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夜に抱かれて

 ゴツゴツした岩石と砂の大地はまるで月面のようだった。しかし見上げればそこに月がある。人工的な光が殆ど届かない暗闇の中で、月だけが自分と世界との繋がりを感じさせる唯一の物だった。


 そんな暗い谷底を、都原(いちはら)はもう何時間もLEDのヘッドライトだけを頼りに、足下ばかりを見つめながら歩き続けていた。


 ラスベガスへ行くというパテルと別れたあと、彼は予定通りに谷間へ下りると、これまでに幾人もの人たちが作り上げてきたトレイルルートを歩き始めた。グランド・キャニオンは生命の息吹を感じることがないような死の谷であるが、その荘厳な景色は人を惹きつけて止まず、世界中の探検家の憧れの地でもあった。


 だから1869年、ジョン・ウェズリー・パウエル少佐が最初の科学調査を行って以来、何万人もの人々がこの地を踏破しており、今ではすっかりトレイルルートが構築されている。


 なのである意味、都原みたいな初心者でも安心して挑戦できるスポットでもあったが、よくある話だが、聞いているのと実際にやってみるのとでは全然違って、谷底に降り立ち、たった今自分が下ってきた道を振り返った彼は、早くも挫けそうになっていた。


 まず、上から見た時にはどんなに壮大な景色に見えても、下に降りれば谷底なのだから視界が悪く、思ったよりも狭く感じるのに気が滅入った。夜だから暗いのも良くなくて、風が吹き抜け草木がざわめき、動物の気配がするのに見えないというのが余計に不安を煽った。


 せめて景色が良ければ気も紛れたろうが、こう暗くてはシルエットくらいしか見ることが出来ず、そのうち景色を楽しむよりも、足下ばかり見ている自分に気づいて、これじゃなんのためにここまで来たのか分からなくなったきた。


 しかし、谷に降りてくる時にレンジャー小屋でも言われたが、夏だから夜間に行動する方が理に適っているのは確かのようだった。要するにその行動が悪いのではなく、来る時期を間違えたのだ。


 とはいえ、パテルに迎えを頼んだ以上、今さら予定変更もできない。尻込みしていても始まらないので、とにかく一歩でも前にと歩き続けた。


 それから何時間くらい経過しただろうか。


 気がつけば黄昏に吹き始めた風もいつの間にか止んでおり、周囲は水を打ったような静けさに包まれていた。実際にはまったく音が無くなったわけでもなく、相変わらず自分の引きずるような足音はずっと耳障りに聞こえてきたし、時折、闇の中で小動物が蠢く音も聞こえてきたが、最初はちょっとした音にも敏感に反応していたのに、気づけばすっかり慣れてしまったようだった。


 そうやって小一時間ほど歩き続けていると、夜も深くなり、気温も大分下がってきて、空気が肌にまとわりつくような粘り気を帯びてきた。まあ、大半は自分の汗なのだろうが、こんな砂漠でも水の気配が感じられると幾分元気も出てくるものである。


 ちょうどその時、渓谷の真上に月が差し掛かったらしく、急に視界が開けてきた。その明るさに顔を上げれば、月光が岩山を白く染め上げ、青白い空へと続いていく、そんな景色が目の前にあった。


 枯れた立ち木の梢にキラリと光る小動物の目が月明かりを反射し、ざーっと音を立てて一陣の風が吹き抜け、彼の肌の上で水滴になっていた汗を拭い去っていった。その瞬間、遠くの方からコロラド川のせせらぎが聞こえてきて、自分が今、自然の一部になっているのだということを、何故か如実に感じさせられた。


 振り返ればもうスタート地点は見えなくなっていて、自分の足跡だけが新雪のように続いていた。時期が悪すぎたせいかこれだけメジャーなスポットにも関わらず、今日この谷間に下りているのは自分だけのようだった。


 この文明から隔絶された無人の荒野を歩いていると、本当に自分だけが世界から取り残されてしまったんじゃないかと、そんな錯覚すら覚えたが、不思議と恐怖は感じられなかった。それもこれも、あの月がどこまでも着いてくるからだろうか。


 また足下を確かめて、一歩一歩進み始めると、さっきまであった疲れが嘘のように吹き飛んでいた。ちょうどランナーズハイみたいになっていたのだろうか。頭はやけにクールで、びっくりするくらい足が軽かった。


 本当に、無限に歩けそうだった。無限に……


 そう考えた時、ふいにパテルと出会った時のことを思い出した。パテルは普段は口数が少なくて、他人から話しかけられると露骨に不機嫌になるような男だったが、自分が話したいことは何時間でも堰を切ったように早口で話す、そんな男だった。


 その頃、都原(いちはら)は留学したばかりで友達も居なく、大学に慣れることで一杯一杯だった。そんな彼が英和辞典と首っ引きに数学の課題を一人図書館で取り組んでいたら、パテルが話しかけてきたのだ。多分、この要領の悪い留学生のことを、見るに見兼ねたのだろう。


