面を上げよ
まるで天使の輪っかみたいだった。夜時間から昼時間に変わって、東の空から太陽が上ってきたと思ったら、いつの間にか上空に巨大なリングが浮かんでいた。宇宙なのに東の空とか上空ってなんだよというツッコミはさておき、従業員リフトの進行方向に、今まで見たことがないような巨大な輪っかが見えるのだ。
あれはなんだ? と驚いていたら、あれがお母さんの勤務先の中継ステーションだとマナが教えてくれた。それは軌道エレベーターの外側に広がるドーナツ状の巨大施設で、エレベーターシャフトを取り巻くように宇宙空間にぷかりと浮いていた。
実際には本当に浮いているわけではなく、何本かの鉄骨でエレベーターに固定されているみたいだったが、よく見ると輪っかの外側で光ってる誘導灯が動いているから、どうやらあれは回転しているらしい。それでピンときたが、おそらくはそうやって重力を作り出しているのだろう。あれはもしかしても、もしかしなくても、スペースコロニーに違いなかった。
そんな光景にワクテカしながらリフト乗り場に到着したら、そこには今までよりもずっと豪華な広場が広がっていてまた驚いた。
なんというか、今まではビルの地下駐車場とか、こぢんまりした地下鉄駅みたいな場所に到着するのが普通だったのだが、今回は東京駅の赤レンガドームとか、京都駅のコンコースみたいな、明らかにデザイン重視の空間だったのだ。いくつものリフトを乗り継いできて、ついに終点に辿り着いたようなそんな感じである。
「お疲れ様です。物部有理様、御一行でございますね?」
そんな特殊な空間に見とれていたら、奥の方からスイーっと綺麗な女性が近づいてきた。ルナリアンはみんな綺麗なのだが、なんというかその人は身のこなしが美しいのだ。大企業の秘書とか外交官とか、そんな洗練された感じがすると思いつつ、ところで、マナでもウダブでもなく、どうして有理に話しかけてきたのかと警戒していたら、
「基地司令から貴方様をご案内するよう仰せつかっております」
「えーっと、司令ってのは?」
「そちらのマナ様のお母様にございます」
と言われて驚いた。もちろん、宇宙公社の従業員だというのは知っていたが、聞いていた感じでは、ただの保守点検要員だと思っていたのだが。それがまさか、スペースコロニーの司令官だったなんて……
そうならそうと教えてくれても良かったのに。そう思ってマナの方を振り返ると、彼女も驚いた様子で、
「私だって初耳よ……でもそう……ママってば、そんなことさえ娘の私に教えてくれなかったのね」
と不機嫌そうに眉間に皺を寄せていた。良くわからないが、触れてはいけないような気がしたのでそれ以上は聞かず、黙って案内されることにした。
女性に先導されて広場を出ると、今度は軌道エレベーターの外周まで続く渡り廊下みたいな場所に出た。ちゃんと動く歩道が整備されており、これまでずっと重力が小さくて歩きづらかったので、とても有り難かった。ベルトに掴まりながら、狭い隙間から見える外の景色を眺めていると、歩道はリニアのガイドレールの横を通り過ぎ、軌道エレベーターの外側へと向かっているようだった。
終点に到着し歩道を下りると、無限に広がる大宇宙がそこにあった。今までもエレベーターの壁から透けて見えてはいたが、何にも遮られることなく見るのはこれが初めてだった。もちろん、宇宙線が飛んでるので実際には厚い偏光板を通してなのだが、こうして宇宙を真正面から見ていたら、なんとも言えない感動を覚えた。
下から見えていた天使の輪っかは今は有理たちのすぐ真横にあって、そこから渡り廊下が車輪のスポークのようにあちこち伸びていた。よく見ればそれは遊園地の観覧車みたいにゆっくり回転しており、案内人の足元にお気をつけ下さいという言葉に促されながらその中に足を踏み入れると、なにか空気みたいなものが変わったような、そんな気がした。
