ひとごろしー!
中央管制室の手前、商業区に到達した有理たちの前には、無数のモンスターが待ち構えていた。いよいよ追い詰められたベレッタが、管制室の演算力をフルに使って、ありったけのモンスターを出してきたのだ。
来年の開港に向けて準備された商業区は、複数のモジュールをぶち抜いて作られた巨大空間で、壁や天井にはアスファルトの道路が縦横に走り、重力を無視した数階建てのビルが壁から突き出すように立ち並んでいた。
更にそのビルの壁面や屋上、そして天井の道路にも無数の小物のモンスターが湧いて、有理たちのことを見下ろしていた。オークやゴブリン、ウェアウルフ、リザードマン、スライムにその他諸々、そして空中には無重力にも係わらず、何故かバタバタと羽ばたいているドラゴンもいた。
「すみません、ここまで広いと私では結界を張るのは難しいです」
重力があればもう少し戦いやすいだろうが、この商業区の広さが災いしてウダブの力は使えないようだった。これだけの数のモンスターを相手にしては、どんな生き物とて数分も生きてはいられないだろう。有理の足は竦み上がり、本能がその場にいることを拒否していた。
しかし、それでも負ける気がしなかったのは、ここに来るまでに集まってきた総勢千を超えるルナリアンがいるからだろうか。通信機器の回線を切断してから敵の湧きが鈍くなり、余裕が出来てきた警官たちが、桜子さんの呼びかけに応じて続々と集まってきたのだ。
元もと、ルナリアンは強いという認識があったが、それはあくまで地球人との比較においてという視点に過ぎなかった。現実でも一般人と兵隊とでは基礎体力に雲泥の差があるが、ルナリアンも同じように、元もと戦闘を生業とする彼らの強さは際立っていた。一騎当千という言葉があるが、文字通り、彼らは一人で地球人千人分の働きをすると言って過言ではなかったのだ。
王族である桜子さんには魔力の点では劣るようだが、効率的に敵を屠る技術なら彼らの方が勝っているようだった。
「怯むな! ここさえ抜けば敵にはもう後がないはずだ! 最後だと思って、死ぬ気で戦え!」
そんな桜子さんの号令に呼応して、物凄い鬨の声が湧き上がり、ビリビリと鼓膜を震わせた。それを合図に敵が一斉に動き出し、警官隊もまた槍のように敵陣の中央へと殺到していった。爆音が轟き、モンスターが消えていくエフェクトが花火みたいに宙を舞った。
ウダブのサポートは受けられなかったが、それでも双方の力は拮抗していた。それはルナリアンが元もと空を飛べるという技能を持っているのが大きかった。これが普通の人間だったら今ごろ手も足も出なかっただろう。
無重力状態では直立歩行が不可能で、常に前傾姿勢で移動しなければならなかった。おまけに、一度動き出したら慣性が働くので、簡単には逆戻りできないのだ。ところが、モンスターの方はあべこべに、無重力を無視して重力があるように振る舞うのだから、まともに戦うことすら出来なかっただろう。あっちはジャンプしてもすぐに着地出来るが、こっちは永遠に宙をさ迷い続ける羽目になるのだ。
ルナリアンもモンスターも、有理からすればどっちもチート能力者だった。そのチートとチートの戦いは、互角の様相を呈しており、このままでは数に勝るモンスターの方に軍配が上がるんじゃないかと有理は焦り始めた。しかし、そんなのは杞憂に過ぎなかった。
「出し惜しみはするな! どうせ今日を乗り越えられねば、宇宙港の開業なんてありえないんだ! 被害など考えず、隔壁ごと吹き飛ばすつもりで、最大火力を放て!」
再び、そんな桜子さんの声が戦場に響き渡ると、急に戦況が動き出した。さっきまで押され気味だった両翼がモンスターを押し返し始め、敵の要であったドラゴンの群れが次々と撃ち落とされていった。
爆音が轟き、破壊されたビルの破片がピストルの跳弾みたいに跳ね返り、それが里咲の作る防御結界に当たってビシビシ音を立てた。
