無限には種類がある
ギリシャ人が無限という概念を発見したのは、おそらく紀元前6世紀から5世紀の間だと思われる。有名なゼノンのパラドックスがその証拠だ。
ある日、俊足のアキレスと亀が競争することになった。亀はハンデとしてアキレスより少し前(A地点)からスタートすることになった。するとB地点からスタートしたアキレスがA地点に到達するまでに、亀は少し進んでA'地点に到達している。アキレスがA'地点に到達した時には、亀はまた少し進んでA''地点に到達している。ならばとアキレスがA''地点まで走っていくと、その時にはもう亀はA'''地点に進んでいて、こう考えるとアキレスは一生亀に追いつけなくなる。
この矛盾が成立するには、アキレスと亀との間の距離が無限に分割できるという前提が必要だ。もしも距離に最小値が存在するなら、アキレスはあっという間に亀を置き去りにしただろう。しかし空間は連続に見えて、どこにも最小値などないように思える。そのせいで、この問題は長いこと人類を悩ませた。
実際には無限に続くように見える空間も、有限の空間に収束するという数学的な事実があるから、アキレスは亀に追いつけるわけだが、当時の人々はまだそのことを知らなかったのだ。
ところでピタゴラス教団の人々も、無限という概念についてはある程度把握していたようである。彼らにとって『1』という数字はあらゆる数字を生み出す源だった。ある数字に1を加えれば、より大きな数が出来る。その数にまた1を加えれば、さらに大きな数が生まれる。こう考えれば、いくらでも、無限に数が作れる。
因みに2は最初の偶数であり、意見を表すとされた。3は最初の奇数であり、調和を表す。4は最初の平方数で、正義のシンボルとされた。とりわけ神聖なのが10で、いわゆる『テトラクテュス』は宇宙を表すと考えられた。
どういうことかと言えば、1つの点は次元の始まりを表し、2つの点は線を定め、3つの点は平面を定める。そして4つの点は四面体を定めることが出来、以上をもってテトラクテュスは宇宙空間を表しているのだと考えたのだ。
そんな彼らの前に無理数が立ちはだかった。
ピタゴラスの定理を2辺の長さが1の直角三角形に当てはめると、斜辺の長さは√2になる。彼らはこの新しい数字が、2つの整数の比として表せないことに気づいたのだ。
有理数とはaとbを整数としてa/bで表せる数のことである。それを少数で表せばいずれゼロになるか、同じパターンが延々と続くようになる。例えば1/2は0.50000……、2/3は0.66666……、6/11は0.545454……と言った具合にだ。一方、無理数を少数で表そうとすれば、どこまでいっても、いかなるパターンも現れない。無限にランダムな数字が現れ続ける。
このことは数を神と同一視していた教団の人々を動揺させた。故に教団内の秘密として絶対に口外無用とされたのだが、そんな教団も無限に存続することは出来ず、ある時、近隣のライバル団体から襲撃を受けて多くのメンバーが殺害され消滅してしまう。事件後、教団が秘匿していた知識はギリシャ世界に広まっていき、時代が移り変わって、その神秘はプラトンのアカデメイアの数学者たちに継承されることとなった。
プラトンも優秀な数学者であったそうだが、わけても弟子のエウドクソスは抜きん出ていた。彼は後に師匠の望み通り政治に関わったり、天文学の分野にも貢献するような傑物だった。そんなエウドクソスの最大の功績は『可能無限』という概念を打ち出したことだ。
エウドクソスは曲面の面積や、曲面に囲まれた領域の体積を求めるために、無限に多くて無限に小さい量、というものを利用した。例えば、円を非常に細かな長方形に分割し、それを足し合わせていけば、円の面積が算出できると考えたのだ。
一方で、彼はそんな量が実在するとは考えなくても良いとも言った。仮定すべきは、ある大きさのものを次々分割していけば、必要なだけ小さな量が得られるということだ。これは後の極限や微分積分の基礎となる概念だった。
そんな彼の功績は、エウクレイデス(ユークリッド)が『原論』の中で言及しているが、ここではまだ円周率については触れられていなかった。
エウドクソスから1世紀後、シュラクサイのアルキメデスは取り付くし法という概念を用いて円周率πは3+1/71<π<3+1/7の間であると定め、さまざまな面積や体積を求めるのに活用した。彼の活躍は浮力の原理やローマ軍を苦しめた光学兵器など枚挙にいとまがない。
ところが紀元前212年、ローマ軍がシュラクサイを襲い、司令官がこの偉大な数学者を殺してはならないと命じていたにも関わらず、物を知らない兵士の手によって彼は殺害されてしまう。彼の墓は後に噂を聞きつけたキケロによって発見され丁重に扱われたそうだが、この不世出の数学者の死以降、1800年もの長きに渡って、数学という学問は一切の発展を見せなくなってしまう……
数学が再発見されるにはルネッサンスを待たねばならなかった。
