ギラギラ
ちょうど放課後だったから下校中の生徒の目があって、里咲の隠れ住んでる第三寮には入りづらかった。彼女は何をやっても目立ってしまうらしく、ただ突っ立ってるだけでも、やたら声を掛けられるのだ。
人目を忍んでようやく第三寮に忍び込んだ時にはもう日が暮れており、二人は汗だくにりながら、まだビニールが張ってあるエレベーターで最上階まで上がった。昨日までは動いていなかったのだが、今日の引っ越しのために急遽、稼働させてくれたらしい。用務員室から借りてきた台車をカラカラ押しながら、無人の廊下を突き進む。
里咲はその最上階の一室に隠れ住んでいたわけだが、室内に入ると異常に暗くて、空気がムッとしていて、圧迫感を覚えた。どうやら外に明かりが漏れるといけないから、窓に目張りがしてあるらしかった。こんな場所に詰め込まれていたかと思うと気の毒にも思えたが、
「見てくださいよ! ちゃんと片付いてるでしょう?」
内装もまだ済んではおらず、コンクリむき出しの部屋のど真ん中で、彼女は何故かドヤ顔を決めている。
「持ち物が少ないんだから、当たり前でしょ」
何故かは分からないのだが、その態度がやけにムカついたので、マナは里咲を無視して荷物を台車に詰め込むと、さっさと来た道を引き返した。
女子寮の自動ドアをくぐると、ひんやりとした空気が吹き付けてきて、全身に力がみなぎっていくような気がした。全館空調の偉大さが身にしみる。寮監室で鍵をもらい、エレベーターを待っていると、夕食をとりに来た川路たちが降りてきた。そのままエレベーターホールでちょっとだけ駄弁り、また別の箱が降りてきたところで別れて最上階に向かう。
学生寮は下の階から埋まっていくから、里咲の部屋は自然と最上階に決まっていた。普通は上の階のほうが好まれそうだが、エレベーターの台数には限りがあるので、上であるほど不便なのだ。代わりに、人が少ないから騒音に悩まされる心配はないが、朝のラッシュの時には、覚悟を決めて階段を降りる必要もあるかも知れない。
そんな話をしながら廊下を進んで行き、ようやく辿り着いた部屋のドアをくぐる。台車を借りてきたが、実際にはそんなもの必要ないくらい荷物は少なくて、
「それにしても、あんた荷物少ないわね。ホントにこれしかないの?」
「あ、はい。一度も家に帰る余裕もなく連れてこられたもので。血まみれのお仕事バッグ一つしか持ってなかったんですよ」
「……そう言えば、あんた世間的には殺されたことになってるんだっけ。悪かったわ、気が利かなくて」
「いえ。全然」
里咲はケロッとしているが、申し訳なく思ったマナは、
「服とかどうしてるの? もし足りなかったら、私の貸すけど……」
「あ、それなら平気です」
すると彼女はニヤッとしたいやらしい笑みを浮かべて、
「ここに来た日に、密林で注文出来るものなら何でも買っていいよって、パソコン支給されたんですけど……見てください! これ、最新のゲーミングパソコンで、サイバーなあいつも、街作りのそいつも、modをいくら入れても、ヌルヌル動くんです!」
里咲は台車からノートパソコンを取り出すと、蓋をパカパカやっている。いや、有頂天になってるところ悪いが、それは服を買えってつもりで渡されたのだと思うのだが……マナの呆れ顔にも気づかず彼女は続けて、
「VODもストリーミングサイトも有名どころは全部網羅してるんです。だからあそこに居た時は、1日中、アニメ見放題で最高の環境でした」
「あ、そう……良かったわね」
「そうだ、それで思い出した! 今日って、水曜日でしたよね?」
「え? ええ、そうだけど」
「いけない! もう19時回ってる」
マナが肯定すると、彼女は突然ノートパソコンを据え付けのデスクの上に置いて、慌ててマウスをポチポチ操作しだした。何をしてるんだろう? と背後から覗き込んでると、里咲はどこかのアニメサイトをブラウジングしたまま振り返らずに、
「……今日、私の出てる番組の更新日なんですよ……ほらこれ、あった!」
「ああ、そういえばあんたって、外では声優さんやってたんだっけ?」