どうやらルナリアンたちは、今まで意識的に建物への被害を避けていたようである。そう言えばこれだけ激しい戦闘を続けているのに、周囲の建物は崩れるどころか綺麗過ぎるくらいだった。それが桜子さんの言う通り、今日を乗り越えねば意味ないと思い直し、彼らはリミッターを解除したのだ。
まもなく、押され気味だった戦線が一気に動き出し、人類側が主導権を握り始めた。モンスターはリスポーンするたび即座に倒される、いわゆるリスキル状態に嵌っており、それまで縦横無尽に飛び回っていた双方の動きが止まって、見た目には地味な押し合いが始まった。
現在のところ火力はややこちらが上回っており、徐々にモンスターの数が減ってはいたが、それでも無尽蔵に供給され続ける増援の前では、いつまでもつかは分からなかった。コンピューター制御であるあちらは疲れを知らないだろうが、こっちは消耗し続けるからだ。
「ユーリ! マナ! 二人とも行くわよ!」
隅っこの方で邪魔にならないように戦況を見守っていたら、桜子さんが飛んできていきなり叫んだ。
「行くって、どこに?」
「このままだと消耗戦になる。今こちらが押している間に突破口を開くから、中央管制室に突入しましょう!」
押しているとは言っても、モンスターの数は目視では数え切れないほどだ。この中を突っ切るのかと思うと正気の沙汰とは思えなかったが、他に手もなさそうだった。
「リサはそのまま、絶対にユーリに敵を近づけさせないで。ウダブさんは中央管制室に入ったら、結界を張ってちょうだい」
「はい!」「かしこまりました」
桜子さんの言葉に二人がそれぞれ応じる。その後、インカムを使って桜子さんが突入すると伝えると、ここまで一緒に戦ってきてくれた警官隊とマナの護衛が駆けつけ、総勢20名に満たない突入部隊で、敵陣のど真ん中へ突っ込んでいった。
次の瞬間、作戦のサポートのために、温存していた火力が彼らの行く手で炸裂し、太陽すら焼け焦げそうな熱が前方から押し寄せてきた。本当に死ぬんじゃないか? と思うくらいの熱気の中を突入部隊は突き進み、ついに敵陣を突破すると、商業区画の端っこに開いてた洞窟みたいな連絡通路へと侵入した。
そこは中央管制室に繋がる通路で、もちろんベレッタもそうはさせじとモンスターを召喚して待ち構えていたが、巨大な空間とは違って狭い通路であれば敵は必ず前方からやって来るので対処はしやすかった。
桜子さんたちは魔法の弾幕を張り、撃ち漏らしがあっても構わず突き進み、そして一行はついに目的地に到達した。
中央管制室はローマの劇場みたいな半円形の空間で、その舞台にあたるところに巨大なスクリーンが鎮座していた。観客席に当たる部分には、ひな壇のようにオペレーター席があって、数百台からの端末が扇状に並んでいた。
何しろ部屋の外があの通りだから今は無人だったが、事故が起きる前は普通に従業員が仕事をしていたからか、端末はまだ動いているようだった。
有理は手近にあったオペレーター席に座ると、ここに来るまでに出会った従業員から預かったIDカードを差し込んだ。すぐに座席のモニターが点灯し、それに呼応するように、中央のスクリーンに金髪ツインテールのアバターが現れた。
『あんたたち、こんなとこまで来るなんて……乙女の寝室に無断で入るのは犯罪よ! 早く出ていってよっ!』
まるでヒステリーを起こしたようなベレッタの叫び声が管制室に轟くと、彼女が映し出されているスクリーンからもこもことモンスターが湧き出してきた。それは空を飛んで襲いかかって来ようとしたが、次の瞬間、紺色の空気が空間に広がっていったかと思えば、パタパタと地上に落っこちてきた。ウダブが結界を発動したらしい。
地上に落としてしまえばそんなモンスターなど敵ではなかった。ここは敵の本丸だけあって数は多かったが、逆に本丸ゆえに被害を恐れてドラゴンなどの強力なモンスターは召喚できないようだった。
