西遊記みたいだね
軌道エレベーター直下の物流拠点から出発した物資運搬用リフトは、およそ高度100メートルの辺りでダクトを抜けて、いきなり外気に晒された。上空では強い風が吹きすさんでおり、それが鉄骨の間をすり抜けてピューピューと音を立てていた。
パタパタと靡く前髪を抑えながら、フェンスに張り付いて下を覗いたら、目眩がするような高さに尻込みした。鳥の羽ばたきが聞こえてきて顔を上げれば、渡り鳥が一瞬、リフトで羽を休めてはまた元気に飛び立っていった。日差しを遮る鉄骨が日陰と日向を交互に作り、とにかく落ち着かない。
その時、キーンと甲高いモーター音が聞こえてきて、すぐ近くのレールの上をシャトルが物凄いスピードで駆け上がっていった。距離は結構あったが、風がここまで届いてくる。聞くところによると、あれは時速500キロは出ているらしい。それに比べてこちらの鈍いこと鈍いこと……
実際、時速10キロも出てないのではないだろうか? なんでこんなにのんびりなのかと尋ねてみると、
「あんまり早く昇ったら高山病になっちゃうでしょ」
と言われて、納得するしかなかった。確かにその通りである。というか、空気が薄くなるところまで昇っていくんだとしたら、こんな剥き出し状態で大丈夫なのだろうか、そっちの方が心配になってきた。
因みに、実際にはそこまで上がっていくわけではなく、目的地は高度2000メートル地点にある次の物流拠点とのことだった。ここが地上に最も近い宇宙公社の施設のようだ。今、自分たちと一緒に積まれてあるこれらの荷物は、まずそこに運び込まれるらしい。
なんでそんな上空に物流拠点を設けているのかと言えば、単純に軌道エレベーターは非常に長い建造物だから、ところどころに中継地点を作らなければ上手く回らないという理由からだ。
宇宙公社の職員は機械トラブルなどの不測の事態に備えて軌道エレベーターのあちこちに常駐しているわけだが、一つの拠点が100キロ前後の範囲をカバーすると仮定しても、全部で約360の拠点が必要な計算となる。実際にはそれ以上あるから、一箇所に巨大物流拠点を作って全体をカバーするのでは、かえって効率が悪いのだそうだ。
物資はシンプルに、バケツリレーで配送される。下にあったあの巨大倉庫は、ただの始発点と考えればいいらしい。宇宙公社の二つの拠点間にはどこでも相互を行き来するリフトがあって、下から荷物が送られてきたら上へ中継し、上から荷物がきたら下へと受け流す、もし人の移動が必要なら一緒に載せてもらう。そうしたらそのうち到着するでしょ、といったアバウトなシステムを採用しているそうだ。
職員たちはそうやって軌道エレベーター内を移動するようになってるから、だからマナはシャトルの発着駅に行く必要なんてないと言ったわけである。
因みに、拠点間を移動するリフトは最大でも時速100キロ程度しか出ないらしく、こんな速度で宇宙港まで行こうとしたら、とんでもなく時間がかかる。だからもちろん迂回する方法もちゃんとあるのだが、ややこしくなるから今は割愛しておこう。
マナとそんな話をしていたら、いつの間にか高度1000メートル付近へ到達し、島のあちこちからやって来るマスドライバーとメインシャフトの接続点へ差し掛かろうとしていた。外気温もかなり低くなって風を冷たく感じてきたと思っていたら、上空に巨大なリングが現れて、それをくぐると、周囲を壁で覆われた煙突みたいな空間へと入った。
周囲をぐるり円筒状の壁に囲まれた空間は、真っ暗ではなく仄かに明るく、外の風景が透けて見えた。よく見るとその外壁には斜め方向に太い線が何本も走っており、そこに横糸を通して編み上げるといったような、メッシュ状の構造をしているようだった。
どうやらこの斜めに撚り合う幾本もの太い線が、カーボンナノチューブのロープらしい。世界最強の引っ張り強度を持つ素材は、てっきりシャトルのレールに沿うように真っ直ぐ伸びているのだと思っていたが、実際には軌道エレベーターの外壁が、全体を支える巨大な一本のロープのような構造をしていて、シャトルはその中を通過するように出来ているようだ。
これらのナノカーボンの外壁は、約100メートルごとに設置されたリングによって内部空間が確保され、円筒構造を維持しているらしい。リニアレールはその外壁に沿うように走り、職員用のリフトは円の中央付近をゆっくりと上昇していた。
