ミハイロビッチとお呼びください
うなぎの寝床のような部屋だった。入口は狭く、奥行きは長く、どん詰まり。その上、どこにも窓がなくて人工的な光しか届かないから、昼夜の感覚に乏しく、まともな人間なら3日ともたないような部屋だった。
そんなところに桜子さんはかれこれ1週間は監禁されていた。あの日、有理たちと別れた後、宇宙港に向かうシャトルの中で拘束されてから、外と連絡を取らせても貰えず、ずっとそんな穴蔵みたいな部屋に押し込められていたのだ。
とはいえ、そんな状態でも彼女は意外と快適に過ごせていた。というのも、そこは別に王家が用意した監禁部屋でもなんでもなく、宇宙港にある彼女の自室だったからだ。一応、王族である彼女に不敬を働くわけにもいかないという配慮からだろう。
では何故、王族である彼女の部屋がそんななのかと言えば……実は彼女の部屋は決して狭くはないのだ。
宇宙港のある高度36000キロメートルは、いわゆる静止軌道と言われる高度である。この高さに打ち上げられた人工衛星が、地球の自転と同じ速さで一日一回転すれば、地球の引力と丁度釣り合うからそう呼ばれている。つまり、同じように回転している宇宙港もまた地球の引力と釣り合っており、その中にいる桜子さんは無重力状態にあった。すると面白いことになる。
普通、部屋の中では重力が働いている方向を床と呼び、逆方向を天井と呼ぶ。ところがここには重力が働いていないから、床も壁も天井も、足がつく場所は全部床になる。例えば今、あなたがいる部屋を六面ダイスの展開図みたいにパタパタと開いていったら、その総面積がどれだけ広いか想像して欲しい。桜子さんは今まさにそんな感覚なのだ。
と言っても、閉じ込められていることには変わりなく、不自由な生活を強いられていた彼女のストレスは爆発寸前だった。侍従たちが食事を運んでくる度に、早くここから出せと言い続けているが、しかし家族会議で決まったことだから駄目だと言われては、彼女にはどうしようも出来なかった。
桜子さんは蓬莱王国のお姫様であるが、絶対権力者ではない。一子相続の鳳麟帝国とは違って、蓬莱王国は家族による合議制で、実はここでは何でも家族会議で決められているのだ。
なら、父母を説得すれば済むのかと言えば、これまた話がややこしかった。家族会議と言っても規模が桁違いなのだ。もちろん初めは仲睦まじい家族が少人数で決めていたのだろう。だが、ルナリアンは不死なのだ。彼らは事故や病気で死ぬことはあっても、滅多ことでは命を落とさない。すると何百年、何千年と経てば家族は増える一方で、今では数百人からの家族が存在するのだ。
その合議制なのだから、考えようによっては地球の国会と何も変わらなかった。桜子さんは有力議員ではあるが、何か決定権を持ってるわけではない、そんな立場なのだ。彼女は世俗に強くて日本政府とのパイプ役として頼りにされており、大抵のワガママは聞いてもらえたが、いざとなったらこうして足かせを嵌めるように、意見を却下されることもあった。
それでも、話も聞いてもらえないなんてことは、彼女の記憶の中では一度も無かった。だから直談判するつもりで帰ってきたのだが……まさか聞く耳ももたずに監禁されるとは思いもよらなかった。家族はよほどアメリカというジャイアンが怖いらしい。
大衝突から50年。元々は極東の島の弱小国家に過ぎなかった蓬莱王国が、今ルナリアンの旗手として君臨出来ているのは、この宇宙港と、アメリカを中心とした経済の傘に浴しているお陰であった。その甘い汁をさんざん吸ってきた連中は、今更それを失うことを恐れているのだ。まったく嘆かわしいことである。
本来なら家族会議に乗り込んでいって彼らの目を覚ましてやりたいところだが、とはいえ今は時間がなかった。桜子さんがここに閉じ込められているということは、家族会議は有理をアメリカに引き渡すと決めたのだ。今、地上では王国警察が彼の行方を追っているところだろう。だから早く彼に知らせてあげなければならないのだが……しかし彼女には、連絡する方法が無かった。