 そんな都原は相手が誰か分からず、てっきり教授だと思ってノートを取り始めた。それですっかり気を良くしたのだろう。パテルは課題を手伝ってくれるだけでなく、都原を相手にペラペラと講釈をたれ始めた。多分その時、彼は無限について考えていたのだろう。彼は無限には種類があると言ったのだ。


 三平方の定理でお馴染みのピタゴラスは、特定の人物の名称というわけではなく、ピタゴラスという人物が興した宗教団体だったというのは、今や周知の事実である。ピタゴラス教団の人々は『万物は数』であり、数にこの世の神秘が隠されていると考えていた。なので数学で発見された新たな事実は、元からこの世に存在したものであり、全ては神の、ひいては教祖の手柄とされたのだ。


 確かに数には面白い性質が隠されている。例えば1年の365日という数字は、連続する3つの自然数の平方の和で表すことが出来る。それだけでなく、365は連続する2つの自然数の平方の和でも表せるのだ。

挿絵(By みてみん)


 また太陰暦の28日という数字は、その数自身を除く約数の和と等しい。このような性質を持つ自然数を『完全数』と呼ぶが、その28は最初の奇数の3乗の和にもなっている。

挿絵(By みてみん)


 10進数でよく見かける100という数字にも、実は1~4までの立方数の和という不思議な性質が隠されている。これを見てすぐにピンときたかも知れないが、10という数字も1+2+3+4で表せるのだ。

挿絵(By みてみん)


 ピタゴラス教団の人々はこの10という数を神聖視し、教団の象徴としていた。例えば小石を10個拾ってきて、上から順に1個、2個、3個、4個と並べていくと、ちょうど三角形の形になる。彼らはこの三角形を『テトラクテュス』と名付け、この世の調和の象徴であると考えていたらしい。それはこんな言葉に残されている。


『テトラクテュスを与えたる者にかけて誓う。それは我々のあらゆる知恵の源泉であり、創造主の作り給うた万物の根源である』

挿絵(By みてみん)

 これが教団の教義となった。


 実は地球が球体であると初めて主張したのはこのピタゴラス教団であり、彼らは惑星が天球と逆行して進むことにも気づいてた。日々、空を見上げて星座と数の関係についてあれこれ考えていた彼らなら当然のことだったろう。


 こういう例がいくつも見つかったから、『万物は数である』と、彼らが考えるようになったのも当然だったのかも知れない。しかし、そんな彼らだったからこそ、数には調和とかけ離れたカオスが存在することに気づくのも時間の問題だったのだ。


 有名な無理数の発見である。


 ピタゴラス教団には先に上げた『象徴』である『テトラクテュス』の他にも、『指針』を意味する『グノモン』という単語があった。これは奇数を順番に足し合わせていったもので、具体的に「1」「1+3」「1+3+5」「1+3+5+7」を表している。


 この1,4,9,16という数を見て、ピンときた人もいるだろうが、奇数を足し合わせていくと、全て平方数になるのだ。いきなり言われたらびっくりするかも知れないが、実際に小石を並べていってみるとわかりやすい。


 1個の小石を囲むように3個の小石を並べていくと、2×2の正方形が出来る。その2×2の正方形の周りに今度は5個の小石を並べていくと、3×3の正方形が出来る。あとはその繰り返しだ。

挿絵(By みてみん)

 このように、正方形の周りにくっつけると、より大きな正方形が現れる直角の形状が、ちょうど大工用具の差し金のような形をしているから、その後、差し金のことをグノモンと呼ぶようになったらしい。


 それはともかく、図のような4×4の正方形の周りに、今度は9個の(すなわち3×3の)小石を並べれば5×5の正方形が生まれて、多分、世界でも最も有名な数式の一つが現れる。いわゆる三平方の定理だ。

挿絵(By みてみん)


 証明はざっと省略するが、これが直角三角形の斜辺を表すと気づいた教団の人々は、きっとこの美しい数式に神秘を見たのだろう。以降、彼らは以下のような関係を満たす数のことを『ピタゴラス数』と呼ぶことにした。

挿絵(By みてみん)


 ところが、こうして教団の名を冠した数字には恐ろしい秘密が隠されていた。発見した定理に従って、1×1の正方形の斜辺の長さを計算すると「√2」が現れる。しかしこの「√2」という数字はいくら割っても割り切れないのだ。この数を無理やり計算しようとすれば、無限にランダムな数字が続く。


 これは教団が掲げている『数は調和を表す』という教義に反している。教団は、全ての数は神が作り出したものであり、そこにはなんらかの美しい法則が存在すると考えていた。だからそれ以降、彼らは自らが発見した無理数の存在を頑なに隠そうとするようになっていったのだ。


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