3行以上は読まない主義だ
「ステータス!」
駄目で元々であると、その言葉を口にした瞬間だった。どうせ何も起こらないと思っていた里咲の目の前に、不意打ちのように半透明のスクリーンが現れた。思わず転びそうになった彼女は辛うじて踏みとどまると、ドキドキしながらぼんやりと浮かび上がるその画面を見つめた。
「う……うそ、本当に異世界転生しちゃったの?」
恐る恐る画面に触れてみると、ちょうど指が触れた部分が圧迫されるかのように光が集まってきて、指をなぞるように移動すると、その光の軌跡が追いかけてきた。どうやらタッチパネルみたいに反応するらしい。よく見れば右の方にスキルとかアイテムとかの表示があるから、そこに触れれば画面が切り替わるのだろう。
その前に、今表示されているメイン画面を確認してみる。それによるとこの体の持ち主は、
「ぶ……物部? ユリ? 有理かな?」
変わった名前のこの男は、レベル40でSPなるものを3ほど余らしているらしかった。SPとはスキルを覚えるための、ジョブポイントみたいなものだろうか? なら職業みたいな概念はあるのかな? と思ったが、見た感じそういった表示は見当たらなかった。
また、このレベル40というのがどれくらい強いのかも良く分からなかった。一見すると強そうにも見えるが、でもそれはゲームのレベル上限がいくつかによる。大抵のゲームは99が上限だから40なら高いほうだが、最近のソシャゲは100超えがザラにあり、里咲がハマっているゲームも最大レベルは400なので、それと比べるとレベル40もせいぜいレベル10程度の感覚である。
レベルは上限に達してようやくスタートラインというゲームもあるから、あまりこの数値は気にしないほうがいいかも知れない。それより、このキャラクター……もとい、転生体が使えるスキルのほうが重要である。里咲はそう思って、メニュー項目にあった魔法の欄を指で押した。
「うわ、なにこれ……??」
するとカタカナで書かれた謎の文字が羅列してあって、彼女は面食らってしまった。『アクウォ』『ベント』『ミ』『ヴィ』『グランダ』『ウォート』『イル』『メティ』『アキリ』『リガードゥ』……etc まるで意味不明なカタカナ語が並んでいるのだ。
わけが分からなすぎて、そのままそっ閉じしそうになったが、よく見れば右上の方にいかにもヘルプを表示するための『?』マークがついている。指で押してみると、案の定、新しいウィンドウが開いて、そこに詳しい使い方が書かれてあった。
「へえ……ヘルプまで完備されてるんだ」
素直に感心したが、彼女は開いたウィンドウをそのまま閉じた。3行以上の説明文は読まない主義だ。こういうのは使ってるうちになんとなく覚えるものだ……彼女はそう自分に言い聞かせて、もう魔法のことは忘れることにした。
続いて所持品の欄を開いてみると、なんの変哲もないナイフの他に、携行食料品、所持金が表示されていた。これで何が出来るかは分からなかったが、無一文で放り出されたわけじゃないと分かって、ちょっとホッとする。
あとはギルドの登録証を持っていて、「冒険者ギルドあるんだあ~」……と思ったくらいで、他に取り立てて目につくような物は所持していないようだった。聖剣エクスカリバーとか魔剣レーヴァテインとか、なんか凄そうなものを期待したが、がっかりな結果である。
他にマップを持っていたので開いてみると、また別ウィンドウが開いて周辺の地形が表示された。と言っても、殆どが森で、少し離れた場所に集落っぽい広場が見えるくらいで、あまり用を成さない感じである。
とはいえ、現状は目的もなく途方に暮れていたところなので、行き先が見つかっただけ有り難かった。まずはこの集落を目指すことにしよう……
「でも……」
里咲は、ふと我に返った。なんだか当たり前のようにこの不可解な状況を受け入れているけれど、本当に自分は異世界転生をしてしまったのだろうか?
状況はそうとしか思えないが、しかし、冷静になればなるほど、こんなことはあり得ないと思えてきて仕方なかった。
そもそも、自分は本当に死んでしまったのだろうか……?
アフレコの後、ビルから出たらいきなり飛び出してきた男に刺されたのも、本当にあったことなのだろうか……?
もしかして何もかもが夢で、もう少ししたら目が覚める可能性もまだ残ってるんじゃないだろうか……?
