3度あることは4度ある
『中野坂上、中野坂上、お降りの際は……』
ブレーキと同時に伸し掛かってきたおっさんを強引に押しのける。睨みつけてやると、おっさんはあうあう言いながら小さくなった。有理はそのまま席から立ち上がるとホームへ降りた。目が痛いくらい染みてきて、手で拭ったらそれは額から流れてきた大量の汗だった。
列車が去って誰も居なくなったホームで、まるでパンチドランカーみたいにベンチに腰を下ろす。
「……どうなってんだよ、これ?」
そんな独り言をホームの風が巻き上げていった。
前回は気をつけていたのに、不慮の事故で死んでしまった。だから今度はそうならないよう、危険を出来るだけ避けたつもりだったのに、まさかただ道を歩いているだけで殺されるなんて、夢にも思わないじゃないか。
それもただ殺されただけじゃない。あのビルの前で刺殺された時のように、また反異世界人主義者に、まったく同じ理由で殺されたのだ。それが職質を受けて連行されていった男が、警察の目を盗んで逃げ出し、有理を殺しに戻ってきたというのだったら、まだ話は分かる。そうじゃないのだ。
あの時、東大の赤門の前でいきなり有理を刺してきたのは、あのビルの前に隠れていた暴漢とはまた別の人間だったのだ。
つまり、高尾メリッサは、同じ日に、同じ理由で、まったく別々の男二人に命を狙われていたということになる。こんなことがあり得るだろうか? いくらなんでもおかしすぎるだろう。
こうなってくると、いよいよ、最初に思い浮かべた妄想が現実味を帯びてくる。量子状態が確率によって収縮するように、世界が元の状態を維持しようとして、揺り戻しが起きているのだ。もしもそうなら、高尾メリッサは絶対に生き残ることは出来ない。
何故なら、世界が彼女を殺すからだ。
そしてその彼女とは、今は自分のことなのだ。
自分は今、過去に殺されてしまった高尾メリッサを救おうとして、彼女が殺される前日にタイムリープし、何度も同じ日を繰り返している。彼女を救うことが出来れば、このループを抜け出せるのだと、根拠もなく信じて、そうしているわけだが……もしも世界が彼女を殺すのであれば、有理は永遠に殺され続けることになる。
一生このまま、この世界を彷徨い続けることになるのだ。
「これはちょっと、まずいことになってるんじゃないか……」
そんな独り言を、滑り込んできた列車がかき消していく。有理は乗降客がホームを行き交う姿を見ながら、暫くの間そこから動けなかった。
***
それからまた、一夜が明けた。
その後、どうにかこうにか気を取り直し、家に帰った有理はまた昨日みたいに早く寝ようとしたのだが、今度は寝ようとしてもなかなか寝付けなかった。頭の中で最悪の事態が堂々巡りして離れないのだ。
それでもどうにかこうにか明け方頃にウトウトしかけたが、そう思った次の瞬間にはもう目覚ましが鳴っていて、目の下に隈をつけながらスタジオへ向かった。寝不足で吐き気がするのを堪えながら出演者に挨拶し、体調不良を詫びながら収録を済まし、空気を読んだマネージャーが雑誌インタビューをキャンセルしたことで早く帰れることになった。
有理はまた非常階段から外を覗き込んで、隣家に暴漢が隠れているのを確認すると、110番通報して男が連行されていくのを見届けてから、今回は表の玄関から出ることはせず、一階のトイレの窓から這い出て、狭い路地裏へ下りると、出来るだけ人通りの多い道を避けて隣駅へ向かおうとした。
その途中、運良くタクシーを捕まえることが出来たので、予定変更して四谷駅へ連れて行って貰い、ここまで来たらもう平気だろうとも思ったが、一応、十分に周りを警戒しながら丸の内線に乗車した。
流石に地下鉄内で襲われることはないだろうが、それでも警戒は怠らず、新高円寺駅まで帰ってきたら、また大通りを避けて出来るだけ狭い道を背後を気にしながら家路を急ぎ……そして、ようやく自分の住処に辿り着いた。
ヤクザみたいな管理人の目を今は頼もしく感じながら、オートロックを解除してエレベーターを待っていたら住人がやって来たから、同じ箱に乗りたくないと思い、階段を使って自分の部屋のフロアまで上がった。そこまでしてようやく殺風景な廊下に戻ってくることが出来て、そしてビニール傘が花を咲かせている部屋の前に立った。
「帰って来れたあ~……」
