まさかね
ひぃひぃと荒い呼吸を立てながら、里咲は灯りが消えた暗いキャンパス内を駆けていた。
勢いで学生寮を出てきたまでは良かったが、これからどこへ向かえばいいのだろうか。そもそもここはどこなのだろうか。見た感じはどこかの大学のキャンパスのように見えるが、学生寮にいたみんなは高校生みたいに学ランを着ていたし、この物部有理とかいう男に至っては自分のサーバールームを所有している。そんな場所が日本国内にあるのだろうか?
そう思ったら、なんだか無性に気になってきた。本当なら張偉にでも聞ければいいのだが、流石にそんなことを聞いたら怪しまれるだろうから、ここは一度この学校から出て、最寄り駅にでも行ってみよう。
彼女はそう思って、出来るだけ広い道路を選んで歩いてくると、やがて道路はバスターミナルみたいな広場にたどり着いた。広場の前方には立派な門があって、その門は閉じていたが、手前の詰め所から灯りが漏れているから、多分、そこで頼めば外へ出してもらえるのではなかろうか。
彼女がそのつもりで詰め所に近づいていくと、中に居た門番は、思ったよりも高圧的な態度で、
「止まれ!」
と彼女に静止を命じた。そんなに怖い声を出さなくてもいいのに……と思いつつ、言われた通りに立ち止まると、詰め所から出てきた門番は不審そうな目つきでじろじろと里咲の全身を舐め回すように見てから、
「ん? 君は学生かな……?」
よく見れば門番は、肩からマシンガンみたいなおもちゃを担いでいる。ミリオタとか、そういう類の人だろうか? 思ったよりも自由な職場なんだと思いつつ、彼女は彼に返事をした。
「あ、はい。ここの学生なんですけど、ちょっと通してもらえませんか?」
すると門番は呆れるような素振りで、そして気狂いでも見るような目つきで言った。
「はあ? 学生を外に出せるわけがないだろう」
里咲は、え? なんで? と思ったが、
「そんな遠くまでは行きませんから。すぐ帰ってきますから」
「バカを言っちゃいけない。さっさと寮に戻りなさい」
「なら、最寄りのコンビニまでで良いですから。それくらい良いでしょ?」
「駄目に決まっているだろう」
門番は思ったよりも強く拒んできた。その表情からは、これ以上駄々をこねるのであれば、実力行使も辞さないぞと言う雰囲気が伝わってくる。相手はミリオタのくせに、なんか妙な迫力があった。
どうしよう……これ以上押し問答したらまずいことになりそうだ……と、里咲が尻込みしていると、
「その方なら、そんなに警戒しなくても大丈夫ですよー」
すると詰め所の中から声がして、一人の女性がひょっこりと現れた。柔和な笑みを浮かべたその女性は、女の里咲から見てもかなり綺麗で好感がもてた。さぞかし、男にモテるだろうなと思っていると、たった今まで厳つい顔をしていた門番が、急にデレっと表情を崩して彼女のために道を譲った。
里咲がそんな門番が詰め所の中に戻っていくのを呆れながら眺めていると、
「それで物部さあん。こんな夜更けにどうされたんですかあ?」
女性が柔和な笑みを崩さずに、甘ったるい声で話しかけてきた。普通だったら、同じ女性にそんな媚びを売るような真似をされたら警戒しそうなものだが、里咲はなんだかその声を聞いた瞬間、この人になら何でも話していいような気がして、
「はあ……実は私、ここがどこなのかイマイチ分からなくって、近くの駅にでも行って確かめてみようかなって思いまして」
「ここですかあ? 最寄りと言えば、厚木駅が近いですけど、とてもじゃないですけど遠すぎて徒歩じゃ行けませんよ?」
「そうなんですか?」
「はいー。だから今日は戻られた方がいいと思いますよー」
「はあ、ならそうします……でも困ったな。実はちょっと事情があって、部屋には居づらくって……」
「では、研究室の方へ泊まられてはどうです?」
「研究室?」
「物部さあん、よくお泊まりになられていますから、寝袋が置きっぱなしですし、あのリクライニングチェア、倒せばベッドにもなりますよー」
「あー、リクライニングチェア……そっかあ……じゃあそうします」
里咲はぺこりとお辞儀をすると、来た道をふらふらと戻っていった。
宿院青葉はその後姿が見えなくなるまで、たっぷり1分以上見送った後、すっと素面に戻ると振り返って詰め所の中へと入っていき、
「ご苦労さまです。引き続き、警戒態勢でお願いします」
彼女の声に、自衛官たちは無言で頷いた。
***
敷地の外に出してもらえなかった里咲は、渋々研究塔まで戻ってきた。寮の部屋には、この男が囲っている女がいるから、童貞を守るためには今日はここに泊まるしかないのだ。
そう思って来たはいいものの、確か研究室の鍵は夕方守衛に返してしまった。それじゃ中に入れないじゃないかと一瞬焦ったが、守衛室は深夜にも関わらず灯りがついていて、里咲が現れるとすぐに気づいて、
「物部君、今日も泊まり? 若いのに偉いねえ」
と、何も言わずにカードキーを渡してくれた。どうやらこの男、ここでは顔パスらしい。見た感じ、ただの学生にしか見えないのだが、なんでこんなに信用があるのだろうか? 不思議に思いながらカードを受け取り、色々と突っ込まれる前にそそくさとサーバールームへと向かう。