と、そんなことを考えている時だった。
彼女の周囲にある茂みがガサガサと音を立てたと思ったら、何やら緑色の肌の邪悪な顔をした小人がそこから現れた。そのいかにもな見た目を見た瞬間、彼女はそれがRPGの定番モンスター・ゴブリンだと直感的に思った。スライムと並ぶ、ビギナー向けモンスターで、大体どのゲームでも最弱の部類である。
これならまだこの世界に慣れてない彼女でもやられることはないだろう。そう思って彼女は一旦はナイフを構えたが、茂みの向こうから次々と現れるゴブリンの数に尻込みしてしまった。最終的に集まってきたゴブリンの総数は10や20では効かず、いくら初心者向けとは言え、この数を捌き切るのは不可能に思えた。
彼女が身動きが取れずにいると、それを隙と見たゴブリンが問答無用で飛びかかってきた。慌ててナイフを向けたら、思いがけず体が勝手に反応したが、ところがそのナイフが敵の肌を貫こうとした瞬間、あろうことか彼女はそれを引っ込めてしまった。
生き物を切るということに、思った以上に抵抗感があったのだ。しかし、彼女がそう思ったところで、相手がそう思ってくれるはずもなく、ゴブリンは引っ込められたナイフをかいくぐり、これ幸いと彼女の脇腹に向けて武器を振り下ろした。
「痛いっ!!」
ザクッ……と、脇腹に鋭い痛みが走り、彼女は悲鳴をあげた。実のところ、まだ半分夢だと思っていた彼女は、そのリアルな痛みに、ようやくここが現実であると受け入れた。
しかし、その時にはもう手遅れだった。脇腹に深々と突き刺さったナイフは、彼女から根こそぎ力を奪っていき、片膝をついた彼女に他のゴブリンたちが群れをなして飛びかかってくる。
彼女は慌てて、手にしたナイフを今度は躊躇することなく突き出したが、最初の一撃を外した代償は大きすぎた。
座ったまま、手を伸ばしただけの攻撃では、いくら相手がゴブリンと言えども致命傷には至らず、代わりに向こうの攻撃は殆どが彼女に痛撃を与えた。
ザクッ! ザクッ! と、次々と激痛が走り、そして脇腹に刺さったナイフが彼女のトラウマを刺激する。
彼女は、この世界にやって来る直前、暴漢に襲われ滅多刺しにされたのだ。抵抗することも出来ずに、何度も何度も、自分の体に深々と突き刺さるナイフを、意識が途切れるまで延々と見せつけられたのだ。
「やだ……死にたくない……死にたくないよ……」
それを思い出した彼女に死の恐怖が襲いかかってくる……
……だが、そんな彼女が悲鳴をあげることも出来ずに、硬直している時だった。
「イル ファイロ!」
どこからともなく、そんな声が聞こえてきたと思ったら、倒れ伏した彼女に群がるゴブリンたちに、いきなり巨大な炎が炸裂した。その炎は敵に当たって、ドンッ! と弾けたと思ったら、続いて態勢を崩したモンスターの群れの中に、二つの人影が飛び込んでいった。
巨大な剣をまるでバトンを振るうかのように振り回す長身痩躯の男と、双剣を構え地面スレスレを縫うように走り抜けるどこか小狡そうな顔をした男。
「なーにやってんの、パイセン?」
密集するモンスターの群れの中に乱入してきた男たちは、まるでわらの人形でも切り裂くかのように、軽々と敵を葬り去っていく。その素早さ、正確さは素人目に見ても熟練の戦士としか思えず、彼女は暫しの間痛みも忘れて見惚れてしまうほどだった。
大剣の男は里咲に群がっていたモンスターを一掃すると、
「関、残りは頼んだ」
「あいよ!」
もう一人の男にそう指示して、里咲の元へと駆け寄ってきた。彼女は助けてくれたお礼を言おうとしたが、攻撃を受けすぎたせいか、もう声も出せなかった。
まさか異世界転生してきたばかりだというのに、もう死んでしまうの? と慄いていると、大剣の男は腰に下げていたサイドポーチから何やら瓶を取り出し、
「物部さん、大丈夫か? ほら、早くこれを飲めよ」
そう言って彼は瓶の封を切ると、里咲の口元にそれを近づけた。
一体、それが何なのかは分からなかったが、この場面で毒を盛るとは思えない。そう思って、彼女が男が差し出す瓶の中身を飲み干すと、すると何ということだろうか? 全身を襲っていた痛みが急激に緩和し、土手っ腹に空いていた傷口が見る見るうちに塞がっていった。
そして彼女の傷は、ものの数秒も立たないうちに、跡形もなく無くなってしまったのである。