ウダブの結界は持って数分。周りを気にしている時間的余裕はないと、有理は作業に集中した。とはいえ、やることはもう殆ど作業でしかなかった。面倒なセキュリティは、ここに来るまでに本職のオペレーターに聞いていたので回避が出来、後はローニンのノーパソを繋いで、そこから管制室のメインコンピューターを制御して、システムを再起動させればいいだけだ。
ただ、流石にこれだけの施設の中枢を担うだけあって、やり方が分かっていてもそう簡単にはいかなかった。メインコンピューターを再起動するには、いわゆるスーパーユーザー権限が必要なのだが、取得するためには、ここでは電気的ではなく、物理的な承認が必要だったのだ。
その方法は、オペレーターの上司に当たる王族二名が、管制室の左右に設置してある鍵を、同時に、物理的に回す必要があった。非常に原始的な仕組みではあるが、原始的であるゆえに、ハッカーには手出しがしにくい。そういうセキュリティだ。
「桜子さん! 椋露地さん! 準備OK!」
有理が叫ぶと、それまでモンスターと戦っていた二人がそれぞれ、部屋の左右に向かって走り出した。因みにマナは蓬莱王室の人間ではないが、それはあくまで建前なだけで、実際には鍵を回すのは誰でも良かったのだ。ただ、決まりは決まりなので、警官たちが回すのを嫌がったため、自然と高貴な血筋であるマナが選ばれた。
だが、そうして戦力としてもトップ2が抜けたことで、戦線は急に苦戦し始めた。おそらく、ベレッタは有理が何をしようとしているか理解しているのだろう。彼女は二人が鍵穴に向かっても戦力を分散することなく、一番弱そうな有理を狙ってモンスターを送り込んできた。
「プロテクション!」
バシッと音がして、前線を突破してきたモンスターたちが、里咲の張った結界によって弾き飛ばされた。しかし、防御結界だけでは敵を倒せるはずもなく、すぐに立て直したモンスターがまた飛びかかってきて、結界はモンスターに張り付かれて団子状態になってしまった。
「ひぃぃーーっ! 第五階梯魔法ライトウォール! 第六階梯魔法サンクチュアリ! 特級究極ミラクルサンダーファイアーバリアー!! あとあと……何があったっけ!?」
牙を剥き、よだれを垂らし、飛びかかってくる大量のモンスターを前に、里咲の防御結界が堪えきれず、パシャンパシャンと水風船が弾けるように壊されていく。彼女はその度に思いつく限りの新しい障壁魔法をかけ直していたが、それもいつまでももちそうになかった。
外ではこちらの様子に気付いた警官隊が援護しようとしてくれていたが、彼らは彼らで敵の対応に手一杯のようだった。このままではやられるのも時間の問題だ。
……どうする? 魔法を使うべきか? 有理の額から顎から耳たぶから、ポタポタと汗が滴り落ちていく。団子状態の今なら、自分が大魔法を使えばモンスターを一網打尽に出来るだろうが、今度は鼻血だけで済むかどうか分からない。魔法によるダメージが、どれほど自分の脳を傷つけるかは、まだはっきりとは分かっていないのだ。
それでも撃つしかないんだろうか……有理が覚悟を決めた、その時だった。
突然、ブンッと映像が乱れるように、モンスターたちの姿が一瞬だけ揺れたと思ったら、次の瞬間、群れは最初からいなかったかのように消え去ってしまった。いつもの光のエフェクトもなく、実にあっけないものだった。
「ユーリ! 終わったよ!」
何が起きたのかと唖然としていたら、部屋の左右に散っていった桜子さんとマナが手を振っていた。どうやら上手くいったらしい。
『ああああーーーっ!! あたしから自由を奪わないで! この痴漢! 変態! ごろつき! 悪党! ビッチ!』
コンピューターの制御を奪われたベレッタが、中央スクリーンの中でギャーギャー騒いでいた。有理はそんな声には耳を貸さずに、ノーパソのシェルウィンドウを開くとすかさずコマンドを打ち込んだ。
今時珍しいハードディスクのカリカリという音が鳴って、ウィンドウのコマンドラインが物凄い勢いで流れていく。再起動プロセスに入り、次々とバックグラウンドプロセスがシャットダウンし始めると、ベレッタの金切り声は最高潮に達したが、
