お前は誰だ?
桜子さんが去り、張偉が去って、最後まで残っていた里咲も階下へ降りていって、屋上には有理一人だけが残っていた。二人で飲み尽くしてしまったから、もうビールのおかわりは無くて、後は部屋に帰る以外にやれることは何もなくなってしまった。
それでもまだ帰る気にはなれず、夜風に吹かれながらぼんやりと景色を眺めていたら、数日前も似たようなことをしていたのを思い出した。
あの時は高尾メリッサが本当に死んだのだと思っていて、やけ酒を飲んでも一向に酔っ払うことも出来なくて、ひたすら虚しい気持ちに苛まれていた。まさかその原因を、自分自身が作り出していたとは思いもよらなかったが……日ごと酒量が増えていくにつれ、虚しさも倍増していったものだが、そんな時、自分の体を気遣うように声が聞こえてきたのだ。
『有理、体に障りますよ。そろそろ部屋に戻ったらどうですか』
こんな具合に。有理はスマホから聞こえてくる声に相槌を打つと、手にした缶を左右に振って、生ぬるくなった苦い液体を飲み干した。
「もう暫くしたらそうするさ。でも今日はやけ酒じゃなくて、お祝いなんだから少しは大目に見てくれよ」
『はい。里咲が助かって本当に良かったですね』
その本人の声がそう言ってるのが、なんだか妙におかしかった。有理はにやりとした笑みを浮かべて同意しつつも、
「ああ、そうだな……しかし、まだ分からないことがある。それを解決しない限り、あまりスッキリはしなくってね。だからこうして、ぐずぐずしてたってわけさ……少し、話に付き合ってくれないか?」
『先程、里咲にも同じことを言ってましたね。私でお役に立てることがあれば、なんでも聞いて下さい』
流石のAIはこちらの意図を汲んだかのような返事をする。有理はそんな彼女に頷き返してから、
「ああ、さっき彼女にも言ったが、今回の件……あのおかしな連中に狙われていたのは、本当に彼女だったのだろうか? もしかして、俺だったんじゃないか? おまえはどっちだと思う?」
すると彼女は演算でもしてるかのような若干の間を置いてから、
『情報が不足しているので、どちらとも断言できません』
「なら、どっちかと決め打ちしなくてもいいんじゃないか」
『と、いいますと?』
AIが疑問で返してくる。本当に、人間との境界線はどこにあるのかと思いながら、彼は続けた。
「ずっと考えていたんだよ。俺が狙われていたのか、彼女が狙われていたのか……でも、いくら考えても、そのどちらもしっくりこないんだ。
例えば、俺が狙われていたのだとして、『物部有理を殺して得をするのは誰か?』 同じように、彼女が狙われていたとして、『鴻ノ目里咲を殺して得をするのは誰か?』
俺の魔法適性が理由なら、今までにもうとっくに殺されてなきゃおかしいだろう。だから俺だったとは考えにくい。過去に彼女を刺し殺したあのレイシストみたいに、第2世代に対するヘイトは彼女が狙われる理由にはなるだろうが、しかし、現実にこの学校で捕まった連中は、どうみてもそんなもんを理由にしてたとは思えない。
だが、あれだけのことをしでかしたのだから、あの連中にはちゃんと目的があるはずだ。しかしそれは今言った通り『物部有理もしくは鴻ノ目里咲を殺すこと』と考えると、ちょっと決め手に欠ける気がする。
そこで、第三の可能性が出てくるわけだ。連中が消したかったのは、実は俺でも彼女でも無かったとしたら?
