一度言ってみたかったんだ、このセリフ
物部有理を指して、高尾メリッサとはどういうことか。宿院青葉は、彼の研究室へと向かう道すがら、過去に起きた出来事を簡単に同行者に話して聞かせた。
「今からおよそ一週間前、高尾メリッサさんが暴漢に襲われて亡くなった、その前日のことでした。当時、私はゲーム世界に囚われてしまった物部さんたちを助けるべく活動していたんですけど、そんな時に、その物部さん本人から連絡が来たんですよ。しかし、本物の彼は今もゲームの中に囚われている。どう考えても怪しいから、私もそのつもりで彼に会いに行きました。そうしたら、待ち合わせ場所にやって来たのは物部さんじゃなくて、高尾メリッサさんだったんです」
「あのー……私はそんな記憶ないんですけど?」
青葉の言葉に里咲がおずおずとツッコミを入れる。青葉はそんな彼女にちょっと待ちなさいと制しながら、
「その辺がどうなってるのかは、私にもよく分かりませんけども、とにかく、待ち合わせにやって来たのは高尾さんだったんです。それだけでも十分驚きなのですが、その方は私に向かって、実は自分は物部有理だと言うんです。流石に、すぐには信じられませんでしたけど……でもそちらの物部さん、中身は高尾メリッサさんだと思いますけど……今のあなたなら信じられますよね?」
「あ、はい」
里咲は当たり前のように頷いた。自分が他人の体の中に入ってしまってるのだから、自分の体に他人が入っていても別に驚きはないだろう。もっとも、本人同士は自覚があるから納得がいっても、周りで見てるだけの者はなかなか受け入れ難く、張偉は眉を顰めて、
「ちょっと待ってくれ。つまり、整理すると……物部さんは、過去の高尾メリッサの体の中にタイムリープしてしまったってことか?」
「そうです。そして入れ替わりに高尾さんは、未来の……今の物部さんの体の中にタイムリープしてしまった。それが、あなたですよね?」
青葉が確認を求める。里咲はこの期に及んで隠し立てしても仕方ないと、観念して頷いた。それを見ていた張偉は動揺を隠しきれず、
「本当に? 嘘だろう? パチモントレーナーのメアやれる?」
「いや、やれと言われても、今はこの体なので……」
里咲は張偉にじっと見つめられ、顔を赤らめもじもじしていた。因みに、照れているわけではなく、一緒に風呂に入ったことがバレたらどうしようと思っているからなのだが、張偉はどこかのタイミングでそれに気づいた瞬間、絶望することになるだろう……
それはさておき、その様子を黙って見ていたマナは、
「また奇妙なことに巻き込まれてるわね……道理でここ2日ばかり、こいつの様子がおかしかったわけだわ。中身が入れ替わってるんじゃ、私との約束も覚えてなくて当然ね」
「私も最初は信じられなかったんですけどね。話を聞いている内に、どうも本物のようだと……それで、何が起きているのかと尋ねてみたところ、彼は高尾メリッサさんが死ぬまでの一日を繰り返していたそうなんです」
「繰り返す?」
「ええ、彼は最初、高尾メリッサさんが死ぬ前日にタイムリープしたのは、彼女の死を阻止するためなんじゃないかと考えていたそうです。ところが、そう思って過去を改変しようとしたけれど上手くいかなくて、気がついたら何度も死の前日に戻されていたそうなんです。
例えば、彼が暴漢に襲われる現場から逃げたとしても、別の事件に巻き込まれて高尾メリッサさんは死んでしまう。そういうことを何度も繰り返してる内に、もしかして過去を改変することは不可能なんじゃないかと思うようになったそうなんですが……
ところが、そんな時にさっきの連中が現れたようなんですよ」
「さっきの連中って……いきなり俺たちを襲ってきたあの殺し屋みたいな集団か?」
張偉の言葉に青葉は頷いて、
