高尾メリッサは傷つかない……こともない
「とは言っても、ループを抜ける方法を見つけたのは、本当につい昨日、君たちとゲームの中で会ってからなんだ。俺はあの時、秘密基地の中で自分自身と出会うまで、俺と高尾さんが入れ替わっていたことを知らなかった。単に、俺だけが彼女の体に乗り移っていて、過去を変えようとしているんだって、そう思っていたんだよね。
でもそれは違った。実は過去の彼女と未来の俺が入れ替わっていて、そして各々、同じ連中から命を狙われていたらしい。それを知った時、俺は今回の事件の全貌をようやく掴むことが出来たんだ。
まず、高尾メリッサを殺した連中が、短期間の内に、今度はこの学校で物部有理を狙ったのはどうしてか? 彼らが、自分たちが失敗したことに気づいたとしか考えられない。彼らは過去で殺したつもりの高尾メリッサが、実はこの学校内で生きていることに気づいたんだ。
実際、彼女はこの第三学生寮で匿われていた。俺は過去にその彼女のことを目撃していた。そして、その死んだと思われていた高尾メリッサが生きていたのは、どうやら物部有理が、つまり俺が過去に戻って彼女のことを助けたかららしい……
以上を踏まえて、どうすればこんな状況が生まれるのか、今度は逆算してみよう。
未来の襲撃が発生するには、過去で彼らに高尾メリッサを襲わせ、それが失敗したことを悟らせなければならない。そして入れ替わりが発生するには、俺が彼女は死んだと思っていなければならない。
すると、結論を言えば、彼女はあのビルの前でレイシストに刺殺されたと世間的に思われながらも、実は生きていなければならない。
そんな方法があるのか? と言えば、もちろんあるからこうして彼女は生きているわけだけども」
有理がそう言って里咲の方を見ると、注目を浴びた彼女はヤンキーに絡まれた陰キャみたいにキョドりまくっていた。マナはそんな彼女の姿を見て、第一印象とはまるで別人だと不思議に思いながら、有理を促した。
「それで、あんたはどうやったってのよ?」
「もう、君には想像がついてるんじゃないか。昨日、君たちは寮の周りの雑木林で、あのVRゲームで得た能力が何故か現実世界でも使えることについて話し合っていた。そんな時に襲撃を受け、君たちは魔法を駆使しながらなんとか逃げ延びた。
何故かは分からないけれど、あのゲームの魔法は外に持ち出せるんだ。
そしてそれは、おそらく過去の高尾メリッサがやっても同じだろうと予想が出来た。何故なら、彼女も第2世代で魔法の素養があるからだ。
すると自ずと答えが出る。あのゲーム内で刺されても死なないような魔法を開発して、それを現実世界に持ち出せばいい」
有理はそうして、過去の高尾メリッサが暴漢に刺される瞬間に魔法を使って周囲に死んだと見せかけ、その様子を動画撮影させてSNSで拡散させた。そして自分は青葉が運転する救急車で脱出したのだ。その時の動画はニュース番組でも取り上げられ、かくして世間的に彼女は死んだことになった。
因みに、リアリティを追求するため、血糊を用意したり、刺される演技の予行演習をしたりで時間がかかった。そのせいでアフレコに遅刻して高島田を怒らせてしまったわけであるが……しかし、事前準備はどうしても必要だったのだ。
何故なら、どうやったって、高尾メリッサは傷つかないのだから。
「とまあ、こんな感じで過去の襲撃事件を乗り越えたわけだけど、次の襲撃を起こさせるには、今度は彼女が生きていることを犯人に教えなければいけない。そのために、宿院さんに餌をまいてもらったんだ。
俺は過去のループ中に自衛隊内に裏切り者が居ることを知った。だから彼女に、高尾メリッサが生きているということを、自衛隊にも情報共有するよう促したんだ。そうすればその裏切り者が犯人に告げ口し、襲撃が起きるだろうと予測した。そしてその襲撃は、入れ替わりが起きてから二日目に来ると分かっていたから、一網打尽にするのも容易だったってわけさ」
「冗談じゃないわよ。私は本気で殺されると思ったんだけど」
有理のセリフにマナが不服を申し立てる。そんな彼女に向かって青葉が申し訳無さそうに、
「申し訳ありません。犯人に気づかれないように手配するには、あれが限界だったんです……物部さんから事前に話を聞いていて、油断もあったかも知れません」
「いや、別にあなたのことを責めるつもりはないんだけど……」
「まあまあ! その謝罪も含めて、今日はあたしが奢るからさ、みんなジャンジャンお肉食べちゃってよ!」
桜子さんはそう言って、バーベキュー台に無造作に肉を投下した。それを見ていた張偉が慌てて彼女を押しのけ、そんな雑な焼き方では肉がもったいないと奉行を買ってでて、みんなは暫くの間バーベキューで舌鼓を打った。
***
屋上のパーティーは桜子さんが持ち込んだ大量のビールが尽きるまで続けられた。成人が三人もいるのだから、それでも少ないつもりのようだったが、勤務中だという青葉が固辞して、本当に仕事で席を外してしまったから、有理と二人で片付けなければならなくなり、二人がへべれけに酔っ払った頃には、すっかり日も暮れて夜空には月が昇っていた。
