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Worlds Collide -異世界人技能実習生の桜子さんとバベルの塔-  作者: 水月一人
第五章:俺のクラスに夏休みはない
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Roots

 草木の一本も生えていない石礫の砂漠を一台のバギーが音も立てずに走っていた。時折、何かに躓いてバウンドするように跳ね上がったそのバギーは、信じられないくらい長い滞空時間のあとに、大量の砂煙を巻き上げて、また音もなく走り去っていった。何も聞こえないのは当然だった。ここには音を伝えるための空気がなかった。月だった。


 もうかれこれ8時間は、砂漠以外にまるで変化のない斜面を登り続けていた男は、いつしか時間感覚が失われて、自分が起きているのか眠っているのかさえ分からなくなってきた。疲れはとっくにピークを越えており、これ以上休憩なしに走り続けたら、いつ事故を起こしてもおかしくはなかっただろう。


 しかし今、止まるわけにはいかなかった。ここへ下りてきてからずっと、太陽が丘陵の影に隠れてしまって、バッテリーの充電が出来ないのだ。おまけに本船との連絡も取れず、このまま通信が回復しなければ、事故と見なされて、最悪の場合置き去りにされてしまう可能性もあった。そうなる前に、早く開けた場所までたどり着かなければならなかった。


 そして、いつ果てるとも知れない礫砂漠を走り続けてきた彼の前に、ようやく山の稜線が見えてきた。それは巨大なクレーターの縁で、そこを越えれば本船との連絡も取れるはずだ。


 広大な斜面を登りきった彼は、強い日差しの中でバッテリーの充電が始まったことを確認すると、車を止めてほっとため息を吐いた。そして、いつの間にか大量にかいていた汗を拭って機密服に着替え、二重扉を開けて車の外へ出た。そうしたところで新鮮な空気が吸えるわけでもなかったが、狭い車内にいるより精神的にいくらかマシだと思ったのだ。


 見上げれば、そこには半分に欠けた地球が見えた。ほんの数日しか経っていないのに、今は恋しくて仕方がなかった。38万キロの彼方に、魂を置き忘れてきてしまったかのようだ。


『こちらヒューストン……応答せよ……こちらヒューストン……応答せよ……』


 と、その時、インカムから雑音の混じった音声が聞こえてきた。クレーターを上りきったことで、本船との通信が回復したらしい。彼は慌ててマイクを入れた。


「本部か? 聞こえている。どうぞ」


 彼が返事をするや否や、スピーカーの向こうから大勢が安堵するため息が聞こえた。


『無事だったか。一向に連絡がつかないから肝を冷やしたぞ』

「どうやら着地をミスったようで、山の影に入ってしまったんだ。そっちから見て、俺の座標がずれていないか?」

『確認する……なるほど、信号が予定よりだいぶ北へと流されてしまっている。だが、そこからでも挽回できる。新たな座標を送るから確認してくれ』

「了解」


 通信マイクを切って車両へ戻る。気密服のままモニターを確認すると、本船から新たな目的地の座標が送られてきた。その座標がいま自分がいるクレーターの中にあることを確認すると、彼はまた外に出て目的地の方を覗き込んだ。


「おいおい……なんの冗談だ?」


 すると、ちょうど目的地の方角、クレーターの中程辺りに黒い点が見えた。肉眼ではただの風景の一部にしか見えなかったが、車載カメラを使って拡大してみると、そこには機械を使ってくり抜かれたような長方形の大穴が映っていた。


 そのくっきりとした一直線の境目は、明らかに人工物としか思えなかった。だが、月が誕生してから45億年。月に人類が着陸したのは数えるほどしかなく、ましてや建造物など一つも存在しないはずだ。これは何かの間違いじゃないのか?


 しかし、半信半疑のままバギーを走らせ、目的地に近づくにつれて、いよいよ彼は自分の常識を疑わざるを得なくなってきた。そして肉眼でもはっきりとそれが分かるくらい近くまでやってきた彼は、その横穴の手前でバギーを止めると、車外へ出て、その大穴を正面から眺めた。


 穴の大きさは高さ10メートル、横幅は20メートルくらいの完璧な長方形で、四隅は差し金で測ったかのように直角だった。バギーが入っていけそうなくらいの大きさだったが、流石に真っ暗闇に車を進める気にはなれず、彼は車内から通信アンテナを持ち出して、その横穴の前まで持っていくと、有線の設備を準備しながら本部に連絡を入れた。


「本部、聞こえるか? 今、俺は信じられない光景を目にしている」

『そうか。では早速内部の調査を始めてくれ。くれぐれも慎重にだぞ』


 多少のざわつきはあったものの、少し興奮気味に喋る彼とは対象的に、本部の方はあくまで冷静な口調で返してきた。その様子から察するに、どうやら彼らはこの横穴の存在を知っていたようだった。元々、月面探査を依頼したのは彼らなのだから、当然といえば当然かも知れないが……


