もうどうなってもいいや
「いやー、楽勝だったな!」「やっぱ物理。物理は全てを解決する」「よく言うぜ、お前何発かいいの貰ってただろ」「あんなのノーカンノーカン」「調子乗って突っ込み過ぎなんだよ」「勝ったんだからいいだろ、もう」
終業式の朝、研究所に突如として現われたドラゴンを、あっという間に片付けてしまった魔法学校の生徒たち。周囲の大人たちが茫然自失とする中で、彼らはなんてこともなかったかのように、まるで授業の合間の休み時間みたいな会話を繰り広げていた。
ドラゴンに追いかけ回され、死に物狂いで逃げ続けていた桜子さんは、ようやく自分は助かったのだと実感が湧いてくると、今度は盛大な疑問に襲われてパニックになった。助かったのは良かったけれど、なんで魔法学校の生徒たちに助けられているのだ? 彼らはつい最近、この学校で魔法を学び始めたばかりのはずでは?
彼女が盛大にはてなマークを飛ばしていると、一番最初に助太刀に現われたマナが空から降りてきた。桜子さんは慌てて彼女に詰め寄った。
「マナ! これは一体、何がどうなってるの? いきなりあんたは見たこともない攻撃であいつを圧倒するわ、かと思えばチャンウェイたちまで空飛んでるわ……」
そうして説明を求めようとしている最中も、学校の屋上で伏せていた狙撃班が空を飛んでやって来た。彼らはどこで見つけてきたのか、自分の体重よりも重い対物ライフルを軽々ぶら下げながら、空を泳ぐように飛んでいる。
その信じられない光景には、教室の窓から見ていた生徒たちも驚いたようで、校舎のあちこちからどよめきが聞こてきた。すると講堂で終業式の準備をしていた担任の鈴木が飛び出してきて、
「おおおっ!! おまえたち! いつの間にそんなに魔法が上手になったんだ!? 関! 張偉! 先生感激したぞ!」
「げええっ、鈴木ィ!」
マッチョの担任に捕まってしまった関が悲鳴を上げて逃げ惑っている。抵抗虚しく厚い胸板にほっぺたを押しつぶされた張偉が地蔵みたいな顔をしている。それを見て、いつも喧嘩ばかりをしていたヤンキー共が、肩を並べて笑い合っていた。
何がどうしたらこんなことになるのだろうか? 桜子さんが目を白黒させていると、破壊された研究所の方から聞き覚えの声が聞こえてきた。
「ぺーっ! ぺっぺっぺーっ!! なんじゃこりゃ!? 俺の研究室が滅茶苦茶じゃないか!」
その声に振り返ると、研究所の中から煤にまみれた有理が四つん這いになって這い出てきた。その背後には同じくゲホゲホと咳き込んでいる里咲の姿が見える。それを見つけた女生徒たちが駆けつけ、有理を押しのけ、大丈夫? と里咲だけを気遣っていた。
対象的にひどい扱いを受けた有理は目に入ったゴミを擦りながら、真っ赤な目をこっちへ向けてきた。桜子さんはハッと我に返ると、彼に事情を尋ねようと慌てて駆け寄っていった。
「ユーリ! 一体、何が起きているのか説明してよ? どうして教室にいるはずのあんたが、この中から出てくるわけ? それに、チャンウェイや他のクラスのみんなも何か様子が変だし……あんなの、ありえないわ」
「いや、逆に俺が聞きたいんだけど……どうなってんの、これ。なんで研究所が瓦礫の山になってんの?」
「なんでって……あんたがたった今出てきたとこから、ドラゴンが現われたんじゃない!」
「ドラゴンが? なんでまたあいつが……って、あれ? アストリア、いつからそんな日本語流暢になったわけ? あ、いや、あれ? もしかして、桜子さん!? 桜子さんじゃないか! いやあ、懐かしい!」
有理はとぼけているわけではなく、本気で理解が追いついていないようだ。桜子さんが戸惑っていると、そんな二人の元へマナがやって来て、何も知らない有理に向かって説明し始めた。
「どこに行ったかと思ったら、こんなところにいたのね。物部、あんたが不在の間に、またあのドラゴンが現われたのよ」
「じゃあ、これあいつの仕業なの?」
