うわあ、びっくりしたあ
徃見教授のゼミにやって来た有理は、そこで例のヘルメット型コントローラーを発見した。教授はゲームに閉じ込められてしまった『現在の』有理を救う方法を探るべく、ここでこうして研究していたらしい。
結果は芳しくなかったようだが、もしかしてこれを使えばあっちの世界に繋がるんじゃないか? と考えた有理がパソコンを弄って試したところ、どうやら予想通りにフルダイブしたまでは良かったものの、繋がった先は未知の空間だった。
「……どこだ、ここは?」
気がつけば有理は見渡す限りの大草原のど真ん中に立っていた。
想定外の事態に慌ててぐるりと周囲を確かめたが、360度、どこを見ても手がかりになるようなオブジェクトはなく、そこにはただひたすらフラットな草原が広がっているだけだった。目を凝らしてよく見ても、丘や谷のような地形の凹凸も存在せず、まるで人工物のような印象を受ける。
そんな奇妙な空間に飛び込んでしまった彼は、一瞬、まずいことをしてしまったかと焦ったが、しかし何故か、こんな何も無い空間に見覚えがあるような気がして首を捻った。そして記憶をたどり始めた彼は、すぐに気づいた。
「あれ? ここってもしかして……秘密基地の中じゃないか?」
そうやって口に出したことで、より鮮明に思い出してきた。
天穹の開発陣に無理を言って作って貰ったハウジング機能は、急作業のやっつけ仕事だったので、カスタマイズ性だけを確保して後は使用者に丸投げという代物だった。だから最初にインスタント空間に繋いだ時は、見ての通りの何も無い空間が広がっているだけで、その後、自分たちで建物を建てたり木々を植えたり地形を弄ったりしたのだ。
そう思って空を見上げて見れば、例の太陽がないのに明るい青空が広がっている。間違いない。ここは秘密基地の中である。だが……自分はどうしてここにいるんだろうか? 有理は首を傾げた。
ログインするなり、いきなりこの場所に繋がったことも変だが、そもそも秘密基地が存在すること自体があり得なかった。今の時間軸で、本物の有理はゲームの中に囚われている状態で、秘密基地は発注したばかりでまだ作ってさえいないはずだ。なのにどうしてこの場所に来れてしまったんだろうか?
思い返せば……確か自分は秘密基地の中で寝てたら、高尾メリッサになってしまっていたのだ。だからログインしたらここに戻ってきたんだろうか。
ん……? 戻ってきた?
有理がその言葉に違和感を覚えたその瞬間だった。突然、目の前でガチャリとドアが開くような音が聞こえたと思ったら、何も無い空間にいきなり扉が出現し、そこから一人の男がひょっこりと現れた。
そして有理は、その男の顔を見るなり硬直した。何故なら、そこにいたのは有理本人そのものだったからだ。それは今の有理(女)ではない、そうなる前の過去の自分……いや、未来の自分だろうか?
有理(男)が突然目の前に出現したのだ!
自分で自分が生きている姿を目撃にするなんて経験をした人類は、きっと後にも先に自分だけだろう。このわけの分からない状況に、流石の有理(女)の思考も停止した。
彼……いや彼女はとにかくここにいてはマズイようなそんな気がして、抜き足差し足しながら、有理(男)が入ってきたドアから外へ逃げ出そうとしたが、その瞬間、有理(男)が何気なく振り返って、そして二人はばっちり目が合ってしまった。
「うお!? ……おお~う……」
有理(女)は自分に見つめられた瞬間、まるで電撃でも走ったかのように全身の筋肉が硬直してしまった。頭の中でぐるぐる渦巻いていた思考は全部吹っ飛び、文字通り真っ白になってしまって、暫くそのままの姿勢で二人はお互いに見つめ合っていた。
息をすることも忘れて固まっていた有理(女)は、やがてその息苦しさから我を取り戻すと、まるで浮気現場を襲撃された間男みたいに気持ち悪くキョドりながら、
「えへっ……えへへへっ……えろうすんまへん。えへっ、お邪魔しております。えへへっ……すぐ出ていきますんで」
と言って平身低頭ペコペコしながら、有理(男)の脇をそそくさと通り過ぎ、有理(男)のぽかんとした視線を背中に感じながらドアの中へと飛び込むと、突然、足元から地面が無くなってしまったような浮遊感が生じて、有理(女)は虹色に光る亜空間の中をあれよあれよと落下していった。そのいつ終わるとも知れない墜落の中で、重力に体を引き伸ばされながら、徐々に意識が遠のいていき……
そして気がついたら、彼はまた徃見教授のゼミの中で床に寝そべっていて、そんな彼を吉野が上から覗き込んでいた。
「ちょっとちょっと、大丈夫!?」
きっと意識を失ってしまった彼を起こそうとして肩を揺さぶってでもいたのだろう。目覚めた瞬間、殆ど馬乗り状態の彼女の顔がものすごく近くにあって、彼は馬鹿みたいに驚いた。
「うわあ、びっくりしたあ」
「びっくりしたのはこっちの方よ。いきなり気絶するから……危うく救急車を呼ぶところだったじゃない」
「そりゃ、心配をお掛けしました。っていうか、仮想空間に繋がったら、元の体はこうなっちゃうんですよ。言いませんでしたっけ?」
「仮想空間に繋がったらって……え? もしかして今のって、成功してたの?」
吉野は目をパチパチさせている。有理は説明不足だったと反省しながら、
「はい。ちゃんと仮想空間に入ることが出来ました。あー、つまり……今の物部有理と椋露地マナに起きているのと同じ魔法現象を、この身を持って確認してきました」
「それが本当なら大発見じゃない! それって私にも出来るのかしら?」
