仲良くやっていけそうだ
梅雨が明けて今年も酷暑の気配が濃厚だった。太陽は容赦なくアスファルトを照りつけ、窓を開ければ鉄板に焼かれたような熱気がムワッと押し寄せてくる。その昔、夏といえばどこへ行っても子供のはしゃぎ声が聞こえてきたものだが、みんなどこへ消えてしまったのだろうか。気がつけば首都圏の学校でも中旬にはもう夏季休暇に入るのが常識となり、もはや夏休みならぬ夏ごもりという有り様だった。
もちろんこんな暑さでは実技も出来ないから、魔法学校もあと数日で夏季休暇に入る予定だった。座学の教授も殆どが大学からの出向なので、新学期が始まるのは9月下旬と、およそ2ヶ月の日程である。
そんな長期休暇前のだらけた空気の中で、その日は有理のクラスだけが何故かソワソワと緊張した雰囲気を漂わせていた。というのも、夏休みももうすぐというこの時期に、転入生がやってくるというからだ。アニメや漫画ならよくあることだが、現実でとなるとまずあり得ないシチュエーションである。しかもこの学校に来るからには、謎の転校生は超能力者で間違いないのだ。
そんなわけで、クラスのヤンキー共は、どんなヤベエやつがやって来るんだろうかと身構えていたのだが、
「あ、どうも……鴻ノ目里咲です。よろしくお願いします」
「うひょーーーっっ!!! こっちこそ、しーくーよーろーーーっ!!」
やって来たのはヤベエやつどころか、マブイ美少女だったのでヤンキー共のテンションはハイマックスになった。特に関が。
「静まれ! 静まれ! 関っ! ちゃんと席に座れ!! 座らんと先生ギロチンドロップ掛けるぞ! あー……鴻ノ目は親の都合で最近こっちに引っ越してきたばかりだが、魔法適性が高いのと知人が通ってるということで、急遽、この学校に入学することになった。夏休みまであと何日もないが、みんな仲良くしてくれな」
鈴木のいい加減な紹介が終わると、彼女は席に座るように促されて教卓を離れた。そして当たり前のように関の隣に空いていた席に座ろうとしたが、
「高尾さん、そこは違う」
と張偉に突っ込まれて、小首を傾げた後、慌てて周囲を見回してから、教室の最後尾にもう一つ空いていた席へと小走りに向かった。噂話のささやき声と、好奇の視線があちこちから突き刺さる。里咲はその視線を縮こまって受けていた。
因みに、最初違う席に座ろうとしていたのは、そこが空席だったからではなく、彼女の記憶ではそこが自分の席だったからだ。たった一日とはいえ、入れ替わっていた時とは別の席に座り、教室を後ろから眺めてみると、随分景色が変わるものだと彼女は思った。
そんな風に新しい景色を楽しんでいるといつの間にかホームルームが終わっていて、鈴木が教室を出ていくのを合図に、クラスでも特にチャラいヤンキー共がマッハで飛んできた。
「里咲ちゃん、よっすー! ねえ、仲良くしようよ! すごい時期に転校してきたね! 前はどこに住んでたの? 趣味は? 特技は? 彼氏いるの?」
「あ、関さん、お久しぶりです……趣味ですか? 色々あるけど……あ! 釣りとか好きですね。よく仕事帰り市ヶ谷の釣り堀に……」
里咲はいきなり大柄な男子たちに取り囲まれて一瞬ビビったが、そんなヤンキー共を押しのけて鼻の下を伸ばした関が現れたので、ほっと安堵の息を漏らした。関はそんな彼女の笑みを、自分だけに、特別に向けられたものと勘違いし、地面に届くくらい目尻をずり下げながら、
「そうなんだ! 里咲ちゃんって意外とおっさん趣味なんだね……って、あれ? 俺、名前言ったっけ? 久しぶりって、前に会ったことあったかなあ?」
「え? そりゃもう。あんなの忘れられるわけないじゃないですか」
里咲はちょうど目の前にあった関の股間を凝視しながら言った。それは関の位置からは、耳まで顔を赤くした彼女が恥じらうように俯いてるかのように見え、彼はそんな奥ゆかしい姿に有頂天になって、
「ま、マジで!? 俺、こんな可愛い子とお知り合いになったら絶対忘れるわけ無いと思うんだけど……」
「可愛いだなんて、またまたあ、うふふふふ……」
「ごめん、どこで会ったか良かったら教えてくれない?」
「え? でも……」