マナは打ち上げだからという理由で暫くの間つき合ってくれていたが、暫くすると眠気がピークに達したらしく、早々に退場していった。そんなわけで酔っ払いの面倒を張偉と里咲が見なければならなくなったのだが、陰キャらしく嫌がるかと思いきや、彼女は結構手慣れた感じで、酔っ払い共の無茶振りにも割と気さくに応じてくれた。
過去に演じた役や他のキャラの声真似にも、彼女は嫌な顔ひとつせずに演じてくれて、歌も歌えば、なんならサインまでしてくれた。因みにそのサイン、過去のループで書く機会があって、有理も同じものが書けたから、どっちが本物の高尾メリッサであるかを賭けて勝負をしたところ、有理のほうが字が綺麗という判定が下されて、彼女は打ちのめされていた。
因みにこのサイン、マネージャーの藤沢すら目をつぶってても書ける代物で、実を言うと彼女が本名ではなく芸名を名乗っている理由でもあった。デビューしたての頃、鴻ノ目里咲という名前は画数が多すぎてサインを作るのが大変だから、もうおまえ名前変えちゃえなよと社長に言われて、書きやすい名前に改名したのが、今の芸名なのだそうである。
そんないい加減でいいのかよと思ったが、案外、そういう人は多いらしく、タレントは名前を覚えてもらってナンボだから、名鑑を見るとやたらア行が多いのはそう言う理由だと言われて、へえと感心してしまった。本は前の方からめくるのが普通だから、渡辺さんよりも相澤さんの方が目につきやすいというわけだ。
そんなトリビアを披露されたり、最近のアニメ事情やおすすめの漫画の話をしていると、ついに酒が切れた桜子さんが、
「あー……飲んだわー。飲んだ飲んだ。今日はたらふく飲んだから、そろそろお開きね。ほわわわわわ……眠くなっちゃった。あたし、先に帰って寝てるわ」
と言って、こっちの同意は得ずにビルの端っこまで歩いていくと、ピョンと跳ねて、隣の寮まで飛んでいってしまった。部屋が最上階に変わって、直線距離で30メートルくらいになったので、本当にバルコニー感覚でいるようだ。
普通の人間である有理にはそんなことは出来ないから、ビルを降りてまた登らないといけないから結構な重労働なのだが。どうせ同じ部屋に帰るんだから連れてってくれればいいのにと愚痴りつつ、ゲロを吐くと嫌だから、ちょっと酔い覚まししてから帰ると言って彼は一人その場に残った。
張偉と里咲は、それぞれ自分の部屋に戻ろうとしたが……帰り際、彼女は立ち止まると振り返って、手すりに体を預けて空を見上げている有理を見た。入れ替わりが発生してからずっと、この男がどんな人物なのか気になっていたわけだが、ようやくこうして話をする機会が出来たのに、このまま帰ってもいいのだろうか……
それに、まずは言わなくてはならないことがあった。彼女は来た道を戻ると、声を掛けた。
「あの……」
その声に有理が視線を落とすと、目の前にジャージ姿の里咲が立っていた。ここ数日、鏡の中ですっかり見慣れてしまっていたが、こうして改めて見ても、やはり驚くほどの美少女であった。尤も、色々と駄目な部分が目立ってしまって、そんな雰囲気は微塵も感じさせないのであるが……
そんな風に彼女のことを観察している有理のことを、里咲はガラス玉みたいな目をした人だなと思いながら、
「あの、この度は本当にありがとうございました」
「……何が?」
「え、なにって、その……殺されそうなところ、助けていただいて……」
里咲がおずおずとお礼を言うと、有理は少しぽかんとした表情を見せた後、すぐに首を振って、
「いや、とんでもない。そんなことで謝らないでくれ。俺は君を助けたんではなく、巻き込んでしまったのかも知れないんだぞ」
「え? え? そうなんですか?」
「ああ、そのせいで、君は世間的に死んだことにされ、好きな仕事を暫く休業せざるを得なくなってしまった。謝らなくてならないのは寧ろ俺の方かも知れないんだ……本当にすまない」
有理はそう言って頭を下げた。里咲はまさかそんな返事が返ってくるとは思わず、どういうことか理由を問うと、彼は暫く沈黙を続けた後、苦々しそうな表情で言った。
「俺は何故だか魔法適性が異常に高いらしくてね……実はこの春から俺の周りでは何度もおかしな現象が起きていたんだ。そう考えると今回のことだって、俺の特異体質が招いただけで、たまたま何も関係のない君を巻き込んでしまった可能性が高いんだよ。だから君は、そんなことで気に病まないで欲しい」
彼はそう決めつけているようだが、里咲には根拠薄弱としか思えなかった。気に病んでるのは寧ろ彼の方だと思った彼女は、
「でも、本当に死んでたはずのところを、あなたが助けてくれた可能性だってあるんじゃないの?」
「そうだと良いんだけどね……」
彼はそう言うと、それ以上は何も語らずにそっぽを向いてしまった。よほど罪悪感があるのだろうか、あまり目を合わそうとはしなかった。何をそんなに気にしているのだろうか……?