そのまま彼女のあとに続いてリングへ向かって歩いていくと、だんだん長い坂道を下りていくようなそんな錯覚がしてきた。多分、遠心力の影響だろう。それは先に進めば進むほど強く感じるようになり、壁に囲まれた洞窟みたいなトンネルを潜り抜けていると、まっすぐ歩いていたつもりがいつの間にか長い階段の上に居て、どうして階段を下りているんだ? と不思議に思っていると、その先にはまるで騙し絵みたいな街が広がっていた。
それは地上みたいに面に広がる街ではなくて、メインストリートに沿って商店が立ち並ぶというような、そんな線状の街だった。そのメインストリートの先は、まるで天に昇るような急坂の向こう側へと消えていく。実際にはその急坂を歩いていても、上ってるような感覚は全くしないのだろうが、リング内に作られた街だからそういう風に見えるのだ。
ふと見上げれば、天井の窓から覗く軌道エレベーターが横たわって見えたが、実際には自分たちの方が壁に張り付いているのだろう。地面に立ってると体がずしりと重く感じられ、久しぶりに体重が戻ってきてホッとした。ほんのちょっと横に引っ張られているような感じもするが、気にしなければほぼ違和感はなかった。
一応、地上にいた時に軌道エレベーターの観光案内も読んでいたのだが、こんな場所があるなんて全然気が付かなかった。その旨を案内人に尋ねてみたら、するとここは外部に公表されていないので、知らなくても当然だと返ってきた。実はここは商用に作られた施設ではなく、元々は軌道エレベーター建設のための足場みたいな場所だったらしい。
今でこそ軌道エレベーターの終着駅である宇宙港は、地球から3万6千キロの彼方にあるが、最初っからそこを目指して着工されたわけじゃない。最初は低軌道と呼ばれる高度400キロからロープが降ろされ、まずはそこに足場を作り、地上から送られてくる建築資材を使って、徐々に徐々に、本当に少しずつ延伸していったのである。
そうして作られていった軌道エレベーターにとって、高度1万キロはいわゆるマイルストーンであり、蓬莱王国の王族たちは最初はこの場所に居城を構えていた。まだ宇宙港が出来る前は、一旦ここに資材が集められ、建設工事は進められていった。
そしてついに3万6千キロに達したら、商用利用するにはそっちの方が都合がいいので、彼らは居城を捨てて静止軌道へと上がっていき、残されたこの施設は物資の中継ステーションとして再利用されることになったというわけである。
因みに、中継ステーションとはどういうことかと言えば、やはりバケツリレー式の物資輸送では時間がかかりすぎるから、速達など急ぎの配送はここまで貨物用シャトルで運んできて、それから各方面に送られていくという方法を取っているらしい。中継ステーションは1万キロごとに設けられており、そこにはちゃんと駅もあるそうだ。
なので、一度は一般にも公開しようかと検討もされたようだが、結局のところ、宇宙港があるから集客が見込めず断念したとのことだった。まあ、確かに。観光客の立場からすれば、宇宙港があるのに、どうして途中下車してこんな場所に泊まるんだろうと思うのが自然だろうか。例えば景色が変わるとかあるならともかく、ぶっちゃけ宇宙は変わり映えがしないのだ。贅沢な話であるが。
実際、勿体ないから蓬莱王国はここを放棄はせず、今では従業員の保養施設として使われているそうである。メインストリートには地上でもお馴染みの商業施設が並んでおり、地上と同じように人々がウィンドウショッピングしながら練り歩いていた。
ここには飲食チェーンやアウトレットのほか、ジムやプールや映画館などのレジャー施設まで何でも揃っているらしい。だから従業員の中には長期休暇になっても地上には帰らず、ここで過ごす者も多いそうだ。まあ、帰ると言ってもあの地下世界に帰るのかと思えば、独り身ならこっちを選んでも不思議じゃないだろう。
ほんの数十年前までは考えられなかったことだが、今ではもう地上に帰らず、ずっと宇宙で暮らしている人々も大勢いるらしい。ここにいる人たちがそれだと思うと、なんだか不思議でしょうがなかった。
