吐くか、吐くまで殴られるか
サーバールームでクラスメートたちとワイワイやっていたら、学校に苦情が届いていたらしく、やってきた鈴木先生にボコボコにされて、みんな部屋から追い出されていった。ひとり取り残された里咲が、弱肉強食の世界に立ちすくむインパラのごとく固まっていると、何故か知らないが、怒り狂った生徒会長に足を踏んづけられてチャットを見ろと脅された。
そんなぽんぽん怒られてもわけが分からなかったが、話の流れからして、どうやら彼女は物部有理と何か約束をしていたらしい。記憶は継承していないから、そんなこと言われても困るのだが……あの様子では、次無視したら本当に殺されかねないので、なんとかして待ち合わせ場所を発見しなければ。
チャットというのは、多分、里咲も仕事で使っているあのチャットアプリのことだろうが、PINコードが分からないから調べようがないんだよね……と思って、ずっとポケットに入れっぱなしになっていたの無用の長物を手に取ったら、なんか自然とセキュリティを突破して、あっさりホーム画面が開いてしまった。
あれ? と思ったが、よく考えても見れば、体は本人なのだから、生体認証はそのまま通るので元からPINコードなど必要ないのだ。もっと早く気付けばよかった、てへぺろ、と可愛く舌を出してから言われたとおりにチャットアプリを開いたら、恐怖で髪の毛がパラパラと抜け落ちていった。
『いま、到着したわ』『そろそろ時間よね。早く来なさいよ』『あんた、未読無視っていい度胸ね』『ちょっと、いつまで人を待たせる気?』『私だって暇じゃないんだから、早くしなさいよ』『返事くらいしなさい。常識でしょう?』『赤ん坊からやり直したいの』『殺すわよ』『今すぐ来なければあんたの顔面、両親も見分けがつかないくらいすり潰すから』『お尻から手突っ込んで奥歯ガタガタ言わせてやろうかしら』『殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す死ね』
思わず悲鳴をあげたくなるような呪詛がこの後も延々と続いている。日付を確認してみると、だいたい昨日の夜8時頃から2時間くらい、彼女は待ちぼうけを食わされていたようだった。
しまったな、でも気づかなかったんだから仕方ないじゃないかと思っていると、ピロリンと電子音が鳴って新しいメッセージが届いた。
『こんや 8じ こなかったら ころす』
なんで全部ひらがなで書いているのかは分からなかったが。怖い。怖いから絶対にすっぽかさないつもりではあるが、実を言うと待ち合わせ場所が分からなかった。
ログを辿っていたら、『林の広場』という単語がちらほら見つかったから、多分そこが待ち合わせ場所なのだろうが……それはどこなんだろうだ?
どうしよう。もうちょっと具体的な場所を聞いても、彼女は怒らないだろうか? 聞いたほうが良いのは分かっているのだが、さっきの剣幕を思い返すとちょっと尻込みしてしまう。
林の広場と言えば、寮の周りは雑木林に囲まれているから、多分、そのどこかにあるだろうから、これから虱潰しに探しに行ってみようか。いや、もしかすると、寮生なら誰でも知ってる有名な待ち合わせ場所で、張偉にでも聞いてみれば案外すぐに答えが出るかも知れない。
その張偉は鈴木先生に連れて行かれてしまったが、待ち合わせまではまだ時間があるし、夕食時にでも聞いてみることにしよう。
***
「生徒会長と待ち合わせ? そうか。二人は最近仲が良いな」
夕方、食堂で待ち伏せして張偉を捕まえ、一緒に食事をするついでに情報を引き出すことにした。彼は里咲が生徒会長に呼び出されたことを知ると、まるで孫の成長を見守るおじいちゃんみたいに頷いていたが、その待ち合わせ場所が分からないと言うと、流石に不審に思ったのか、
「林の広場? それって、いつもジェリーに餌をやってる場所のことじゃないのか?」
「ジェリーって?」
「ジェリーは俺たちみんなの猫じゃないか。あんなに懐いているのに」
「あ、猫ね、猫猫。もちろん知ってたよ。で……それって大体どの辺にあるんだっけ?」
里咲が恐る恐る尋ねると、張偉はほんのちょっぴり眉を顰めて、
「……物部さん、俺は思うんだが、あんたは昨日から少し様子がおかしくないか?」
「え!? いや、別にそんなことないけど……」
