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遺作

 桜子さんと別れた有理と里咲の二人は、メガフロートにあるマリーナまでやってきた。


 ところが、マリーナと言うからには灯台やら防波堤やら、海に突き出す桟橋などがあるのだと思っていたのだが、たどり着いたのはまだ大分内陸寄りの殺風景なコンクリートの広場で、有理は騙されてるんじゃないかと焦ってしまった。しかし里咲の方は慣れた感じで、


「あ、あっちですよ」


 と言って、公園にぽつんと立ってる公衆便所みたいな建物を指差した。


 あれが何だと言うのだろうか……と思いながら彼女のあとについていけば、公衆便所だと思っていたのは駅のホームなんかでよく見かけるエレベーターで、ボタンを押したら地面の下からカゴがニョキッと生えてきた。どうやら、ここから地下に降りられるらしい。


 びっくりしたが、とりあえず騙されてるわけじゃなかったんだなと、ホッと一安心しながらエレベーターに乗るも、冷静に考えると、海に行こうとしているのにどうして地下に潜るんだ? やっぱり騙されてるんじゃないか……と不安になって来た時、突然、エレベーターの中が明るくなったと思ったら、いきなり目の前に青く輝くオーシャンビューが飛び込んできて、有理は自分の目を疑った。


 二人が乗るエレベーターは現在、ガラス張りの円筒形の中をゆっくり降りていて、眼下30メートルくらいのところに、桟橋が櫛状に伸びるマリーナがあり、そこに無数のヨットやらプレジャーボートやらが並んでいるのが見えた。


 まさか地面の下にそんな光景が広がっているとは思わず唖然としていると、エレベーターが到着するポーンという音がしてドアが開き、すると、ぽちゃんぽちゃんと波止場に波がぶつかる音と、濃い潮の香りがぷーんと匂ってきた。風は肌にまとわりつくような湿り気を帯びていて、そこには南国特有の重たい空気が充満していた。


 背後を振り返ると、自分たちを乗せてきたエレベーターの向こう側には、ポリマー樹脂の絶壁が立ちはだかっていて、海から吹き付ける風を跳ね返してはボーっとうねりのような音を響かせていた。おそらくは、その向う側にある鉄骨などの土台を潮風から守っているのだろう。


 それを見てようやく思い出したのだが、メガフロートは人工的な島なのだ。巨大な船みたいな構造物をいくつも積み重ねた上にある島なのだ。分かってはいたが、それがまさかこんな構造になっているとは思いもよらず、そのスケールのデカさに舌を巻いた。軌道エレベーターのときも思ったが、ここではやること為すことが、いちいち人類の限界に挑戦してるみたいにビッグなのだ。


「ツアーの受付はこちらになります。まだの方はお急ぎください」


 そんな具合に、海ではなくて壁の方ばかり見ていたら、桟橋の方から誰かの声が聞こえてきた。搭乗予定のクルーザーが間もなく出発するらしく、スタッフが呼びかけているようだった。その周りには、いかにも新婚らしい男女がワラワラといて、みんな外国人だから文化が違うのか、やたらベタベタしてて暑苦しかった。お互いに手を取り合って見つめ合うなんて序の口で、人目を気にせずキスをしたり、なんなら股間に手が伸びているので目のやり場に困った。


「はいはーい! 私たちも行きまーす!」


 そんな外人特有のスキンシップに尻込みしていたら、隣りにいた里咲にいきなり手を握られて、どきんと心臓が跳ね上がった。何をするんだ? と身を固くしたら、彼女は有理の二の腕に抱きつくように顔を近づけてきて、


「……物部さん、忘れたんですか。それじゃ不審に思われますよ」

「いや……でも……ちか」


 息がかかるくらい里咲の顔が近くにあって、有理は自分の頬が熱くなっていくのを実感していた。彼女はそんな彼の顔をみんなから隠すように回り込むと、


「この程度で照れてちゃ先が思いやられますよ。演技に集中してください」

「そんなこと言われても、こっちは素人なんだ。手加減してよ」

「周りはそんなこと気にしちゃくれませんよ。今はとにかく役になりきってください。フォローはしますから。ここでは私たちは誰もが羨むラブラブカップルで、新婚旅行でリゾートなんです」

