表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
223/239

空に一番近い場所

 人類初の宇宙飛行士・ガガーリンの地球は青かったという言葉はあまりにも有名であるが、それと同じくらい、神は何処にも居なかったという言葉も有名だ。正確にはちょっと違うようだが、この言葉が彼の口から飛び出した時、西側諸国は物凄いショックを受けたらしい。


 宗教観が違う日本人には全くわからないことだが、神は天におわすと聖書に書かれているから、キリスト教徒たちはみんなそれを信じていたらしい。20世紀にもなって、とっくに地球は丸い天体だと知っていたくせに、それでも彼らは神は空の上にいると信じていたのだ。


 ところがそれを無神論者のソ連の宇宙飛行士に否定されたものだから、これは自分たちの宗教への挑戦だと受け取った彼らは、何が何でも月面着陸は自分たちが先に成し遂げねばならないと奮起し、それが後のアポロ計画に繋がったそうである。人を安易に怒らせてはいけないという教訓みたいな逸話である。今も昔も、人間のモチベーションを最も増大させるものは怒りなのだ。


 因みに、実際に宇宙から地球を見下ろした時、有理がどう思ったかと言えば、彼は神様は本当にいるんじゃないかなと思った。


 高度100キロにも達すると、空は青から紺色に変わり、夜と昼の狭間に浮かぶまるで大気の繭に包まれるかのように輝く青い地球(ほし)を見ていたら、こんなにも美しい物が自然に出来ただなんて想像つかなくなったのだ。あの地上のいたるところに、今も生命が溢れているのだと考えると不思議でしょうがなかった。こんな何も無い宇宙の、たった一つの惑星の表面だけに、どうしてそんな多様な生物が現れたのだろうか。


 とはいえ、そうして感動を覚えた景色も一週間も経てば流石に飽きてきた。最初のうちは見ているだけでも楽しかったが、言い換えればあまり代わり映えのしない光景に、きっと慣れが生じてきたのだろう。今では毎日14時間も同じ風景を見せられて、うんざりしてるくらいだった。


 あの日、地下で中国マフィアに追い回されて仕方なく塔を昇り始めてから、一週間が経過していた。ぼちぼち高度1万キロメートルに差し掛かり、今となっては地上は遥か彼方である。しかし、そんな遠くまで上ってきたというのに、地球は相変わらず大きかった。月みたいに見えるのかなと思っていたが、このくらいではそんなに変わらないらしい。


 逆に重力の方は、みるみる小さくなっていくのを、本当に肌で感じるくらいに実感していた。実際どのくらいかといえば、重力の強さは距離の2乗に反比例するから、半径6300キロの地球の表面から1万キロ(合計16300キロ)も離れると、なんと重力は1/6にまで低下する。月の重力とだいたい同じくらいと考えると、つまり今なら運動神経ゼロの有理でも月面宙返りが可能だと言うことだ。


 ここまで重力が小さくなると、実際には上に昇ってるはずなのに、逆に下に降りて行ってるような感覚がしてくる。何しろ地球は大きいから、そこから離れて行こうとする方向のほうが(した)って感じがするのだ。


 地上から見上げた時はそびえ立つ壁のように見えた軌道エレベーターも、今では心細い蜘蛛の糸のようにしか見えなくなっていた。たまに音もなくシャトルが横を通り過ぎて行くくらいで、大気がないから星々も輝かず、宇宙は信じられないくらい静謐だった。自分たちはそんな中を、深海に挑むダイバーみたいに潜っていく。この糸の終着点、紺碧の夜に沈む神座(かむくら)に、神様はきっとそこへおわすのだ。


 因みに、有理たちが現在目指しているのはそんな天国みたいな場所ではなく、それよりもっと手前の高度1万キロにある中継ステーションだった。何を中継するのか良くわからないが、そういう施設があってマナの母親はそこで働いているらしい。


 従業員リフトで1万キロなんて、最初はとんでもないと思ったものだが、塵も積もればなんとやらで、気がつけばもうすぐ手前まで来ていた。平均時速100キロで向かって100時間と聞けば案外近いようにも思える。実際にはずっと乗りっぱなしなわけじゃなくて、乗り換えたり、宿泊もする必要があったから、なんやかんやで1週間掛かったわけだが。


 余談だが、ここまで来ると従業員リフトの加速が凄い。元の重力が小さくなっているからだが、どんな急加速をしてもエレベーターに乗ってる程度にしか重さは感じないのだ。乗って数秒で最高速に到達するから、うっかりすると床から浮かび上がってしまいそうになるので注意が必要だ。


 おそらく出そうと思えば最高時速ももっと出せるのだろうが、リフトは時速100キロに据え置かれていた。理由は固定されてない積み荷が浮かび上がって危険なのもあるのだろうが、単純に外で仕事をしている従業員たちの安全を考えてのことだろう。これだけ長い間乗っているから、ここに来るまで何度も軌道エレベーター内で工事をしている場面に遭遇したが、何と言うか、感覚的には電車に乗ってて線路工事に出くわすのとよく似ていた。


