夢幻の如く
「リガードゥ ベスト」
その『語』を唱えた瞬間、世界は光に満ち溢れた。草木で翅を休める虫や、梢で眠りにつく鳥や、夜行性の動物たちがうろつく姿も、学生寮にいる全ての生徒たちの姿までもが、みんな光となって浮かび上がり、まるで宇宙空間に飛び出したみたいだった。
それは暫くの間、有理の目を楽しませ、やがて霧が晴れるように薄らいで消えた。また元通りの暗い雑木林の中で、ざあざあとうるさい虫の音に、かき消される程度の弱々しい声で彼は呟いた。
「冗談だろ……?」
「だったら良かったんだけど。残念ながら現実みたいね」
マナは無い胸を張って、何故か偉そうに腕組みをしながらそう言った。とはいえ、そう吐き捨てる声はどこか震えていて、彼女も現実を受け入れるのにまだ抵抗感があることが窺えた。
「……いつ、気付いたの?」
「こっちに戻ってすぐよ。なんせ、一ヶ月以上もゲームに閉じ込められてたでしょう。その時の習慣が抜けなくて、何気ない場面でつい口走ってしまって、それで……すぐにあんたに相談しようとしたんだけど、あんたずっと学校サボっていたでしょう?」
「あ、ああ……ごめん、ちょっと色々あって」
「別にいいわよ。それで今日になったわけだけど……やっぱりあんたは気づいてなかったみたいね」
「ああ……困ったな。どうしよう、これ、どうしたらいいと思う?」
有理がオロオロしながら言うと、マナは情けないものでも見るような目でため息混じりに、
「私も分からないから相談してるんでしょ。まあでも、今のところ実害はないし、風邪みたいなものだと思って、経過観察するしかないわね」
「そう、だな……桜子さんには言った方がいいと思うけど、まだ海外出張中なんだよなあ……もうじき帰って来るとは思うけど、電話で報告した方がいいだろうか……? それもなんかちょっと違うか……なんとなくだけど」
「そうね。別に盗聴されるとか、そんなわけないとは思うんだけどね」
マナは肩を竦めて、
「私がこうして直接出向いてきた理由が分かるでしょ」
「ああ」
「ところで、あんた、今日もあの二人と遊んでたみたいだけど、二人もゲームの魔法を外に持ち出せるようになってたりしないかしら?」
有理は、あっと小さく叫んでから、
「気づかなかった。そんな可能性もあるのか……今んところ何も言ってきてないから分からないけど。どっちにしろ、明日も部活をするつもりだったから、その時にでも聞いてみることにするよ」
「任せるわ。まだ何が起きてるか分からないから、くれぐれも内密にね」
「ああ……」
有理は腕組みをしながら、どこか上の空で返事をした。マナはそれを見て、
「どうかしたの?」
「……いや、ね。現実『に』魔法を持ち出せる、ってのがちょっと引っ掛かって」
「なにがよ」
有理は難しそうな顔をしながら、
「普通、ゲームの物を外に持ち出せるなんて、あり得ないことだろう。でもそのあり得ないことが起こっている……ところで、あのゲームって凄く現実っぽかったじゃないか? 実は、俺たち、現実に戻ってきたと思ってるだけで、実はまだあの中に取り残されてるんじゃないかって、そう思ってさ。この現実もまたゲームだとしたら、こうして魔法が使えてもおかしくないだろう?」
マナはうんざりするような顔で、
「あんた、いやなこと考えるわね……流石にそれは考えすぎよ」
「ああ、もちろん、俺も本気でそんなこと思ってるわけじゃないさ。本当に、ちょっと気になっただけなんだ」
「何か、そんな風に考える切っ掛けでもあったの?」
「うーん……」
有理はまた腕組みをして、少し考えるように間を置いてから、
「実はあの後、ステファンのことが気になってさ、中央都市に行こうとしたんだけど、もう行けなくなってたんだよ。元々、メリッサがエラーを起こして、無理やりそれっぽい街を生成しただけと考えれば、行けなくなるのは当然なんだけど……それじゃ、あの世界ってなんだったんだろうな、って思ってさあ」
「そう、ローザとはもう会えないの……それは寂しいわね」
「うん。やっぱ気になるし、だからもう一度行けないか確かめてみるよ」
「確かめるって、どうやって?」
「これから研究室へ戻って、なんとかならないか色々テストしてみる。例えば当時のメリッサは一次メモリが使えなかったから、それと似た状況を作り出せば、案外同じ場所にいけるかも知れないだろう」
「よくわからないけど、うまく行ったら教えてちょうだい」
二人は取り敢えず、明日またこの時間に会う約束をしてから別れた。有理は研究室へ向かい、マナは寮へと戻っていく。本当なら彼女もあの世界に行きたいところだったが、流石に女子が寮を抜け出して外泊するわけにもいかなかった。
というか、寮をぶらぶら抜け出しても咎められないのは、半分研究員みたいな有理くらいのものだった。普通はこんなに頻繁に寮に帰らなかったら、停学くらいは食らっているだろう。まあ、食らったところでなんてことないのであるが。
