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Worlds Collide -異世界人技能実習生の桜子さんとバベルの塔-  作者: 水月一人
第五章:俺のクラスに夏休みはない
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そんなの絶対駄目

 ニューヨークを襲った怪物の正体を確かめるべく、有理と張偉がレイドボスに挑もうとした瞬間だった。突然、メリッサの警告を受けて、二人は強制ログアウトさせられた。


 とはいえ、そんな経験は初めてだった。ゲーム中、突如としてバチンとブレーカーが落ちるように真っ暗になったかと思ったら、次の瞬間、二人は強制的に現実に引き戻されていた。有理はヘルメットのバイザー越しにそれがすぐに分かったのだが、問題は、意識は現実に戻っても体はまだ戻っていないのか、何の感覚もないことだった。


 動け動けと命じても、体はピクリともしない。駆け寄ってきた桜子さんが体を揺すっているのだが、彼女の声も聞こえなければ、その感触もしない。冷や汗をかきながらそんな全身麻痺みたいな状態を十数秒くらい続けたところで、突如として感覚が戻ってきた二人は、まるで雷に打たれたかのように同時に飛び起きた。


「うわあっっ!!!」

「ちょっと、二人とも大丈夫!?」


 飛び起きた拍子に椅子から転げ落ちた有理は、桜子さんに背中を支えられながら体を起こした。額からどっと汗が滲んで、びしょ濡れになった全身がひやりとした。咄嗟に自分の両手のひらを見つめて、ようやく実感が戻ってきた有理は、たったいま転げ落ちた椅子に手をついて起き上がると、モニターに頭を突っ込むような勢いで、


「メリッサ! 何があった!」

『現在、当システムは物理的な攻撃を受けており、記憶領域の保持に支障を来しております』

「通信遮断は出来ないのか?」

『攻撃は当サーバーに向けて行われているのではありません』

「どういう意味だ?」

『現在、当システムの記憶領域が次々、物理的にシャットダウンされている状況です』

「記憶領域……記憶領域って、あ! つまり、そういうことなのか!?」

「いや、どういうことなのよ」


 有理が一人、驚愕に目を見開いていると、状況が何もわからない桜子さんが突っ込んでくる。彼はモニターを見つめたまま彼女の方は振り返らずに、キーボードをカチャカチャしながら、


「簡単に言えば……メリッサの知識ってのは、世界中のウェブサイトを網羅して得たものなんだよ。その情報量は膨大で、とても一つのサーバーに入りきるものじゃない。例えば、この研究所の全ての部屋をストレージにしたとしても、全ては収まりきらないはずだ。排熱の問題だってある。だから分散しなきゃならない」

「そ、そんなに? じゃあ、その記憶ってのはどこにあるのよ」

「世間にはフリーのストレージサービスってのがあるだろ。例えば、ポータルサイトのフリーメールとか、OS付属のオンラインドライブとか。一つ一つのサービスは多くて数ギガ程度の容量しかないけど、アカウントを複数作れば、理論上は無限に記憶容量を得ることが出来る。メリッサはそうやって世界中にあるフリーストレージを、一つの仮想ドライブに見立てて、記憶を保存しているんだ」

「あー……そう言えば、以前もメリッサの記憶は世界中に散らばってるとかなんとか言ってたわね。クラウド……だっけ?」

「そう。そしてそのフリーのストレージサービスってのは、困ったことに、殆どがアメリカ企業が運営してるんだよ。つまり、物理的にってのは、そのオンラインサービスのアカウントが次々消されてるってこと。これだけ手当たり次第ってことは、もう間違いない。今回の一連の事件の裏にはアメリカがいる。昨日のハッキング騒動は、この布石だったのかもな……」


 その事実に、その場にいる全員が黙りこくった。まさに見えない敵の正体を暴いてみたら、想像以上にやばい相手が出てきてフリーズしている、そんな気分だ。少なくとも、現時点でアメリカは世界最強の国家であるのは間違いない。その国家を相手に、ただの個人がどう立ち向かえばいいと言うのか。


