何しに来たんだろうね?
有理と里咲の二人が、どちらがよりマッドであるかポーズを決めていると、いつの間にか研究室に来ていた張偉が見ていた。彼は無表情のまま部屋の中まで入ってくると、何事もなかったように自分の席に座ってモニターを起動した。
「仲良いところ邪魔して悪いが、いいか?」
「あ、はい……」
二人はシュンとしながら彼のところへ、とぼとぼやって来た。
「物部さんが留守の間に、天穹の開発チームから連絡があって、あんたが依頼していた仕様変更と、それから新機能の追加を伝えてきたんだ」
「あ、ほんと? 助かるけど……新機能ってのは? そっちは聞いてない」
「ああ、こっちは色々あって後回しになっていたが、前々から実装予定だったレイドボスのことだ。遅れていた3Dモデルがようやく完成したらしい。新フィールドに出現するから是非挑戦して感想を聞かせてほしいそうだ」
「あ、そうなんだ。なんか悪いね、こっちの都合で振り回しちゃって」
「天穹って、あの有名なゲーム会社のことですか?」
二人の会話についていけてない里咲が尋ねてくる。有理は頷いて、
「そう言えば、高尾さんは知らないんだっけ。今、この研究所が忙しくしてる原因でもある、あの現象に気づいたのは、張くんが持ってきた開発中のゲームが切っ掛けだったんだよ」
「あのゲームって、物部さんが作ったものじゃないんですか?」
「そう。開発チームはアメリカにいるの」
そのアメリカが今、なにやらきな臭い動きをしているから、本当なら開発チームとも縁を切って、自分だけで完結したいところなのだが……今のところ、ゲームのスキルを外に持ち出せるという現象が起きているのは、脳波コントローラーが原因なのか、それともあのゲームなのか、メリッサなのかが分かっていないので、切るに切れないのだ。有理の予想では、メリッサだろうとは思っているのだが……
因みに、そのメリッサというは『今のメリッサ』ではなく、あの『偽メリッサ』のことなのだが、その彼女が消えてしまった現在、もう仮想空間にはログインが出来なくなっているんじゃないかと思っていた。ところが、屋上で彼女が消えた後、また研究室で試したところ、今のメリッサでも問題なく仮想空間にログイン出来たのだ。
そして相変わらず、ゲームの中でしか使えないはずの語魔法が現実でも使えた。これはまったく予想外の出来事であり、もう、一人では対処しきれないと思った彼は、自衛隊に情報公開して協力を要請したというわけだ。
「それでまあ、自衛隊が興味あるのは仮想空間に入れることよりも、新魔法を外に持ち出せることだから、その魔法周りの仕様をちょっと見直してほしいって、開発チームに要望を出してたんだよ」
「そうなんですか。でも魔法って、ただ呪文を唱えるだけですよね? あれをどう変えようっていうんですか?」
「それはだね……高尾さんは知ってると思うけど、あのゲームを開始するとすぐチュートリアルで4つの属性から一つを覚えろって言われるんだよね。ファイロ、アクウォ、グルンド、ヴェント。火・水・土・風のお馴染みの四元素だけど、これって発音からして、いかにも元ネタの言語がありそうな気がしない? それで聞いてみたら、エスペラント語をそのまま使ってたんだって」
「エスペラント語?」
「うん。国際交流を目的として、学習のしやすさを重視して作られた人工言語のこと。まあ、日本人の俺たちからすれば、寝言は寝て言えって感じなんだけど、英語圏の人は本当に覚えやすいそうだから、よく第二言語としても使われてるらしいよ」
「はあ……」
里咲はまったく興味なさそうだ。有理はゴホンと咳払いして、
「それで、元ネタは分かったけど、このエスペラント語、今現在は限られた単語しか採用されていないんだ。それも殆ど名詞と動詞だけ。ゲームの仕様上、あまり複雑にしても表現しきれないからそうしたんだろうけど……でも今後、魔法を開発するに当たっては、そんな制限は邪魔でしかないでしょう? だから、もっと多くの単語を採用できるように、仕様変更してもらったんだよ」
「仕様変更……あ、新ジョブとか周年アップデートみたいな感じですか?」
「まあ、そんな感じかな。具体的には、今までは予め開発陣が用意していた、特定の単語の組み合わせでしか魔法は発動しなかったんだけど、ルールを変えて、取り敢えずどんな組み合わせでも、何かしらの効果が発動するように変えてもらったんだ。それによって表現の幅が広がり、形容詞や副詞にも意味を持たせられるようになったのさ」