***
守衛から鍵を受け取り、研究室のドアを開くと、ぱっと灯りがついてモニターが起動した。特にスマートデバイスを仕込んでいるわけじゃないのだが、この部屋の主が学習していつの間にか勝手にそうするようになっていた。自分のシートに座ると、声優高尾メリッサの声が聞こえてくる。
「有理、忘れ物ですか。現在、22時08分、学生寮の門限は過ぎています」
「ああ、知ってるよ。今日はこっちに泊まるつもりだ。実はお前にやってほしいことがあってさ」
「はい、なんでしょうか?」
有理はマナとのやり取りを簡単に説明して、二人がゲームの中に閉じ込められた時の状況を再現したいと伝えた。
「私のシステムから、メインメモリ上にある一次キャッシュを一時的にパージし、その状態でゲームにアクセスしたいという認識でよろしいでしょうか」
「それで構わない」
「その場合、私は正常に稼働することが出来ず、またあなたがゲームに閉じ込められる危険性があります。お勧めできません」
「時限式で、時間が来ればシステムを再起動するようには出来ないか?」
「それならば可能です」
「じゃあそれで。まずは試しに10分から始めよう」
有理はヘルメットを被ってゲームの世界にダイブした。いつものように不思議な感覚がして、目がぐるぐる回ったと思ったら、気がつけば真新しい家具が並ぶ、木目調の部屋の中に立っていた。
確か夕方、秘密基地の内装に没頭してたら食堂の終了時間が迫っていたから、慌ててログアウトしたんだった。取り敢えず、メリッサに話しかける事ができないか試すために、ふかふかのベッドの上に腰掛けてメニュー画面を開く。
するとメリッサに話しかけることは出来なかったが、そのメニュー画面にログアウトボタンが表示されていることに気がついた。
そう言えば、元々このハウジング機能は、閉じ込められた二人を脱出させるために、急いで開発されたものだった。天穹米国法人は注文通りにちゃんと作ってくれたらしい。
もしかして、これを使ったら自力で戻れたりしないかな? と思い、何気なくボタンを押してみると、
「……お?」
押した瞬間、目眩がして、慌てて倒れないよう何か掴もうと手を伸ばしたら、バンッ! と乾いた音が響き渡って、有理は自分がモニターが乗っかったデスクにもたれ掛かっていることに気がついた。
周囲を見回してみれば、元の研究室の中にいて、どうやら座っていた椅子から転げ落ちそうになって、体が受け身を取ったようだった。頭を打ったりしなくて良かったが、それよりもっと気にしなければいけないことがある。
「こりゃもしかして、自力でログアウト出来ちゃったのかな?」
モニターを覗くとメリッサのシステムのエラー警告画面が出ている。同時にカウントダウンの時計も表示されており、おそらくあれがゼロになったら、メリッサは自動的にシステムを復旧するのだろう。
それまで待っても良かったが、有理は端末を操作して命令を強制終了させると、間もなく画面にはいくつものウィンドウが忙しなく出たり消えたりして、
「……復旧しました。有理、変です。まだ指定の時間ではないのにも関わらず、システムが再起動しました」
「俺がやったんだよ。どうも、新しく入れたmodを使えば、中から自由にログアウト出来るみたいでさ」
有理が今あった出来事を説明すると、メリッサはその新modをリサーチしているのか、ほんのちょっと間を置いてから、
「確認しました。この機能を使えば、あなたは安全に元に戻ることが出来ます」
「あ、ホント? それじゃ早速もう一度やってみようか」
「わかりました」
そんなわけでメリッサのお墨付きも出たことだし、改めて中央都市を探して当時の状況再現を始めることにした。そうして判明したことは以下の通りである。
システムの一次キャッシュを外して、メリッサがエラーを起こしたままでも、ゲームには普通にログインできるが、当たり前だがAIのサポートは受けられなかった。
その状態で、マナと閉じ込められた時のように、まずは隣町から目指してみたが、森をいくら進んでもたどり着くことは出来ず、同じ場所をループしているように感じてきたため、諦めて一度ログアウトした。
その後、乱数を変えて何度も似たようなことを試してみたが、塔のそびえ立つ中央都市はおろか、隣町にたどり着くことさえ出来なかった。森の外縁の山脈に行くことも出来ず、その外側にある、魔物が出現する砂漠を見ることも出来ない。
いくら歩いても世界は開発元が用意した範囲しか存在せず、まるであの時の世界は全て夢だったかのように、何もかもが綺麗サッパリ消え去っていた。
そんな感じで数時間を無駄に過ごした有理は、疲れ果てて秘密基地へと帰還すると、自分の部屋のベッドに横になって、他にやれることはないか考え始めた。
しかし、いくら考えても良いアイディアなんて思い浮かばず、寝心地の良いベッドに体を預けているうちに、だんだん意識が薄れてきて、彼はいつの間にか眠りに落ちていた。