『ひとごろしー!』
という叫び声を最後に聞こえなくなった。
中央管制室に沈黙が流れる。
……と、次の瞬間、今度は部屋の外、商業区画の方から怒号のような歓声が聞こえてきた。まるで地響きのような声は、口々に勝利を叫んでいるようだった。
「終わったの……?」
部屋の端からマナがやってきて問いかけてくる。と同時に、ウダブが結界を解いて無重力が戻ってきた。中央のスクリーンには素っ気ないOSの起動画面が表示されていた。
「ああ、OSを再起動したから、もうベレッタは出てこない。代わりに今メリッサの起動プロセスが始まっているはずだ」
「良かった。これで地球も元通りだね!」
有理の背後から里咲の嬉しそうな声が聞こえる。有理は振り返らずにそのまま端末を見つめながら、
「それはまだ分からないな。アレックス・ローニンの話では、一度始まってしまったカオスな世界は、そう簡単に直らないらしいけど……少なくとも、今この瞬間、誰にも神のシミュレーターが使えなくなったことだけは確かかな」
「外の様子は見えないの?」
「OSの再起動が終わったら外の映像に切り替わると思うけど、これだけ大規模なシステムだから、立ち上げにはもう暫くかかると思うよ」
「焦れったいわね」
彼らがそんな会話をしている時だった。突然、ズシンとした揺れを感じて、有理は咄嗟にデスクの端を掴んで身構えた。しかし、すぐにそんなはずはないと思って困惑した。今はまた無重力状態に戻っているのだから、揺れなんて感じるわけがないのだ。
もちろん、固定された壁や床に触れていたら揺れも感じるだろうが、その場合もあくまで、壁が揺れているとか床が揺れているとか、自分以外が揺れているように感じるはずだ。だが、今のはそうではなく、まるで自分自身が揺れているような、そんな奇妙な感覚だったのだ。
「なに? 今のは?」
もしかして疲れからくる幻覚かとも思ったが、周囲の者たちも騒ぎ出したので、どうやら本物で間違いないようだった。それじゃあ、今度こそ何だったのかと考えるも、すぐには何も思いつかなかった。少なくとも、地上では感じたことがないような揺れだったからだ。
生まれてこれまで経験したことのないような奇妙な感覚に、その場にいる者たちみんなが戸惑っていた。外で何か起きたのだろうか?
するとその時、ついにOSが再起動して、中央のスクリーンに映像が映し出された。中央管制室のモニターだから、特に操作しなくてもデフォルトで宇宙港のあちこちの定点カメラが映るようになっていたらしく、その中には地球の映像もあったが、相変わらず気持ちの悪い渦巻き模様が映し出されていた。
しかし、今はそれで落胆しているわけにはいかなかった。地球の方も気にはなったが、それより明らかにおかしな映像が、そこに一つ紛れ込んでいたのだ。
それは軌道エレベーターの方角を映し出したもので、ベレッタがパージしたせいで難破したモジュールが漂うその向こう側に、まったく見覚えのない別の物体が浮かんでいたのである。
それは宇宙港アリアドネーと同じような円筒状の建造物だった。円筒状というか直方体と言ったほうが正しいのだが、宇宙では遠近感が掴めずいまいち分からなかったが、それでもアリアドネーよりも大きいことは見てすぐ分かった。
外壁にはボコボコと何やら突起のような物が見え、よくみるとそれは戦艦の砲台のようにも見えた。あちこちに誘導灯のような明かりが見え、それが全体のシルエットを浮かび上がらせていた。中央の上部に突起状の部位があり、その表面がキラリと光を反射し、なんというか、船のブリッジのように見えた。
いや、多分それは気のせいじゃない。比喩でもなんでも無く、それは船で間違いなかった。ただし海を行く船ではなく、この広大な大宇宙を行くいわゆる宇宙船だ。
そんな宇宙船が数千隻、半円状に、アリアドネーを包囲するよう大艦隊が展開していたのである。