有理は背後の研究所を指差しながら言った。マナは頷いて、
「あっちの世界でドラゴンを倒した後、私は久々の寮に帰って寛いでたのよ。そしたら急に夜だった景色が朝に変わって、気がついたら私たちはみんな学校の教室の中にいたわけ」
「教室に?」
「すぐに現実世界に戻ったんだって気づいたわ。このところ異常事態が続いてたから、みんな落ち着いたもんよ。それで良かったねって話してたんだけど、よく見たら功労者のはずのあんたの姿がないじゃない。里咲もいないし、どうしたんだろうって思ってたら、急に外が騒がしくなってね。窓を開けてみたら、あいつが桜子さんと格闘してたのよ」
クラスメートたちは、なんでまだあいつが生きているの? と戸惑いはしたが、ついさっきそれと戦っていたわけだし、都合の良いことにみんな得意武器も持っていたから、すぐにやっつけようという話になった。
「それで、あっちで立てた作戦通りに行こうってなって、狙撃班が屋上に伏せてるところに、私が囮になってドラゴンを引っ張ってきて、地上に落ちたところをみんなでタコ殴りにしたってわけ」
「そっか、偶然とはいえ、またえらいタイミングで帰ってきたもんだなあ」
「まったくね。あとちょっとでも遅かったら、学校に被害が出てたかも知れないわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。二人だけで話してないで、あたしにも分かるように話してよ」
有理がマナに現状を報告していると、置いてけぼりの桜子さんが不貞腐れたように問いかけてきた。有理は苦笑いしながら、
「ごめんごめん、こっちもたった今戻ってきたばっかりだから、状況が分かってないのは一緒なんだよ。えーっとね、結論からいうと、俺達はついさっきまでゲームの世界に閉じ込められていたんだ」
「ゲームの世界……?」
「ほら、この間も、俺と椋露地さんの二人が、天穹の開発したゲームの中に閉じ込められたことがあったろう? あれと同じ現象が、俺達のクラス全員に起きていたんだ……って、流石にこれだけ大きな現象、気づいていないわけないよな?」
話している途中でその可能性に気づいた有理が確認すると、桜子さんの方も意味がわからないと言った感じに、
「つまり、ここにいる全員が、あのゲームの世界に閉じ込められていたの? なんで? どうやって? 研究所はこの通りなのに……」
「それは分からないけど……ちょっと待って、桜子さん。確かめておきたいんだけど、俺たちが消えてから、今日までに何日くらいが経過してるの?」
「消えた……? あんたたちは消えてなんかいないわよ。何を言っているの?」
桜子さんは、話がまったく噛み合わない感じにポカンとしている。有理はそれを聞いて、またある可能性を思いつき、
「桜子さん、今日は何月何日なんだ? もしかして、今日って夏休み前の最後の日、終業式はこれから始まるのか?」
桜子さんは、当たり前じゃないかと言わんばかりに頷いた。
「ええ、そうよ。それ以外、あり得ないじゃない」
それを聞いて、有理は大凡のことに察しがついた。
まず、有理たちは10日ほどゲーム世界に閉じ込められていたはずだが、その間、現実では一日も、それどころか一秒も経過していなかったらしい。有理とクラスメートたちは、現実の時間が凍結されたまま、あのゲーム世界での騒動を繰り広げていたのだ。
何のために? すぐ思いつくのはあのドラゴンの存在だ。
ゲーム世界に閉じ込められた有理たちは、現実に戻るためにはあのドラゴンを攻略する必要があった。そのためにレベルアップをし、新しい魔法を覚え、強くなりすぎた彼らはドラゴンを瞬殺して現実に戻ってきた。するとそこにもドラゴンが居て、彼らはちょっと戸惑いつつも、問題なく撃退することに成功した。
ところでもし、タイミングよく有理たちが帰ってこれなかったら、今頃学校はどうなっていただろうか?