「わ、わかった。わかった。出来るだけ、努力はするから」

「努力なんて、そんなの必要ないから。物部さんは好きな女の子を相手にしてるつもりで、自然にしてればいいんですよ。それなら恥ずかしくないでしょ?」


 いや、好きな女の子を相手にしてるから自然ではいられないのだが……早くも心が折れそうになっていると、彼女が畳み掛けるように言った。


「あと、新婚カップルが名字で呼び合ってたらおかしいから、今から名前呼びしましょう。いいですね? 有理くん」

「え? マジ?」

「い・い・で・す・ね?」

「う、うあ、うん……り、りーりりりー、りー、里咲ちゃん」


 盗塁でもするつもりか。有理は耳が溶け落ちてしまいそうなくらい、自分の顔が熱くなっているのを感じていた。


***


 そしてクルーザーに乗り込んだ二人は、周りから怪しまれないように出来るだけイチャイチャしながら、リゾート島までのクルージングを楽し……めるわけもなく、有理だけがひたすら意識しまくっていた。


 ツアー参加者はみんな南国の開放的な空気に浮かれているせいか、キャビンの中にいるとやたらフレンドリーに話しかけられるので、逃げるようにデッキに出ると、こっちはこっちで人目を憚らずに際どいスキンシップをしているカップルに囲まれてしまい、有理はどうにかこうにか不自然にならないくらいの距離感を掴むのに苦心していた。


 というか、里咲は気にせずベタベタしてられるのだが、有理の方はロボットみたいにギクシャクして落ち着きがないのだ。


 やがていつまでたっても慣れない有理を見かねて、写真を撮っていれば多少顔が強張っていても自然に見えるというライフハックを思いついた里咲は、カップルが仲睦まじくセルフィーを撮りまくってるという作戦に切り替えたのだが、二人の姿をカメラに収めようと肩をくっつける度に、磁石のSとS、NとNが反発し合うように、ぴょんと跳ね上がる彼にだんだん苛立ってきた。


 自分は可愛い……などと自惚れてはいないが、それでも少しは見栄えがすると思っていたのに、この反応は傷つくじゃないか。こっちだって恥ずかしいのを我慢して、必死に演じているんだから、もっとデレデレしてほしい。デレデレまでいかなくても、自然と肩くらい抱いてほしい。


 そんな苛立ちが顔に出ないように、表では有理に愛想を振りまきながら、裏では撮ったばかりの写真をアップロードするフリをしつつ、SNSに怒りをぶち撒けることで対処していた里咲は、島に着く頃にはなんだか疲弊してしまってわけが分からなくなってきた。


 自分はなんでこんなことをしているんだ? もう新婚のフリなんかやめて、出来るだけ空気に徹する方が得策じゃないか。しかし今更後には引けない。


 結局は、それでも自分はプロの演者だという矜持が勝って、なんとか演技を続けていた里咲であったが、有理は慣れるどころか島に到着すると逆に距離を取るようになっていた。船の上では逃げ場がなかったが、島なら物理的に遠ざかれるので自然と避けてしまうのだろう。


 他のカップルと一緒にバナナボートに乗ろうとすれば、泳げないからと言って断り、一つのグラスでジュースを飲んでいるのに目も合わしてくれず、カジノでは通訳してくれてちょっと格好良かったけど、そのあと二人でパラグライダーに乗ったら、里咲の頭の上でずっとため息ばかり吐いていた。そりゃ、空の上に他人の目は無いけれど、だからってその態度はないんじゃないか。