部屋のドアを開け、後ろ手にドアを閉めて鍵を掛けると、有理はため息を吐いてその場にへたり込んでしまった。思った以上に緊張していたらしく、体はくたくたで、もう一歩も動けそうになかった。彼は暫くの間そうして玄関にへばりついていたが、どうにか落ち着きを取り戻すと靴を脱いで部屋に上がった。
一時は死の強制ループにはまり込んだのでは無いかと絶望しかけたが、こうして部屋に戻ってこれたということは、ちゃんと生存ルートは用意されていたらしい。本当なら、今後の彼女の生活のことも考えて、暴漢を陥れるつもりだったが……まあ、命あっての物種である。今はこれで良しとするしかないだろう。
ところで、過去を変えることは出来たわけだが、これで本当に元の体に戻れるのだろうか? 他に当てはないから頑張ってきたわけだが、今のところその兆候はない。どうすれば元に戻れるのだろうか。
確か、寝てたらいつの間にかこの体になっていたんだから、やっぱり眠ったら元に戻れるんじゃないだろうか。丁度、寝不足だったし、仕事も一段落したところだし、今ならぐっすり眠れそうだ。どうせなら布団も干しておけば良かったが……いや、今からでも遅くはないか? 西日がまだカンカン照りである。
そんなことを考えながら奥に入っていったら、部屋の窓が開いていて、カーテンが風にひらひらと揺れていた。
どうやら、今朝、出掛ける時に開けっ放しで出てしまったらしい。高い階層だから誰かが侵入することはないだろうが、不用心だと思いつつ、窓を閉めようと部屋の戸をくぐり抜けた時だった。
突然、横から腕が伸びてきて、ぐいっと引っ張られたと思ったら、喉元をガリッと何か硬いものが通り抜けていった。
驚いてその手を振り払い、必死になって窓の外へ助けを呼ぼうと声を上げたら、喉に生ぬるい液体が詰まるような感触がして、いきなり視界が真っ赤に染まった。
「ガハッ!!」
誤飲したときの咽るような衝動に駆られて、咳払いをしようとしたが、まるで喉が拒絶しているかのように空気が気道を通ってくれない。どうしたんだ? と焦っていたら、鉄の匂いと味が充満してきて、ゴボッという音の後に、口から大量の血液が吹き出した。
「ぐは! ……がっ! ……はがっ……」
四つん這いになりながらベランダに向かって大声で叫んだつもりが、喉はどんな音も発してくれなかった。異常な痛みを感じて慌てて首元に手をやったら、ぬるっとした感触がして、あっという間に手が真っ赤に染まっていった。
自分の喉に大きな穴が空いていると気づいた瞬間、血の気が引いて、呼吸が出来なくなった。慌てすぎて過呼吸になってるわけじゃなく、構造的に無理なのだ。脳が酸素を求めて警告音を発している。有理はここにいたらまずいと思って、ベランダから外へ出ようとした。落下したら助からないと分かってるのに、そっちのほうがマシに思えた。
「Shut up!」
すると、次の瞬間、何者かが足首を掴んで彼の体を引きずり戻し、重しのように背中に足を乗せてきた。立ち上がろうと腕立てをするも力が出ず、バタバタともがいている内に首だけが背後に回って、そこにいる人の顔を捉えた。
「I don't want to do the dirty work, Sir.」
「If the world can be bought with the dead girl, it's a bargain.」
「Is that story true?」
「I'm not sure, anyway look at the gauges.」
見れば部屋の中には二人の男が居て、なにやらミリタリーっぽいゴツゴツした装備を身にまとい、このクソ暑いのに顔はすっぽり覆面で覆われていた。丸い目抜き穴から覗いた目は黒ではなく、灰と緑で、彼らが日本人でないことが窺える。それを裏付けるかのように、二人は英語で会話しているようだったが、早口なのと、精神的に一杯一杯で殆ど聞き取れなかった。
ただ、薄れゆく意識の中で、彼らは何やらピーピーとけたたましい警告音を発する計器か何かの装置を見ながら、忙しなく喋っている様子だけは窺えた。そして酸欠になった有理の脳がついに思考を停止する直前、
「……worlds collide」
という言葉だけが、何故か鮮明に頭の中に響いて……そして彼は4度目の死を迎えたのであった。