そう考えると、ドラゴンが先に現れたのは現実世界の方だったのだ。
時系列的には、まず終業式の朝、米軍がやって来て研究室に例のUSBメモリを仕掛けた。その結果、ドラゴンが現われて人々を襲い始めた。その直後、有理のクラスメートたちはゲーム世界に飛ばされて、そこに現われたドラゴンを倒さなければ現実に戻れなくなってしまった。そして有理たちはクエストをクリアし、現実に戻ってきた時には、ドラゴンを凌駕する力を手に入れていた。
結果的に、有理たちは、このままでは大惨事を招きかねないドラゴンを退治するために、あのゲーム世界に飛ばされたというわけだ。
この筋書きは、誰が書いたものだろうか……?
すぐ思いつくのはメリッサくらいしかいない。
しかし、メリッサはあの時、米国のハッキングのせいでセーフモードに移行していた。仮に稼働していたとしても、クラスメート30人を同時にゲーム世界に飛ばすなんてことは不可能だ。
まず、誰一人として接続のために必要なコントローラーを身に着けていなかったし、研究所のサーバーが拡張されていたとしても、30人は流石にオーバースペック過ぎる。そしてその研究所は今は瓦礫の山と化している。
となると、またあの偽メリッサが現われたと考えるべきだろうが……まあ、そう考えるのは勝手だが、何でもかんでもあいつのせいにするのは、それはそれで乱暴過ぎる気がする。そもそも、あいつは何者なのだろうか? こんなことが出来る存在なんて、もう神様くらいしか残っていないのではないか。
「物部さん……」
有理がそんなことを考えて首をひねっていると、不意に張偉が声を掛けてきた。我に返った有理は返事しようとしたが、よく見れば、彼の表情が強張っていることに気づいて口を閉じた。
張偉は耳打ちできるくらい近づいてくると、小声で言った。
「さっきからあっちの方で、米軍があんたのことを撮影している」
そう言われて見てみると、研究所から少し離れところで、青い迷彩服を来た外国人がこっちに向けてスマホを翳していた。すぐ傍には、あっちの世界で散々お世話になった装甲車が横転していて、そこに潜り込むようにして、他の兵士がどこかと連絡を取り合っていた。
険しい表情をした指揮官らしき男と目が合ったと思ったら、彼はわざとらしく目を逸らしてどっかへ行ってしまった。その間も、例の兵士は外国人観光客みたいな顔をして、こっちにスマホを向け続けている。
どういう意図があるかはわからない。ただ、有理に興味があることだけははっきり分かった。なんというか、嫌な雰囲気だ。
「ユーリ、あんたはもうここから離れたほうがいいわ」
それに気づいた桜子さんが話しかけてくる。
「そう言われても、どうすればいいんだよ?」
「ほら、前にも話したでしょう。今ごろ羽田にあれが来てるはずだから、それに乗ってちょうだい。すぐ出発するわ」
あれとかそれとか代名詞が多いが、つまり終業式なんか出てないで、このまま亡命しろと言いたいのだろう。こうなってはもう致し方ないが、こうも米軍に監視されてる状況で、彼らを振り切って空港までたどり着けるんだろうか……
逃走手段も経路もないので、どうしようかと迷っていると、こちらの様子に気づいたらしい米兵たちが、急に忙しなく動き始めた。さっき目を逸らした男が部下を引き連れて、険しい顔で近づいてくる。
今までの経緯からして、何を言っても通じないだろう。有理たちがいなければ、今頃彼らはお陀仏だったろうに……恩知らずめ。
こうなっては背中を向けてダッシュするしか道はない。有理は覚悟を決めて、イチニのサンで飛び出そうとしたが……
「それじゃ物部さん、行きますよ?」
と、その時、急に誰かに背中から抱きしめられて、びっくりして振り返ったら、里咲がフラットな顔で抱きついていた。こんな時に何をする気だと思ったが、と同時に、すごく嫌な既視感に襲われた。
