そして国際指名手配犯
太平洋に浮かぶその人工浮島の上には、これぞ歓楽街と言わんばかりのコテコテな世界が広がっていた。
何しろ土地からして人工であるから、区画も限りなく人工的に整備されていて、碁盤の目に沿って伸びる幹線道路が、東西南北、地平線の向こうまで続いている。思った以上に車が多くて、路上駐車と信号待ちの車で渋滞しており、その道路の中央には運賃無料のトラムまでもが走っていて、観光客をどこにでも連れて行ってくれた。
そのトラムの車窓から見える景色は、なんと言えばいいだろうか、京都とパリとロンドンと、秋葉原と道頓堀とハウステンボスがごちゃまぜになったような、そんな忙しない印象であった。背が高い建物はあまりなく、景観を重視している様子が窺える。路線図で確認すると、カジノに劇場に美術館、博物館に野球場に音楽堂に、なんと夢の国まであるらしい。多分、世界の観光地を真似したというよりは、そのまま持ってきたのだろう。流れるアナウンスも英語や日本語だけではなく、各国の言語が取り揃えてあるようだった。
なので、ある意味目新しさは無かったが、そんな中でも特に目を引いたのは、どこへいってもルナリアンがいることだった。それは桜子さんみたいなエルフ耳だけではなく、ブルースキンと呼ばれる人種もである。実物を見るのは初めてだったが、男はみんな2メートルを超える巨漢で、顔の作りは古代の石像みたいに整っていて、まるで映画の中にでも入り込んだような気分になった。
そんなルナリアンが経営するレストランで食事をしたり、ハイブランドのブティックでドレスを試着したり、屋台のスナックを片手に大道芸を見物したりして遊び回ってるうちに、楽しさのほうが勝ってきて、気づけば軌道エレベーターのことなど忘れてしまっていた。眼の前に有るのに、視界に入らないのだ。人間とはつくづく一つのことにしか集中できない生き物である。
「亡命って超楽しいですね!」
そうして街を冷やかしてる間中、里咲はまるでお上りさんみたいにパシャパシャと写真を撮りまくっていた。好奇心の赴くまま歓声をあげたり目を輝かせたり、見るもの全てが珍しいようだ。
かわいい女の子がはしゃぐ姿は微笑ましく、見てるこっちも元気になってくる気もするが、
「っていうか、君。地元なんだよね?」
「そうですよ」
「ここに住んでたのに、なんでそんな初めてみたいに観光してるの?」
有理が呆れながら尋ねると、里咲はこっちを振り向くこともなくパシャパシャやりながら、
「住んでたけど、市街地には来たことがなかったから」
「そうなの?」
そんなことがあるのだろうか? とも思ったが、東京に住んでるからってみんながみんな東京タワーに行くとは限らない。自分も、生まれて初めて雷門を見たのは高校生の時だったし、案外そんなものかも知れない。有理はそう思って納得することにした。
そう言えば、さっき見た路線図には観光名所ばかりが書かれてあって、人が住んでいる気配が感じられなかった。あのトラムは居住区には繋がっていないのだ。それは外国から来た観光客が、住宅街に迷い込まないようにという配慮だろうか。でも、それじゃあ、店で働いている人たちはどうやって通勤してるのだろうか?
飛行機で島を見下ろしたときは、上空からでもその全景が収まりきらなくて、かなり巨大な島なんだなと思った。これが人工島かと思うと、そのスケールに圧倒されたが……歴史の教科書に書かれてることが本当なら、この島には1億からの人間が暮らしているはずである。しかし、この島がいくら巨大だからって、そんな人口が収まり切るとは思えなかった。
みんな一体どこに住んでいるんだろう……? あとで桜子さんに聞いてみよう。などと気も漫ろに二人の後を追ってる時だった。
有理はふと、既視感を覚えた。
なんだろう? 街の風景の中に、何か見覚えのあるようなものが見えたような気がする。それは建物や乗り物ではなく、誰か懐かしい人に会った時のような感覚だった。
妙だな、と思いながらキョロキョロとあたりを見回し、違和感の正体を探していると、やがて有理の視線は一人の人物の上で止まった。
それは仕立ての良いスーツに身を包んだ金髪の白人男性で、観光客というよりビジネスのために立ち寄ったといった雰囲気の男だった。周りにも同じようにビジネススーツを着た同僚らしき男女が複数人いて、みんな観光地には似合わない真面目くさった顔で何やら会話を交わしている。
男は手に銀色のジュラルミンケースを持っており、それがやけに目を引いた。というのも、普通、ビジネスバッグと言えば長方形のトランクを想像するだろうが、男が持っているそのケースはほとんど立方体なのだ。大きさは骨壺くらい、丁度フルフェイスのヘルメットが入るくらいの大きさだろうか。頭の部分に取っ手がついているが、めちゃくちゃ持ち運びしにくそうである。
そんな特徴的なケースが気になるといえば気にはなったが……どうしてその男のことが気になるのかまでは、我が事ながら理由がわからなかった。遠くて顔の細部までは見えないが、何故かその顔に見覚えが有る気がしてならないのだ。
しかし、有理には外人の知り合いは居ないはず……いや、居るけども、張偉のような中国人ばかりで、思いつく限り白人男性は一人も居ないはずだった。それにここは日本ではなく、生まれて初めて来た海外の、太平洋に浮かぶ島なのだ。そんなところで知り合いにばったり出くわすなんてことがあり得るだろうか。
だから多分、この既視感はただの気のせいだろう。思えば日本を脱出するために1日中バタバタバタした挙げ句、その後も1晩中飛行機に揺られて、ついさっき島に着いたばかりなのだ。きっと、自分で思っている以上に疲労が溜まっているのだ。