因みに、その他にも電線や通信ケーブルなどのいろんな線が走っていて、内部はさながらクモの巣のようだった。もしも今シャトルが通過したらどうなっちゃうんだろうと内心ドキドキしながらリフトに乗っていると、その機会は訪れることなく、目的地へあっさりと到着してしまった。なんというか、あっけないもんである。
「哦 我的甜心男孩!」
リフトを下りるとすぐに中国人の女性が駆け寄ってきた。何を言ってるかは分からなかったが、もしかしてと思う間もなくウダブが連れてきた子がママと叫んで駆けていったから、どうやら彼女が彼のお母さんで間違いないようだった。
多分、あらかじめマナが小母さんを通じて話をつけていたのだろう。子供の両親はこの拠点で仕事をしていたらしく、すぐ駆けつけたようだ。ウダブが彼女に事情を説明している間、有理たちは運んできてもらったお礼に荷下ろしを手伝ったりして過ごした。
宇宙公社の拠点は上空2000メートルにあると言うから、勝手に雲の王国みたいなものを想像してたが、実際に来てみれば普通のビルの中で、なんとも表現しようのない場所だった。そりゃあ人間、地に足をつけていなければ立ってられないので、床や壁や天井がないわけがないのだ。
とはいえ、広さはかなりのもので、そこそこ広い地下駐車場というか、野球場を一回り小さくしたくらいのスペースがそこにはありそうだった。ここに一体どれだけの人が詰めているんだろうかと思ってると、
「馬鹿ね、このフロアだけのはずないでしょ。上にまだまだ階層があるわよ」
とマナに小馬鹿にされた。どうやらエレベーターシャフトの中の広さには限界があるが、上にならいくらでも伸ばせるから、拠点はどこもビルのような構造をしているそうだ。なるほどなあと感心していると、子供の母親と話を終えたウダブが戻ってきて、
「とりあえず、今日、お子さんをお連れした理由を話して、これからのことをもう一度よく話し合ってくださいと言っておきました。お母さんはお子さんのために自分だけ下に戻ろうか考えているようです。早く親子三人で暮らしたいからといって、彼を蔑ろにしては意味がありませんからね」
「そう……宇宙公社が再就職先とか面倒見てくれるといいんだけど」
「こればかりはなんとも……あまり個人に肩入れしては不公平にもなりますしね」
その後、親子と別れて、有理たちは荷運びの手伝いでそのままビルを上ることにした。積荷をガラガラと荷台に載せて運んでいくと、普通のエレベーターがあって、それに乗って文字盤を見上げていたら、次の階に到着するまでえらい時間が掛かった。
外の様子が見えないから予想でしかないが、おそらくこの建物は途中がスカスカなのだろう。そうやっていくつかのエレベーターを乗り継いで最上階までやってくると、最初と同じような地下駐車場みたいなスペースにたどり着いて、その中央にリフトの乗り場があって、さっきよりも一回り大きなリフトが止まっていた。
ただし、今度のリフトは外側が金網ではなく、ちゃんと密閉されている箱だった。外壁は見た感じ電車みたいで、おそらくは何かの合金で出来ているのだろう。内部は樹脂製で壁の厚さが結構あるようだが、多分、魔法瓶みたいな断熱構造になっているのではなかろうか。ここから先はもう、人間が生息できるような環境ではないのだ。
確かマナの話では、拠点は約100キロ間隔で設けられてるそうだから、このリフトに乗って、次の拠点にたどり着いたら、そこはもう宇宙……そう考えると、まだ乗るとは決まってないのに、何だか胸がドキドキしてきた。
「これからどうしようか?」
胸の高鳴りを抑えつつ、とりあえずこれからのことを相談すると、ここまでついてきてくれたマナがため息混じりに言った。
「どうするもこうするも、多分あんたたち下に戻ってももう気が休まることはないわよ。このまま軌道エレベーターの中に留まるしかないでしょうね」
「でも……俺たち宇宙公社の職員でもなんでもないけど、ずっとここにいてもいいのかな?」
「そんなの駄目に決まってるでしょ」
マナは何を当たり前なことをと言わんばかりの口調でそう言った。じゃあどうするんだよと、ちょっとムッとしながら聞き返すと、