 そうやって、噛み合わないまま時間だけが過ぎていき……気がつけば二人は新婚カップルを演じるどころか、倦怠期の熟年夫婦みたいになっていた。そしてそうなった時に気づいたのだが、そもそも新婚カップルなんて自分たちにしか興味がないから、他人が何をしてても気にも留めないということだった。


 やがてツアーの一日目が終了し、不毛な時間から解放されると、カップルごとに別々のコテージへと連れて行かれた。今夜はお楽しみくださいと言って去っていくガイドに、里咲はにこやかに手を降ると、玄関のドアを後ろ手に閉めるなり、真正面に見えたリビングのソファに思いっきりダイブした。


「今日はもう散々よおおーーーっ!!!」


 彼女はソファにうつ伏せたまま泳ぐみたいにバタ足しつつ叫んだ。


「わっ! 高尾さん、そんなんしたらパンツ見えるよ!」


 里咲の後からリビングに入ってきた有理が、ドアをくぐった瞬間に回れ右してそんなことを言った。彼女はその姿にイラッとしながら、


「だからなに!? 男なら、ラッキーくらい言って齧り付いたらどうなのよ! っていうか、また苗字呼びに戻ってるし! 最初に、名前で呼び合おうって決めたよね?」

「いや、男だってそんなことしないよ!? それに、家の中ならもう普通に呼んで構わないよね?」

「構う構わないとかじゃなくって、なんで名前呼びくらい出来ないの? 昼間も、何度も言い間違えてたよね!?」

「いや、慣れないから、つい……」

「普通、ついで何度も何度も間違えたりしないでしょ!? いくらなんでも意識しすぎよ! なんなの? 男子中学生なの!? 童貞なの!?」


 彼女は大変ご立腹である。今まで見たことがない剣幕に、有理はたじろぎながら逆らってはいけないと頭を垂れて、


「す、すみません……童貞で」

「それに何? あの演技は!? ふざけてんの!?」

「え、演技? いや、決してふざけてなんて……俺としてはあれでも頑張ったつもりだったんだけど……」

「そんなわけないでしょう!!」

「いや……そんなこと言われても……」


 だって自分は素人ではないか。有理は、あれが限界だったと主張したのだが、


「そんなわけない!! 私の知ってる有理くんが、あんな素人丸出しの演技するわけないじゃない! あなたなら、もっと完璧に演じれたはずなのに、どうして真剣にやってくれないの? 本気で演じてた私が馬鹿みたいじゃない!」


 そんな里咲の決めつけるような叫びに、有理は背中を丸めて小さくなっているしかなかった。なんでそんなに信用があるんだと若干引っかかりを覚えたが、何を言っても彼女の怒りを買ってしまいそうなので黙るしか無かった。


 里咲はそんな有理にまだ何か言いたげに口をパクパクしていたが、やがて不機嫌そうに口をきゅっと結ぶと、


「明日は、ちゃんと、もっと、やる気出してよ、もう……寝る!」


 言葉にならない言葉を絞り出してから、彼女は地団駄を踏むようにドンドンと床を鳴らしたあと、コテージが揺れるくらい大きな音を立てて、奥のドアをガツンと閉めて、悔しそうに出ていってしまった。


***


 ドスドスと足音を立てながら里咲は見知らぬ廊下を突き進んだ。突き当りにあったドアを乱暴に開けたらそこはトイレだったので、バタンと思い切り閉じてから逆戻りし、また別の突き当りにあった寝室に入ると、勢いのままドアを閉めて鍵をロックし、ダブルベッドにぴょんと飛び乗った。


 振動で体が上下に揺れて、スプリングが効いたマットレスがカシャカシャと小さな音を立てた。


 彼女は仰向けに寝そべって天井を見上げると、どうしてあんなに怒ってしまったんだろうかと、たった今の自分の行動を後悔した。


 彼が言う通り、有理は演者ではなくただの一般人で素人だ。だから演技の真似事をしろといきなり言われても、照れてしまって急には上手くいかないだろう。それは分かる。でも、今は緊急事態なのだし、一度腹を括ってしまえば、彼ならなんとかなるのではないか。そう思っていたのに、あんな体たらくを見せられて、里咲は酷く失望してしまったのだ。