「えーっと……はい、先生! わかりません」
「まあ、やってみるのが一番かな」
有理はそう言うと、サーバーラックに引っ掛けるように置いてあった、ヘルメット型コントローラーを彼女に渡した。気が早い張偉はもうヘルメットを被り、リクライニングシートを倒している。
その後、多少のまごつきはあったものの、三人はゲームにログインした。一瞬の気が遠くなるような感覚の後、徐々に頭が冴えてくると、里咲は自分が森の中にいることに気がついた。
なんとなくだが、前回ログアウトした時とどこか感覚が違うような? と思ったのだが、それもそのはず、あの時は物部有理としてログインしていたから、本当に視界が変わっているのだ。
自分の体では初経験だと気づき、ゲーマーらしく自分のステータスの確認をしていると、後の二人が近づいてきた。
「ちょっと間隔があいたから覚えてるかな? 前回と魔法のステータス欄が変わってると思うんだけど……」
有理に言われて確認すると、確かに何かが変わったような気がする。でもはっきりとは分からず黙っていると、彼は続けて、
「見た目そこまで変わったわけじゃないから、わからないかも知れないけど……はっきり違いが分かるのは、ヘルプの語一覧がなくなってるところかな」
「え? ヘルプが無いんじゃ、何も覚えられないじゃないですか」
「いや、そうでもないんだ。今はもうエスペランド語であれば、なんでも習得可能になってるから、だからゲームを始める前に、予めどんな魔法を覚えたいか決めておくか、もしくはオンラインでAIにサポートしてもらえばいい」
「はあ……」
「例えば……メリッサ! 今、巨大な岩が行く手を塞いで困ってるんだ。火であれを溶かすにはどうすればいい?」
有理が突然そんなセリフを投げると、どこからともなく声が聞こえてきて、
『それでしたら、『ファンディ ロコ ペル ファイロ』で可能です。岩を意味するロコ、溶かすを意味するファンディ、withを意味するペル、火を意味するファイロ、の組み合わせです。ですが、ただ岩をどかしたいのであれば、岩を意味するロコと、より一般的な動詞、投げるを意味するジェーティ、の二語を用いて、その辺の岩をぶつける方法もあります』
「はあ~……すごいですね」
里咲は感嘆の息を漏らした。自分の声が聞こえてくるのは気になるが、これなら今までよりずっと便利だ。
「戦闘中、どの魔法を使えばいいか迷っても、AIが支援してくれる。どういう状況で、どの組み合わせが有効かは、これから学習が必要なんだけどね。そのための準備を、今研究所はしてるってわけ」
「なるほど」
「語魔法を拡張したことで、より詳細な命令も可能になったんだ。例えば、俺達は今まで基本的なファイヤーボール魔法として、イル、ファイロ、という二語を組み合わせていたけど、この内goを意味するイルは他の属性にも使えるよね。イル、アクウォ、とすれば水が飛んでくし、イル、ヴェントとすれば風が吹く」
「あ、はい。生徒会長さんも、たくさんイルって使ってましたね」
「そうだね。今まではイル、ファイロといえば、誰でも同じ大きさの炎が狙ったところに飛んでくだけだった。せいぜい、bigを表すグランダを組み合わせれば、その大きさが変わるくらいで。それが今度からはもっと細かな指示ができる。例えば、眼の前にあるあの木に向かってイル、ヴェントって唱えると……」
有理が指をさして語を唱えると、風が吹いて木の葉がざわめいた。
「ここに新たにsharpを意味するアクラを加えると……イル、アクラ、ヴェント!」
続いて彼がそう唱えるや否や、眼の前の木に何かがぶつかるような音がして、数本の枝が地面に落ちた。その切り口は、ナイフで切られたように鋭かった。
「カマイタチだ!」
「そう。今まで、俺達は基本的な語だけを重ねたり組み合わせたりして、新たな効果を生み出してきたんだけど、今度からは今みたいな感じで、簡単に魔法にアクセントを付けられるってわけ」
「はへ~……なるほどー。でも、これだけの拡張ってなると、大変だったんじゃありません? 全てのエスペランド語が使えるって簡単に言うけど、それって千や二千じゃすまなくないですか?」
里咲が疑問を投げかけると、有理はそんなことないと首を振って、
