ミッションコンプリート
明日から夏休み、終業式というこのタイミングを狙っていたかのように朝っぱらから米軍が魔法学校へとやって来ていた。自衛隊は頼りにならず、我が物顔で研究所に入っていく連中に抗議しようと、腕まくりしながら近づいていった桜子さんは、突然、中から聞こえてきた銃声に驚かされた。
「why what!?」
入口で通行止めをしていた米兵は、いきなりの銃声にパニックになっている。彼は中の様子を確かめるつもりで自動ドアをくぐろうとしたが、まるで見えない壁にでも衝突したかのように尻もちをついた。
「……なに、これ?」
桜子さんもまた入口付近で見えない壁に遮られたかと思うと、そんな彼女の目に内部の様子が飛び込んできた。研究所のエントランスホールでは、米兵たちが必死に銃を乱射し、翼の生えた爬虫類かなにかそのような獣と戦っている。
その銃撃の中で誰かが叫んだ。
「ドラゴン!!」
もうもうと砂煙が舞うエントランスホールの中で、やがてその霧が晴れた向こうに現れたのは、確かにドラゴンだった。
ニューヨークを襲った、あのドラゴンだった!
強烈な閃光が迸る。まばゆい光に目が眩んだかと思えば、ゴォーッと風が吹き抜けるような音が聞こえて、エントランスホールは火に包まれた。ドラゴンの口から吐き出されたブレスは、建物内にいた米兵を焼き尽くし、その高温は入口の自動ドアを飛び出して外まで届いた。
バッシャーーーン!! っと高波が水面を叩くような音が響き渡り、ビルのガラスというガラスが全部粉々に砕け散っていった。自動ドアの前に立っていた桜子さんは爆風で吹っ飛び、アスファルトの上をゴロゴロと転がって、米軍の装甲車にぶつかって止まった。
思いっきり背中を打ち付け、ゲホゲホと咳き込みながらなんとか立ち上がれば、すぐ隣に立っていたはずの自衛官が額から血を流し白目をむいて気絶している。
「大丈夫!?」
しかし、駆けつけようとした彼女は不意に寒気のようなものに見舞われた。嫌な予感がしてハッと顔を上げれば、たったいま自分が飛ばされてきたエントランスホールから、ギラギラとする巨大な瞳がこちらを覗き込んでいる。それは太陽の光を受けてついにその全貌を明らかにした。
ドンッ! ドンッ! っと地響きを立てて、巨大な爬虫類の顔が自動ドアの狭い隙間をくぐり抜けようとしている。半分溶けたステンレス鋼の枠に阻まれ、上手くいかない爬虫類は、癇癪を起こすかのようにその巨大な口を開いた。
「ギャアアアアアアーーーーー!!」
ビリビリと腹の底から響いてくるような声が、周囲の音を奪い去っていく。鼓膜が破れそうな痛みが走り、キーンと耳鳴りが大きくなっていく。その暴力的な騒音に三半規管を揺さぶられてフラツイてると、グラつく視界の中にまた大きく口を開いたドラゴンの姿が映し出された。
今ここでブレスを吐かれたら直撃する。ヤバいと思った桜子さんは咄嗟に、
「lourcqngpaui soirqzt poejaiwmnas!!」
彼女の詠唱が完成するのと、ドラゴンのブレスが吐き出されるのはほぼ同時だった。2つの炎が相殺しあって、双方ともに攻撃は届かなかったが、研究所の出入り口は容赦なく吹き飛んでいった。
その振動によってグラングランと生き物みたいに動き出したビルから、剥がれ落ちた大量の外壁材が降り注いでくる。それがまるで土砂降りみたいにバシャバシャと地面で音を立てて砕けると、周囲には真っ白な砂煙が舞い上がった。
桜子さんは自衛官を引っ張り上げると、今の爆発で吹き飛ばされてしまった米軍の装甲車に向かって駆け出した。
直後、ドラゴンはのっそのっそとビルの中から這い出てくると、煩わしそうに砂煙を背中の翼で吹き飛ばし、俺は自由だとでも言わんばかりに、空に向かって高らかに咆哮を上げた。