「あんたには恩がある。もし、なにか困っているなら言って欲しい、力になるぞ。俺が頼りないと言うなら仕方ないが」
「いやいや、全然そんなことないよ!? いつも助かってるよ」
いや本当に、この張偉という男がいなければ、この2日間の里咲は今頃どうなっていたかわからなかった。こうして一緒に御飯を食べたり、ゲームをしたりしてても思ったが、彼とこの体の持ち主は、本物の親友同士だったんだろうなと如実に感じていた。
そう考えると、いつまでもその親友に、本当のことを隠しているのも悪い気がしてきた。こうして心配を掛けてしまった以上、いい加減に観念して白状したほうがいいのではなかろうか。実はそろそろ相談する相手が欲しかったし、今更、彼が裏切るような真似をするとは思えないし……
でもなあ……実際に、中身が別人だと知ったら、彼はどういう反応をするだろうか? 当然、彼は本物の物部有理を取り戻そうと考えるだろうが、その時、中に入ってる里咲はどうなってしまうのだろうか……それが怖くてグズグズしていると、
「まあ、いい。林の広場だろう? それなら寮を出て目の前の雑木林に入ってから右に曲がり、外周に向かって歩いていくと直に見えてくる。夜は他より明るいから、見ればすぐに分かるはずだ」
「あ、そうなんだ? 助かるよ」
「生徒会長と待ち合わせなんだろう? 野暮なことは聞かないさ。でも、上手くいったら教えてくれよな」
「う、うん……約束するよ」
張偉は、こちらが言いたくなさそうな雰囲気を察してくれたのか、それ以上追求してこなかった。本当はもう話したほうが良いんじゃないかと思いつつも、里咲は彼のプライベートに踏み込んでこない態度をありがたく感じていた。
その後、食事を終えて部屋に帰るという張偉と別れて、時間が来るまでロビーでくつろぐことにした。自分も部屋に帰れればいいのだが、多分、あのエッチな女がいるだろうから、下手なことをしてボロを出したら困るので帰れなかった。
それにしても本当に、あの女は何者なんだろうか? 冷静に考えれば、学生寮で女を囲うなんて出来るわけないだろうから、そう考えると謎すぎる。少なくとも、この体の持ち主とは相当親しい間柄なのは間違いないだろうが……あれ? だとしたら、これから会いにいく生徒会長と彼はどういう関係なんだ? 不倫?
なんだか、知れば知るほどわけが分からなくなってくるこの物部有理という男のことを考えていたら、いつの間にか待ち合わせ時間が近づいていた。また遅れたら本当に殺されかねないので、慌てて待ち合わせ場所に向かう。
言われた通りに寮を出て目の前の雑木林に入り、暗闇を手探りで歩いていく。雪崩のような虫の声が、耳にジャンジャンと反響して、周囲の音は全く拾えなかった。落ち葉を踏む足の裏の感触を頼りに歩いていくと、やがて前方に光が差している広場が見えてきた。張偉も言っていた通り、周りが暗いからそれは凄く目立った。
ガサガサと茂みをかき分けて広場に入っていくと、生徒会長はもう来ていて、広場の切り株に座って膝に乗せた子猫を撫でていた。まるで子猫のゴロゴロという声がここまで聞こえてきそうである。猫は里咲が近づいていくとピョンと会長の膝から飛び降りて、彼女の足にゴンゴンと額を押し付けてきた。ごきげんな尻尾が足にまとわりついてくる。
そんな様子を、NTR主人公みたいな目つきで見ていた会長は苛立たしげに、
「昼間、あれだけ口を酸っぱくして言ったのに遅れてくるとはいい度胸ね。そんなに殺されたいのかしら」
「ええっ!? こ、これでも急いできたつもりなんですけど……」
「まあいいわ。来ただけマシだと思ってあげる。まったく……それで、昨日はどうしたのよ。ずっと待ってたのに来ないどころか、こっちの呼びかけも全部無視するし」
「えーっと……その……スマホの電源が切れてて」
「それで誤魔化せると思ってるの」
「すみません! 単純に忘れてました!」
「忘れたぁあー……? うーん……まあいいわ。そういうこともあるかも知れないからね。でも次はないと思いなさいよ」
「わかりました」
「それで? 一昨日はあれからどうしたのよ? 今日、ちゃんと張さんに確認したの?」
学校では問答無用で殺されそうな迫力を放っていたが、こうして二人きりで会う彼女はいくらか穏やかな感じだった。里咲はホッとしつつも、質問の意味が分からなくて返事に困った。張偉に確認しろとは、なんのことだろう……?
