声優の語法
隣人に演技が見破られていたと言われた里咲は、いきなり癇癪を起こすかのようにひと暴れしたあと、コテージから飛び出していってしまった。有理は床に尻もちをつきながら、呆然とそれを見送ることしか出来なかった。
「……なんで?」
実際なんでか分からなかったが、とにかくこのまま放っておくのはマズかった。この島に来たのはアメリカから逃れるためで、こんな風に目立つためではない。なのに昨日から真逆のことばかりやってるのはなんでなんだろう? 有理はオロオロしながら立ち上がると、彼女が親の仇みたいに叩きつけていった玄関のドアを開けて外へ出た。
外に出たらもしかしてまだそこに彼女が居るんじゃないかと若干期待もしたが、もちろんそんなことはなかった。前庭を走り抜けて門をくぐりコテージ前の道路に出たが、右を見ても左を見てももう彼女の姿はどこにもなかった。代わりに、例の隣人の彼女がいて、有理の顔を見るなり好奇心に満ちた目をしながらあっちあっちと指さした。彼はどうもと頭を下げると、彼女の指差す方へと駆け出した。
リゾート島は外周5キロ程度のこぢんまりとした人工島で、画一的なコテージが並ぶ別荘地を抜けると、すぐに海へ突き当たった。浮島だから砂のビーチは人工的に整備された箇所にしかなく、基本的に島の周囲はどこもコンクリートの岸壁だった。彼女はその岸壁から海の方へ足を突き出すようにして座っていた。
他に行ける場所なんて無かったんだろう。彼女は足をブラブラさせながら、片手で堤防を掴み、もう片方の手でスマホを乱暴にタップしていた。スクリーンに集中する目はまだ赤く、時折鼻をすする音が聞こえてきた。彼女は有理が近づいてきても微動だにせず、満員電車みたいにスマホだけをじっと見ていた。
「高尾さん、帰ろう。誰が見てるかわからないのに、こんなことしてちゃマズイよ」
有理が声をかけても、彼女は振り返ろうとはしなかった。とっくに気づいているだろうに、意図的に無視しているようだった。
「俺が何かマズイことを言ったんなら謝るよ。だから機嫌を直してよ」
「なんで有理くんが謝るの。私が何を怒ってるかも分からないくせに」
すると今度は心臓を突き刺すような鋭いセリフが帰ってきた。有理は、その声量があって耳障りの良い声に少々尻込みしたが、ここは逃げずにちゃんと話し合ったほうがいいと思い直し、覚悟を決めて彼女と向き合うことにした。
「ごめん。確かに軽率だったかも知れない。でも、高尾さんが何をそんなに怒っているのか、言ってくれなきゃ分からないよ。俺の何が気に入らないんだ? ちゃんと言ってくれたら改善するから」
「どうしてまだ高尾さんって言うの。昨日、名前で呼び合おうって約束したよね?」
「そこ? ……まあ、確かに悪かったけど。わかった、今度こそちゃんと直すよ。里咲って呼べばいいの?」
「それだけじゃない! 昨日、あれだけ言ったのに、結局、君は一度もちゃんと演技をしてくれなかったよね? どうして? こっちだけ必死に演技して、まるで私が馬鹿みたいじゃない!?」
ずっと背を向けていた里咲は振り返ってそんな怒りをぶつけてきた。その剣幕に有理は驚きながらも、
「演技って……だって、それは昨日も言ったけど、俺は決して手を抜いたりなんかしてないよ? あのさあ、里咲、君も言った通り、俺はただの素人で、演技なんてしたことなくて、本気でやってもせいぜいあれが限度なんだ」
「嘘よ!」
ところが里咲は目を吊り上げ、本気で憎悪に燃えたぎった目で叫んだ。その迫力に、有理は胸がえぐられそうな息苦しさを覚えたが、
「嘘なんかついてないって……逆に、なんでそう思うの?」
「だって私、見たもん! 君が私と入れ替わってた時、君が私の代わりに出た回で、君が本気で演技するとこ……私、見たんだよ!?」
