漠の雨だからすぐ止むかな? と思っていたが、どんどん雨脚は強くなっていき、雨宿りを余儀なくされた。相変わらずキャンプ場以外は隠れる場所が少ないので、今回はテントが役に立った。バタバタとビニールの天井を叩く雨音を聞きながら、3時間ほどしてようやく雨は止んだが、お陰で予定はすっかり狂ってしまった。その日は予定の半分も進むことが出来ず朝を迎えて、逃げるように一番近くのキャンプ場へと駆け込んだ。
そんな状況で最終日の4日目に突入してしまったので、もう当初の予定通りに踏破することは完全に諦めていた。本当なら今日の朝までにノースリムに到着し、そこで待っているはずのパテルと合流してロサンゼルスに帰るつもりだったが、今からではトレイルランでもしない限り辿り着けないだろう。もちろん都原にそんな体力も根性もなかった。
一応、パテルには自分が現れなければ帰ってくれても構わないと伝えておいたから、予定変更したところで大して困らなかった。それに元々、帰りはバスのつもりだったのだ。
そんなわけで、その日は完全に日が沈んで、月が出るのを待ってからキャンプ場を出発し、今まで以上にゆっくりと歩くことにした。もともと食料は多めにあったし、煮沸すれば川の水も飲めると分かっていたから気楽な旅だった。
やはりLEDの光ではなく、月明かりの下を歩くほうが、心境的にも大分マシだった。結局、人工的な光は一点しか照らしてくれないから視界が狭くなってしまい、思考も内へ内へと入りこまざるを得なくなってくるのだ。
トレイルでは景色を楽しむことが、思った以上に大事なんだと改めて実感した。出来れば涼しい時期にまたやって来たいものであるが、それはそれで人が多くて楽しめないだろうか?
そんなことをぼんやり考えながら進んでいるうちに最後のキャンプ場へとたどり着いた。すると今日は珍しくキャンプ場に人が居て、お互いに無視するのもなんだから、どちらからともなく話をするようになった。
その彼からは気になる情報を得た。彼は都原が目指しているノースリムからやってきたわけだが、その途中で谷間に迷い込んだ観光客と出会ったそうなのだ。
何の装備もなくグランド・キャニオンに足を踏み入れるのは危険だから、すぐに引き返すように言ったのだが、相手はそんなこと分かってると言って聞く耳もたなかったそうである。ノースリムに向かうなら少し気にかけて置いて欲しいと言われた。
日本でも、自殺するために富士の樹海に入り込むみたいな、そんな話を聞くが、もしかしてその口だろうか? ちょっと嫌な話を聞いちゃったなと思いつつ、その日は残りの食料を使って豪勢な食事をとってから眠りについた。
5日目もまた月が出るのを待ってからキャンプ場をあとにした。残りの行程は少なく、せいぜい4~5キロ程度で、朝までには問題なく到着する予定だった。その日は風がなく、気温も穏やかで、歩くには最適なコンディションだった。自然と歩幅は大きくなったが、ただこのままでは早く着きすぎてしまうと思い、意識してゆっくり歩くよう心がけた。
早朝に辿り着いたところで、バスはすぐにはやって来ないのだ。パテルが気を利かせて待ってくれている可能性もあったが、既に1日予定をブッチしてしまったのであまり期待はしていなかった。まあ、なんというか、パテルはそんなキャラなのだ。そう思っていた。
だが、それはとんでもない間違いだったのだ。
キャンプ場を出てまだ1キロも進んでいないところで、都原はなんとなく視界の隅に奇妙なものを捕らえたような気がした。
それが何なのかすぐには分からず、一度は気のせいと思って立ち去りかけたが、そう思った次の瞬間、彼は自分のいる場所からすぐ斜め下方の岩陰に、人が倒れていることに気がついた。
昼間知り合ったバックパッカーから、迷い込んだ観光客の話を聞いていたお陰だろうか、普通だったら気づかなかったであろう遭難者を、どうやら都原は見つけてしまったようだった。
岩陰の人物はピクリとも動かない。もしも彼の想像通り自殺志願者だったら既に手遅れかも知れないが……そこはちょうど、川から上がってくるところで坂になっていて、もしかしたら足を滑らせた可能性もある。
「大丈夫ですか!?」
なんにせよ気付いてしまった以上、無視して通り過ぎるわけにもいかないだろう。彼は慌ててヘッドライトを点けると、人影に向かって声を掛けた。
そこそこ大きな声を上げたつもりだが、相手は気づいていないようだった。都原は最悪の事態を想定しつつ、恐る恐るその人影に近付ていったが……
「……パテル?」
坂道を砂利を蹴飛ばしながら滑るように下りていった彼は、そこに横たわっている人物が自分のよく知る男だと気づいて驚いた。
よく見ればパテルは額から血を流し、苦しげな表情のまま倒れている。まさか死んではいまいかと、都原の足は竦み上がったが、よく聞くとそんなパテルがうめき声を上げていることに気づいて、彼は慌てて駆け寄っていった。




