なんというか、しゃらくさいです
3時のおやつ休憩になったので、桜子さんはいつもみたいに寮に帰って、アイス片手にワイドショーを見て過ごしていた。1時間ほどのんびりしてエネルギーを充填し、いざ仕上げだと現場に戻ったところで、有理から呼び出しが掛かった。至急、研究室まで来て欲しいとのことである。
就業時間まではあとちょっとなのだし、どうせ同じ部屋に帰るのだから、後にしてくれないかと頼んだのだが、どうしても今すぐ来て欲しいらしい。こっちの事情も知ってるのだから、気持ちを汲んでくれとプリプリしながら研究所に行ったら、何故か自衛隊の車両が何台も停まっていて困惑した。
こんなの聞いてないぞと横目にしながらエントランスに入ると、有理の研究室には大勢の研究者たちが詰めかけていて、よく見ればそこに自衛隊員の姿もちらほら見える。ついでに、学校の女生徒までが混じってて、なんで土方の姉ちゃんが呼び出されたんだろう? といった奇異の視線を受け流しながら、部屋の中央に陣取る有理のところまで馳せ参じると、彼はよく来てくれたといった感じにパタパタと手を振って、手元のタブレットで何かを確認しながら、
「やあ、桜子さん。ちょっと聞きたいんだけどね。この間、国連の会合に出席した時に、メリッサの宣伝してきてくれたじゃない?」
「うん……それが?」
喋っている有理はいつも通りなのだが、彼を取り巻く周りの空気が物々しい。一体、何があったんだろうと不安に思っていると、彼は続けて、
「その時、友達にメリッサのアプリを配ったと思うんだけど、今から読み上げる中にいないか確かめてくれないかな。覚えてる限りでいい」
「わかったわ」
「えーと、それじゃあまずはイギリス国連大使、同教育開発局局長、フランス人権保護連合会会長、同自由会議議長、顧問研究員、ドイツ……」
有理が読み上げるたびに、背後のモニターに顔写真が映し出された。流石に全員の肩書までは覚えていなかったが、顔は覚えていたので、一人ひとり確認していく。
「……これで全部だけど、どうかな?」
「うん、今の人たちとは休憩時間に一緒にいた記憶があるから、大体みんな配ったと思うよ。直接じゃなくても、あたしがあげた人からまた間接的にインストールしたんじゃないかな」
「やっぱそうか。ありがとう」
「それが何か? ……あたし、なにかマズイことでもしちゃったかな?」
桜子さんが恐る恐る尋ねると、有理はまた淡々とした口調で、
「実はさっきまでこの研究室がハッキングを受けててね。その攻撃元を辿ってみたら、いま挙げた人たちのオフィスだったんだよ」
桜子さんは大慌てで手をぶんぶん振って、
「えぇっ!? そんなはずないよ! みんな人権問題で国際会議に呼ばれるような人格者たちよ? 性格的にも穏やかだし、ルナリアンを敵視する人だって一人もいないし……」
「もちろん、彼らのことを疑ってるわけじゃないよ。これ全部が悪意ある攻撃者だったら、逆に怖いでしょ。彼らは寧ろ被害者と思った方がいい……それより、桜子さん。ちょっとスマホ貸してくれない? あんたにあげたアプリを調べたいから」
「別にいいけど……」
有理は彼女が差し出したスマホを受け取ると、ケーブルを差してサーバーに繋いだ。
「メリッサ、オリジナルとコンペアして」
『了解しました……終了。一致率70.38%、アプリケーションに書き加えられた形跡があります』
「差分を取って、解析、リバースエンジニアリング」
『……終了。結果をモニターに出力します』
彼女が宣言するなり、モニターの中に黒地のウィンドウがいくつもいくつもパッと開いて、そこにいかにもプログラムっぽい、見る人が見ればアセンブリ言語だと分かる文字列が流れた。その瞬間、室内にどよめきが起こったが……
見たところで、それが何をするものかなんて分かるはずもなく、みんな一斉にモニターの前の有理を見た。彼は暫くの間ぼんやり画面の文字列を追っていたが、そのうち周囲の注目を浴びていることに気づくと、
「いや、分かるわけないでしょ。メリッサ! 簡単にこいつが何をしてるか教えてくれないか」
『はい……このウィルスは私の命令に偽装して、サーバー情報を外部に送信するように出来ています』
「どこに送ってるかは分かる?」
『わかりません。時間を掛ければ特定できるものでもありません。アドレスを次々と変えており……見たことのない手順です。なんというか、しゃらくさいです』
「あ、そう」
AIが使うような言葉じゃない。多分、桜子さんの影響なんだろうなと苦笑いしていると、それを横で聞いていた彼女が本当に申し訳無さそうな表情で、
「ごめん、有理……あたしのせいでとんでもないことになっちゃったみたいね。どこでウィルスを貰ってきたんだろう。アプリを配ったみんなにも謝らないと……」
「いや、それはない。桜子さんのせいじゃないから謝らないでいいよ」
その言葉が信じられなくて、桜子さんは有理の目を覗き込んだが、しかし彼は気休めや慰めで言ってるわけじゃなく、どうやら本気のようだった。