厳密にはそれ以前からスコラ学に編入されていたようだが、哲学者たちが地中海世界で散り散りになっていた古代の知識を再編纂して、また新たな数学を構築し始めようと本格的に動き出したのはこの頃だ。
我思う、ゆえに我ありでお馴染みのデカルトは、実は数学にも多大な貢献をしている。彼は幾何学は代数的に解決できると、自著『方法序説』で示してみせた。
これを簡単に言い換えれば、あらゆる図形はxy平面座標にプロットできると言うことだ。こうすることで今までは三角定規とコンパスを使って解いていた問題が、数式だけで解くことができるということを彼は発見したのである。この発見は劇的で、お陰で2000年近くも停滞していた数学の発展を促す原動力になった。
一方、ガリレオ・ガリレイは月のスケッチや木星の衛星を発見するなどの天文学的な発見も有名であるが、運動の法則や振り子の等時性など、物理学や数学にも秀でた貢献を残した人物だった。
彼はその著書で無限についても語っており、それは「あらゆる整数が無限に存在するなら、その平方数も同じくらい存在する」というものである。具体的にどういうことかと言えば、「1, 2, 3, 4, 5,,,」という整数とその平方数「1, 4, 9, 16, 25,,,」は同じ数だけ存在するということだ。
一見すると、絶対に平方数の方が少ないように思えるが、さっきの平方数を
と併記してみれば、整数xが無限に存在するなら、その整数xの2乗も同じ数だけ存在することが分かるだろう。なんなら3乗や4乗にしても変わらない。「無限」を考えると、このような奇怪な性質が現れてくるというのを彼は示したのだ。
ボルツァーノという聖職者もまた無限について考えていた一人だった。彼はガリレオとは違って巨大な無限ではなく、閉じて狭い空間について考えていた。
例えば数直線上の0から1の間には、いくつの実数が存在するだろうか。実数とは自然数、整数、分数、少数、無理数などの数直線上の全ての数のことだ。これについては誰もが即座に「無限!」と答えるだろう。それに異論はない。じゃあ0から2の間には?
答えはやはり「無限」である。0から1の間にも、0から2の間にも、同じ数だけの実数が含まれている。これは傾き2の直線(y=2x)を描いて見れば分かる。まったく奇妙な話なのだが、0~1の全てのxに対し、0~2の全てのyが一対一に対応するのは一目瞭然だろう。
とはいえ、ガリレオやボルツァーノが扱った無限は離散的なもの……つまり無限ではあるが数えられるものに限られていた。今日ではこのような数えられる無限集合のことを『可算無限集合』と呼んでいる。
さて、ここから少し話は込み入ってくる。その当時の数学者たちを悩ませていた有名な難問の一つに『円積問題』があった。どういう問題かと言えば「とある円と同じ面積を持つ正方形を作図せよ」というものである。
これは紀元前5世紀にアナクサゴラスという人が出した問題で、未解決のまま2千年以上が経過していた難問だった。この難問を解けば箔が付くから、当時の数学者たちが腕まくりして挑戦したのも頷けるだろう。しかし、一見シンプルなこの問題はとんだ食わせ物で、実はどうやっても解けないのだ。
問題を解こうとして、まず半径1の円を考えると、その面積はπになる。すると正方形の一辺の長さは√πとなる。2乗して無理数になるような長さの作図は不可能だから、以上、証明終わり! と言いたいところだが……だからと言って円積問題に解が存在しないわけではない。
例えばロープを円に沿って丸く結んでから、今度はその円を等間隔に四隅に広げていったら、ほら、πr^2=a^2を満たすようなaはちゃんと実在するではないか。
これを上手いこと説明することが出来ず、そうこうしているうちに円積問題を解決しようとする人がどんどん増えていき、パリ王立科学アカデミーは今後一切この問題の論文は受け付けないという決定を下したほどだった。
この問題は1882年になって、リンデマンの手によりようやく解決された。結論から言えば、πは代数的な数ではない。つまりπは、有理数を係数とするいかなる多項方程式の解にもなりえないから、作図(xy平面にプロットすること)は不可能だということだった。
もっと噛み砕いて言えば、円積問題を解くためには、まず前提としてπという無理数を何らかの方程式で表さなければならない。例えば三平方の定理で√2が現れたように、π^2=a^2+b^2を満たすaとbが存在するかということだ。こんなふうにπを何らかの式で表せるなら円積問題は解けるのだが、リンデマンはπはそういうことが出来ない数だよと証明したのである。
このように代数的な数でない無理数のことを『超越数』という。
なんとなく想像つくだろうが、実は、数直線上に存在するほとんど全ては超越数なのだ。有理数や代数的数も無限に存在するが、それはあくまで数えられる無限である。しかし超越数の無限はそもそも数えることが出来ない、無限は無限でも、より高次の無限なのである。