「そうです。どうやら、事故だと思っていた高尾メリッサさんの死は、誰かに仕組まれていたものだったようなんです。ところが、物部さんが介入してそれが上手くいかなくなると、彼らは実力行使に打って出てきた。
驚いたことに、彼らの息は自衛隊内にも及んでいたらしく、物部さんはこの学校内で殺されたこともあったそうです。それで困り果てた彼は、過去の私にコンタクトを取ってきたってわけです」
「なるほど、自衛隊内に裏切り者がいるから、そいつを捕まえてくれってわけね?」
桜子さんは確信的にそう言ったが、青葉は首を振って、
「いいえ、そうじゃないんです」
「違うの?」
「はい。実は、彼は入れ替わりが生じる直前に、この学校内で高尾メリッサさんの姿を目撃していたそうなんですよ。まあ、種を明かしてしまえば、私が彼女のことを匿っているんですけどね……とにかく、それで彼女が生き残る未来があると確信した物部さんは、私にどうやったら生き残れるのか、本人に直接聞いてきてくれって頼んできたんです」
桜子さんは眉間に皺を寄せて自分のコメカミをぐりぐりしながら、
「ちょっと待って、頭がこんがらがってきたわ。本物のメリッサは生きている? それをアオバが匿ってる? それはともかくとして……そんな話をどうやって過去の有理に届けようっていうのよ。不可能じゃない」
「いえ、それが可能なんですよ。これも彼が偶然発見したことなんですが……」
青葉は自分だって頭が痛いんだと言いたげに肩を竦めながら、
「物部さんは過去に行ったと言っても、それって意識だけですよね? 彼は別人の体に間借りしているだけで、彼の本物の体は今もこうして未来に存在している……だからなのかは分かりませんが、どうも彼が過去で仮想空間にアクセスすると、現在の仮想空間と繋がるらしいんですよ。
それで、彼は今からおよそ1週間前、過去から現在の情報を手に入れようとして、仮想空間にログインしたんです。そして予想通り、彼は未来の私たちと接触を果たし、その情報を元に高尾メリッサさんを救うことに成功した……
その彼が、今からこの研究室へやってくるってわけです」
***
有理の研究室の中に入ると、自衛官がログインの準備をして待っており、彼は青葉に場を引き継ぐと部屋から去っていった。桜子さんは自分がログインするつもりで、当たり前のようにヘルメット型コントローラーを頭に被ったが、それを見ていた青葉にすぐ奪い返されてしまった。
「だから殿下は駄目ですってば。あなたの身に何かあったら問題どころじゃ済まないんですよ。確実に誰かの首が飛びます」
「ええー? 今更じゃない? 張偉たちは毎日楽しそうに遊んでても、特に問題ないみたいだし。あたしもそろそろ仲間に入れてよ」
「それ、物部さんの今の姿を見て、同じことが言えますか?」
桜子さんは口を尖らせながら有理の顔を見た。普段通りに見えるが、その中身は今、実は高尾メリッサという別人らしい。そう言われてしまうと、無理にでも連れて行けとは言えなかった。
「仕方ないなあ……でも、いつかあたしにもゲームをさせてよね」
「それについてはご実家と、あとは物部さんとでも話し合ってくださいよ。それでは、御三方はこっちにきて、ログインの準備をしてもらえますか?」
青葉に促されて、張偉とマナ、そして里咲の三人が歩み出る。張偉は言われた通りにヘルメットを被りながら、ふと気付いたふうに、
「あれ……? ヘルメットは3つしか無いが、宿院さん、あんたの分は?」
「私はログインしないので、必要ないんですよ」
その言葉に、なんで自分まで巻き込まれてるのだろうかと、薄々変に思っていたマナが問い返す。
「どうして? あなたは過去の物部から直々に頼まれたんじゃなかったの? その……女の子を、どうやったら助けられるのか教えてくれって」
「ええ、そのはずだったんですけどね。ところが、過去の物部さんが仮想空間にログインしたところ、そこに私はいなくて、あなたたち三人が待っていたそうなんです。だからこれで良いはずなんですよ」