 従業員たちはエレベーター内の保守点検を日常的に行ってるわけだが、そこへシャトルやリフトが近づいてくると、手を止めて、脇へ退いて通過を待つのだ。その際、退くと言っても地面があるわけじゃないから、彼らはぴょんと飛んでどこかに掴まるのだが、命綱も付けずにそんなことをしているので、いつも見ていてハラハラした。重力が小さいと言っても、重力加速度は変わらないのだから、落ちたら一巻の終わりなのに。


 とはいえ、彼らは別に命知らずというわけでもなく、みんなルナリアンだからそうしているだけのようだった。いつかマナも言っていたが、軌道エレベーター勤務には空を飛ぶ技能が必須だから、落ちる心配はまったくないらしい。


 ふーん、そうなんだと、彼女の話を聞きながら、ふと、昔のことを思い出していた。


 子供の頃、有理は何度も死ぬような危険を犯した覚えがあった。今となっては想像つかないかも知れないが、小さい頃の彼はとにかく無謀で、やたら高いところが好きだったのだ。道を歩けばガードレールの上に乗りたがり、歩道橋から身を乗り出して、よく両親に叱られた。制止を振り切って、上り坂の法面を駆け上がっては、断崖絶壁から飛び降りてニヤニヤしていた。家族写真を撮る時は、絶対に家族の誰よりも高いところに立たなくては気がすまなくて、たまに写真が見切れていた。馬鹿と煙は高いところが好きだと、兄に呆れられたものである。


 中野にある現在の家に引っ越してきた時、隣に10階建てのファミリー向けマンションがあった。親は日当たりの悪さを気にしていたが、有理には踏破せねばならないチョモランマに見えた。早速、最上階まで上っていって、屋上へ出る扉を探した。しかしそんなものはどこにもなく、あるのは南京錠で蓋をされたマンホールみたいな穴だけだった。


 普通ならそこで諦めるものだが、何しろ彼は無謀だったから、非常階段の手すりの上に立って、屋上の縁に掴まりよじ登れば行けるんじゃないかと思い、もちろんすぐに実行した。うっかり手を滑らせれば10階から地面に叩きつけられるというのに、彼は躊躇することなく実行して、そして最高峰へと到達したのだ。


 屋上から見る街の景色は美しくて、苦労して上ってきた甲斐があったと彼を満足させてくれた。近くには高い建物があまりなく、フラットに続く関東平野が遠くまで見えた。その景色が気に入った彼は、それから幾度となく同じ方法で屋上へとよじ登った。雨の日も風の日も、雪の日も構わず、彼は同じことを続けた。


 一度、誰かに通報でもされたのか、マンホールの蓋を開けて管理人が上ってきたことがあった。その時、彼は給水塔に上り横たわって管理人をやり過ごした。見上げる空はどこまでも青くて、白い雲が綿のように流れていた。街の一番高いところに寝転がって見上げる空はなんだか特別に見えて、それ以来ここが彼のお気に入りとなった。


 そうやっていつ死んでもおかしくない愚行を続けていた有理も、いつしか年相応に大人しくなり、気がつけば高いところに登るよりも、パソコンモニターを覗き込んでる時間のほうがずっと多くなっていった。祖父の研究室に出入りし、大学院生にプログラミングを習い、ブラインドタッチでキーボードを叩きながら、黒い画面に反射する自分の顔を見つめて、そして彼は思ったものである。


 よくあの時、死んでなかったなと。もしかして自分は、ものすごく運が良いんじゃないかと。


 でも、今にして思うのだ。自分が死ななかったのはただ運が良かったんじゃなくて、たまたま死ななかったから生きているだけなんじゃないかと。


 本当の自分は何度も死んでいて、たまたま、自分が生きている世界がこうして残ってるだけなんじゃないかと。


 死んだら何も考えられないから、自分が生きている世界だけがこうして感じられているだけなのだと。


 実際、自分はこれまで何度も死んできたはずだ。三浦半島の廃工場で、森の国の塔の下で、スタジオの外の路上で、赤門の前で、末広町の交差点で、もしかしたら学校のドラゴンに殺されたこともあったかも知れない。


 あの死はみんな無かったことにされてしまったけれど、普通に考えれば、有理が死んだ後も世界は続いているはずだ。そこには有理がいないから、自分には考えることは出来ないってだけで、彼が死んだ世界は今も何処かにあるのだろう。並行世界ってのは、そういうものなんじゃないのか。


 だとしたら、本当の自分って一体何なんだろうか。我思う故に我在りというこの主観のことだとしたら、ただの脳内の電気信号が本当の自分ということになってしまう。それでいいんだろうか。本当の自分は、もうとっくに死んでるんじゃないだろうか。もしそうなら、有理がいなくなった世界で、みんなは今ごろ何をしてるんだろうか。


 眼下に広がる地球(こきょう)を見ながらそんなことを考えていた。気がつけばずっと夜に囚われたまま、青い空はいつも足下にあった。だからそんなことばかり考えてしまうのだろうか。ここはあまりにも現実味がなく、六千度の炎さえ冷たく感じるような場所だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ただいま拙作、『玉葱とクラリオン』第二巻、HJノベルスより発売中です。
https://hobbyjapan.co.jp/books/book/b638911.html
よろしくお願いします!
― 新着の感想 ―
地球の重力に魂を引かれていない有理君
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