先んずれば人を制す
遡ること数時間前、放課後の教室で張偉はHRが始まるのを待っていた。授業後の気だるい空気の中で、みんな思い思いに過ごしている。ガヤガヤとうるさい教室の後ろの方では、今日転校してきたばかりの鴻ノ目里咲が、早速出来たばかりの友達と何やらワイワイやっていた。
見た目儚い感じがして、引っ込み思案でボソボソと喋るから、友達を作るのにも苦戦するだろうと心配していたが、どうやら杞憂だったらしい。転校したての彼女は気がつけばあっという間にクラスに溶け込み、もはや数年を共にした仲間みたいに振る舞っていた。
そう言えば、ラジオでも彼女はこんな感じだったかも知れない。あっちは商売だから、聞き取りやすい口調でハキハキ喋るから印象はだいぶ違うのだが、言ってることとやってることの根っこは同じような気がする。
彼女の姿を遠巻きに見ながら、そんなことを考えていると、担任の鈴木が教室に入ってきた。彼は一枚のペーパーをひらひらさせながら教室の中を交互に見回すと、確認するように数人の生徒の名前を呼んだ。
「張偉、関、金沢、笠松……」
約10名ほどの名前が次々と呼ばれて、教室の中が静まり返る。
「今呼んだものは、HRが終わったら先生について来るように」
さて、何かしただろうか? 身に覚えがない呼び出しに首をひねっていると、同じく呼ばれる謂れがない関が潔白を主張するかのように、
「ちょちょちょ、ちょっと待ってよ、先生。俺なにかした覚えないんだけど?」
「ああ、もちろんだ。だから落ち着け。別に罰を与えようとしてるわけじゃない」
「そうなの?」
「詳しいことは行った先で説明があるから、そっちで聞いてくれ」
どういうことだろうか? 取り敢えず、不当な呼び出しでないことは分かったが、そのことが気になって後のことは何も頭に入ってこなかった。
HRが終わると呼び出しを食らった者たちは廊下に整列させられ、担任の鈴木に先導されてゾロゾロと歩いた。廊下を練り歩くヤンキー集団を、他のクラスの生徒達が好奇心に満ちた目でジロジロと見てくる。
そんな見物人に、見世物じゃねえんだぞとガンを飛ばしつつ、嫌々あとをついていけば、やがて体育館へ辿り着いた。重い防火扉を開けて中に入ると、ステージの前にホワイトボードが置かれていて、数人の研究者っぽい人影が忙しなく動いているのが見えた。
なんだあれ? と警戒しながら更に近づいていくと、研究者以外にも自衛官の制服を来た人物がいて、そして何故か物部有理の姿があることに気づいて張偉は戸惑った。同じ学生のはずの彼がどうしてあちら側にいるのだろうか?
用意されていたパイプ椅子に座ると、他の連中も同じ疑問を抱いていたらしく、ヒソヒソと噂話が聞こえていた。有理はそんな声を無視してホワイトボードの前に立つと、他にも大勢の大人たちがいるにも関わらず、彼がプロジェクターを操作してボードに何かのスライドを映した。
そこには張偉たちの名前と、何かの数字が並んでいた。縦の欄の上の方を見ると日付が書かれていたので、どうやら何かの数値が変動しているのを示しているようだった。
これはなんの数字だろうか? 関が堪らず有理に向かって声を掛けた。
「おい、パイセン、なんなのこれ? いきなり呼び出されたと思ったら、なんか大勢に囲まれるし、あんたは居るし。つーか、呼び出されたの俺達だけ? なんで?」
「今説明するからちょっと待てよ」
有理はそう言うと、おほんと咳払いをして、背後に居並ぶお歴々に確認するように会釈をしてから、
「えー、今日、君たちを呼んだのは他でもない。ある試験で、君たちの数値に変動が見られたからだ。まず、眼の前に映し出されたスライドを見てくれ。これは先日、校内で一斉に行った魔法適性試験、通称M検の検査結果なんだが……君たちの横に並んでる2つの数値は、左が入学前、右がこの前の結果なんだけど、見ての通り、君たちの数値は入学前と比べるとはっきり上がっているのが分かる」