彼女の叫びが紺碧の海に突き刺さった。その声量に驚いた海鳥たちが一斉に飛び立っていった。よほど驚いたのだろうか、いくつもの羽が空を舞い降りてくる。それがドラマのワンシーンみたいに、彼女の背後で揺れていた。
「びっくりした。自分の演技を見返すつもりで見始めたら、自分じゃない自分の演技を見せられたから。すぐ、これは入れ替わりの時の録音だって気付いたけど……見てて寒気を覚えたわ。何故って、そこには私には絶対真似ができない理想の演技があったから。私の声で、信じられないくらい上手い人が、自分には引き出せなかった自分のキャラの魅力を引き出していたんだもん。
身震いした。天才だって思った。いつかこんな風になれたらいいのにって思った。だからこの島に来た時、私は期待したんだよ? あの人の演技を間近で見られるって。自分を成長させるチャンスだって。でも、それなのに、有理くんは私とちゃんと向き合ってくれなかったじゃない。演技してくれなかったじゃない!」
そしてまた、彼女の目尻に零れた涙が弾けた。その悔しそうな顔を前に、有理は申し訳ないと思うよりも、戸惑う気持ちのほうが大きかった。
ずっと前から彼女のことを一方的に知っていて、もちろん彼女の演技にかける情熱も知っているつもりだったけど、まさかそんな彼女が、自分に嫉妬していただなんて想像つくわけないじゃないか。
「そうか……ここんとこ忙しすぎてチェックしてなかったけど、あの時のあれがもう放送されてたんだ」
あの時はもう散々で、ぶっちゃけ放送されても見たくないと思っていたから、気づいていたところで見てなかったろうが……有理は首を振って、今はそんなことを考えてる場合じゃないと慌てて付け加えた。
「でも、ちょっと待ってくれ。俺はあの時、演技なんかしてなかったんだよ」
「……はあ? じゃあ、現実に上がってるあの動画はなんなの? 監督も出演者も、視聴者コメントまで絶賛の嵐じゃない!」
「いや、見てないから知らないけど……でも本当なんだ。俺はあの時、演技しようなんてまったく考えてもいなかった」
それは、彼にとってはあれくらいは演技にもならないとでも言いたいのだろうか? ふざけてるのだろうか? 到底、信じられるわけがない。彼女はものすごく疑わしそうな目つきで、有理の顔を覗き込んだ。
「どういうこと?」
「里咲、ちょっと想像して欲しい。君も言う通り、俺は素人で演技なんか生まれてこの方したことないし、やってみようとも思わなかったんだ。そんな奴がいきなりプロのアフレコ現場に放り込まれたらどうなると思う? 何も出来ないよ。
実際、俺は何も出来なくて、セリフもつっかえつっかえで指示された演技もボロボロで、スタッフや他の出演者に呆れられた。終いには高島田さんに怒られて、邪魔だからって追い出されてしまった」
その時の様子でも思い浮かべたのだろうか、里咲は真っ青になって聞いてきた。
「それで、どうなったの?」
「すぐに藤沢さんが飛んでって平謝りしてたよ。事務所にも連絡が行って、一里塚さんがフォローしに来てくれた。俺はもう、とんでもないことになっちまったって……取り繕ってても仕方ないから、彼に助けてくれって縋り付いたよ。演技ってどうやったらいいんですか? って……そしたら彼はちょっと驚いてたみたいだけど、すぐコツっていうのかな? エクリチュールってのを教えてくれて……」
「エク……なに?」
「あー、あのあと自分でも調べてみたんだ。ちょっと待って、思い出すから……」
有理はこめかみの辺りをギューギューと指で押して、記憶を絞り出すように続けた。
「人間ってさ、仮に役者じゃなくてもどんな人でも、普段から自分を演じてるものなんだってさ。言葉って、最初は誰でも真似することでしか習得できないわけだから、言われてみればそうかも知れない。