「どっちにしろ、犯人の目的が分かるまで、もう暫く君には死んだふりを続けて貰わなければならない。その間、大事な仕事をいくつもすっぽかすことになってしまうから、それについては、本当に済まなかったと思ってる」
「そう……ですか」
彼はそう言うと、背中を向けてまた空を見上げてしまった。彼女はそんな彼になんと言えばいいか言葉を探したが、結局何も見つからず、黙ってその背中にお辞儀をすると、振り返って屋上のドアへと歩いていった。
なんだかしんみりしちゃったけれど、なんと言えば良かったのだろうか……あの入れ替わりが発生してから、彼のことについては色々調べていたつもりだったが、実物は想像とは大分違った。彼は自分に好意を持っていると思っていたのだが、それは勘違いだったのだろうか? てっきり、もっと簡単に仲良くなれるんじゃないかなと思っていたのだが、肩透かしを食った感じである。
「高尾さん」
そんな風に彼女ががっかりしながら階段を降りていくと、最上階の踊り場で張偉が待っていた。彼の人となりは、お陰さまでよく知っているので、安心して近づいていくと、彼は屋上の方を見上げながら、
「物部さんと話していたのか?」
「うん。でもなんか取り付く島もない感じで、あまり話せなかったよ」
「そうか……」
張偉はその言葉に少し意外そうな顔をしてみせたが、すぐに真顔に戻ると、
「あのな。多分、あんた勘違いしてると思うから言うんだけどな」
「はい?」
「研究室であんたの声でAIが話し掛けてきただろう? あれにメリッサって名前をつけたのは、俺と桜子さんなんだ」
「そうだったの?」
里咲がぽかんとしていると、張偉は申し訳なさそうに頭を下げてから、
「物部さんがあんたのファンだって言うから、二人してからかったんだ。あの声で喋るようになったのも、俺たちが悪乗りしたからで、彼は寧ろそれが定着してしまって困ってたくらいなんだ。だから、勘違いしないで欲しい」
「そう……だったんだ」
「言いたいことはそれだけだ。呼び止めて悪かったな」
彼はぶっきらぼうにそう言うと、何事もなかったかのようにさっさと階段を降りていってしまった。
里咲はそんな彼が階下に消えていくのを階段の手すりから見下ろして、それからまた屋上を見上げた。
そうだったのか……あのAIの名前は、彼がつけたのではなかったのか。それを知った途端、彼女はまるで肩の荷が下りたような解放感を得た。
ずっと厄介なファンだと思っていたが、どうやらそれは自分の勘違いだったらしい。彼はただ声優・高尾メリッサのファンなだけで、今回の件も、純粋に好意で自発的に助けてくれただけなのだ。もしかして、ヤバいヤツに借りを作ってしまったかもと思っていたが、ヤバいヤツどころか、本物の命の恩人ではないか。
あれ? なんだろう、この気持ちは……彼女はほっぺたに感じる熱さを、手の甲で確かめた。
そう考えると好感度も爆上がりで、今すぐ彼に会いに行きたかったが、これから取って返しても、彼はまた否定するんだろうと思うと、屋上に戻る勇気は湧いてこなかった。でもせめて何かお礼はしたい。こういう時、チャットで繋がってれば、感謝の気持ちをスタンプで送ることも出来るのになあ……と思いながら、スマホをポチポチしているとき、里咲はふと気づいた。
あれ? よく見れば、いつものチャットアプリの隣に見慣れないアイコンが並んでいる。ボイスレコーダーのようだけど、こんなのいつ登録したっけ? と思いながら、彼女はアプリを起動した。
するとどうも最近録音したらしいファイルが出てきて、なんだろう? と思いながら彼女が再生ボタンを押すと、
『……おちんちん。おちんちん』
録音はもう1件あった。
『んぉおちんぽぉぉぉ~!!』
彼女はアプリをそっと閉じた。