そんなことを考えながら男の動向を眺めていると、彼らはやって来た車に乗り込んでいった。因みにその車には見覚えがあった。確かあれは最近流行りの自動運転車で、目玉が飛び出るくらいの値段がしたはずである。そんなのに乗ってるってことは、相当羽振りの良い会社に務めているのだろう。
有るところには有るんだなと感心していると、車は交差点を曲がってあっという間に見えなくなった。
と、その瞬間、有理の頭の中に、不意にある名前が浮かび上がった。
「……ステファン?」
さっき、白人男性に知り合いはいないと思った。しかし一人だけ心当たりがあった。だがそれは有りえないはずだ。何故なら彼はゲームのNPCであって、現実には存在しない人物だから。
だからそんなはずはない。
そんなはずないのであるが……
一度その名前が出てきたら、さっき見た男は彼にそっくりだったのではないかと、妙に気になって仕方なくなった。しかし、車はもう角を曲がって見えなくなっており、今更追いかけていって確かめることも出来ない。
「有理! ぐずぐずしてると置いてっちゃうよ!」
まごついていると、いつの間にやら1ブロック先まで進んでいた桜子さんに呼ばれた。二人は交差点の手前で立ち止まって、有理のことを待っている。
「まさかね……」
冷静に考えれば、そんなことは有りえないはずだ。多分、軌道エレベーターのある景色が、あのゲームの中央都市を思い起こさせただけだ。きっと、それだけのことなのだ。有理はそう独りごちると、今見た男のことは忘れて、早く二人に追いつかなきゃと小走りに歩き出した。
***
その後も桜子さんに案内されるがままに観光を続けて、ようやく宿に辿り着いたときには、日はとっぷりと暮れていた。
今日の宿泊先は星型のメインシャフトの窪みにあるビジネス街の高級ホテルで、地上三十階の立派な建物だった。歓楽街には背の高い建物は一つも無かったが、ビジネス街にはそんな制限がないらしく、巨大なビルがいくつも林立しており、全部合わせれば、多分その規模は東京の副都心を凌駕していた。
なのにどうしてそんなビル街があることに今まで気づかなかったのかと言えば、それもそのはず、直ぐ側に世界一高い建物が建っているからだろう。なにしろその建物の高さは3万6千キロメートル。それと比べたらどんなビルだって小さく見えた。
因みに、最初っからそのホテルに泊まる予定ではなく飛び込みで入ったのだが、桜子さんがフロントまでふらっと行って、異世界語でペラペラ話したと思ったら、暫くすると血相を変えた支配人らしき人物が飛び出してきて、頼んでもないのに最上階のスイートルームに案内された。忘れがちだが、こう見えて彼女はお姫様なのだ。その割にはお付きの人もつけずに街をプラプラ歩いていたわけだが。
急加速するエレベーターの重力に逆らって、ふわりと体が軽くなったと思えば、チーンと音がなって扉が開くと、眼の前には唖然とするような光景が広がっていた。
エレベーターを降りるとそこは既にスイートルームのリビングで、30畳くらいはある部屋の壁面は天井までガラス張りとなっており、イルミネーションに彩られた島の夜景が一望できた。正面の窓から出た先のバルコニーにはプールがあって、ライトアップされた水面がキラキラと輝いていた。カウンターバーには見たことがない外国語のラベルのお酒が並んでおり、部屋まで案内してくれたベルボーイがなんでもご注文くださいとルームサービスのメニューを手渡してきた。
流石に地球を半周も移動してきた後に、これだけ遊び続ければ疲れそうなものだが、不思議とまだ眠くなく、食欲もあった。南の島の雰囲気が気分を高揚させるのだろうか。それとも、なんやかんやまだ緊張してるからだろうか。おすすめを言われるままに注文すると、ベルボーイが去って間髪入れずにもうルームサービスが届いた。
テーブルに並べられた豪勢な食事に舌鼓を打ち、高そうなワインをクンクン嗅ぎながら、これはロマネコンティの100年物とか適当なことをほざいていたら、対面でメインディッシュにナイフとフォークを突き刺したまま、里咲がウトウト船を漕いでいた。昼間、相当はしゃいでいたから、流石に限界が来たらしい。
寝室はいっぱいありそうだったが、逆にありすぎてどこに連れてけば良いか分からず、桜子さんに丸投げしようと席を立って彼女の姿を探したら、バルコニーの隅っこのほうでスマホに向かって異世界語をまくし立てていた。
島を案内されてる間も、彼女はひっきりなしにどこかと連絡を取り合っていた。何かあったのかと再三尋ねてはいたのだが、なにもないと言われてはどうしようもなく黙って見守っていたのだが、ここまできたら流石に嫌な臭いがプンプンしていた。
有理がバルコニーに出てきたことに気づいた桜子さんは、彼に向かって手を挙げて制止しながら電話をし続けていた。通話が途切れるのをじっと待っていたら、部屋からチーンとエレベーターの音が聞こえてきて、中から難しそうな顔をした支配人が飛び出して来た。それに気づいた桜子さんは通話を止めて、支配人と何やら深刻そうに会話を続けていたが、やがて支配人はため息混じりに桜子さんと有理に向かって慇懃にお辞儀をすると、部屋から去っていった。
何があったかは分からないが、何かがあったことは分かる。そんな感じだ。
「で、何があったの?」
流石にこの期に及んではぐらかしはしまい。有理がまっすぐに顔を見ながら話しかけると、桜子さんは困ったように顔を歪めながら、
「実はちょっと困ったことになっちゃって……有理、あんた国際指名手配されてるらしいのよ」




