高徳の僧
救護室を出ると、外の通路は大パニックに陥っていた。本来なら進行方向が決められている通路を、みんなが無視して飛び回るものだから、あちこちで衝突が起きてかえって混雑しているようだった。有理たちが現在いる、港湾区のモジュールがいきなりパージされたことによって、職員たちが対応に追われているのだ。
宇宙港はプレハブ工法みたいに、地上で作ったモジュールを組み立てて作られているから、パージされたと言ってもいきなり壁が全開になったりはしないが、それでも隣接区画に繋がる通路から空気が漏れないように隔壁を閉じなければ、みんな窒息死してしまう。
ところが、緊急時には勝手に閉じるはずの隔壁が始動せず、職員たちは気流に巻き込まれないよう壁に掴まりながら、必死に手動でハンドルをぐるぐる回していた。どうやら、ベレッタが中央管制室を乗っ取ったせいで、セキュリティが機能していないようだった。
それでもどうにか隔壁は閉じられ、機密を確保することには成功した。しかし、それで万事解決というわけにはいかなかった。アリアドネーからパージされたモジュールは、燃料を積んでいるわけでもないから自力では航行できず、このままでは宇宙を延々とさ迷い続けることになる。本来ならエアーを放出して機動を安定させるところだが、管制室が占拠されているせいでどうすることも出来なかった。
早くベレッタを止めなければ、地球どころか自分たちがマズイ。桜子さんは初期の騒動が収まるとすぐに、王国警察を指揮して中央管制室を目指す突撃部隊を結成することにした。しかし宇宙空間に出るには機密服が少なすぎたので、メンバーは少数精鋭にしぼらねばならなかった。
桜子さんとマナと里咲はもちろん、第一ステーションからついてきた警備兵と、王国警察から数名、それから精鋭ではないが居なければ始まらないから有理が選ばれ、最後に何故かウダブがついて来たがった。
彼とはここまで苦楽を共にしてきた仲間であったが、戦闘力が皆無なのにどうしてついて来たがるのかと断ったのだが、ウダブは絶対に役に立つからと言って聞かなかった。しかし危険だからとしばらく押し問答を続けていると、
「そのお坊さんが役に立つって言ってるんなら連れていきましょう。本当に役に立たなかったら、どこかに置いてけばいいんだから」
と、桜子さんが半ば強引に帯同を決めて、彼もついてくることになった。有理はそれでも半信半疑であったが、結論から言えば、ついて来てもらったのは正解だった。
その後、さっき閉じたばかりの隔壁を開いてもらって、宇宙空間へと出たら、アリアドネーはこの短時間でかなり遠方まで遠ざかってしまっていた。あっちが急発進したわけではなく、きっと作用反作用の法則で、こっちの方が飛ばされてしまったのだろう。
慌てて船に向かって飛んでいたらその目の前で、さっきまで自分たちの区画が収まっていた空間の、すぐ隣の区画がパージされてしまった。どうやらベレッタはこっちの行動を先回りして、区画を切り離す作戦に出たようだ。ちゃんと行き先は桜子さんの部屋だと分かっているようだ。
パージされてしまった隣接区画には伝令を一人送って、本隊は立ち寄らず、そのまま次の区画へと急いだ。その、次の区画も彼らの目の前で切り離されてしまったのだが、こう立て続けだと中の職員も予測していたらしく、突撃部隊が近づいていくと、こっちだと手を振って中へ誘導してくれた。
中に入ると今度の区画は、隔壁を閉めるだけではなく、湧き出してきたモンスターとの戦いまで強いられ、てんやわんやになっていた。すぐに桜子さんが救援に向かい、警官隊があとに続いた。
モンスターと戦っていた職員の一人が、機密服の中に見える王国警察の徽章を見つけると近寄ってきて、
「助かったよ。あんたたち、どっちへ向かってるんだ?」
「中央管制室を目指しているんだが、その前にここの隣にある、フィエーリカ殿下の部屋に寄らねばならない。次はあっちがパージされそうだがな」
警察官の一人が皮肉交じりにそう返すと、職員の顔が曇って、
「実はこのモンスターはそっちの方から湧き出してきたものだ」
「え?」
「やっと湧きが収まってきたとホッとしてたら、また大量に湧き出してきたんだ。手が回らなくって隣に応援を求めたら、そしたら区画ごと切り離されて、あんたたちがやって来たんだよ。一体、何があったんだ?」
警察官が返答に窮していると、手が空いた桜子さんがやって来て、
「簡潔に言えば、中央管制室がテロに乗っ取られたのよ。そいつの対抗手段が私の部屋に残されていて、今からそれを回収にいくところ。それで急にモンスターが湧き出してきたのね」
「フィエーリカ殿下!」
職員はやって来たのが姫殿下と気づくと、最敬礼して固まっていた。彼女がそんなに畏まらないでくれと言っていると、またガガン! っと金属音が鳴り響き、この区画のパージが始まったようだった。
「これでモンスターの湧きは収まるでしょう。しばらく宇宙空間を彷徨うことになるけど、必ず助けに来るから、それまで辛抱してちょうだい」
「はい!」
桜子さん率いる突撃部隊は緊張している職員たちを残し、モンスターを蹴散らしながら、また隣の区画を目指した。
ハッチから宇宙空間へ飛び出すと、まだ切り離されて間もないからか、隣接区画はすぐ目の前に見えていた。その際に開け放たれた隔壁の中から空気が漏れて、白い雲みたいに空気が凍って見えていた。すぐ閉めなければ内部の空気が抜けてしまうが、ハッチを閉めようとする職員の姿は見当たらなかった。それもそのはず、そのハッチからは空気だけでなく、モンスターたちも次々飛び出してきていて、そのまま宇宙空間へと消えていった。その数は尋常ではなく、おそらく、もう内部に人は残っていないのだろう。
