やっちゃえ!
突然の地震と宇宙港の離脱、そして地上の大混乱の原因は、もしかしたらメリッサの仕業かも知れなかった。もちろん、彼女がそんな真似をするわけないから、きっと何者かに利用されているのだろうが、これ以上の惨事を防ぐためにもどうにかして彼女を止めなければならない。
しかし宇宙港へはどうアプローチすればいいんだろうか……そう、思案していた有理のパソコンモニターの中に、突然、金髪ツインテールのおかしなアバターが現れた。何のアプリも起動していないはずなのに、勝手に現れたそれに驚いてると、彼女は愉快そうに笑いながら、
『やっちゃえ!』
と命じるなり、目の前のモニターが奇妙に歪んで、その中から何かが飛び出してきた。
「うわっ!!」
有理は突然、自分の顔に飛びかかってくる何かに驚いて、椅子から転げ落ちて床に尻もちをついた。パソコンモニターがボンと弾けて黒煙を上げる。その何かは有理の頭上を飛び越えると、執務室の真ん中に着地して、くるりと軽やかに振り返った。そして唖然とする一同が身動き取れずにいる前で、そいつは一声、犬みたいな雄叫びを上げると、また有理に向かって突進してきた。
「プロテクション!」
慌てて腕を交差して身を守ろうとする有理の代わりに、里咲のそんな声が聞こえてきたと思えば、飛びかかってきたそれは見えないバリアに弾かれて、また部屋の中央へと着地し、今度はグルルル……っという唸り声を上げた。
それは全身を銀色の毛皮に覆われた狼みたいな生物だった。ただし犬歯が異常に発達しており、巨大な口の上下に向かって鋭い牙が突き出ている。目は金色に怪しく輝き、鋭利な爪は硬い床を貫いて地面を掴んでいた。
確か、森の国ではウェアウルフと呼ばれていたモンスターだ。ゴブリンやオークと違って素早く、音もなく集団で近づいてくるから、刑吏の連中からも忌み嫌われていた。そんなものがどうしてこの場に現れたのか?
言うまでもない、地上と同じ理由だろう。となると、さっき現れたあの金髪のアバターが、どうやら今回の事件の黒幕のようだ。
「イル ファイロ ドヌ ヴェント!」
マナの語魔法が響いて、部屋の中央で火柱が上がった。炎に巻かれたウェアウルフは一瞬にして黒焦げになり、断末魔も上げることもなくキラキラとした光の礫となって消えてしまった。
そのエフェクトもゲームの中とまったく同じだ。しかし炎の方はもちろん現実なので、
「あちっ! あちぃーって!! 椋露地さん、場所考えて!」
「そんな余裕無かったでしょ……悪かったわよ」
マナは言い訳しつつも謝罪した。こころなしか、その表情は青ざめて見える。
「こ……これは一体、どういうことなの?」
異常事態を前にマナの母親がうろたえている。有理たちはある意味慣れていたが、始めての人はわけが分からないだろう。
「たった今、スマホで見たでしょ。地上と同じモンスターが、ここにも現れたのよ」
「でも、どうやって?」
「わからないわよ。なんかパソコンでカチャカチャやったら出てくるらしいけど」
「きゃあああーー!!」
その時、部屋の外、玄関ホールの方から悲鳴が上がった。さっきの今だから何が起きたかは察しがついた。有理たちは執務室を飛び出すと、慌てて玄関に続く階段の踊り場へと駆けていったが、彼らが着く前に玄関ホールの騒ぎは収まったようだった。
玄関に辿り着くと武装した警備兵たちが集まっていて、少し興奮気味に騒いでいた。流石ルナリアンというべきか、どうやら有理たちのようなチート能力がなくとも、普通にモンスターを撃退することが出来たようだ。彼らは司令がやってきたことに気づくと居住まいを正して、
「司令! たった今、謎の生物がここの玄関に現れ、撃退したところなのですが……何故かその生き物が消え去ってしまって……」
「分かってます。それなら私の執務室にも現れました。どうも地上でも似たような騒ぎが起きてるらしいのです」
報告を聞いていたら、玄関の外からまた別の警備兵が駆け込んできて、
「大変です! 街に謎のモンスターが現れ、暴れまくってるようです! 至急、増援を求むとのこと!」
司令は天を仰ぐとため息混じりに、
「何が起きてるっていうのよ……とにかく行ってみなきゃ始まらないから、私が街に出て陣頭指揮を取るので庁舎の守りはお願いします。それから、誰かエレベーター内の管制室まで、様子を見に行ってもらえますか。通信設備が破壊されてあっちと連絡が取れなくなってます。出来れば第二と第三ステーションの情報も集めてきて下さい」
