Deeper Underground
学食は放課後になると、部活動の生徒たちのためのカフェテリアとして開放されていた。寮に帰ればご飯は用意されてあるのだが、それでも足りない体育会系たちに軽食も提供していた。魔法学校の生徒は基本外出禁止なので、そこは行く宛のない暇な者たちで割と賑わっていた。食堂の隅にはテレビが置いてあって、英語のニュースが流れていたが、ガヤガヤとする声にかき消されて、BGMにすらなっていなかった。
里咲たち三人は各々好きな飲物を調達してくると、端のほうに空いていた席に陣取った。川路はテーブルにベターっと寝そべるように上半身を横たえると、うえーっとおっさんみたいな声を漏らし、
「遊びに行ったつもりが、なんか気疲れしちゃったね」
「うん、なんか凄かった」
斜交いに座った里咲も同じようにテーブルに突っ伏すと、直ぐ目の前のおっさんに返事をかえした。1日中、クーラーに晒されていた天板が冷たくて心地良い。外気に温められた体温を徐々に奪っていく。そんなだらしない二人のことを、南条は頬杖をついて上から見下ろしながら、
「あなた達、布巾で拭いたからって、そんなところに顔押し付けては汚いですわよ。誰の唾液が飛んだか分からないじゃない」
「うへっ……意識しちゃうからそんなこと言うなよー。南条だって暫く手洗わないつもりでいるんだろ」
「わ、私はそんなことしませんわ!」
南条は自分の右手を掴んでくねらせている。張偉に握られたところだが、そう言えばいつも清潔な彼女が、今日はおしぼりを取ってきていない。
興味深い……と里咲がジロジロ見ていると、彼女は話題を変えるように、
「そ、それにしても……物部って教室外では随分印象が違うんですのね。大人相手に物怖じせずにハキハキ喋ってて、少しびっくりしてしまいましたわ」
「だねー、いつもオドオドしてるのに。あそこじゃ張くんの方が子供みたいだった」
「そ、そんなことないでしょ? 彼だって凄かったじゃないの」
「そうだった? 例えばどのへんが?」
不服そうに不満を漏らす南条のことを、川路がニヤニヤしながら誂っている。里咲はそんな二人のやり取りを疑問に思って、
「え? 物部さんって、いつもあんな感じじゃないの? なんていうか……淡々として、何があっても動じなくて、大人っぽい印象だったけど」
「はあ? 全然そんなことないよ。クラスの中じゃジメジメしてて、たまに先生に当てられるとボソボソ喋って、暗い奴だなあーって思ってた」
「そうですわね、あの人、入学したての頃は東大生東大生っていちいち癇に障ること言ったりして、周囲からかなり浮いてましたわね」
「うんうん、感じ悪かった。あの頃は関に虐められてて、いい気味だってみんな思ってたよね」
「ええ! 関さんに!?」
逆じゃないのか?? と疑問に思いもしたが、でも男子の序列は大きさで決まるらしいから、案外ホントなのかも知れない。すると二人の友情は、拳で語り合った後に芽生えたのだろうか……などと里咲が見当違いの妄想をしていると、
「そういや里咲って関とも知り合いだったんだっけ。もしかして、物部とも?」
「うん」
「やっぱそっか。さっき、なんか妙に親しげだなって思ってたんだ……でも、あの人とどこで知り合ったわけ? 張くんも関も。確かにあの三人、一緒にいるところよく見かけるけど、以前は絡んですら居なかったよね。なんなら敵対してたし、虐められてたし」
「そうですわね。三人に共通点なんてありませんわね」
二人は不思議そうにじっとこちらを見つめている。
「えーっと……」
しかし、里咲に隠すつもりはないのだが、なんと説明していいのかも分からず黙るしかなかった。ある日突然、何者かに殺されたと思ったら、有理と体が入れ替わってて、他の二人とはその時に知り合ったなんて話を、誰が信じてくれるだろうか。
それに、さっき自衛官も言葉を濁していたが……もしもあの晩の襲撃にアメリカが関与しているなら、そんな話を彼女らに聞かせるわけにはいかなかった。自分は何か巨大な陰謀に巻き込まれていた可能性がある。第三学生寮に匿われていたことも軍事機密なのだ。
そうやって里咲が黙りこくっていると、さっきの意趣返しだろうか南条がいかにも意味ありげに、
「あらあ? 口ごもるなんて、よほど言えないことでもあるのかしら? もしかしてあなた、物部のことが好きだったりとか?」
「あー、それあたしも思った。里咲と物部って、随分距離近かったよね。今も、やけにあいつのこと知りたがってたし、あんた、あいつに興味あるの?」
「ある」
気もそぞろに別のことを考えていた里咲は、突然そんなことを言われて反射的に答えていた。
物部有理に興味があるかって? そんなの、もちろん、大いにある。
「あの人が何を考えているのか。物事をどんな風に捕らえているのか。日々をどう過ごして来たのか。どんな家庭で育ったのか。いつも何に気を配っているのか。好きな食べ物は? 嫌いな食べ物は? 彼女はいるのか。いないのか。もしくはいたのか。どんな女性が好みなのか。男性は? 何が好きなのか、何が許せないのか。座右の銘は。休日の楽しみは? 人生で一番感動した瞬間は?」
どうすれば彼みたいな演技が出来るのか?