そんな場所に突っ込んでいかねばならないのだが、場所が場所だけに苦戦を強いられた。ルナリアンの魔法は爆発がメインだから、援護射撃をするには向いてないのだ。ただマナの弓はいつも通りに使えたから、それを頼りに強引に突破した。
しかし、中に入れば楽になるかと思えばそうでもなくて、職員が放棄した区画内部はモンスターの巣窟と化していた。いくらなんでもやりすぎだろうと言いたくなるくらい、壁や床や天井に、無数のゴブリンやらオークやらが張り付いている。さっきは飛び出してくるモンスターの数に圧倒されたが、実はハッチがボトルネックとなっていて、あれでもまだ少数だったのだ。
「怯むな!」
桜子さんの号令で我に返った面々が一斉に動き出す。多勢に無勢とはいえ、それでも小物のオークやゴブリンを倒すには十分だったが、いかんせん数が多すぎて、おまけに相手の奇妙な動きに翻弄されて苦戦を強いられた。これまで何度か言及してきた通り、モンスターたちは何故か無重力状態にも係わらず、重力があるように振る舞うからだ。
まったく奇妙なのだが、例えば天井に張り付いているモンスターは天井でジャンプするとまた天井へ着地する。壁に張り付いているものは壁に戻っていく。ならばそこだけ気をつければいいのかと思いきや、奴らは天井から壁、壁から床へも移動できるのだ。
重力が働いているように振る舞い、更には地上と同じように天井から天井へとジャンプしたかと思えば、たまに気まぐれに天井からジャンプして床に着地したりもする。そんな不規則な動きに翻弄されて、術者は狙いが定まらないのだ。
「ここは出し惜しみをしている場合じゃありませんね」
そんな時だった。
戦闘面では何の役にも立たないから、有理と一緒にただ運ばれていただけのウダブが、そんな言葉を口にして前へ進み出た。有理は危険だから止めようとしたが、よく見れば彼の手にはいつの間にか錫杖が握られており、どこから出してきたんだ? と驚いている有理の前で、ウダブはシャンっと床を叩いて音を鳴らすなり、念仏なんだかお経なんだかを唱え始めた。
するとその瞬間、まるで水面に波紋が広がっていくかのように、周囲の空間が薄っすらと濃紺に色づいていき、かと思えば、いきなり天井や壁に張り付いていたモンスターたちが、重力を取り戻したかのようにパタパタと床に落っこちてきたのである。
いや、それは比喩でもなんでもなかった。あれ? っと思った瞬間、有理も自分の体に懐かしい体重が戻ってくるのを感じていた。周囲の者たちもみんな同じだったらしく、何が起きているのかとざわついていると、
「チャンスよ! 私に続きなさい!」
そんな中で桜子さん一人が気を吐き敵陣へと突進していった。自分たちの姫様に遅れを取ってはなるまいと、慌てて警官隊が後に続き、マナが後ろから援護する。
「あまり長くは持ちません。出来るだけ早めに」
隣でお経を詠み上げていたウダブが苦しげに喘ぐ。よく見れば彼の顎の先からポタポタと汗が滴り落ちていた。何をやっているかは分からないが、相当体力を消耗するようだ。
彼の呟きがインカムを通じて伝わったらしく、余裕がないと判断した桜子さんたちは、被害が出るのも構わず火力を上げて、一気にモンスター軍団を一掃する気になったようだ。次の瞬間、今までとは比べ物にならない爆風が吹き荒れ、熱さで吹き飛びそうになるのを里咲が魔法の障壁で防いでくれた。その爆風が去った後には、そこには真っ黒に焼け焦げた地面と、吹き飛んだガラスやドアやらの瓦礫が散乱していた。
一瞬にして黒焦げになった通路の中に、キラキラとした光の礫がホタルみたいに舞っていた。おそらくは倒されたモンスターが消えるエフェクトだろうが、そんな美しい光景に見とれていると、不意に周囲の雰囲気が変わって、有理は自分の体が浮き上がっていくのを感じた。
どうやら、ウダブの魔法が解けたらしい。いや、魔法なのか?
まさかこんな特殊スキルを隠しているとは思わず尋ねてみると、
「いえ、私の力ではないんですよ。私は今、テンジン様の世界とここを一時的に繋げたに過ぎません」
「世界を繋げた?」
「ローニンさんもおっしゃってたでしょう。世界は一つだけじゃない、そして人間は別の世界へ渡ることも出来るのだと。
以前にもお話ししましたが、テンジン様は異世界の神となって、この世で不幸にも命を落としてしまった同胞たちのために今も祈り続けているのです。死んだ同胞たちは、死後あのお方の世界に招かれ、そこで修行を積んで寂滅の世界へと還っていくのです。しかし、世界を渡ると言っても、何の力もないただの人間がどうすればいいのか。神となられたテンジン様には造作もないことですが、普通の人には不可能です。
そこで、私のような者がいるのですよ。私は死して尚さ迷い続ける不幸な魂を彼の国へと導くために、テンジン様より力をお借りしているのです。しかしそれは本来、死者のためにあるもの。だから今みたいな使い方をすると反動が来るんですよ」
「そうだったんですか……」
「あれはもって数分が限度でしょう。また必要になったら出し惜しみはしませんが、そのつもりでいてください」
ウダブといえばおっとりしてて親しみやすい割には、妙に独特な近寄りがたさを感じる人物だと思っていたが、それは思ったよりもずっと高徳な使命を彼が帯びていたせいかも知れない。
そんな彼からの思いがけない援護を受けつつ、一行は中央管制室を目指して突き進んだ。