「それがどうしたってんだよ」
関がぶつくさ文句を垂れる。有理は慌てるなと手で制してから、
「実はM検の結果ってのは、生涯変わらないものと言われてきたんだ。小数点以下、コンマいくつって誤差なら多少はあったが、ここまではっきり変わっているのは世界初のケースと言っていい」
その言葉にヤンキー共がどよめく、
「そしてこの数値の変動が見られたのは、俺と生徒会長の椋露地マナさん、あとは何故か俺達のクラスに偏っていた。それで、変動があった生徒に何か共通点はないか探したんだが……すぐに気がついたよ。君たちは数日前、俺の研究室であのVRゲームをプレイしただろう?」
「あのゲームにログインしたから数値が変動したってことか?」
驚いた張偉が確認すると、有理は頷いて、
「その可能性が高い。そしてもう一つ、理由がある。それがこれだ。ヴェント」
有理が指を立ててその言葉を口にするや否や、締め切った体育館のどこからともなく風が吹いてきた。それを見た察しの良いヤンキーの一人が「イル ファイロ」と唱えると、突然、どこからともなく飛び出してきた火球が、天井にぶつかりドンッと大きな爆音をたてた。
パラパラと破片が落ちてきて、科学者たちが逃げ惑っている。有理は慌てて、
「おっと、体育館は火気厳禁だ。試すんなら他のにしてくれよ」
「ちょっと待ってよ、パイセン。これって一体、どういうことだ?」
有理は察しの悪い関にも分かるように、
「今見ての通り、あのゲームの中で使ってた魔法が、何故か現実の世界でも使えるんだよ。それに気づいた俺は、もしかして自分と同じように、みんなの数値にも変動が起きてるんじゃないかと思って、この間の検査を学校に提案したんだ。そしたら案の定、あの時、俺の研究室でゲームをやった君たちの数値に変動があることが確認されたのさ」
有理にそう教えられて、ゲームの魔法をおっかなびっくり使っていた関は、最初はすげえすげえとはしゃいでいたが、そのうち不安を覚えたのか、
「数字が変わったことで何かまずいことでも起きるのかよ?」
「正直なところ、それは分からない。さっき言った通り世界でも初のケースだからな。ただ、体感時間で一ヶ月以上、あのゲーム世界に閉じ込められ、より多くの語魔法が使えるようになった俺の体に何も起きていないんだから、大丈夫だろうとは思ってる。俺も椋露地さんも、あのあと嫌ってくらい検査を受けさせられたからな」
「ならいいんだけど……でも俺ら、これからどうなるんだ? こんな超能力持ってるなんて、人に知られたらまずそうだけど……」
関の不安そうな目が、有理の背後に並ぶ研究者たちを窺っている。有理は、そういうところは察しが良いんだなと苦笑しながら、
「まあ、それで呼び出したんだけどね。詳しいことは、こちらの方から説明がある。自衛隊の中でも、すごい偉い部署の人だから失礼のないようにね」
有理が紹介すると、普段は威勢の良いヤンキーたちはみんな縮こまってもじもじしていた。こうしてみると年相応の彼らを、意図せずとは言え巻き込んでしまったことを申し訳ないと思いつつ、場を譲る。入れ替わりに出てきた自衛官は、さっと軍隊の敬礼を見せてから、
「そう畏まらないで、卒業前の君たちはまだ自衛官ではないから、これはただの提案だと思って聞いて下さい」
彼はさわやかな声でそう前置きしてから話を始めた。提案とはつまり、この謎の怪現象を解明するために、協力してくれということだ。
なんでかは分からないが、あのVRゲームの中で覚えた魔法は、ログアウトしてからも使える。それに気づいた有理は、最初はこのまま周囲に気づかれないように原因を探ろうとしていた。
ところが、そんな最中に入れ替わりが発生してしまい、期せずしてクラスメートまで巻き込んでしまった彼は、今回のM検の結果を受けて、これはもう隠しきれないと方針を改めた。