それがあの水曜日、自分ではない町野アンナを見せつけられて痛烈に感じたことだった。
頭を鈍器で横からズガンと殴られたような衝撃だった。視聴に付き合わされた生徒会長がこそこそと帰っていった後も、ずっと一晩中、繰り返し繰り返し、徹夜で同じ動画を見続けた。でも分からなかった。彼の演技は一見すると上手くはないのだが、妙に実体感を伴っていて生々しく見えるのだ。一言一言に質量を感じ、見るものの心をくすぐってきては、そして掴んで離さないのだ。そして気がつけば物語に引き込まれている自分がいる。
これはどういうことなんだろう? 考えに考えて、ようやく気付いた。それは自分の理想にすごく近かったのだ。だから翌日、すぐ彼に会いに行ったのだ。彼は何者なのか? あれをどうやって演じたのだろうか? でも未だにそれは分からなかった。自分には、何が足りないのか……
「そ、そう。そうなの……私、勘違いしていましたわ。鴻ノ目さん、あなたはとっても勇気のある人なのね」
里咲が自分の世界に没頭していると、何かを勝手に悟った南条が、突然そんなことを言いながらギュッと手を握りしめてきた。
「え? なに?」
「私もあなたみたいに素直になれたら……どうしても彼の前に出ると恥ずかしくなっちゃうんですわ……鴻ノ目さん。私たち、お友達になりましょう。私、断然あなたの恋を応援しますわ」
「はぁ……はあ?」
と、そんな時だった。
なんか知らないが勝手に感動している南条に曖昧な返事をしていると、急に、周囲がざわつき始めた。
カフェには暇にかまけて集まってきた学生のグループが多数見受けられたが、その殆ど全てから、興奮したような驚きの声が上がっている。どうしたんだろう? とその視線の先を追えば、つけっぱなしのテレビの中に何か見慣れぬ光景が映し出されていた。
世界でも有数の観光地ニューヨークの町並みは早朝の薄闇の中に沈んでいたが、こんな時間帯にも関わらず大通りには無数の車が走っており、歩道にもまだ多数の人影が見えていた。そんな薄暗い街のど真ん中に、目の覚めるような光を放つ謎の物体が映っており、それは点滅を繰り返しながら、徐々にこちらに近づいてきているようだった。
どこかの会社のド派手なネオンサインか? と思いきやそうでもなく、よく見れば生き物のようにも見える。そんな物体が、突然、カメラに向かって猛突進したかと思いきや、翼を広げてバッサバッサと空に舞い上がり始めたのだ。
そして全貌を露わにしたその巨体は、日本でもお馴染みの生き物だった。いや、お馴染みと言っても現実のものではなく、そのトカゲの体に翼が生えたような姿は、明らかにドラゴンだった。RPGなんかで強敵として出現する、想像上の生き物だったのである。
そんなものが、いまテレビの中で、何故かニューヨークのタイムズスクエアの上を飛び回っていたのだ。
突然の怪物の襲撃に驚いた車列があちこちで乱れ、衝突事故を繰り返している。歩道を歩いていた観光客たちは恐怖におののき逃げ惑っている。そしてその一部始終を映し出していたカメラも間もなく群衆に飲まれ、転倒して空を映し出したのを最後にプッツリと途絶えた。
それから数秒ほどしてカメラが切り替わって、深刻そうな顔でニュースを読み上げるキャスターの顔が映し出され、英語だから何を言っているのか分からなかったが、背景のクロマキーにさっきの映像が流れ、取り乱したゲストコメンテーターが何かをまくし立てている。
流石にこんな光景が現実のものとは思えなかったから、最初は映画の宣伝かなにかだろうと思っていたのだが……それも5分10分と続くと信じないわけにはいかなくなった。
「なにあれ……CGじゃないの?」
繰り返し映し出される映像を見ながら、川路がぼそっと呟いた。南条は驚きのあまり食い入るように画面を見つめている。カフェのあちこちではどよめきが起こり、中には興奮して大声で喚くように語る者もいた。
誰も彼もが信じられない光景を前に騒然とする中で、しかし、里咲一人だけはその映像を別の意味で捕らえていた。
彼女もその映像を見て驚いていたのは確かだった。しかし、その驚きの質が違ったのだ。
みんなが見たことのない光景に驚いているのに対し、彼女は逆に、その光景に既視感を覚えていた。彼女は、そのドラゴンに見覚えがあった。つい昨日のことだから、見間違えようもない。昨日、有理の研究室を訪れた時、あのゲームに新実装されたレイドボスを三人で攻略しようとしたが、その時のボスこそが、いま現実のニューヨークで人々を襲っているドラゴンだったのだ。
ゼフィルナと呼ばれるドラゴンは、開発者の設定ミスか、簡単にクリアされたら悔しいからか、三人が束になっても全然敵わず、終いにはゾンビアタックを繰り返して、夢中になって挑み続けたのでよく覚えていた。今日も何事も無ければその続きをするつもりだったが……そのボスが現実に飛び出して来たなんて、
「なんで?」
里咲はテレビ画面を見ながら、呆然とするしかなかった。