彼女はそう言ってヘルメットを被ったが、
「吉野さんに魔法適性があるなら……いや、無理か。確か、現時点では、メリッサは人を選んでいるはずだから、俺じゃないとフルダイブは出来ないと思います」
吉野は納得がいかないといった感じに渋面を作りながら、
「もどかしいわねえ……でも、取り敢えずあなたの言うことは信じるわよ。それで、繋がった後は、どうなったの?」
「それが、てっきりいつものゲーム空間に繋がるんだと思ったら、おかしなことになっちゃって」
「おかしなことって?」
「それは……」
有理は今あった出来事を話そうとして、ちょっと口ごもった。冷静に考えて、彼女が信じてくれるとは思えなかったのだ。とはいえ、ここまできて今更隠し立てしても仕方ないと思い、
「実は、繋がった先で、以前に見たことがある光景を見たんです。俺が数日後の未来から、意識だけこの体の中に戻ってきたって言いましたよね?」
「ええ、言ったわね」
「その今から数日後に、俺は今と同じようにVRゲームをやってて、そこで不審な女を見かけていたんです。その時はあまり気にしなかったんですけど……今思えばそれは俺でした」
「へえ」
彼女はふむふむと尤もらしく頷きながら、
「つまり今、あなたの体は過去にあるけど、意識だけ未来に行ってしまったってこと? いえ違うわね。実際には、あなたの本当の体は未来にあるのだから、寧ろ意識が未来に戻ったって考えたほうがいいのかも。そう考えると興味深いわね」
「意識が未来に戻った……? なるほど。その観点はありませんでした……っていうか、吉野さん。俺の話信じてくれるんですか?」
「そりゃあ、ねえ」
彼女はカラッとした表情で、
「だって信じるのはタダじゃない? 仮に騙されていたとしても、誰かが損するわけでもなし、単に、『なんだ、嘘だったんだ』ってがっかりするだけよ。でも本当だったら、そこに未知の魔法現象があるってことでしょ? なら断然信じるべきよ。嘘だって決めつけて何もしないよりは、そうして面白おかしいことに首を突っ込んでいた方が人生ずっと楽しいわよ」
有理はその言葉を聞いて、なるほど、徃見教授のお弟子さんだなと思った。もしも同じ学校に通っていたら、彼女とはいい酒が飲めただろう。そう考えると惜しいことをしたかも知れない。
「おっと」
二人がそんな会話をしていると、有理の携帯のアラームが突然鳴り出した。一応、今日も仕事に行くつもりでセットしておいたものだが、どうやらタイムリミットが来たらしい。
「残念だけど、そろそろ仕事に行かなきゃいけないみたいです」
「これから死ぬかも知れないっていうのに、わざわざ? 行かなくてもいいんじゃない」
「いや、前回はそれで失敗しましたから」
有理はけたたましいアラームを止めるとそのまま携帯のアドレスを表示し、
「すみませんが、教授から連絡があったら、この番号に電話してもらえませんか? あ、でも、仕事中は電源切っちゃってるから……どうしようかな」
「だったらIM送ってあげるわ。あなたもこれやってないの?」
彼女はそう言って自分のスマホを取り出し、チャットアプリを起動してみせた。それは数日前に椋露地マナとの連絡するのにも使った定番のアプリで、手持ちの携帯を確かめてみれば、どうやら高尾メリッサも同じアプリを使ってるようだった。
IDを交換しようとして起動すると、グループチャットが表示されて藤沢の名前が見えたから、どうやら普段から仕事の連絡用で使っていたらしい。よく見れば今日のスケジュールもばっちり書いてある。
興味はあったが今はそんなことを気にしている場合ではないので、メイン画面に切り替えた時、有理は視界の端っこに気になるものを捕らえた。
メイン画面の下の方には『もしかして、知り合い?』という吹き出しと共に、何件かのユーザーIDが表示されていた。それらのIDはまだ登録されていないが、知り合いっぽいからリクエストを送るかどうかアプリが尋ねているのだ。
確かこのアプリは初回起動時に、携帯のアドレス帳から電話番号を勝手に収集して、その情報を元に、同じアプリを使っている者をサーバーが通知してくるのだ。つまり電話番号を運営会社に握られており、個人情報をこんなラジカルに使っていいのか? という論争もあったが、最初から約款にそう書いてあるので、アプリが普及するにつれてそんな声も聞こえなくなっていった。
それはさておき、有理はふと思い立ってアプリからログオフすると、すぐまた替わりに自分(物部有理)のIDとパスワードを入れてログインしてみた。すると見覚えのあるメイン画面が出てきて、その下の方に『もしかして、知り合い?』の吹き出しとともに、『宿院青葉』の名前が表示されていた。
「セキュリティ、がばがばあああーーーっ!!」
有理が思わず奇声を発すると、吉野は目を丸くして、
「な、なによ急に、びっくりするじゃない!?」
「いやその、一番知りたかった情報が思いがけず見つかったもんだから、つい……驚かしてすみません」
「ふーん、よく分からないけど、良かったわね。それで、IDは?」
「あ、はい」
有理は慌てて返事をすると、慣れない手つきでIDを表示して互いのアドレスを交換した。これでマナに続いて二人目の女性のアドレスゲットである。いや、宿院青葉も含めて三人目か?
家族との連絡用に登録して、つい最近まで殆ど使ったことがなかったのに、その家から追い出された瞬間にこれである。皮肉なものだなと思いつつ、彼は吉野に礼を言うと、アフレコのためにすぐ近所にあるいつものビルを目指した。




