このセピアの空の下に
「ステータス!」
その単語を口にした瞬間、突然、視界がブレて眼の前に半透明のゲームのウィンドウみたいなものが表示された。それは比喩でもなんでもなく、本当にゲームのステータス画面で、キャラクター名のところには自分の名前と、レベルと獲得経験値とヒットポイントにスキルポイントに、所持品やら魔法やらなんやかんやのアイコンが表示されていた。
そのレイアウトに見覚えがあるのは、言うまでもなく、あのVRゲーム・アストリアオンラインにそっくりだったからだ。有理はそれに気づくなり、へなへなとその場に崩れ落ちた。
「わ!? 物部さん、平気?」
突然、地面にしゃがみ込んだ有理を心配して、里咲が覗き込んでくる。彼は返事代わりに手のひらを見せて大丈夫とアピールすると、無言のままため息混じりに立ち上がり、そしてまったく彼らしくない動きで軽やかに厨房のカウンターを飛び越え、フロアにスタッと着地した。
「椋露地さん!」
有理はフロアに躍り出ると、ゴキブリ騒動を遠巻きに眺めていたマナに向かって、包丁の切っ先を向けながら名前を呼んだ。彼女がなんのつもりだ? とムッとした視線を送ってくるのを確かめると、彼は黙ってその切っ先を下に振り下ろした余勢を駆ってそのまま前宙し、着地と同時に横一閃に薙ぎ払ったかと思えば、肩を支点側方宙返りをしながら振り下ろし、ヒュンヒュンと空気を切り裂く音を立てながら、幾度も幾度も器用に包丁を振り回してみせた。
そのキレッキレの動きに驚くというよりも、逆にドン引きしていたギャラリーの中で、マナは途中で何かに気づいたかのごとくハッと視線を上げると、
「ステータス!」
と叫んでから、ワンテンポ遅れてさっきの有理みたいにその場にヘナヘナと崩れ落ちた。
その姿を見ていた他の者達も、彼女の真似をして同じ言葉を発し、そして次々と困惑の声を上げ始めた。
「お、おい、物部。なんだこれは?」
厨房から料理班の陳が話しかけてくる。彼の目にも恐らく、いま有理が見ているのと同じステータス画面が見えているのだろう。有理は何から説明すれば良いやらと、ゆっくり説明を始めた。
「えーっと、俺と張くんがゲーム部って名目で研究所の一室を借りてることは知ってるだろう? 同じ部活に関も加入してて、今から大体一週間前くらいに、そこで何やってるのかってクラスの連中が押しかけてきたんだけど」
その時は入れ替わりが発生していて、有理自体は記憶にないのだが、陳の方はちゃんと覚えていたらしく、
「ああ、俺は興味ないから行かなかったが、行った奴らが後ですげえすげえって言ってたな。仮想現実がどうとか、まるで本物みたいだったって……まさか?」
「多分、いま君の目に見えてるのがそのゲームのUIだ」
陳は、恐らく彼の目にだけ見えているステータスを指で押したりしながら、
「嘘だろ? これがビデオゲームだって? だって、俺は腹も減るし、味や匂いもちゃんとしてるんだぞ?」
「そう、本当に信じられないけど、そのゲームは現実と区別が出来ないくらいリアルに出来てるんだよ。もちろん五感もフルに感じられて、だから俺はこの現象がなんなのか、これから自衛隊と協力して調べようとしていたんだけど、そしたらアメリカがちょっかい掛けてきたんだ」
彼らは研究室のハッキングで止まらず、終業式には学校にまでお仕掛けてきたらしい。そしてその直後に、自分たちは人間が存在しない世界に紛れ込んでいた。となると、この現象もまた米軍が関係しているのだろうが……
「そう言われてもまだ信じられない。ここがゲームの世界なんだって、何か証拠でもあるのかよ?」
「ああ、種を明かしてみればバカバカしい話だけど、まずは空の色だな。空の色はレイリー散乱が起こす現象だ。だからどうやったって、あんな色になるわけがないんだよ。それから、今さっき俺が見せた得意武器の存在だ」
「得意武器?」
「ゲームでは、プレイヤーごとに得意武器が設定してあって、戦闘の際に補助をしてくれるんだ。陳くんも、俺が包丁が上手いって言ってただろ? でも、現実の俺は料理も出来なければ、包丁を握ったことだって数えるほどしか無いんだよ。それがあんなに上手に使えたのは、得意武器補正のお陰なんだ」