「俺、君とのこと真剣に考えていきたいと思うから」
周囲を取り巻くヤンキー共の憎悪に満ちた視線に気づきもせず、関がそんなセリフを尻をクネクネしながら言っていると、流石に見かねた張偉が割って入ってきて、
「おい、関、その辺にしとけよ」
「んだよ、張。割り込んでくんなよ。俺は里咲ちゃんと話してんの、どっかいけ」
「いいからちょっと耳を貸せ」
張偉はそう言いながら嫌がる関の耳たぶを引っ張ると、顔を近づけてヒソヒソと何かを呟いた。するとみるみるうちに関の顔が青ざめていき、
「ひ……ひぃぃぃーーーーっ!! お、俺、急用思い出したから!!」
彼はこれから授業があるのも忘れて教室から飛び出していった。多分、あの調子では暫く戻ってくることはないだろう。その様子を見ていた周囲のヤンキーたちが、一体やつは何を吹き込まれたのだろうかと不審の目を向ける中、張偉は少々居心地悪そうに、
「……高尾さん、転校してきたんだ」
「あ、はい。あのままだとかえって目立つって言われて」
「そうか。物部さんは? このこと知ってるのか?」
「あ、はい。先生にご挨拶行くとき、付き合ってくれました。あの人、本当に授業出てこないんですね」
「ああ。この時間は大体研究室だ。放課後になったら俺も行くつもりだが、あんたも来るか? 部活」
「あ~……すみません。今日は引っ越しの準備とかあるんで」
「そうか」
二人がそんな会話を続けていると、一限目の担当教諭が入ってきた。結局、話しかけることが出来なかったヤンキー共が露骨に舌打ちをしながら去っていき、野次馬に追いやられていた隣席の女子が迷惑そうに、むっつりした表情で帰ってきた。
金髪のロン毛に巻き髪の、ヤンキーではなくお嬢様っぽい見た目の女子である。張偉がそんな女子に申し訳なさそうに会釈をすると、彼女は分かりやすいくらいにキラキラと顔を輝かせながら笑みを返した。
張偉はそれを見てから里咲に軽く手を挙げて、自分の席へと戻っていった。隣席の金髪はその後姿を名残惜しそうに見つめている。もしかして、好きなのかな? と里咲が彼女の姿をぼーっと見ていると、やがて彼女は里咲に見られていることに気づき、
「……あなた。少し可愛いからって、いい気になるんじゃなくてよ」
「え、あ、はい」
「男に囲まれて媚び売っちゃって、まるで商売女ね。見ているこっちが恥ずかしくなったわ。あなたには恥じらいってものはないのかしら」
「あ、はい、割と、そうかも」
「ふんっ……張くんの知り合いだからって、あまり馴れ馴れしくないでよね」
それは張偉に対してだろうか? それとも自分に対してだろうか? 多分、どっちもなんだろうな……などと考えつつ、里咲は首を縮こまらせながら椅子に深く沈んだ。
商売柄、他人の悪意には慣れていたが、こんな風に恋愛感情のもつれで嫉妬されるのは初めての経験だったので、結構驚いた。そして意外と自分が傷ついていないことに気づいてまた驚いた。それはきっと、まるでラブコメ漫画みたいなシチュエーションに自分が巻き込まれていることに、ある種の新鮮味を覚えていたからだろうか。
現実に本当にこんな風に、付き合ってもないクラスの男子に独占欲を丸出しに出来るようなテンプレ女子が存在するんだ。そう思うと、嫌という気持ちよりもずっと興味が勝っていた。なんていうか……彼女とお友達になりたい。そのメンタルをもっと知りたい。キャラを深く掘り下げたい。分解したい。裸にひん剥きたい……机を無理やりくっつけて、教科書を見せてと言ったら見せてくれるだろうか? もっと酷い言葉で罵ってくれるだろうか? 器具は? 器具は使うのか?
ハアハア喘ぎながらそんな妄想を逞しくしていると、その時、そっぽを向いていた彼女がちらりと視線を送ってきた。
もしかしたら転校生に意地悪してしまった自分の態度を反省し、里咲が傷ついてないか気になったのかも知れない。ところが、振り返ればそこに魍魎のように目を血走らせた女がいて、自分に向かってバチバチ熱い視線を注いでいることに気づいて、彼女はすぐさま顔を背けた。
なんて顔をしてるんだ、この女……もしかして、とんでもないのに喧嘩を売ってしまったんじゃないか……?
