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両者を分けたもの

 チベット僧のウダブと再会してからまた一日が経過した。その際、実は有理の指名手配がバレていることが発覚したが、思いがけずここに住む人々はみんなアメリカのことが嫌いらしく、通報などせず逆に手助けしてくれることになった。


 お陰で昨日は虫が湧いているカプセルホテルには戻らなくて済み、ウダブが借りている部屋に一緒に泊めてもらえて、ぐっすり眠ることが出来た。思えば日本を発ってから初めて熟睡できたかも知れない。起きたら体の節々がパキパキ音を立てていた。


 あくびをかましてベッドから起きると、そのウダブが居らず、時計を見れば既に10時を回っていた。それで自分が寝坊したことが分かったが、しかしイマイチ実感が沸かなかった。ここでは、ずっと室内にいるようなものだから、きっと時間感覚が馬鹿になってるのだろう。こんなところにいつまでも居ては、精神的にも参ってしまう。ルナリアンたちは何十年もこの環境で暮らしてきたんだと思うと、同情するより寧ろ畏敬の念さえ覚えた。


 台所のシンクで顔を洗って部屋を出る。因みにトイレとシャワーは共同で、用を足してから宿舎前の公園まで行くと、広場のど真ん中でおばちゃんたちがマナを囲んで井戸端会議をしていた。周囲に昨日の子供たちは見当たらず、里咲の姿も見えなかったから、みんなどこへ行ったのか聞きたかったが、なんとなく近寄りづらく遠巻きに眺めていた。


 因みに、見たところ彼らは有理に同情してるというよりは、マナに協力してくれてるといった方が良さそうだった。ここに住んでる人々は大衝突で国を追われてから各地をさ迷い、ずっと苦楽を共にしてきた言わば家族みたいなものらしく、マナはそんな彼らの大事な娘みたいなもののようだ。


 彼女の出自については以前に聞いていて、暗い子供時代を過ごしたと言っていたから、てっきり親しい知人など居ないのだと思っていた。だが実際には、こうして家族ぐるみの付き合いもあったらしい。


 遠巻きに眺めていると、彼女らの声が漏れ聞こえてきた。


「……それでマナちゃん、せっかく帰ってきたのに、まだママに電話もしてないんだって」「んまあ!」「早く安心させてあげなさいな」「だから喧嘩中なんだから、こっちから話すことなんてないんだって」「そんなこと言ってると、いつまでも仲直り出来ないじゃない」「せめて帰ってきたことだけでも教えてあげたら?」「嫌よ。その必要はないわ」「どうして?」「……のっぴきならない事情があったから戻ってきたけど、本当はもう戻って来るつもりなんてなかったんだから」「そんな悲しいこといわないでー」「おばちゃんからも、お母さんに取りなしてあげるから」「ねえ」「うるさいなあ」


 見たところ、せっかく家に帰ってきたのだから、軌道エレベーターで働いてるお母さんに連絡しなさいと説得されてるようだった。確か喧嘩別れして出てきたと言っていたから、マナの方からは電話したくないようだ。きっと彼女としては、卒業するまでここに帰って来るつもりが無かったのに、3か月程度で早くも帰省してバツが悪いんだろう。


 そんなこと気にしないで、電話してあげればいいのにと思いもしたが、彼女が帰って来る原因を作ったのは他ならぬ自分なので、なんとも言い難かった。


「あ、物部!」


 話しかける切っ掛けもなくウロウロしていたら、やがて有理が起きてきたことに気づいたマナが、これ幸いとおばちゃん包囲網を掻い潜って駆け寄ってきた。めちゃくちゃこっちを見られていたのでペコリとお辞儀をすると、おばさんたちは残念そうに眉を寄せながら会釈を返してきた。


「おいおい、いいのかよ?」

「いいのよ。来てくれて助かったわ」


 マナは有理のところまでやって来ると、彼の腕をぐいぐい引っ張って歩き出した。きっと逃げる口実を探していたのだろう、角を曲がって広場が見えなくなると、彼女はホッとため息を吐いた。


「俺が言うことじゃないけれど、多分、おばさんたちは純粋に心配してくれてるんだと思うよ」

「分かってるけど、こっちにだって色々あるのよ。黙っててくれる?」

「ああ……ところで里咲は? 一緒じゃなかったの」


 マナは一瞬、なんで呼び捨て? といった表情を見せたが、すぐに無粋だと思って言葉を飲み込むと、


「鴻ノ目さんなら、あんたが寝坊している間に、朝から子供たちと遊びに行ってるわよ。あの人、本当に不思議な人よね。昨日知り合ったばかりなのにもう溶け込んでて、まるで私じゃなくって彼女のほうがずっとここに住んでたみたいよ」


 そう言えば、学校にも数日しか居なかったはずなのに、やたらクラスに溶け込むのが早くて驚いた気がする。有理とも、いつの間にか名前で呼び合う仲になっているし、コミュ障に見えて実は相当、他人との距離を詰めるのが上手いのかも知れない。


 おばさんたちから逃げるように出てきて、すぐ戻るわけにもいかないから、それじゃ彼女たちの様子を見に行こうということになった。行き先は大体聞いてるから分かるという彼女の後についていったが、狭く曲がりくねった通路を右に左に、上ったり下ったりしている内に、やはり迷子になってるんじゃないかという気分になった。


 それでも淀みなく歩いていく彼女の後をついていく内に、だんだん構造が分かってきたが、ここは島の下にびっしりと居住空間が埋まっているわけではなく、所々に作られた居住空間を後から通路で繋げるという工法で作られた、いわば蟻の巣みたいな構造をしているようだった。