「なんでだろう……?」
「それは物部さんに会ってみたら分かるんじゃないでしょうか。彼は、その方が効率がいいって言ってました」
「効率がいい……?」
何がなんだかさっぱり分からなかったが、彼がそうしろと言ったのであれば、これで間違いないのだろう。張偉とマナはお互いに顔を見合わすと、まだ納得はいってなかったが、言われたとおりにすることにした。そして三人は、ヘルメットを被ってリクライニングチェアに腰掛ける。すると間もなく眠気が襲ってきて……
気がつけば彼らは、見渡す限りの大草原の中に立っていた。
「ここは……どこ? まるで見覚えがないんだけど」
マナはログインするなり困惑気味にそう呟いた。ゲームの世界に来るのは、あの事件以来であったが、どこを見渡しても森しかなかった世界が、今は地平線まで草原が続くまっ平らな世界に変わってしまっている。
もしやまた、おかしなことに巻き込まれたのではないかと彼女は警戒したが、しかし、張偉はそんな彼女の戸惑いにすぐ気づいて、
「ああ、安心しろよ。ここはあんたが現実に戻った後に実装されたエリアだから、見覚えがなくて当然だ。それより、ほら、こっちに別荘があるから中に入ろう」
家の中に入ると、張偉は待ち人が既に来ていないか部屋を見に行き、マナは玄関脇の応接室に置かれた椅子に腰掛け、周囲を見回した。そんな彼女の後に、カルガモのヒナのように里咲がくっついてくる。マナはそんな落ち着きがない彼女の顔をじっと見上げながら、
「……本当にあんた、物部にしか見えないけど、中身は別人なの? 私はまだ、あんたら全員に謀られてるんじゃないかって思ってるんだけど」
「あ、はい。なんでか知りませんが、気がついたらこんなことになっちゃってて……私もどうすれば戻れるか分からなくて、それで黙ってたんですけど……」
「ふーん……あんたも、あいつの被害者ってわけね。もしも訴えるときが来たら言いなさいよ。いつでも証言台に立ってあげるわ」
「えーと、そんなことは無いと思いますけど、その時は……」
二人がそんな話をしている時だった。部屋の出入口の先には丁度玄関の扉が見えていて、誰かが入ってくればすぐに分かるのだが、その扉がギーっと音を立てて開いたと思ったら、その向こうから小柄な女の子が姿を現した。
肩にかかる程度のボブヘアーに、長い前髪が金色の瞳をカーテンみたいに覆い隠している。髪色は日本人らしい黒髪だったが、肌は血管が透き通って見えるくらい白く、体は華奢で手足は長くて、胸はないけれど、それでいてスタイルが損なわれた風には感じさせなかった。
魔法学校は異世界人のハーフだらけだから、基本的に美男美女が揃っているのだが、もしその中に混ざったとしても、きっと目を引いたであろう。紛れもない美少女がそこに立っていた。
マナはすぐその正体が誰であるかに気づいたが、それなのにどう声を掛けていいか分からず見惚れてしまった。すると隣に立っていた里咲がまるで重力に引っ張られるかのように、ふらふらと玄関の方へと歩いていき、そんな彼女の姿に気付いた少女と目があった瞬間、二人は磁石のSとNがピッタリ吸い付くかのように、鏡合わせに両手のひらをぴたりと押し付け、そしてじっとお互いの目を見つめ合いながら、
「俺たち……」「私たち……」
「「入れ替わってるーー!」」
実に嬉しそうなドヤ顔を決め、これ以上無いほど息ぴったりに、そんなセリフを口走っていた。
「一度言ってみたかったんだ、このセリフ」
「俺も俺も」
二人はまるで十年来の親友同士が偶然再会したかのような勢いで、キャッキャウフフとじゃれ合っている。そんな二人の姿を見てマナは、(あ、こいつ本当に物部だわ……)と確信した。そしてもう片方もそいつと同類であることを察するのだった。