 本当ならさっさと白旗を上げたいところであるが、相手が何を考えてこんな真似をしているのか、何を狙ってるのかも分からない現状では降参するもなにもない。


 カチャカチャと有理がキーボードを叩く音が響く研究室の中で、最初にフリーズから回復した張偉が尋ねてきた。


「それで……どうするつもりだ?」

「どうもこうも……メリッサの記憶をどこか別の場所に退避するくらいしか思いつかないよ」

「出来るのか? もう大半のデータが消えてるんじゃないか?」


 有理は首を振って、


「いや、いま消されてるのはアカウントだけで、データ自体はまだ残ってる。幸か不幸かウェブサービスだから、アカウントが無くてもデータにアクセスする抜け道はある。今はそれを利用して、圧縮したデータを他のサーバーに逃がしてるところだ」


 元々、有理がやってることはグレーな方法だったから、いつ規約違反でアカウントを消されても文句は言えなかった。だから最悪の場合を想定して、いつでもデータを逃がす準備は出来ていた。極論だが、サーバーなんていつダウンしてもおかしくない物なのだ。その度にメリッサまで止まってしまっては話にならないので、ある程度はデータが欠損しても立て直せる仕組みは用意していた。


 しかし、現在行われているアタックは、正直言って想定の範囲を超えていた。相手が只者じゃないことは、そのスピードからもはっきりしていた。


『データ欠損率が10%を超えました。セーフモードに移行します』

「くそっ!」


 メリッサのそんなアナウンスの後、有理がキーボードを叩く指が更に加速していった。セーフモードとは要するに、いつもの音声ガイダンスをやってる余裕がなくなったことを意味していた。現在のメリッサは、もうアプリからの問い合わせには答えず、自己保存に集中していて、命令はプロンプトでしか受け付けない状態になっていた。こうなっては、有理の作業効率もガタ落ちである。


 きっとこの場に里咲がいたら、アニメみたいとか言っている頃だろう。頭の片隅でそんなことを考えながら作業をして続けていると、また張偉が聞いてきた。


「何が起きた?」

「サーバーのいくつかが次々ダウンしている。多分、こっちがデータを逃がしてることに気づいたんだ。露骨だな……」

「どうするんだ?」

「おそらく、ダウンしてるのはアメリカにあるサーバーだけだろう。運営会社はアメリカでも、データセンター自体は世界各地にあるから、まだそっちは時間的余裕があるはずだ。本当に全部を止めてしまったら、向こうの損失も計り知れないだろうからな。これ以上は大統領でも言うことを聞かせるのは不可能だろうよ」


 大統領……自分で言っておきながら、あまりに非現実過ぎてすんなり頭に入ってこなかった。


 今、戦ってる相手は本当にあのアメリカ合衆国なのだろうか? だとしたら、彼らの狙いはなんなんだろうか?


 いや、そんなのはもう分かりきってるだろう。昨日のニューヨークの怪物騒動。そして有理が自衛隊と共同研究しようとしていた新魔法。これら両方に、あの仮想空間が関係しているのだ。


「物部さん……もし、このままデータを失ってしまったら、メリッサはどうなる?」


 張偉が恐る恐る尋ねてくる。対して有理は淡々と機械的に返す。


「実を言えばどうもならない」

「えっ?」

「生成AIってのは、ぶっちゃければ、学習したことをオウム返しに返す機械のことだ。メリッサはインターネット上にある、あらゆる情報を学習し、それっぽい答えを返しているに過ぎない。だから仮に今回データを失ったとしても、また一から学習し直せば、彼女はまた同じ挙動を繰り返すだろう」