「あー……つまり、さっきの大道芸みたいなのは、おまえが意識してやったんじゃなくて、予め設定してある型をなぞったって感じか」
「そう、そんな感じ。それで、ゲームでは俺はナイフが得意で、椋露地さんは弓が得意だったんだ」
「ちょっと待ってて、確かスポーツ用品店でアーチェリーを見たと思うわ」
マナはそう言うと、いそいそとエスカレーターを駆け上っていった。その後姿を見送っていると、料理班の女子の一人が寄ってきて、
「物部。その得意武器ってのがナイフだったら、包丁が上手くなるわけ?」
「ああ、多分そのはずだけど」
「そう……実は、料理班に入ってから、なんか野菜とか食材とかが切りやすいなって思ってたのよ。きっと道具がいいんだろって思ってたんだけど」
「あー、じゃあ、さっき俺がやったみたいに、ナイフ持って振り回してみて。敵をやっつけるようなイメージで」
言われた彼女はおっかなびっくりフロアに出てくると、有理みたいに包丁を水平に構えてから、すーっと振り下ろした。すると次の瞬間、彼女はくるくる回転しながら弧を描くように鋭く空気を切り裂いた。
「うそうそうそ! 体が勝手に動く!!」
「おおーー……」
少しはしゃぎ気味に叫ぶ彼女に対し、周りからは自然と拍手が起こる。その彼女を皮切りに、自分にも得意武器が無いかと周りの者達も試し始めて、包丁やペティナイフ、拾ってきたポールなんかを振り回していると、騒ぎを聞きつけた者たちがモール中から集まってきて、有理は説明に追われた。
そうこうしている内に、階上に弓を探しに行ったマナが帰ってきて、彼女はギャラリーが増えてることに、一瞬、戸惑いを見せたが、すぐに気を取り直すと、フロアの端っこにペットボトルを置いてきて、注目の中、弓を引き絞った。
すると、矢をつがえていなかった彼女の指先に、どこからともなく光の矢が現われ、驚いている者たちの目の前で放たれたそれは、一直線に200メートルは先にあったペットボトルに、吸い込まれるように突き刺さった。
その信じられない神業にどよめきが起こる。
すぐに自分も試してみたいと手を挙げる者が続出し、マナは快くアーチェリーを貸してくれたが、弓適正を持つものは稀だったらしく、一人も見つからなかった。
少々残念な結果であったが、その後も武器適正を見つける集まりは続いて、ナイフや長剣、棍棒や槍なんかの得意武器が少しずつ判明していったが、中にはどうしても見つからない者たちもいた。
あのゲームに登場する武器種は少ないので、その内見つかるだろうと思っていたのだが、どうしたものかと首を傾げていたら、意気消沈するグループの中から一人、歩み出てきて、
「あのさ、物部。もしかして銃適正ってあるんじゃないの?」
「銃? いや、ゲームにはそんな武器なかったから。でも、何か心当たりあるの?」
すると彼は頷いて、
「ほら、初日にみんなで射撃訓練しただろ。あの時、銃なんて初めて持ったはずなのに、なんとなくだけど、すごく扱いやすい物なんだなって思ったんだよ。実際に撃ってみても、しっくり来るっていうか、やたら狙い通りに行くんで、こんなに簡単なのかって」
「へえ……わからないけど。じゃあ、試してみようか?」
あの仮想ゲームには存在しなかったが、どうせ試すだけならタダである。とはいえ、銃を室内でぶっぱなすわけにはいかないから、みんなでゾロゾロとモールの外まで出ていって、装甲車の中からアサルトライフルを取り出してきて、流石にこれは遠すぎるだろう言うくらい遠くに置いてきた的に向かって撃ってみた。
すると、言い出しっぺの彼はものの見事に命中させ、他にも適性が見つからなかった者たちが撃ってみると、面白いくらい狙い通りに当たった。試しに有理も撃ってみたが、もちろん当たるはずもなく、他の適正持ちも同じ結果だった。
「どうやら本当に銃適性ってものがあるっぽいな」
しかし、あのゲームには存在しなかった適性が存在するのは、どうしてだろうか……? こっちの世界に合わせて増えたと考えればいいんだろうか?