「あんたたちだけなら駄目だけど、私が居れば出来なくもないわ。さっきの子みたいにね、家族に会いに行くって立派な用事があるなら、宇宙公社は割と便宜を図ってくれるのよ。実は既に、小母様を通じてママに会いに行くって申請を出してるの。だからこのまま上に向かいましょう」
「そうだったの!? なんかゴメン……本当はお母さんと顔を合わせづらかったんだろう?」
「まあね」
マナはやれやれと肩を竦めて見せると、
「でもいつまでも会わないで居るわけにはいかないでしょう? 会う切っ掛けが必要だったのよ……本当なら、それは私が卒業してからって思ってたんだけど……こうしてちゃんとした理由が出来たなら、会いに行かない理由もないわ」
「いいの?」
「ええ、実際、こっちからも色々聞きたいこともあったのよ。だから、ホント言うと、島に帰ってきた時から行くつもりはあったわけ」
「そうか……滅茶苦茶面倒なことに巻き込んでおきながらこんな事言うのもあれだけど、俺もそうした方が良いと思うよ」
「それでしたら私もお供してもよろしいでしょうか?」
有理たちがこれからのことを話し合っていたら、その会話にウダブが割り込んできた。何の関係もないはずの彼が、もしかして気を使っているのだろうかと思い、理由を尋ねると、
「いえ、気なんて使ってませんよ。実は、穏健派の人たちの就職先を割り振るのに困っていた時に、あなたのお母様が色々手を尽くしてくださったんですよ。彼らも帝国の臣民だから礼は要らないと言ってましたが……」
「ああ、そういうこと」
何がそういうことなのか分からないが、マナは何か勝手に納得している。
「だからいつかお礼に伺いたいと思っていたのですよ。あなたたちさえ良ければ私も連れてってくれませんか」
「そういうことなら私は構わないわよ。どうせこれから暫くは移動が続くし、旅は道連れって言うし」
「俺も全然構わないですよ」
「うふふ……なんだか、西遊記みたいだね」
ウダブの同行が決まると、それまで黙って成り行きを見守っていた里咲がボソッと呟いた。どういう意味かと尋ねてみると、
「ほら、お坊さんのウダブさんが三蔵法師で、マナちゃんが孫悟空って感じがしない?」
「ああ、なるほど。俺たち四人で有り難いお経を貰いに天竺に行くってわけか」
言われてみると確かに、そんな気がしてきた。しかし、待てよ? となると残った二人は、
「ところで、どっちが猪八戒なの?」
「……どっちが沙悟浄なのかな?」
有理と里咲が、お互いに押し付けあってると、それを見ていたマナが呆れた風に言ってきた。
「どっちでもいいでしょ、そんなこと。それより、いよいよ街から離れるとなると、桜子さんにも知らせておきたいけど……相変わらず連絡はつかないわけ?」
「ん、ああ……向こうからも掛かってこなけりゃ、こっちからも繋がらない。こうなってくると、上で何かあったとしか考えられないな」
「ふーん……あの人、お姫様だから、命の危険はないとは思うけど……」
マナは腕組みをしながら少し考えるように、
「お母さんに会いに行った後、もういっそ宇宙港を目指してみる?」
「……そうだなあ。どこにも行き場がないしな。出来ればそうしたいけど」
「ならそうしましょう、付き合うわ」
「いいの?」
「これだけ巻き込まれたんだから、私だって一言いってやらなきゃ気がすまないわよ」
マナはプリプリと怒っている。有理は軽く苦笑いしてから真顔に戻ると、
「それにしても、アメリカは何を考えてるんだ? 俺に用事があるなら、直接言ってくれば良いのに……これじゃ逃げ回るしかないじゃないか」
「そうね……それについては、アメリカに向かった張さんたちに期待するしかないでしょうね」
「そうだったな。まだ張くんが居たか……」
例のVRゲームを開発したのは天穹米国法人である。その会社と連絡がつかなくなった彼は、筆頭株主という立場を利用してアメリカに直接乗り込むつもりだと言っていた。有理と違って自分は警戒されていないだろうからと言っていたが、こうなってくると彼も無事か心配になってくる。
尤も、彼には宿院青葉が同行しているはずだから、流石にアメリカも日本の情報機関にまでは手を出してきたりしないだろう。最悪、国外に追い出されるかも知れないが、命の危険はないはずだ。
今は彼らが何か情報を持って帰ってきてくれることを期待するしかない。そんなことを話しながら、有理たち4人は次のリフトへ乗り込んだ。