 一体どうやってこんな情報を知り得たのだろうか? 気にはなったが、今は目の前の物の方がよっぽど気になり、そんな疑問はどこかへ吹き飛んでしまった。


 男は腕時計に仕込まれたライトを点けると、それで内部を照らしながら慎重に足を踏み入れた。通信が途切れないように有線のケーブルを引きずりながら、一歩一歩確かめるように進んだ彼はすぐに気づいた。


 内部は数メートル先すら見えないくらい真っ暗だったが、流石に足元くらいは見えた。その彼の目に映っている、自分がたった今踏んでいる床が、光を反射するほど綺麗に磨かれていたのだ。


 これはもはや間違いない。ここは何者かの手によって作られた建造物だ。そしてここは、そのエントランスホールだろうか。


 緊張しながら広場を調べていると、さらに奥へと続く回廊が見つかった。完全な闇に閉ざされた廊下を、頼りない明かり一つで進んでいくと、やがて何もない壁に突き当たった。本当に行き止まりなのだろうかと、その壁を調べてみると、よく見れば中央に細長いスリットが見えた。


 もしかして、これは壁ではなく、扉なのではないか? そう考えた男がスリットに工具を引っ掛けて左右に引いてみると、それは軽い力でスーッと開いて……そしてその奥には、驚くほど広大なスペースが広がっていた。


 そこは入口からでは奥が見えない程に巨大な空間だった。天井も壁も見えず、辛うじて見えるのは、床に規則正しく並んでいるモノリス状のなにかで、その一つを取っても、これが何者かに作られた人工物であることはもう疑いようもなかった。


 男はそれが何なのかが気になり近づいていくと、ただの板だと思っていたモノリスは、実際には中がくり抜かれたバスタブのような形状をしており、その中には何かが入っているような気配があった。


 彼はゴクリとつばを飲み込んだ。まさかと思いつつ、恐る恐る中を覗き込んで見れば、なんとそこには白骨化した人間の死体が入っていたのだ!


 男は二歩、三歩と後退すると、改めて広場をぐるりを見回してみた。そこにはおびただしい数の同じような石棺が並んでおり、おそらくその中にはこれと同じような白骨死体が収められているのではなかろうか。彼はその事実に慄きながら、慌てて本部に連絡を入れた。


「本部! 聞こえるか! 本部!」

『どうした。何か見つかったのか?』

「横穴を進んで広場に突き当たった。そこには夥しい数の石棺が並んでいて、信じられないかも知れないが、中に人間の白骨死体が入っているんだよ!」


 男は滅茶苦茶に叫んだ。


「こんな月のど真ん中に、夥しい数の人骨だ! 一体こいつらは何者なんだ!?」

『なんてことだ! おお、神よ……』


 男の報告に、さしもの彼らも息を呑んだ。スピーカーの向こう側から、怒声のようなざわめきが聞こえてくる。どうやら彼の鼓動のように、地球の方も大騒ぎらしい。それはそうだろう、こんな世紀の大発見を、誰が信じられるだろうか。目の前で見ている自分ですら信じられないのに。


 実際、彼は自分の目が曇ってやしないかと慌てて目元を拭おうとして、ヘルメットのシールドがガツンと鈍い音を立てた。気密服を着ていることすら忘れていたことに気づいた彼は、それでようやく我を取り戻すと、自分を落ち着かせるようにフーっとため息を吐いて、荒ぶる心臓を落ち着かせようと試みた。


 ところが、そんな時だった。


 神経を研ぎ澄ませていた彼は、そのだだっ広い空間のどこかで、何かが『ブーン……』と振動するような、機械の稼働音を聞いたような気がした。


 しかしそれは空気の無い月面ではあり得ないことだった。ましてや、彼はいま機密服に包まれていて、インカム越しにしか音を拾えなかった。そして今は通信中で、外部音は遮断されているはずだった。


 だから、それはただの気のせいだ。では、何が気になったというのだろうか?


 彼は音がした気がする方へ顔を向け、じっと暗闇を凝視した。するとその先に、なんとなく薄ぼんやりとした光が見えるような気がして……腕時計のライトを消してよくよく目を凝らせば、数十メートル先にある石棺の一つが、シルエットを浮き立たせるかのように、うっすらと青白い光を放っていたのである。


 もしかして、これは棺桶ではなかったのか……? 男は改めてライトをつけると、恐る恐る、その光っている石棺の方へ近づいていった。そしてその中を覗き込んだ彼は驚愕した。


 何故ならそこには、ガラスの蓋に覆われた石棺の中で、まるで眠っているかのように穏やかな顔をした、氷漬けの人間が入っていたのである。


(5章・了)

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ただいま拙作、『玉葱とクラリオン』第二巻、HJノベルスより発売中です。
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よろしくお願いします!
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お疲れ様です  引き続き楽しみにしております そんで何故月…?
連日の投稿、お疲れ様でした。 本章もたいへん面白かったです!。 続きは10月かぁ・・・、次章は桜子さんの出番が 多ければいいなぁっと^^)。 更新、楽しみにしております。
5章も最高に楽しかった! 楽しみに10月を待ちます。
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