「えーっと……張くんとは今日もずっと一緒だったけど」
「見りゃ分かるわよ」
「特に何も言ってなかったかなあ……なんて」
「そう。それじゃあ、彼は魔法を持ち出せなかったってこと?」
「魔法を……持ち出す……?」
そう言えば、昼間サーバールームで会った時にも、確か彼女はそんなことを言っていた。しかし、それを思い出してもやっぱり言ってる意味が分からなかったので、
「すみません、その……魔法を持ち出すとは、どういう意味なんでしょうか? 出来れば、この、愚かな私めにも分かるようにお教え願えればありがたいのですが……」
「はあ!?」
すると生徒会長は胡散臭いものでも見るような目つきで、
「どうもこうも、そのままの意味じゃない。私たちが1ヶ月間、閉じ込められていたあのゲーム世界の魔法を、私たちは何故か現実にも持ち出すことが出来た。それは私たちだけが特別なのか、それとも、今あのゲームで遊んでる張さんたちもなのか。それを確かめるって、あなたそう言ってたわよね!?」
「え? あの魔法が現実でも使えるって……?」
生徒会長はまるで寝ぼけてるかのような馬鹿げたことを言い始めた。しかし、馬鹿げていると言えば、そもそも今の自分自身が馬鹿げたことの代名詞みたいなものなので、案外そういうこともあるかも知れない。彼女はそう思って、何気なくあのゲームで覚えた呪文を口にしてみると……
「えーっと……リガードゥ ベスト……だったっけ?」
里咲がその言葉を口にした瞬間だった。それまで真っ暗だった周囲の森が、キラキラと星を散りばめたみたいに輝き出した。それは仮想ゲームで彼らが探索魔法と言っていたもので、周辺の生物を光で可視化して見せるというもので間違いなかった。
「本当に、あのゲームの魔法が現実でも使えるの?」
驚いた里咲が周囲をきょろきょろ見回してみると、よく見れば周辺の木々の影にチラホラと人影が見えた。それも一人二人では済まなくて、十人以上はいるようである。なんでこんなところに? と思いもしたが、もしや、里咲と生徒会長が逢引してると聞き及んで来た出歯亀ではなかろうか。
そんなことを考えていたら、里咲の様子を不審に思ったのか、ついに生徒会長が追求してきた。
「……ちょっと、いくらなんでも今日のあんた、変過ぎない? こんな重要なことを忘れて、クラスメートをあれで遊ばせようなんて……常識的に考えて、まともな人間がやることじゃないわよね。っていうか、私の知る限り、あんたがこんなミスを犯すとは思えない。まるで、別人にでも体を乗っ取られてるかのような違和感すら感じるわ」
里咲の心臓がドキリと高鳴る。生徒会長はじっと里咲の目を睨みつけながら、なおも畳み掛けるように、
「そうよ……慎重なあんたらしくない。さっきからの話の噛み合わなさも、普段のトボけた態度とはちょっと種類が違うわよね……さてはあんた、また何かに巻き込まれてるわね? 吐きなさい! 何が起きてるか私に包み隠さず話すか、ゲロを吐くまで殴られるか選びなさい!」
「ひぃっ! それって選択肢あってないようなものですよね!?」
生徒会長はグイグイ迫ってくる。まさか、こんなところで正体がバレるとは思わなかったが、どうしよう……もう観念して、彼女に本当のことを言ったほうが良いのではなかろうか? 里咲一人で考えるのもそろそろ限界に思えてきたし、見た感じ彼女は彼女で、張偉と同じようにこの体の主のことを心配してくれてるようだから、きっと悪いようにはならないだろう。
でも、何から話せばいいんだろうかと、彼女が言葉を探している時だった。
「二人とも、危ない!」
周辺の木の陰で出歯亀していた1つの人影が、急に広場に飛び出してきたと思ったら、信じられないようなスピードで里咲と会長の方へと駆けてきて、これまた信じられないような力で、いきなり二人をグイッと押し倒した。
「きゃあーーっ!!」「ぐへぁあーーっ!!」
その勢いに突き飛ばされて、ずざざーーー……っと砂煙を上げて転がっていく摩擦熱で、背中が焼けそうになった。
ぎゃあと悲鳴をあげつつ、何事かと顔を上げれば、二人に覆いかぶさっていたのは張偉で、彼は二人を押し倒したそのままの態勢で、顔だけ広場を振り返って目を剥いていた。
どうしたんだろうと、その視線の先を追ってみれば……たった今まで自分たちが立っていた地面に何かが当たって土煙を上げていた。地面が抉れ、その拍子に舞い上がった土塊が雨のように降り注ぐ。
バラバラと音を立てて顔にぶつかる土塊に、痛みを堪えて目を凝らせば、真っ暗な雑木林の中でパシャパシャとカメラみたいに発光する何かが見えた。というか……あれはマズルフラッシュではないか? 仕事の合間の暇つぶしに遊んでるFPSで見たことがある……とか考えていたら、またグイッと首根っこを物凄い勢いで掴まれて、張偉に林の中へと投げ込まれた。
そして生徒会長と二人、折り重なるようにして茂みのクッションに体を預けていると、彼女らが広場から出たせいで姿を見失ったからか、さっきまで木の陰に隠れていた出歯亀たちが一斉に動き出し、広場に飛び出してきてその姿を晒した。
里咲はその姿を見て唖然とした。
飛び出してきた男たちは、何故か銀行強盗みたいな目抜き帽を被っていて、体には防弾チョッキみたいなジャケットを着込み、全員が全員、肩からアサルトライフルを下げていたのだ。
多分、それは玩具ではない……その銃口がこちらに向いた瞬間、彼女は直感的にそう思った。




