冗談じゃないよ
「あのさあ、俺は付き合い長いからいいけど、こんなこと続けられたら困るんだよ。そりゃ、オーディションで選んだのはこっちだよ? でもそれも業界の付き合いがあるからでさ、アニメは一人だけで作ってるわけじゃないんだから。みんなに迷惑かかるんだから、知ってるでしょ?」
「すみません、すみません!」
「あーもう、しょうがねえなあ……ま、本当に、こういうことはこれっきりにしてくださいよ。俺はね? いいんだけど、俺はね?」
「はい、我が社のこうのメリッサがご迷惑をお掛けしまして、大変申し訳ございませんでした」
「しっかりしてよ」
プロデューサーかディレクターか、はたまた制作会社の誰か知らないが、圧の強い感じの男は言いたいことを言うとため息混じりに去っていった。マネージャーの藤沢はその後ろ姿が見えなくなるまで、腰を105度くらいに丸めて見送った。
里咲が追い出されてから、入れ代わり立ち代わりクレームが来て、これで5人目だった。もちろんこれで最後ではなく、この後、関係各所に頭を下げて回って、更に収録が終わった出演者たちも捕まえて、またタレントと一緒に謝罪行脚をしなければならない……そのことを考えると頭が痛かった。
その所属タレントは今、別室で台本の読み込みをさせられていた。スタジオでのやらかし具合からして、完全に台本を読んできていないのは明らかだったので、アフレコが終わるまでに暗記させるのがマネージャーとしての義務だった。
他の出演者たちのレコーディングが終わったら、彼女だけ居残りで別撮りをすることになっているが、今度こそそこでトチるわけにはいかなかった。もしそんなことになったら、自分たちのマネジメント能力が問われ、彼女だけでなく、事務所所属の別のタレントの仕事にまで影響が出かねない。それを考えると恐ろしくてならなかった。
しかし、それにしても……今日の里咲の態度はなんだったんだろうか? 藤沢は首を捻った。
里咲こと、高尾メリッサはまだ新人声優とはいえ優等生タイプで、今までにこんなミスを犯したことはなかった。放っておいてもどの現場も卒なくこなし、他の声優といざこざを起こすこともなく、どちらかといえばベテランに可愛がられるタイプだった。
それが台本を読んでくるのを忘れた挙げ句に、何回か共演して関係も良好だった高島田を怒らせるなんて、ちょっと考えられなかった。
そう言えば、今朝、電話した時、気分が悪いとかなんとか言っていたような……こっちも追い詰められていたから、ちゃんと話を聞いてあげられなかったが、もしかして本当に具合が悪かったのだろうか。
だとしたら、今度はちゃんと話を聞いてあげなければ。もし、本当に風邪とかインフルだったら、他の出演者に感染してしまう可能性もあるのだから、すぐに帰らせたほうがいいだろう。その場合の言い訳はどうしようか……ああ、頭が痛い……
そんなことを考えながら控室へと戻ると、里咲……つまり中身は有理は、台本を机に置きっ放して、腕組みをしながら空中とにらめっこしていた。自分が謝罪している間にセリフをちゃんと覚えてろと言ったはずなのに、何をぼんやりしてるんだ! むかっ腹を立てた藤沢は、
「ちょっと、あんた! 私が戻ってくるまでに、台本読み込んでおきなさいと言ったでしょ!? なんなのよ、その態度は」
すると有理は、
「え? 覚えましたよ?」
「はあ!? そんなわけないでしょ、私が出ていってから、まだものの10分も経ってないでしょ」
「そんなこと言われても……」
藤沢はムスッとしながら台本を手に取ると、
「じゃあ、セリフ最初っから言ってみなさいよ、答え合わせするから」
「はあ……じゃあまずは1ページ、カット1、『おはよう。今日も朝から眠そうだね』2ページ、カット5、『そんな、冷凍チャーハンの具じゃないんだし』『あはは、足元がお留守だよ、田中くん♪』、4ページ、カット13、『先生! ドリアンはおやつに含まれますか?』……」
すると手ぶらの有理は淡々とセリフを読み上げていく。それだけでなく、ページ数やカット数まで正確に答えていくので、藤沢は仰天してしまった。何故なら、高尾メリッサが演じるのは決して端役ではないのだ。複数いるヒロインの一人で、今回は30カットに登場し、分量にして10ページ近くのセリフがある重要なものだった。それを淀みなくソラで答えるのは至難の業だ。
「あなた、やっぱり本当は台本読み込んでいたんじゃない?」
「いえ、すみません……その……大変申し訳なく……」
しかし、有理はしどろもどろで、まるで宿題を忘れてきた子どもみたいな態度だった。その様子からして、嘘はついていないようである。ちょっと信じられなかったが、それはともかく、風邪や体調不良でも無さそうだったので、
「でも、よかった。ちゃんとセリフを覚えられたんなら、もう失敗することはないわね。今度はうまくやるのよ?」
「それが藤沢さん……セリフは覚えたけど、ちょっとどうにも、困ってまして……」
「なにがよ?」
「その……感情を入れた演技ってどうやるんですかね? 何を言っても、素人っぽくなっちゃって……」
「はあ……?」
冗談を言っているのかと思った藤沢が首を傾げていると、有理は顔を赤らめ、そわそわとしながら立ち上がり、
「その、例えば15カット『別にあんたのためにしたんじゃないんだからねっ!』って、あるじゃないですか。いかにもツンデレなセリフが」
「……ええ、あるわね」
藤沢が慌ててセリフを確認していると、有理はゴホンと咳払いをしてから、
「……別にあんたのはめにしたんじゃないんらからねっ!」
そして耳に飛び込んできたのは、ところどころ噛んでしまって滑舌が悪いだけではなく、なんともわざとらしい演技だった。どんなに贔屓目に聞いても、とてもツンデレとは思えず、まるで男が冗談で言ってるような感じがするのである。顔が赤くなってて、少し羞恥心が入っているようだが、どうもそれだけとは思えない、妙な違和感がある。
藤沢は困惑しながら、
「もういっぺんやってくれる?」
「別にあんたのためにしたんじゃないんだからねっ!」
今度はセリフを噛まずに言えたが、相変わらず滑舌が悪くて、まるで説明文を読んでるみたいに感情が感じられなかった。素人だって、もう少しマシなレベルだ。
「ちょっと、里咲ちゃん? 冗談やってる場合じゃないんだけど」
「それが冗談じゃないんですよ。演技ってどうやればいいんですかね。普通に、台本読んでこの子が何を考えてるか、状況がどうなのかって舞台背景はわかるんですよ。でも、感情を込めるってなると……その意味がさっぱり分からなくなっちゃって」
「哲学やってるんじゃないんだから。っていうか、あなたいつも普通に演じてきたじゃない。それをそのままやればいいのよ」
「それがその……自分がどうして来たのか、分からなくなってしまって」
「はあ!?」
有理は後頭部を引っ掻いている。そんなこと言われても、ただのマネージャーの藤沢に演技のことなんて分かるはずがない。二人が解決策が見つからずに右往左往してると、その時、控室のドアがコンコンとノックされ、誰かが中に入ってきた。