「いや、そうでもないんだ。エスペラント語は習得のしやすさを第一に考えてるから、語幹はたったの120、音素も14と、他言語と比べれば随分シンプルなんだ。今のAIなら網羅するのは造作もない。だからあとは、この言語群をどうゲームに落とし込むか、デザインの問題だけど……
現実の世界と同じように、この仮想世界も空間を半分、また半分って切り分けていくと、いつか最小単位のグリッドに切り分けられる。この仮想世界のグリッドの格子一つ一つをセルと呼び、そのセルはもともと四元素をパラメータとして持っているんだけど、語魔法にはこのグリッドにベクトルを与えて、隣接するセルに元素情報を伝えるという効果があるわけ。
今まではこんな風にして魔法を表現していたわけだけど、今回、新たに加わった副詞はベクトルの要素を、形容詞はグリッドのプロパティを書き換えることが可能で、これらの数値を動的に変更することによって、より多くの魔法表現が可能になるんだけど……」
「物部さん、ストップ。聴衆がついてこれてないぞ」
張偉の制止の言葉に、我に返って里咲を見れば、いかにもちんぷんかんぷんと言った感じで目を回していた。張偉はポカンとしている有理に向かって苦笑しながら、
「技術的な話はここまでにして、新実装したレイドボスを見に行かないか? 新要素は頭で考えるよりも、慣れてしまった方が早い」
「それもそうだな。高尾さんも行く?」
「あ、はい」
誘いの言葉に、ようやく里咲が正気を取り戻すと、三人は改めてパーティーを組んで、村までクエストを受けに行くことにした。
***
「普通に死ぬわ」
新要素は冒険者ギルドの限定クエストで、依頼を受けるとインスタント空間……いわゆるボス部屋に飛ばされるという形式で始まった。本当ならオープンワールドでシームレスに戦闘が始まるようにしたいそうだが、まだマップが出来上がっていないから、応急措置的にそうしているらしい。
それはともかく、初めてのボス戦とは言え、有理も張偉もこのゲームにはもう大分慣れていたし、他にベータテスターが居ない現状、自分たちがサーバーで最強のプレイヤーであると自負していたので、初見でもそれなりにやれるつもりでいた。
ところが、いざ始まってみれば手も足も出ず、あっという間に返り討ちにされてしまった。ゼフィルナという名のドラゴンはとにかく大きくて、速くて、強くて、おまけに空まで飛ぶ始末で、相手の攻撃は全て致命打なのに、こちらの攻撃は効いている気がしないのだ。唯一、防御特化の里咲だけが生き残ったが、逆に彼女は防御特化だからこそ攻撃手段が少なくて、一人ではどうすることも出来なかった。
ヤケクソになった有理と張偉がゾンビアタックを繰り返すも、結局、ボスに有効打を与えることすら出来ず、三人は這這の体で逃げ帰ってくるのがやっとであった。
「強すぎだろ、あんなの」「攻撃が効いてる気がしない」「効いても空飛んで回復されちゃなあ」「有効属性もないみたいだ」「遠距離攻撃が必要だな。生徒会長を連れてこないと」「でも付き合ってくれるかな?」「とにかく手数が足りないよ」
ボスに追い返された三人はログアウトすると、攻略のために喧々諤々議論を交わしていたが、そうこうしていると、いつの間にか結構な時間が経過していたみたいで、外から鐘の音が聞こえてきた。
時計を見れば18時を指しており、どうやら学校の終了チャイムのようである。里咲はそれに気づくと、
「あ、私そろそろ帰らないと。友達と夕食の約束してて……」
「そっか。おつかれ」
「はい、お疲れ様でした、物部さん。張くんも、また明日」
「ああ」
里咲はスカートをひらひら靡かせながら帰っていった。ぱたんとドアが閉じると残り香が舞う。どうでもいいが、有理のことはさん付けなのに、張偉は君付けと距離が近いのはどうしてなのだろうか。なんとなく不満に思っていると、その張偉が、
「ところで高尾さん、何の用事で来てたんだ?」
「え?」
そう言われて思い出した。そう言えば、午後いきなり寮にやって来たと思ったら、特にこれといった用も告げずに、だらだら時間を過ごした挙げ句そのまま帰ってしまった。まあ、急ぎの用なら、またすぐ言いにきそうであるが、
「何しに来たんだろうね?」
有理は首を捻ってほんのちょっとだけ考えてみたが何も思い浮かばず、すぐ諦めて、取り敢えず今日の徹夜の腹ごしらえをしに、自分たちも寮へ戻った。