もしもそうなら、次に気になるのは魔法だ。ステータス画面にはちゃんと魔法の項目があって、そこには有理が今までにスキルポイントを使って獲得した語魔法が刻まれていた。だからどうやら語魔法も使えるようだが、いま気になるのはそっちではなくて、第2世代やルナリアンの魔法の方だ。
ここが現実を模したゲーム世界だとしたら、そっちの方はどうなってるんだろうか? そう思ってクラスメートに試してもらったら、身体強化魔法も使えたし、授業で習った火球の魔法も使えるようだった。
「lourcqngpaui soirqzt poejaiwmnas!!」
相変わらず、地球人には何を言ってるのかさっぱり分からないのだが、優等生のマナが呪文を唱えたら、空に向かって大きな火球が飛んでいった。続けて、
「イル ファイロ!」
と唱えてみたら、やはり同じように、火の玉が空に飛んでいった。因みに、飛び出す火球は前者の方が大きかったが、詠唱のしやすさは後者の方が断然楽のようで、
「私はもう語を使うほうがいいわ。あっちで一ヶ月以上暮らして慣れてるし、ルナリアンの魔法は学校のテストくらいでしか使わないから、思い出すのも一苦労なのよね」
彼女も言う通り、普段使わないルナリアンの魔法は、他のクラスメートたちも一夜漬け的にしか覚えていなかったらしく、今ここで試そうとしても使えなくなっている者が殆どだった。
なので、新しいのを教えてくれと、語魔法の講義を頼まれたのだが、いかんせん、こっちはレベルを上げてスキルポイントを獲得しなければいけないのと、エスペラント語を覚えなければいけないという点では似たようなものだった。
そもそも、今はレベルを上げる手段もない。その旨を伝えると、里咲の友だちの川路という女子はよほど期待していたみたいで、がっかりした表情で、
「なんだ結局、努力が必要なのね。どうせゲームなんだから、もっと楽に使えてもいいのに。なんなら『巨神兵がドーン』ってくらい簡単に……」
彼女がそんな愚痴を口にした時だった。
突然、そう呟いた彼女の口元に、どこからともなく光が集まってきたかと思えば、本当にビームがビビビーっと飛んでいったのだ。
ビームが照射された地面が、急ブレーキを踏んだタイヤ痕みたいに黒ずんでいる。
あまりに唐突すぎる出来事に、その場にいた全員が固まっている中、やった本人も暫くの間放心したように目を丸くしていたが、
「巨神兵がドーン!」
彼女が再度、同じ言葉を口にしたら、同じようにビームが発射されて、今度は空の彼方へと吸い込まれていった。
ところが、それを見ていた他の者たちが真似をしてみても、魔法が発動することはなかった。おかしいと思って何度も試してみたが、まったく同じ発音をしているはずなのに、誰もうんともすんとも言わなかった。
逆に、川路の方は何度やっても同じ結果で、どうやらこの魔法は彼女だけが使える特別なものだということで納得するしかなくなった。
しかし、こんな現象、今まで見たこともなかったのに、一体何が起きているんだろうか? そんなことを考えていたら、一連の騒動を見ていた陳が焦れったそうに、
「とにかく、お前が言う通りここがゲームの中だってのは分かったよ。だが、それが分かったところで、どうすりゃいいんだ? どうやったら元に戻れるんだ?」
「それは……前回は確か、俺が作ったAIの暴走だったんだ。だからまた彼女を起こせば何か分かると思うんだけど……」
正直、本当にそれだけなのか、よく分からなかった。そもそも、今回は前回と違って、有理自身にゲームをしているという自覚がないのだ。
前回はゲームに取り込まれる前、自らの意思でヘルメット型コントローラーを被り、意識してゲームの世界にログインしたのだ。だが今回、有理たちはただ教室にいただけで、誰もヘルメット型コントローラーを被っていたり、ゲームをしようとしてなんかいなかった。マナに至っては廊下を走っていたら、いつの間にかこんなことになっていたらしい。
クラス全員、ゲームの中に閉じ込められるような理由は、どこにも無いのだ。なのに、どうしてみんなはここにいるのだろうか? このセピアの空の下に。
「正直、俺にもよく分からないんだけど、可能性があるとすれば、やはり研究室のサーバーが怪しいと思う。椋露地さんの目撃情報では、米軍があそこで何かやっていたらしいし、もしかすると、彼らが何かを残してるかも知れないから、とにかく異常がないか一度戻って調べてくるよ」
彼はみんなにそう言うと、また急いで学校へと戻ることにした。