 かなりいい加減というか、無計画に作られたのは間違いなく、居住空間の場所も大きさもまちまちなら、どこをどう繋げるかも適当だったせいか、仮に下へ行きたかったとしても、場所によっては何階か上がってからじゃないとたどり着けないというような、そんな作りをしていた。


 そんな大迷宮を迷うことなく突き進んでいくマナは、さながら冒険者のようだった。こんな生活を彼女は子供の頃から毎日続けていたから慣れているのだろうが、仮に有理がここに引っ越して来たとしても、一生慣れることはないだろう。


 不意に、この島にやってきた最初の日のことを思い出した。空港で、街で、まるでお上りさんみたいに写真を撮りまくる里咲。彼女は市街地に来るのは初めてのような口ぶりだった。昨日、おばさんたちも言っていたが、彼らはアメリカのことをよく思っていないし、口にこそ出さないが、きっと桜子さんのこともよく思ってないだろう。


 ここには貧富の差がはっきりと目に見える形で存在している。高みに居る彼らと、地の底に落ちた我ら。両者を分けたものは一体何だったのか。


 そんな哲学的なことを考えていたら、急に視界がひらけて、潮の香りがしてきた。パシャッ、パシャッと波が岸壁にぶつかる音が聞こえてくる。遠くからモーターボートのエンジン音まで聞こえてきて、まさかと思って目を向ければ、そこには地底湖みたいに広がる運河があって、その上を船がのんびり通過していくのが見えた。


 どうやら海面レベルまで降りてきたようだったが、まさかあの巨大な島の下にこんな場所があるなんて……多分、物流のために必要なのだろうが、こんなの作って沈んだりしないのか? と思いもしたが、逆にこれくらいの遊びが無ければ、上の構造も保てないのかも知れない。


 そう自分に言い聞かせるようにしながら堤防まで下りていくと、子供たちが海面を覗き込むように寝そべっていて、その傍には何本もの釣り竿が立てられており、一人だけ立ってリズミカルにリールを巻いている里咲の姿が見えた。


 どうやら子供たちと釣りにやってきたらしい。本当に釣りが趣味なんだなと感心しながら近づいていくと、有理に気づいた彼女が満面の笑みを浮かべて、


「あ、二人とも見てみてー!」


 そう言って近くにあったクーラーボックスを指差すと、子供たちが大喜びで中から大物を取り出し見せびらかしてきた。


 これはなんだろう……? 魚には詳しくないからよく分からなかったが、多分、ブリとかヒラマサとかそんなのじゃないか? というか、本当にまるまる太ったブリにしか見えないのだが、それを彼女が釣り上げたことにも驚きだが、こんな地底湖みたいな場所で釣れたことにも驚いた。


「多分だけど、養殖の魚が逃げ出してきたんじゃないかしら」


 驚いているとマナが教えてくれた。聞くところによると、このメガフロートのある場所は、元々は太平洋の上の何も無い海域だった。海底まで数百メートルある熱帯気候だから、本来は魚なんて殆どいなかったのだが、ここにメガフロートが出来たことで魚が寄ってきたらしい。


 勘違いされているが、南国の海は栄養が少ないから透明で美しいのだ。逆に生命の宝庫のオホーツク海は黒く濁って見える。水は温度が冷たいほど酸素の含有量が増え、プランクトンの数も増える。世界最大の動物であるクジラが北極海に生息しているのはそういう理由だ。


 ここはメガフロートが出来たことで生活排水などの環境汚染で、まずプランクトンが大量発生し、人工漁礁を作ったことで魚が増え、養殖が始まったことでオキアミなどの栄養が供給され、終いには揚水発電用の深海が汲み上げられることで、周辺の海域と比べて水温が低くなり、今では結構な漁場になってるらしい。


「子供の頃は釣れば夕飯が一品増えるから、ある意味必死だったんだよね」


 この島も食物連鎖の一部を担っているんだなと感心してると、里咲が笑いながらそんなことを口走っていた。どうやら彼女の趣味は、必要に駆られて覚えた実用的なスキルだったようだ。ここに来てから彼女の色々な一面を知ることになったが、知れば知るほどその逞しさには驚かされる。


「ああ、皆さん、こちらに居ましたか」


 みんなで和気あいあいと釣果を見ていたら、さっき降りてきた階段の方からウダブがやって来た。坊さんがこんなところに何の用かと尋ねてみると、どうやら昨日脱走した子供が、またいつの間にか居なくなっていたらしい。


「子供は子供同士一緒に居るかと思って探しに来たのですが、皆さん知りませんか?」

「知らない」「見てない」「興味ない」


 子供たちはみんな口々にそう言って首を振っている。ウダブはがっかりするようにため息を吐くと、


「そうですか、なら仕方ないですね……私はもう少しこの辺を探してみます。あなた方も、もし見かけたら保護して連れてきてくれませんか?」

「もちろん構いませんけど」


 ウダブ一人に任せるのも悪いと思い、有理が手伝いを買って出ようとすると、彼に先んじてマナが一歩前に進み出て、


「ちょっと待ちなさい。そんな闇雲に探しても、見つかるものも見つからないわよ。昨日の子ってことは、多分、お母さんを探しに行ったのよね?」

「ええ、おそらくそうだと思いますけど」

「なら、心当たりがいくつかあるからついてきて」


 マナはそう言うと、ウダブを案内するように歩き出した。


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