「グオオオオォォォーーーーーッッ!!!」
長い雄叫びの後、ドラゴンはその大きな翼を広げ、まるで物理法則を無視しているかのような緩慢な速度で、バッサバッサと羽ばたきながら空へ舞い上がっていった。
自衛官を装甲車の中に放り込んでから桜子さんが顔を上げれば、ドラゴンはビルの中ほどあたりで羽ばたきながら、無機質な目を地上に向けていた。その瞳が捕らえているのが自分であることに気づいた彼女が咄嗟に魔法を詠唱すると、またほぼ同じタイミングでブレスと直撃し、ガス爆発でも起こしたかのような強烈な爆音が辺りにこだました。
カタカタと割れそうなくらい窓枠が揺れて、何事かと驚いた魔法学校の生徒たちが、窓を開け、外の様子を見て大騒ぎし始める。
マズイ……このままでは彼らが巻き込まれてしまうと思った桜子さんは、地面を蹴ると、わざとドラゴンの脇スレスレを通って空の上へと急上昇していった。それをきっちり挑発と受け取ったドラゴンが彼女の後を追いかける。
2つの影が螺旋を描くように交差しながら空の上を駆けていく。交差する瞬間、双方から発する炎がぶつかりあうたび、ドンッ! ドンッ! っと花火のような音が青い空に響き渡った。
そんな大迫力の空中戦を目撃した生徒たちは、空を指さしながら興奮気味に歓声を上げた。彼らはドラゴンと戦う一人の女性を、まるでヒーローのように応援しはじめた。映画の一シーンみたいな光景に彼らの目は釘付けになっていた。
しかしその声援を向けられていた当の本人は焦っていた。見た目とは違って実際には、彼女は相手の速度と強力なブレスにかなり追い詰められていたのである。
あれが直撃したら、いくら桜子さんがルナリアンでもタダではすまないだろう。おまけに相手はブレスだけではなく、鋭利な爪と巨大な牙まで持っている。その一つ一つの攻撃が全て致命傷となるのに……地上を見れば、彼女のことを応援する生徒たちの顔が見える。もしも彼らの方へうっかりブレスが飛んでいきでもしたら、大惨事は免れないだろう。
なんでみんな、こっちを呑気に見上げてるの! 中に入って、早く! 桜子さんは必死に祈りながら、なんとかドラゴンの猛攻をしのぎ続けていた。
しかし、それも長くは続かなかった。
「しまっ……!!」
地上のことに気を取られ過ぎた彼女は、いつの間にか単調な動きを繰り返していた。そのパターンを学習したドラゴンは、不意にそれまでと行動を変えると、彼女の逆を突いてその進行方向へと躍り出た。
ドラゴンはただの爬虫類でなく、人間と同等以上の知性を持つ、知的生命体なのだ。
「グオオオォォォーーーッ!」
巨大な咆哮がビリビリと空間を震わせ、桜子さんの目の前で開かれた大きな口から閃光が走る。
このままでは直撃は免れない。彼女は自分の運命を予測して青ざめた。
「桜子さん!!」
と、その時だった。地上ではなく、まったく明後日の方向から誰かの声が聞こえたと思ったら、直後、どこからともなく無数の光の矢が降り注いだ。それらは空中でホバリングしていたドラゴンに次々突き刺さると、彼は悲鳴を上げて逃げるように滑空していった。
「マナ!?」
助かったと安心すると同時に、自分を助けてくれた人に気づいて唖然とする。そこにいたのは、ついさっき有理を呼びに行くように頼んだマナだった。そんな彼女は何故かアーチェリーの弓を構え、光の矢を次々と生み出しては果敢にもドラゴンを追撃している。
彼女が実はルナリアンだということは知っていたが、こんな能力を持っているなんて聞いてなかった。いや、それ以前に、どうして教室に向かったはずの彼女がここにいるのだ?