このまま黙っていても、いずれ誰かが気づくだろう。一度あのゲームを体験してしまったからには、また遊ばせろと言ってくるだろうし、少なくとも、ゲームにどっぷり浸かっている関が気づくのは時間の問題だった。
だったら、このまま見えないところで何かやられるよりは、さっさとネタバラシをして協力を求めた方がいいのではないか。関係者が増えてしまった以上、下手に隠すよりは情報開示して、専門家からも意見を募ったほうが絶対にいい。そうして徃見教授から魔法学会に、桜子さんから自衛隊に話を持ちかけてもらい、全面的な協力を得ることに成功したというわけだ。
そもそも、魔法学校は防衛省の管轄であり、大っぴらには言えないが、第2世代魔法を軍事転用するのを目的に設立されたのだ。そんな中に降って湧いた新たな魔法を放って置く理由はないだろう。
自衛隊は、今回の件を好機と捕らえており、行く行くは魔法適性のある全ての隊員に魔法を習得させたいと考えているようだ。実際、こんな手軽に魔法兵が増やせるようになれば、世界の軍事バランスは崩れかねない。そう考えると、日本が最初に見つけたのは僥倖としか言えないだろう。
なにはともあれ、結局何をすればいいか噛み砕いて言えば、例のVRゲームをやってレベルを上げて、新しい魔法を覚えればいいだけだと分かると、最初は不安がってたヤンキーたちも、俄然やる気を出したようだった。夏休みの間も実験に協力するよう要請されたが、誰一人として嫌がるものはなく、寧ろすることが出来て嬉しいくらいだった。要は遊んでればいいだけなのだから。
ヤンキーたちは提案を受け入れると、いくつかのチームに分かれて研究者たちに連れられていった。まだゲームを始めたばかりの彼らには、どの系統の魔法を覚えていくか先に決め打ちして、優先的に習得させていく予定である。
そんな中、研究室の立ち上げ時から協力していた張偉は、どのチームにも割り当てられずにその場に残された。彼は仲間を見送ったあと、同じく残っていた有理の元へとやって来て、
「物部さん。思い切ったな。自分から率先して秘密をバラすとは思わなかった」
「どうせ放っておいても、そのうち関あたりが気づいたろうからね」
「ところで、俺はどうして残されたんだ。やれることがあるなら協力は惜しまないつもりだが」
「それなんだけどさ」
有理は申し訳無さそうに頭を引っ掻いて、
「実は、研究室のサーバーは、あれだけの人数を同時にログインさせるにはスペック不足なんだ」
「そうなのか?」
研究室のサーバーがヤケクソなハイスペックであることは張偉も知っていた。100台以上のサーバーを並列につなぎ合わせたマシンは、国民が一斉にバルスと言っても絶対に落ちないと有理も豪語していたはずだ。そのサーバーが処理しきれないとは、あの仮想空間はやはり相当すごい技術なのだなと感心していると、
「それで研究所内に、同規模のサーバーを複数台設置することになったんだけど、その責任者に俺が選ばれたんだよ」
「責任者って……プロジェクトリーダーのことだろ? 凄いじゃないか!」
「いや、まあ、俺が作ったんだから当然なんだけどさ。暫くは泊まり込みで作業しなくちゃならない。それで、申し訳ないんだけど、張くんにはこっちの方を手伝ってもらえないだろうか。責任者って言っても、周りはみんな年上のポスドクだらけだから気が引けるしさ、天穹の米国法人ともやり取りしないといけないから、君が居てくれると本当に助かるんだけど……」
「何を水臭いことを言っている」
申し訳無さそうに頭を下げる有理に対し、張偉は胸を叩いて応えた。
「そんなこと、お安い御用だ。俺も同じ部活仲間として、あんたの門出を祝えることを誇りに思うよ」
「そう言って貰えると有り難いよ」
二人はガッチリと握手を交わした。