ところで、さっきほら、君の演技が外国人には通用しなかったって言ったじゃないか? 彼らには日本語が通じなくて、何を言ってるか分からなかったから、彼らは俺達の会話を視覚だけで捉えていた。すると彼らには、君の言動だけがやけに芝居がかって見えたわけだ。まあ、逆に俺達からすれば、外国人の方がやたらオーバーアクションに見えるんだけどね。
考えても見れば演技って日常会話を模したものなんだから、言語と深く結びついてる概念でしょう。視覚だけでは相手に思いは伝わらない。相手に思いを伝えるには、どの言語を使うかをまず選択しなければならない。それから言語には話し言葉と書き言葉がある。新聞や小説、教科書なんかで見る言葉と、実際に俺たちが話してる言葉は全然違う。会話はリアルタイム性が求められるから、いろいろ省略したり、これとかあれとか指示代名詞が多用される。
そして一口に話し言葉って言っても色々あって、俺達は同じ日本語を使ってるつもりでも、実は普段から状況に合わせて言葉を切り替えてるらしいんだ。それがエクリチュールってやつ。
一番わかりやすい例は、たとえば男と女だ。俺は自分のこと俺っていうし、君は私って言うじゃない。俺の語尾はだぜだし、君はだわとかだよとか。他にも、親しい家族や友達と喋るときと、教師や会社の上司と話す時に使う言葉は違ってる。
それから話し言葉は職業によっても変わる。ソクラテスは大工と話すなら大工の言葉を使えって言ったそうだけど、実際、大工と弁護士の言葉はかなり違う。幼稚園の先生と柔道の師範もね。俺なんかは特にエンジニアの言葉を使うから、何を言ってるかわからないってよく言われるよ。
そして俺達は、実は話し言葉によって考え方まで左右されてる。例えば、俺は小っちゃい頃は、自分のことを俺じゃなくって僕って言ってたんだよね。僕はピンクのパジャマを着て、僕は小学校に入るまでおねしょしてた。僕はきぐるみが出てくる子供向け番組が好きで、毎朝ギリギリまで見ていた。僕はママに買ってもらった誕生日プレゼントのクマのぬいぐるみを大事にしてて、毎晩一緒に寝ていた。
でも、そんな僕がある日、思い立って自分のことを俺って呼んでみることにしたんだ。すると俺はピンクのパジャマなんて着たくなくなった。俺はもう6歳なのにおねしょするなんて格好悪いぜ。俺はガキっぽい番組なんか見たくないし、お袋のことをママなんて呼ぶのは恥ずかしい。大事にしてたクマちゃんは押し入れに封印してしまった。
一人称を変えただけなのに、俺は喋り方も考え方もかなり変わってしまった。こんな風に君も声優になった時点で、実は喋り方や考え方に変化が現れていて、それを無意識に受け入れているんだよ。
君が俺の演技に理想を見て、君自身の演技に物足りなさを感じたのはそこだ。俺は声優じゃないから声優の考え方なんて分からない。だから声優の演技はしていなかった。ところで、さっき言った通り、君の演技は外国人には通用しなかった。彼らには、君が演技していることがはっきり分かった。なんでだろうか。
最近のゲームは多言語化が進んでて、使用する言語を切り替えることが出来るけど、実際に聴き比べてみるとはっきり分かるよ。他国とは違って日本の声優はかなり独特で、実に演技らしい演技をする傾向がある。
実際、そうして意識してみると、彼らの言葉はひどく奇妙に聞こえてくる。ところで面白いのは、俺はゲームをプレイしてて、一度もそんなことを思ったことがないんだよね。寧ろ、この声優さんの演技はかなり自然だとか、キャラクターに魂が宿ってるぜって、そんな風に思ってた。
実は話し言葉は話している本人だけでなく、それを聞いている人の考え方にも影響を与えていたんだ。だから政治家やアナウンサーの言葉には注意を払わなければならないって言われるわけだ。それはその国で覇権を取った語法なんだから」