ヤバいと思って身構えた次の瞬間、足元の地面がなくなり、ぐいっと脇の下から持ち上げられるようにして、有理は空へと舞い上がっていた。
ぐんぐんと青い空が近づき、学校がどんどん遠ざかっていく。ぷらぷらと揺れている脚の下で、険しい目つきの米兵たちが何かを叫んでいる。その横ではクラスメートたちがこっちを指差しながら、手を振っていた。
「新学期までにはちゃんと帰ってこいよー!」
そんな誰かの声が青い空に吸い込まれていった。有理もそんな彼らに手を振り返しながら……あんなに出ていきたかったはずなのに、今はまたここに帰って来れるのかと、そればかりが気になっていた。
***
物部家のキッチンで、母のセツ子が鼻歌交じりにクリームシチューをかき混ぜていた。この4月に次男が片付いて、もう働きに出る必要もなくなり、今は気楽な専業主婦をやっていた。
有理は魔法だかなんだかの才能があったらしく、それを目当てにした国が補助金をくれるおかげで、物部家の家計は大いに助かっていた。おまけに最近その息子がベンチャーを始めたらしく、そっちの方でもものすごい金が転がり込んでいた。
預かった通帳の数字を見ているだけで、多幸感に包まれて脳汁がドバドバ溢れ出してくる。まったく、持つべきものは優秀な息子様々だぜ。セツ子はゲヒヒと笑い声をあげると、シチューの味見をしてコンロの火を止めた。
夕食の準備は出来たが、ワーカホリックの旦那と長男はまだ帰ってきそうになかった。いつもなら帰宅が遅れるにしろ、何時頃に帰るか電話くらいはしてくるのだがそれもない。どうしちゃったのかなと思いつつリビングに移動しテレビを点けると、ちょうど19時台のニュースが始まるところだった。
なんとなく点けたそのテレビ画面には、巨大生物がビルを破壊しているというハリウッド映画の1シーンみたいな映像が映し出されていた。なんだこれ? と思いながら流し見てると、どうやらこれは映画ではなく、日本にドラゴンが現われたというニュースだと分かって驚いた。
数日前、突如ニューヨークに現れて多数の死者を出したというあの事件は、今でも連日ワイドショーを賑わしている。中国のテロだとか、アメリカの極秘実験だとか、勝手な憶測が流れていたが、未だに原因はよく分かっていなかった。それが日本にも現われたのだとしたら、一大事ではないか?
その割には世間が騒がしくないのはどうしてだろうと、興味を持ってテレビのボリュームを上げると、どうやらそのドラゴンは神奈川県にあるという魔法学校の生徒たちにすぐ倒されてしまったらしい。たまたま魔法が使える人間がたくさんいるところに出て来たのが運の尽きだったとキャスターは述べていた。セツ子はそれを聞いて、ふーんと思った。何千人もぶっ殺した凶悪なドラゴンだと聞いていたけど、案外そんなものなんだ。
ところで、魔法学校という単語のほうが気になった。そんな学校は、日本どころか世界中を探しても、息子が通ってるあそこしか存在しないんじゃないか? そう思っていると映像が切り替わって、事件直後の映像が流れた。ドラゴンの襲撃を受けたというビルは大打撃を受けて入口が殆ど崩れ落ちていたが、その瓦礫の山と化したビルの中から、一人の男がひょっこりと姿を現した。
『先日のニューヨークの事件を受けて、在日米軍が極秘裏に日本の研究機関を調査していたところ、問題の魔法学校にたどり着き、犯人を追い詰めたそうです。その犯人を拘束しようと突入したところ、直後、ドラゴンが現われて突入班は全滅してしまったとのことです。
この瓦礫と化したビルから無傷で出てきた男の名は、物部有理、20歳。物部容疑者はその後、同じ魔法学校の生徒と見られる女性と共に逃走したとのことですが、日米両政府はこの男を一連の事件の犯人と断定し、現在その行方を追っているところです』
セツ子は腰を抜かした。