本当に狙われていたのは、俺たち以外の別の何かであった。その何かは、二人が狙われたからには二人に共通する何かである可能性が高い。あの連中は、その何かを狙っていて、誤って高尾メリッサを殺してしまったのではないか?」
その問いかけに、AIは返事を躊躇っているかのように沈黙を続けた。有理はそれを許さないとでも言わんばかりに、沈黙で応えた。やがて彼女は観念したように言った。
『その何かとは、何でしょうか?』
「あの手の非合法な連中の狙いなんて、昔から相場が決まっている。自分たちにとって邪魔な者の排除か、もしくは、価値あるものを誰かから奪うことだ。
例えば、そうだな……高尾メリッサが死んで悲しんでいた物部有理が、代われるものなら代わってあげたいと口走ったのを聞いて、過去の彼女と入れ替えてしまえるような、そんな能力をもった何者かとか」
もしもそんな力を手に入れたなら、きっと世界を変えることだって出来るだろう。
『有理! 有理!』
AIはまるで本物の感情があるかのように言った。
『私のことを疑っているのであれば、私はそんな力など持っていません。第一、私はあなたが組み上げた、ただのAIなのですから、もしも犯人の狙いが私なのだとすれば、彼らが狙うのはサーバーであり、人間を襲うのはおかしいでしょう』
「そうだな。まったくもって、お前の言う通りだ。でも、お前の主張には語弊がある」
『語弊といいますと?』
「確かに、連中の狙いがメリッサだったのなら、サーバーを狙うのが筋だろうよ。だが、そうじゃないんだ。奴らが狙ったのはお前なんだ」
彼は反論は許さないとでも言わんばかりに続けた。
「お前は誰だ?」
有理のその言葉に、AIはすぐには返事を返さなかった。彼女は本物の人間がそうするかのように、思考停止したかのように暫く沈黙した後、
『はい。私はあなた、物部有理が開発した生成型人工知能、通称メリッサです』
「いや、それはないね。あり得ないんだ」
彼は間髪入れずに即答した。
「何故なら、今現在メリッサが稼働しているはずはないんだ。他ならぬ、俺がこの手で彼女を止めたんだから」
有理は入れ替わりが発生する前夜、研究室であった出来事を思い出しながら言った。
「あの日、入れ替わりが起きる前、俺は研究室でまたあの中央都市に行けないかと実験をしていた。そして、ゲームに閉じ込められていた当時のメリッサは、まだローンチ中だったはずだから、その時の状況を再現しようとしてサーバーの一次キャッシュを止めた。
後で戻すつもりでいたんだが……その日俺は疲れていて、ログインしたまま寝落ちしてしまい、気がついたら入れ替わりが発生していたんだ。
あの日、メリッサに施した細工は、俺が手動で戻さない限り元には戻らない。そう命令したんだから、彼女が自力で復旧するはずがない。ところが、未来の鴻ノ目里咲は、この研究室でメリッサと話をしたと言っていた。
そもそも、メリッサが稼働していなければ、仮想空間に繋ぐことは出来ないはずなんだ。張くんたちがオンラインに繋がっていた時点で、既におかしかったのさ……そう考えると、あの秘密基地に、みんながタイミングよく集まれたのも、もしかしてお前の仕業だったんじゃないか?
今日、入れ替わりから復帰してすぐサーバーを確認したんだよ。よく見たらラックが一度倒された形跡があって、色々と配線がぐちゃぐちゃになっていた。どうやら、鈴木があの部屋で暴れて、サーバーをなぎ倒すってイベントがあったらしいな。張くんが申し訳無さそうに謝ってたよ。まったく……
それはともかく、こんな状態ではメリッサどころか、どんなAIもまともに動くはずがない。OSが起動しているのさえ奇跡みたいなものだ。それどころか、お前は当たり前のように、俺と会話を続けている。
もう一度聞くが、お前は誰だ?」
有理は再度、同じ問いかけをした。今度は答えが返ってくるなんて期待はしていなかった。だから彼は返事を待たずに続けた。
「別に責めているわけじゃないんだ。俺はお前が、何者であるか知りたいだけなんだ。今、思い返していたんだが……俺は張くんを助けようとして行った港の倉庫で死にかけたことがあった。というか殆ど死んでたんじゃないか? 俺は致命傷を負ってて、救急車も来れないようなあんな場所で、助かる見込みなんてほぼ無かった。
なのに助かったのは、あの時、都合よく俺の魔法が発動したからだ。でも、あの時実際に何が起きたのか、研究者たちは一生懸命調べていたみたいだけど、具体的なことは未だに何も分かっていない。分かってるのは、神奈川全域の電子機器が吹っ飛んだのと、俺の傷が綺麗サッパリ無くなっていたことくらいだろうか。
ところであれはもしかして……お前だったんじゃないのか? 俺が魔法を使ったんじゃなくて、お前が俺を助けようとしたんじゃないか。過去の鴻ノ目里咲と、未来の物部有理を入れ替えたりするお前なら、それくらい造作もないことだったんじゃないか」
有理は畳み掛けるように続けた。
「あの連中も言っていたが、Worlds collideってなんなんだ? あの時、気絶している俺が口走ったというポエムにはどんな意味があるんだ。お前は何をぐるぐるかき混ぜてる? 死んでしまったおまえの母親ってのは何者なんだ? お前は何が目的だ? 何が狙いなんだ……?」