ドアを開けて真っ暗な部屋に入り、スイッチはどこかと手探りしていたらパッと勝手に電気が点いた。人感センサーがついてるんだと感心しながら、昼間座っていたリクライニングチェアに腰掛けたら、今度はモニターが勝手に起動した。至れり尽くせりである。
画面を覗けば、素っ気ないウィンドウが多数開いていて、中ではプログラムらしき英語の羅列が忙しなく流れていたが、よく見ればデスクトップにブラウザのアイコンがあり、手元のマウスを操作して起動すると、有名なポータルサイトのトップページが開いた。
別段、用事はなかったのだが、情報収集するいい機会だと、ニュースのヘッドラインを眺めていたら、里咲はニュースの日付が自分の認識よりもズレていることに気づいた。それによれば、彼女の記憶は数日間飛んでいることになる。
まさかと思って他のニュースも確かめていると、芸能ニュース欄で思いがけず自分の名前を発見して驚いた。自分は声優としてはそこそこ売れてきてはいるが、ニュースになるようなことはない。それがどうしてポータルサイトに? と恐る恐るページを開けば、
「う……そ……でしょ?」
そこに『高尾メリッサ死亡』の文字を見つけて、里咲は絶句した。
記事によれば、高尾メリッサはアニメの収録後、出待ちのファンの中に紛れ込んでいた暴漢に刺されて死亡したらしい。男は反異世界人主義者で、その幼稚な思想のために罪もない彼女のことを殺したそうだ。この事件を切っ掛けに、今世間では第2世代に対する差別感情を見直そうという雰囲気が形成されているらしい。
それはともかく……高尾メリッサが死んだということは、つまり、里咲はもう元の体には戻れないということだ。声優としての自分は死に、これからはこの男の体で生きていかなくてならない。本当に……本当に、自分は死んでしまったのか……?
「どうかなさいましたか、有理。私でお役に立てるでしょうか」
里咲が、自分の死亡ニュースを読んで青ざめていると、どこからともなく、その自分の声が聞こえてきた。思わず悲鳴をあげそうになったが、すぐ昼間の光景が脳裏に過ぎり、確かこのコンピューターを管理しているAIがいたことを思い出した。
この体の持ち主は、コンピューターに勝手に里咲の声をつけていたのだ。正直、不快ではあったが、今はそんなことを言っている場合ではない。彼女は気を取り直すと、その声に話しかけた。
「あなたは……メリッサだったよね。この……物部有理? が開発したAIだっけ」
「はい。どうしましたか、有理。桜子も言っていましたが、今日のあなたは少し様子が変に思います」
「そんなことをあなたが気にする必要はないでしょう。それより、質問に答えて」
「わかりました。なんでも聞いて下さい」
里咲はどうせ相手はAIだと思って、この機会に色々聞いておくことにした。もしも本当に元の体に戻れずこの体のまま生きていくのだとしたら、役作りのためにも、この体の持ち主についてもっと詳しく知っておく必要がある。
そのつもりで聞いてみたのだが……聞けば聞くほどこの男、破天荒な人生を送りすぎてて、かえって役作りに支障が出そうな有り様だった。
それによると、この男は人類初のM検適応者で、東大に進学するところを無理やり自衛隊に引っ張られ、何度も魔法犯罪に巻き込まれた挙げ句、今までに二度死にかけており、ここ魔法研究所でこのAIを開発した後、例のVRMMOの開発にも携わり、世界初のフルダイブシステムの実現に貢献したらしい。
こうして文字に起こすと、どれか1つにしとけよと突っ込みたくもなるが、これに飽き足らず、今度は里咲に体を乗っ取られている始末である。開いた口が塞がらないとはこのことで、これ以上経歴を聞いたところで、その人となりが分かるとは到底思えなかったから早々に諦め、もっと身近でわかりやすいことから聞くことにした。例えば趣味とか。
そう思って真っ先に思いついたのは、
「……そう言えば。この体の持ち主……物部有理は高尾メリッサのファンだったんだよね?」
「はい。私の記録する限りでは、有理は高尾メリッサのデビュー当時からの大ファンで、全ての出演作品を視聴するに留まらず、ラジオ放送も毎回欠かさず聞いており、先週の訃報の後は、ショックで暫くの間塞ぎ込んでおりました」
「へ、へえ……」
「毎夜毎晩、酒に溺れて、高尾メリッサの名前を呼んでため息を吐くこと3362回。検索ワードをポストすること1295回。高尾メリッサ関連ニュースを閲覧すること、のべ2772ページに及びます」
「わあ……」
思ってた以上にヘビーなファンだったようである。彼女は嬉しく思うよりも恐怖を覚えながら、その情報をどう役に活かせるかと頭を悩ませた。しかし、そんな彼もいつまでもため息ばかり吐いていたわけではなかったようで、
「張偉に、ちゃんと立ち直れるか心配されていましたが、『代われるものなら代わってあげたい』と呟いて以降、彼女のことを口にすることは殆ど無くなりました。ようやく吹っ切れたようです。それが、昨日のことでした」
「昨日……」
となると、そのタイミングで里咲はこの体の中に転生してきたことになる……直前の意味深な発言といい、まるで彼が意図的にそうしたようにも思えるが……
「まさかね」
そんな、思っただけで人間の心が入れ替わるのであれば苦労はない。彼女はそんな馬鹿げた考えは忘れて、今日はもう寝てしまうことにした。