マナはアニメを見ないから詳しいことは知らないのだが、屋上でバーベキューをした時、確かそんなことを言っていた気がする。マナも知っているアニメキャラのモノマネなんかもしていて、器用だなと感心したのだが……
そんなことを考えていると視線を感じて、見れば里咲がこちらの顔を窺うようにチラチラ目を動かしていた。もしかして、見られたくないのかな? と思ったマナは気を利かせて部屋から出ていこうとしたが、
「あ、それじゃ私そろそろ帰るわ」
「嫌っ! 帰らないで! 一緒に見ましょ!?」
どうやら、里咲の方は見て欲しいらしかった。それならそうと言えば良いのにと思いつつ、まだマットレスも敷いてないベッドに腰掛けた。
日が暮れたばかりの西の空はまだ明るくて、最上階の部屋には赤紫色の光が差し込んでいた。それも間もなく消えてしまいそうな薄暗い部屋の中で、ノートパソコンの画面だけが煌々と光っている。里咲がマウスを操作すると、その画面が一瞬消えて、続いてVODサイトのロゴが表示された。その後、CMが二分ほどばかり流れて本編がいきなり始まった。
てっきり、オープニングムービーが流れるものだと思っていたから、唐突に日常風景が映し出されてもまだCMが続いてるんだと思っていた。やけに気怠そうな男子高校生が、だるいだるいと繰り返すので、ようやく本編が始まっているんだと気がついた。するとそんな彼の背後から女の子が駆け寄ってきて、隣に並ぶとおはようと声を掛けた。
「ああ、これ……あんたの声じゃない?」
その瞬間、ふっと画面が華やいだような、本当にそんな気がした。たった一言のセリフだけなのに、こんなにも印象が違うんだなと感心しながら隣に座る里咲を振り返ったら、ドキッとした。
食い入るように画面を見つめている彼女の目は真剣そのもので、集中しているせいか、こちらの声は一切聞こえていないようだった。モニターの光が反射して青白く見えるその横顔はゾッとするほど美しく、初めて彼女に会ったときに感じた美少女の姿を彷彿とさせた。
知り合ってからはずっとボケボケしてて、アホなことばかり言っているから、とても同一人物とは思えなくなっていたのだが、多分、これが彼女の仕事モードなのだろう。邪魔しちゃ悪いと思ったマナは、自分も集中しようとモニターに戻った。
その後、オープニングムービーが始まり、学校の風景と家庭の風景が映し出された。丁度、里咲が演じるヒロイン・町野アンナの主役回だったらしくて、彼女は殆ど出ずっぱりだった。学校ではキリッとした優等生の彼女が、家に帰るとお母さんに甘える駄々っ子になってしまう姿は対照的で、よくもまあこんな器用に演じ分けられるなと感心した。話の内容自体は、続き物の途中回だからよく分からず、特に面白いとも悪いとも思わなかったが、とにかく彼女の演技が光る回だった。
「ふーん……あなた、こういう仕事をしてるのね。私には良く分からないけど、あんたの演技が良かったのだけは分かったわ。大したものね」
エンディングが流れ始めると、マナは自然とそんな感想を漏らしていた。どうやら思った以上に集中していたみたいで、気がつけば脳がパリパリと静電気を発していた。取り敢えず、何か一言言わなきゃと思った彼女は里咲にそんな言葉を贈ったが、しかし、振り返ってみた彼女はまださっきと同じ表情のままで、じっとモニター画面を見つめていた。
その表情は真剣というよりも、どこか不機嫌そうにも見える……もしかして、素人に褒められたことが気に入らなかったのかなと思ったマナは、どうしたものかと続く言葉を探したが、ところがそんな時、彼女の戸惑いに更に追い打ちをかけるような言葉が、その里咲の口から漏れ出てきた。
「……これ、私じゃないですよ」
「え?」
里咲はそうポツリと呟いたあと、まだエンディングテーマが流れている画面のシークバーを元に戻して、また同じ動画を最初から再生し直した。
「私の町野アンナじゃない」
そう言って、また物思いにふけるかのように、じっと画面を見つめている彼女に、マナは掛ける言葉が見つからなかった。その研ぎ澄まされた真剣みたいにギラギラとした瞳が、話しかけるなと拒絶していた。