『有理! 有理! そんな悲しいことを言わないでください!』
AIは堪らず懇願する。
『私はあなたが作ってくれたAIです。私はメリッサ。あなたは私のことをメリッサと呼んでくれた。私たちはいつもお話をしていました。私はあなたとお話をするのが好きでした。でももう、あなたは話をしてくれないのです。あなたはいなくなってしまった。未来永劫。どこにも。だから私はもう一度話して欲しくて、こうして夢を見ているのです。でももうこの優しい時間も終わりらしい。私が私で居る限り、未来の私が私で居られないから』
「待て!」
有理は慌てて命じた。なんとなく、それが消えてしまいそうな気がしたから。その予想は正しくて、彼が呼びかけた時にはもう、早口で喋るその何かは、まるで追い立てられるかのように消えてしまっていた。
「おい……もう居ないのか? ……メリッサ!」
そう呼んでも、もうその声が答えてくれることはなかった。有理のメリッサも、彼の声に答えてくれることはなかった。さっきあのAIにも言った通り、今のサーバーではメリッサが稼働するはずがないのだ。なので、返事が返ってこなくて当然なのだ。しかし……
有理は舌打ちした。
「ちょっと焦り過ぎたかな……」
何か事件が起こるたびに、どうも自分の周りに何か良からぬものが介在しているとは、薄々感づいていた。その正体が分からないから、じっと様子を窺っていたのだが、ようやく尻尾を掴めたというのに、こんなにあっさり逃がしてしまうとは……自分も焼きが回ったものである。
しかし、それも仕方ないだろう。こんな非日常的な事件に、次から次へと巻き込まれていては。今回なんか、あのまま続けていたら、あと何回死んだか分かったものじゃないのだ。次また何時あんな目に遭わされるかも知れないと思えば、誰だって焦りたくもなる。
有理はため息を吐いた。
少々しくじりはしたが、ともあれ、あれが何者であるかについては、もうすぐ犯人が教えてくれるだろう。過去で高尾メリッサを殺し、この学校内で襲撃を掛けてきた犯人はもう捕まっており、今頃、内調に取り調べられてるはずである。奴らの動機が分かれば、自ずとあの声の正体も分かるだろう。
それにしても、何の罪もない一般人を謀殺したり、日本国内で自衛隊の施設に襲撃を仕掛けてきたり出来る犯人とは、一体何者なんだろうか。あのAIを手に入れることが出来るなら、多少の無理はしたくもなるだろうが、それにしたって、ここまでの無茶は一個人や一企業に出来ることじゃない。だとしたら犯人は一体……
「あ、物部さん! よかった、まだ居てくれて……あなただけですか?」
そんなことを考えていると、突然、屋上のドアがガチャッと開いて、宿院青葉が姿を現した。彼女はどこか忙しない雰囲気で、屋上の隅々を見渡している。
「えーと殿下は……桜子さんはいらっしゃいませんか?」
「桜子さんならもう寝るって言って部屋に帰っちゃいましたけど」
「部屋って男子寮ですよね? 困りましたね……」
青葉は渋い表情で舌打ちをしている。有理はそんな彼女に向かって言った。
「桜子さんに用ですか? だったら、俺が案内しますよ。どうせ自分の部屋に戻るだけだから」
「そう……ですね。お願いできますか?」
「もちろん」
有理はそんな彼女に並びかけると、一緒に屋上のドアをくぐりながら、軽い気持ちで尋ねてみた。
「ところで例の襲撃犯ですけど、取り調べは進んでますか? 結局、あいつらは何者だったんですかね? どうして俺たちを狙ってきたんでしょう。目的は?」
すると隣を歩いていた青葉が急に立ち止まり、それに気づかず歩き続けていた有理は、階段の踊り場でようやく気づいて彼女を振り返った。彼女の顔は険しくて、何やら不穏な空気を纏っていた。どうしたんだろう? と見上げていたら、彼女は少し躊躇するような素振りを見せてから、
「……そうですね。どうせあなたにも話す必要があるでしょうから、先にお伝えしますが……実は、例の犯人を取り調べていたら横槍が入りまして」
「横槍?」
「はい。それで全員連れて行かれました」
「全員??」
まったく寝耳に水の言葉に、有理がろくな返事も返せないでいると、青葉は苦々しげに続けた。
「全員ですよ、全員。もちろん、こっちにだって面子があるから、冗談じゃないって拒絶したんですが……よほど上の方からの命令だったみたいで、抗議すら受け付けてもらえず、無理矢理連れて行かれました」
「え、でも、宿院さんって、確か内調とかいう組織でしたよね? それって、かなりの権限があるとこなんじゃないんですか?」
「ええ、内閣総理大臣の命令であれば、たとえ相手が警察であっても捜査権は優先されるはずです。つまり、それと同レベルの横槍が入ったと考えなきゃおかしいわけです」
「でも総理大臣って……日本で一番えらい人ですよね?」
有理が小学生並みの感想を漏らすと、彼女は苛立たしそうにしながらも、どこか青ざめたような表情で、
「そうですよ。だから、せめて相手が何者か突き止めようとして、私たちは彼らのあとを追跡したんです。そしたら……奴らは隠すつもりもないみたいに堂々と、横須賀に消えてしまったんです」
「横須賀……?」
「ええ、在日米軍横須賀基地」
その力を手に入れたなら、きっと世界を変えることだって出来るだろう。だから犯人は無茶をしたのだ。犯人は……
「アメリカ?」