金髪女子が恐怖にプルプル震えていると、そんな二人の無言のやり取りを知らずに、里咲の前の席に座っていた女子がくるっと振り返って話しかけてきた。
「ごめんね、鴻ノ目さん。南条が意地悪くて。えっと、その……色々あるのよ」
女生徒は、分かるでしょ? とでも言いたげに片目をつぶっている。いきなり話しかけられた里咲は、はっと我に返ると、彼女、名前は南条さんっていうんだ……刻んだぞ……と心の中で反芻しながら、
「あ、はい。大丈夫です。気にしてません」
「そう? 悪いね。本当はいい子なのよ……あー……あたし、川路っていうの。よろしくね」
「あ、はい。鴻ノ目です」
「知ってるってば」
「あ、そうですね。すみません」
「いやいや、お約束だから。それじゃ、なにか困ったことがあったら言ってね」
川路がにこやかにそう言ってから前を向こうとしたら、里咲はそんな彼女の腕をガシッと鷲掴んで、
「あ、だったら、教科書見せてくれると……」
「……ん、ああ、気づかなかったわ」
彼女はガッシリとホールドされた自分の腕を見ながら、最初からこの距離感……と思いつつ、教師に断りをいれると自分の机を後ろにずらして、里咲の机にくっつけた。
それを見ていた南条の方に視線を向けると、彼女はまた慌てて視線を逸らして、自分は関係ないと言わんばかりに教科書に顔を埋めた。川路は、あとでちゃんとフォローしないとなと思いつつ、里咲に肩をくっつけ、教科書に視線を落としたまま、隣席にも聞こえるくらいの声で言った。
「張くんと知り合いなの?」
「……私ですか? あ、はい。そうです。関さんとも」
「へえ……って関も? どこで知り合ったの」
「えーっと、ちょっと最近、色々あって……困ってたら、二人が助けてくれて」
「二人って、あの二人が? あの二人って共通点ないよね」
「え、でも、あの二人って仲良しじゃないんですか? 仲良しだと思ってたけど」
一緒にお風呂にも入っていたし……間違いないんじゃないかな? と里咲は首を傾げた。しかし川路はまだ信じられないといった感じに、
「えー? 絶対そんなことないって。どっちかって言うと敵じゃないの。喧嘩ばっかしてるよ……あー、でも、最近はそうでもないかな。言われてみれば、よく一緒にいるとこ見かけるかも」
「ですよね。喧嘩するほど仲が良いとも言いますよね」
「そうね……そうかも……へえ。仲直りしたんだ。へえ……」
川路は意外に思いながら手にしたペンをくるくる回した。こんな場末みたいな学校に無理やり入れられて、詰まらない授業を受けさせられて、外出も出来ない退屈な日々を過ごして、せめてヤンキーの抗争ぐらいは終わってほしいと思っていたが、ようやく平和が訪れたようである。
……そう言えば、さっき関が里咲にちょっかいを掛けてた時、張偉が彼に何か囁いていたようだが、それが角度的にキスしてるように見えて思わず、おおっ!? っと思ったものだが、そうか……仲直りしたなら、これからああいうイチャイチャが拝めるのかと思うと、この学校に来たのも悪くないと彼女は思った。
男の子は、喧嘩しているのも悪くないけど、どうせならイチャイチャしているのを遠くから眺めているのが楽しいものである。特にここはイケメンが多いから、目の保養には持って来いだ。特に体育での肌と肌のぶつかりあい。うーん、たまらん。などと、彼女がホモについて考えている時だった。不意に彼女が差し出した教科書の向こうから、
「……ホモ……好きなんですか?」
という言葉が聞こえてきて、川路は無意識のうちに回していたペンを落としてしまった。それは教科書の上でかさかさ音を立ててから止まった。授業中に聞こえてくるはずがない、そんなセリフに驚いて隣を見たら、里咲が真剣な表情で落ちたペンを凝視していた。
(この女、今あたしの心を読んだ……? もしかして、テレパス能力?)
と彼女は一瞬驚愕しかけたが、そんな里咲の視線の先を追いかけた川路は、ハッと気づいた。そこにあったのは彼女がこの学校に来る前、とあるオンリーイベントで手に入れたシャーペンだった。それは、とあるゲームの登場人物が愛用するものを模した同人グッズで、オフィシャルグッズでもなければロゴも入ってない、完全にマニア向けの一品物だったのであるが……
(この女、これを見て一瞬で見抜いたというのか……?)
恐る恐るペンから視線を上げれば、隣に座る里咲の真剣な瞳とぶつかった。彼女はゴクリと唾を飲み込むと、
「ホモが嫌いな女子はいないよ」
「ですよね」
その、にちゃあとした笑みを浮かべる隣席を見て、川路は彼女とは仲良くやっていけそうだと瞬時に悟った。