「だったら……」


 有理は張偉の声を遮って、


「でも、それで取り戻せるのは、メリッサの基本的な部分だけだ。今の彼女の記憶はインターネットで学習したことだけじゃない。俺や桜子さんや張くん、アプリを使ってる世界中のみんなと対話したことも全部ひっくるめて、彼女なんだよ。感傷的に聞こえるかも知れないけど、もしもそれを失ってしまったら、もう彼女のことをメリッサとは呼べないんじゃないか」


 彼女を初めてサーバー上で走らせてから10年間、一度として途絶えたことがない記憶を失ったら、学習をやり直したところで、それは始まりではなく終わりを意味する。そんなのは……


「そんなの絶対駄目よ!」


 桜子さんが、まるで有理の言葉を代弁するかのように叫んだ。


「メリッサはあたしの友達よ。友達が記憶を失くすなんて、そんな悲しいこと……あたしには耐えられない! 友達には、いつまでもあたしのことを覚えていてほしいもの」


 そんな彼女の言葉が胸に響いた。その通りだ。今、ここで敵に屈してしまったら、それはただの敗北ではなく、メリッサの死を意味する。だから絶対に負けられない。張偉もそう思ったか、


「……俺にやれることはないか?」

「ある。金貸して」

「冗談を言ってる場合か??」

「冗談じゃないよ。こうなったら信じられるのは国内のレンタルサーバーだけだ。今、手当たり次第にアカウントを開設してるんだけど、支払いをする当てがない」

「本当に冗談じゃなかったのか……どうしてもと言うなら、なんとかするが」

「ユーリ。あたしからも、ちょっといい?」


 二人の会話に割り込んで、桜子さんが話しかけてきた。


「なに?」

「あたしの実家……国際宇宙港にあるサーバーは使えないかしら? ほら、前も言ったでしょ。来年の開港に向けて、いま一生懸命整備してるから、あそこにはいろんな物が新品で揃ってるのよ。確か、そのサーバー? だかなんだかもあるはずだけど……」


 有理は振り返ることなく頷いて、


「実は桜子さんの家は真っ先に当てにした」

「そうなの?」

「そしてメリッサの記憶を保存するに十分なストレージがあることも判明した」

「だったら!」

「でも、駄目なんだ。宇宙港は高度36000キロの彼方にあるだろう。その距離は、諸々込みで地球一周分もあって、とんでもなく遠い。それを有線で結んでるせいで、実は宇宙港への回線は物凄く狭いんだ。その狭い回線でメリッサの記憶を送ろうとすると、仮に全帯域を使えたとしても一週間はかかる。そんなことやってる間に消されちゃうよ」

「知らなかった。うちにそんな弱点があったなんて……行く行くは何百万人という人が訪れる予定の宇宙港が、そんな貧弱なんて大問題じゃない」


 桜子さんは思いもよらないところで見つかった実家の弱点を知ってショックを受けている。まあ、実際、宇宙港の回線は従業員たちが日常で使う分には、どこよりも快適であるのは間違いないだろうから、実感するのは難しかったのだろう。


 しかし……何百万人?


 有理はその単語が少し引っ掛かった。開港前の宇宙港にはまだ数千人の従業員しかいないだろうから、その問題に気づきにくいだろうが、しかし彼女がさっき触れたような、来年以降の来場者予想を立てている専門家が、その貧弱な回線が問題であることに気づかないものだろうか?


 このまま開港したら、近い内に回線はパンクするだろう。もし、宇宙で地上との交信が途絶えてしまったら、それは恐怖だ。パニックになった群衆が何をやるか分かったものじゃない。少なくとも、そうなったときの非常回線くらいは用意してなければおかしい……


 非常回線はおそらく無線になるだろう。その無線はまずどこと通信する? 軌道エレベーターは太平洋の上にあるから、直接地上と交信するのには適していない。おそらく、一旦どこかの衛星を経由してから大都市と通信するはずだ。その衛星とは……


「エッジワース」


 有理はキーボードを叩く手を止めると上を見上げた。その瞳は研究室の天井を見ているのではなく、その先にある宇宙を見つめていた。


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