「かしこまりました」
「ママ、私たちも手伝うわ」
命令を受けた警備兵たちが散っていく中、マナが手伝いを買って出ると、彼女の母親は一瞬だけ躊躇してみせたが、すぐにさっきの手際を思い出したのだろうか、
「どうも、あなたたちの方がこの状況に慣れてるみたいですね。わかりました。騒ぎを収拾するために協力してもらえますか」
「もちろん」
有理たちは頷くと、自分は役に立てないと言うウダブを残し、街へ向かって駆け出した。
街と言っても、一つの通り沿いに出来たショッピングモールみたいなものだから、モンスターを発見するのは容易かった。庁舎を出て400メートルも走れば商店が並ぶメインストリートが見えてきて、そこで人々がモンスター相手に逃げ惑っているのが見えた。
しかし、この街にいるのは殆どがルナリアンなので、中には逃げずにモンスターと格闘している人も居た。警備兵たちは率先してそういう人たちの加勢に回り、有理たちは逃げ遅れた人たちの救助に回った。
モンスターたちは街の往来に出現したわけではなく、最初は建物の中に湧いたらしくて、あちこちに割れた窓ガラスが散乱していた。有理たちはそれらの障害物を避けつつ、悲鳴を頼りに建物内に残された人々を救助していき、中継ステーションのリングを半周する頃には、町の人々も状況に慣れてきたみたいで、騒ぎも収まりつつあった。
そう思って、ホッと一息つこうとした時だった。突然、グラグラっと地面が揺れて、またあの時みたいな地震か!? と身構えた有理たちは、しかし次の瞬間に起きた想定外の出来事に完全に意表を突かれた。
いきなり、頭上でバリバリという音が鳴り響いたと思ったら、急激に周囲の気圧が低下しはじめた気がした。はっとして見上げれば、天井の明り取り窓が破られ、そこからあのドラゴンが飛来してくるのが見えた。
なまじ地上みたく上下感覚があるのがマズかった。それは下ばっかり気にしている有理たちを嘲笑うかのごとく、軌道エレベーターがある上の方から密かに飛来してきたのだ。
天井に開いた穴からリング内の空気が抜けていき、散らばっていた瓦礫の山が吸い上げられていく。人間までが浮き上がってしまうほどでは無かったが、このままではマズイのは誰の目にも明らかだった。なんとか穴を塞がねばならないが、こんな事態、想定していないから誰も身動きが取れずにいた。そんな人間たちが頭が真っ白になっているところへ、容赦なくドラゴンが飛びかかってくる。
「ベギラゴン!」
巨大なトカゲを目にして固まっている警備兵たちに代わって、なんとかしなきゃと有理は叫んだ。咄嗟に思いついた大魔法を唱えると、直撃を受けたドラゴンが怯んだが、と同時に、有理の頭に強烈な痛みが走った。
やはり、何かがおかしい。魔法を使うなと本能が告げていたが、躊躇してもいられなかった。炎に巻かれたドラゴンがボーリングの玉みたいに転がっていくのを、マナと里咲の二人が追いかけていく。有理はその背中を横目に見ながら、自分は天井に開いた穴に向かって手を翳し、叫んだ。
「アイスウォール!」
その瞬間、今度は全身を貫くように痛みが走って、有理は自分が鼻からぼたぼたと、滝のように血を放出していることに気づいた。狙い通りに天井の穴は塞がったが、応急処置的なそれでは長くは保たないだろう。だからすぐに対処しなければならないと思っているのだが、足に力が入らなくて踏ん張りがきかず、彼は地面に崩れ落ちた。
「有理くん!」
彼の様子がおかしいことに気づいた里咲が駆け寄ってくる。有理はまだ辛うじて動く腕を天井に向けながら、
「俺はいいから、あっちをなんとかして!」
言われた彼女が天井を見上げ、防御魔法を重ね掛けして氷壁が剥がれることを防いでくれた。遠くに転がっていったドラゴンを袋叩きにして倒したあと、警備兵たちはホースを持って空中へ飛び上がり、充填剤を噴射して穴を塞ぎ始めた。
これでなんとかなりそうだ……ホッとしたのもつかの間、急激に視界が暗くなってきた。もはや腕も動かず、考えもまとまらず、何が何だかわからないまま、有理は自分の名前を叫んでいる里咲の声を遠くに聞きながら、そのまま意識を失ってしまった。