 何故なら、有理は演技の天才なのだ。それは彼が自分の代わりに出演したアニメ放送が証明していた。事件後、配信で彼の演技を見た里咲は、自分の声なのに、いつもとは全然違う演技を見せられて衝撃を受けた。いつか自分はこうなりたいと、こうあって欲しいと夢想していた演技がそこにあったからだ。


 それを見せつけられた時、里咲はガツンと頭をかち割られたような気分になった。


 声優として生きていくと決めた時から、一人の演者として演技には真摯に向き合ってきたつもりだった。その自分が未だにたどり着けていない高みに、彼はあっさりとたどり着いていた。有理は、里咲のポテンシャルを引き出していたのだ。


 それを見た時、先を越されたという悔しさよりも、自分にもこんな演技が出来るんだという嬉しさの方が込み上げてきた。その演技から何かを学びたいと、同じ放送回を何度も何度も夜通し見直した。


 だから桜子さんに新婚カップルを演じろと無茶振りされた時、渡りに船だと思ったのだ。緊急事態とはいえ、あの彼の演技を間近で見れるのだ。一体、どんな凄いものが飛び出してくるのかと、実は密かに期待していた。


 ところが、蓋を開けてみればあの体たらくだ。有理は演技なんてまるで出来ない素人そのものだった。ふざけてるとしか思えなかったが、彼はあれで本気だと言うのだ。じゃあ、あの放送はなんだったのか?


「はああぁぁぁ~~~……」


 里咲は長くて大きなため息を吐いた。気が重すぎて、体がズブズブとベッドの中に埋もれていくような気がした。とはいえ、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。放っておいても明日はやって来るのだから、有理とギクシャクしたままでは居られない。さっさと仲直りしたほうが良い。


 彼女は半回転するとベッドの上に頬杖をついてスマホを取り出した。こういう時は新人のマズイ演技を酷評でもして気分転換するのが一番である。確か今期は畑違いのプロデューサーがコネで企画した糞アニメが放映されているはずだった。顔だけが取り柄のド素人の演技でも見て溜飲を下げよう……


 そう思って動画サイトに繋いだ里咲は、トップページに上がっていた別の動画に目を引かれた。


「あれ……?」


 それは彼女が衝撃を受けた、例のアニメの第四話の配信だった。確か自分の代わりに有理が演じたのは第三話だったはずだ。何度も見返したのだから間違いない。ところが第四話の出演者の欄にも、何故か高尾メリッサの名前が並んでいた。


『なんとなく、虫の知らせがしたんですよね』


 変だなと思ってページを開くと、監督のそんなコメントが目に飛び込んできた。それによると、第三話のアフレコの時、いつもとは違う高尾メリッサの演技にインスピレーションを受けた監督は、気がつけばその場で第四話の台本を仕上げてしまったらしい。そして収録後、早速彼女に演じてもらった録音が残っていたのだそうだ。


『人が成長する場面は何度も見てきたけれど、あのときの彼女の変化は劇的でした。鬼気迫るというか、人を惹きつけてやまないというか。元々才能のある子だと思っていたし、若いって良いなあ……くらいに思っていたんですけどね。今にして思えば、あれは彼女の最後の輝きだったんですよ。彼女の遺作になってしまったのはとても残念ですけど、これを世に送り出せたことは、僕の人生でも幸せなことなんだなと今は思ってます』


 監督のコメントはそんな言葉で終わっていた。


 あの放送の続きがあったのだ……里咲は驚くと同時に、もうその時には再生ボタンを押していた。


 そして食い入るように動画を見続けていた彼女は、いつしか言葉を失っていた。


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― 新着の感想 ―
なにこれ、童貞ムーブきつすぎる
限界オタクなので里咲の真似をすることだけは得意
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