そんな話をしながらメインストリートを進んでいくと、やがて商業施設が無くなり住宅街っぽい雰囲気になってきた。多分、保養にやって来た従業員の宿泊施設だろう。その住宅街を抜けると今度は公園みたいな広場があって、芝生が広がり木々もちゃんと植えられていてびっくりした。根付かないように工夫はしてあるのだろうが、大丈夫なのかな? と横目にしつつ通り過ぎると、最後に立派な門構えの邸宅へと辿り着いた。
白い外壁に囲まれた邸宅は、どことなくホワイトハウスみたいな外観をしており、海外の官邸のような雰囲気が漂っていた。門の前にはライフル銃で武装した警備兵が立っていて、有理たちが近づいてくるのを見ると前に進み出てきたが、先頭の案内人の姿を見ると何か思いついたようにハッと立ち止まり、右の拳を左手に添え胸の前に掲げたかと思ったら、いきなり深々とお辞儀をしてきた。なんというか、中国の宮廷ドラマの武官たちがする最敬礼みたいだ。
どう返していいか分からないのでペコリと頭を下げて通り過ぎると、彼が守っていた鉄扉が自動的に開き、中へ入るとそこにもまた外国の庭園みたいな芝生が広がっていた。
それを見ただけで、ここにはよほど偉い人が住んでいるんだろうなと感じたが、それがマナの母親だと気づくと、なんだか聞いていた話とずいぶん違いすぎるので妙な感じがしてきた。
まさかこの案内人、マナの母親の使いだと言っているが、実はアメリカのスパイかなにかで、有理たちを罠に嵌めようとしているんじゃないか?
そんな風にも思ったが、今更あとには引けないので黙ってついていくと、屋敷の玄関をくぐったら、その中に何やら儀式めいた服を着飾ったルナリアンが数人待ち構えていて、さっきの警備員みたいにお辞儀をしてきた。
流石にここまで来ると様子がおかしすぎるので、里咲やウダブに警戒するよう目配せをしたが、何故かマナだけは白けた表情で、わざと有理から顔を背けてスタスタ先へ進んでいってしまった。そんな彼女を案内人が急いで追いかけ、置いてかれたら困るので有理たちもあとに続いた。
そして長い廊下を進んで行くと、奥の方に綺羅びやかな彫刻がされた重厚なドアがあり、その前に佇んでいた執事風の男が音もなくドアを開けば、中から凄くいい匂いが漂ってきた。
どうやら御香が焚かれているらしく、部屋の奥には金屏風が見える。てっきり執務室かなにかだと思っていたら、やけに豪華な装飾に彩られた部屋を見せられ、結婚式でもやるつもりか? と困惑しつつドアをくぐると、
「お客様には不自由をお掛けしますが、どうか今は何も聞かず、ここにしゃがんでいただけませんか?」
部屋の様子をぽかんと見ていたら、いきなり案内人にそう言われ、まるで王様にでも謁見するかのように、突然、彼女は床に膝をついた。なんのつもりだ? と思いもしたが、彼女の様子が大真面目なので、仕方なく有理たちも例に倣って膝をつくと、やがて金屏風の裏の方からコツコツと足音が響いてきて、どうしよう……顔を上げても良いのかな? と戸惑っていると、
「陛下。陛下の御前に、天子様をお連れいたしました」
いきなり案内人の彼女がそんな言葉を口走ったものだから、顔を上げる気が一切無くなった。
今、彼女はなんて言ったんだ?
「面を上げよ」
そう思ってると、上の方からそんな優しげな声が聞こえてきて、逆に顔を上げざるを得なくなった。あまり気が進まなかったが、這いつくばるように下を向いていた里咲と視線を交わしてから、二人同時に恐る恐る顔を上げると……
そこにはまるで中国の王侯貴族みたいな綺羅びやかな装いを纏った美しい女性が立っていた。いや、その人はただ美しいという表現だけでは済まなくて、特別なオーラを放っているというか、美しすぎて威圧感があるというか、当に貴人といった感じがするのである。
一体、この人は何者なのだ……? と思いもしたが、ここまで来たら彼女が何者であるかなんて決まりきっていた。その答え合わせをするかのように、彼女は有理の隣のマナに向かって、
「久しいですね、マナ。随分と背が伸びたのではないですか。どうぞ、この母にもっと顔を見せて下さい」
と、慈しみの籠もった目で言うのだった。