「今のスマホは簡単にウィルス感染しないよう、アプリが単独で動くように出来てるんだよ。だからウィルスに感染させたいならOSそのものを狙わなきゃならなくて、アプリレベルではいくらやっても無意味なんだ。それでも感染させようとするなら、物理的にスマホを手に入れて、有線で直接ぶちこまなければならない」
「えっと……つまり、どういうこと?」
「桜子さんがうっかりウィルスを拾ってきたんじゃなくて、誰かに仕込まれたってこと。どこかで誰かにスマホを預けた記憶があるんじゃないか? 例えば……国際会議の最中に携帯が鳴るといけないから、会場のクロークに渡したとか」
桜子さんはそれを聞いて、いま思い出したと言わんばかりにハッと息を呑んで、
「……うん、ユーリの言う通りだわ! 確か会場に入る際の手続きだからって、スマホを預けた覚えがある。すぐ返してもらえたから、気にもしていなかったけど……じゃあ、これにウィルスを仕掛けたのって……アメリカ?」
彼女は自分のスマホを呆然と見つめながら、
「とても信じられないわ。だって我が国はアメリカと友好関係にあるのよ? その代表で行ってるあたしのスマホにウィルスを仕込むなんて……」
「いや、殿下、十分にあり得ますよ」
桜子さんがショックを受けていると、二人の会話を横で聞いていた自衛官が声を掛けてきた。
「あの国はテロでひどい目にあってから、通信傍受に関する強力な法律が存在するんです。一度それで同盟国の通話を盗聴していたのが発覚したことがあって、大問題になったんですが、結局、なし崩しされてしまいました。それ以来、我が国を含む友好国は、あちらでは盗聴されてるのが当たり前と思って付き合うようになったんですがね」
「嘘でしょう? なんでそんな不公平な真似を許してるわけ?」
「それでも構わないというような友好関係があったんですよ。しかし、今の大統領はアレですからね」
自衛官がそう言った瞬間、研究室内には微妙な沈黙が流れた。桜子さんも彼の言ってるアレを思い出したのか、困ったように眉根を寄せていた。
そんな大人たちがフリーズしている中で、有理だけが何事もなかったかのごとく、一人カチャカチャとキーボードを叩いていた。彼は暫く画面とにらめっこしながら何かを終えると、
「桜子さん。取り敢えず、現バージョンからの通信は全部遮断するようにしたから、お友達には修正アップデートが必要って伝えてくれる? それから、自衛官……これで不正アクセスは止まると思います。向こうが代替手段を用意してなければの話ですけど」
有理が椅子をくるりと回転させて告げると、自衛官は体の動かし方を思い出したかのようにハッとして、
「もしかすると、他にもやられてるかも知れないな。物部君、対策会議をするから、君も出席してくれないか」
「ええ、よろこんで」
「後は……」
自衛官はその場にいる人々をぐるりと見渡すと、開け放したドアの外に立っていた女子学生二人に目を留め、
「……ところで彼女らは? 君の協力者か何か?」
「いえ、学校のクラスメートですけど」
そう言えば、なんで特に交友もない女子がこんなところにいるんだろうか? と有理が首を傾げていると、たった今まで話していた内容が内容だけに、一般人に聞かれてしまったことを後悔したのか、自衛官が渋い表情を見せた。
室内の大人たちが一斉に彼女らを見つめると、その重苦しい雰囲気に圧倒された二人はビクッと肩を震わせた。自分たちが場違いであることは分かっていたが、体が震えて身動きが取れなかった。すると、張偉がスッと寄ってきて、そんな二人を大人たちの視線から守るように立ちふさがると、
「すまない。俺が連れてきてしまったんだ。二人とも、部活見学はまた今度にしてくれないか?」
彼は有無を言わさず二人の腕を引いて外へと連れ出していった。そんな彼らが去ったあと、今度は床の方からゴソゴソと何かが動く気配がして、机の下から里咲がひょっこり出てきて、お辞儀してから慌ただしく研究室を出ていった。
研究所のエントランスの自動ドアが開くと、ムワッとした外気が肌を包むように襲ってきた。普段ならその不快感に顔を顰めるところだが、今はその暖かさが心地よかった。二人がまるで高原の空気を吸うかのごとく深呼吸をしていると、ここまで連れてきてくれた張偉が申し訳なさそうに、
「二人とも、怖い思いをさせてすまなかった。研究室が、こう、立て込んでいるとは知らなかったんだ」
「ううん、張くんのせいじゃないよ。あたしらも気を利かせて、さっさと退場してれば良かったんだ。こっちこそゴメン」
「そう言ってくれると助かる……今日はこんなことになってしまったが、必ず埋め合わせはするから」
彼はそう言うと、すぐまた忙しそうに来た道を戻っていった。丁度、入口のところで里咲とすれ違い、彼らは軽く会釈してから通り過ぎると、彼女は研究所の前に佇む川路のもとへと駆け寄ってきた。
「なんか、凄いことになってたね」
「うん……」
「時間、空いたし、どうしようか?」
「お茶する?」
「そうしよっか?」
上の空の二人は言葉少なに、どちらともなく歩き始めた。
「……張くんと手繋いじゃった」
そんな二人の後ろを、一人幸せそうな顔の南条がくっついていった。