有理と里咲の連絡先が入ったスマホは、ここへ来る時シャトルの中で没収されてしまった。実はこの部屋はネットに繋がっているから、なんとかすれば彼らと連絡を取れるはずなのだが、いかんせん桜子さんにはスキルが無かった。スマホが無ければ、魔法学校とすら連絡が取れないのだ。自分の機械音痴が恨めしい。
もしもこんな時、メリッサが居てくれれば、きっとなんとかしてくれただろうに……再起動する前にこんなことになってしまっては、どうしようもなかった。一応、有理に頼まれていたサーバーは、既に彼女の部屋に運び込まれていて、侍従たちを騙して組み立ててもらったのだが、どうやらサーバーを起動しただけではメリッサは動いてくれないようなのだ。
有理はいつもキーボードをカチャカチャやっていた。きっと、あんな感じで他にも何か準備が必要なのだろう。しかし桜子さんにはちんぷんかんぷんだったし、彼女はブラインドタッチすら出来なかった。
どうしたものか……彼女はため息を吐いた。
と、その時、なんだか外が騒がしくなった。足音が聞こえる訳では無いが、部屋の前を何人もの人が通り過ぎていくような気配がした。外から漏れ聞こえてくる声でそれが分かった。部屋の前に誰かいるのだろうか? そう思っていると、インターホンが鳴り、モニターが侍従の顔を映し出した。
「殿下、お騒がせして申し訳ございません」
「何かあったの?」
桜子さんが尋ねると、侍従は困ったような表情で、
「実は数日前から宇宙港の通信設備が不調でして、いま電気屋が来ているのですが、彼らが殿下の部屋の配線を調べる必要があると言っておりまして……」
「電気屋さんが?」
電気屋と聞いてピンときた。この宇宙港の電気設備を一手に引き受けている企業があるのだ。社長はかなりのやり手らしくて、他社を圧倒して入札を勝ち取ったのだが、確か宇宙港の管制システムに量子コンピューターを使うよう勧めてきたのもそこだった。
それで思い出したが、確か有理はメリッサのためにその量子コンピューターを使っていたはずだ。しかし今、桜子さんの部屋にあるサーバーは、その量子コンピューターとは繋がっていなかった。
繋げるにはどうすればいいんだろう? 売り込んできたのは彼らなんだし、聞けば何か分かるかも知れない……桜子さんはそう思って、来客を部屋に招き入れることにした。
「いいわ、お通ししてちょうだい」
「失礼します……おっと」
すると間もなくドアが開いて、そこから不安定にバランスを取りながら、小太りで赤髪の白人が転がるように入ってきた。無重力に慣れていないのか、部屋に入る際にドアに荷物を引っ掛けて、体がくるくる回転してしまっている。
男は手足をバタバタさせながら桜子さんの前を通り過ぎていくと、壁に跳ね返ってまた戻ってきた。見るに見かねて止めてやると、男はぜえぜえと荒い呼吸をたてながら、愛嬌たっぷりの目を向け、面目なさそうに頭を下げた。
「いや、これは失礼しました。お客様の手を煩わせてしまいまして。どうにも無重力ってものには慣れなくて」
「見れば分かるわ。それより、ずいぶん景気よく回ってたけど、目回ってたりしない?」
「はい、大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます。おっと、ご挨拶が遅れましたね。私、こういう者でございます」
男がそう言いながら差し出してきた名刺には英語で『Alexandros Mihajlovic Ronin』と書かれてあった。
「ミハイロビッチです。そうお呼びください」
桜子さんは、そう名乗る男の顔にどこか見覚えがあるような気がしたが、それがどこだったか……残念なことに思い出すことが出来なかった。