「話はあと! 行けますか!?」
ものすごい速度で矢を撃ち続けていたマナは、まだ硬直している桜子さんに言い放った。我に返ってハッと見れば、遠くに逃げていったはずのドラゴンがまた狙いを定め直してこちらに旋回してくる。彼女の矢は効いてはいるが、致命打にはならないようだ。ドラゴンは復讐しようと血眼になっている。
矢の雨の中を強引に突き進んでくるドラゴンに対し、二人は慌てて背中を向けると、背後に矢を放ち、爆炎魔法をばらまきながら、狙いをつけられないよう交互にポジションを変えつつ逃げ続けた。
そんなマナは空へ向かって一直線に飛び上がったかと思えば、次の瞬間、重力に任せてキリモミするように落下してくると、追りくるドラゴンの鼻スレスレを嘲弄するように掠めて、広い学校の運動場へ飛び込んでいった。
「マナ! このままじゃ、みんなを巻き込んじゃう!」
彼女の後を追いかけてきた桜子さんは、進行方向に校舎があることに気づいて叫んだ。しかし、マナは速度を落とさずに、
「いいから! このまま……飛び越えますよ!」
彼女は有無を言わせずそう言った瞬間、また垂直に飛び跳ねるように急上昇すると、今度は校舎の屋上スレスレを飛び越えて向こう側へと消えていった。慌てて桜子さんがその後に続き……
そして、このままでは校舎に激突してしまうドラゴンもまた、ひと羽ばたきすると、当たり前のように校舎を飛び越えてその後を追おうとした。
直後、
ドドドドドドドドンッッッ!!
屋上に伏せていた狙撃班に至近距離から対物ライフルの連射を浴びて、さしものドラゴンも子犬のような悲鳴を上げた。その射撃はマナの魔法の矢とは違ってドラゴンの硬いウロコを貫き、翼を貫通して巨大な風穴を開けた。
腹部から飛び込んだ弾丸はそのまま背中から飛び出していき、土手っ腹に開いた大きな穴からは大量の血が吹き出して、土砂降りのようにバシャバシャ校舎に降り注いだ。
「グモモモオオオオォォォーーーー……」
致命傷を受けたドラゴンは空中でもんどり打つかのように体をくねらせると、浮力を失ってそのまま地面に叩きつけられた。
校舎を飛び越え、前庭をバウンドし、講堂前のアスファルトを滑るように転がっていき、ズタボロになって研究棟の前に戻ってきた。
出ていった時の凶悪な姿はどこへやら、弱々しく四肢を丸めて萎びてしまったドラゴンは、まるで死んだ蜘蛛のようだ。
しかし、彼はまだ死んだわけではなかった。ドラゴンは鋭利な爪で地面を掴んで弱々しく体を起こすと、最後の力を振り絞ってブレスを吐こうと雄叫びを上げた。
だが虚勢もそこまでだった。
「おっしゃ、追撃チャンスだー!」
ドラゴンが墜落するのを見るや否や、校舎の窓から次々と無数の影が飛び出してきた。彼らは人の身でありながら自由に空を飛んで、一直線に間合いを詰めると、各々手にした武器を振りかざして、地にひれ伏すドラゴンを滅多打ちにし始めた。
張偉が関が、日本刀や双剣を振り回して、ザクザクとドラゴンの鋼鉄のような皮膚を切り裂いていく。総勢20名ばかりの学生たちが、返り血を浴びながら巨大な獣に立ち向かっていく。ドラゴンも堪らず爪や牙で応戦するが、一体どんな魔法なのか、彼らは信じられない動きでその攻撃を躱しながら、なおも容赦なく剣をふるい続けた。
それはまるでマンモスを罠に嵌めたアニメの原始人たちが、ポカポカと止めを刺しているかのような、そんなシュールな場面にも見えた。効果音を入れたら特撮だと信じてしまいそうな、それくらい現実離れした光景だった。
だがその一撃は、ちゃんとドラゴンに痛打を与えていた。藻掻き苦しんだ彼はやがて力なく叫び声を上げると、ついに力尽きるように地面に崩れ落ち、
「クオォォォーーーーン………………」
という断末魔をあげたあと、不意にその姿が揺らいだと思ったら、突然、全身が光に包まれ、弾けて消えてしまったのであった。
さっきまでドラゴンだった光の礫が、音もなく周囲に散らばっていく。そのキラキラとしたホタルみたいに煌めく光が、幻想的に空へと舞い上がっていく光景を見て、誰もが声を失っている中、そのドラゴンを仕留めた約20名の中から大きな声が響いた。
「勝ったどーーーーっっ!!!」
関による、ほんの少し間が抜けた勝どきの声が辺りにこだまする。そんな彼らがお互いに健闘を称え合ってハイタッチをする光景を、まるで役に立たなかった米兵たちが遠巻きに見ていた。




