物部有理は魔法が……使える?
『秘密基地』の内装作業に没頭していたら、いつの間にか下校時間を告げるチャイムが鳴っていた。それをメリッサから伝えられた三人は、飛び上がってログアウトすると、慌てて寮へと駆け出した。
食堂は利用時間が決まっているが、下校時間ギリギリに帰ると本当にギリギリなのである。ついでに普通なら3種類の献立から選べるのだが、終了間際では残り物しか選べない。三人は食堂に滑り込むと、これからは部活をするにしても、飯を食ってからにしようぜと誓いあった。
残り物をたらふく食べたあとは、そのままの流れで風呂に行くことにした。下着だけ取りに戻って、現地集合である。部屋にシャワーがついてるせいか、大浴場はそれほど混雑することもなく、いつも足を伸ばせて気持ちがいい。それで張偉とはよく入りに来ていたのだが、何故かいつも関は嫌がった。普段はどんなに冷たくあしらってもうざ絡みしてくるくせに、風呂だけは嫌がるのである。
今日も一緒の湯船に浸かっていても、関だけは遠くの方で縮こまっていた。これはもう、あれだ。リトルリーグだ。
「へいへい、ピッチャービビってる」「な、なんだよ、いきなり。近づいてくんなよ」「俺のミット目掛けてズドンと来いよ」「離れろってば」「おまえのバットが泣いてるぜ」「やめろって」「スナップ効かせてリズミカルにYO」「あっちいけよ!」
バシャバシャと犬かきで追いかけてやったら、タオルを巻いた関は必死に逃げていったが、一度も前を向こうとはしなかった。
そんな感じで関で遊んだあと、二人と別れて部屋に戻った。前に住んでた2階の部屋は黒焦げになってしまったから、今は最上階の部屋に移っていた。
全館空調ではあるが、最上階だけあって、窓を開けると夜風が通り抜けて気持ちがいい。あとは風呂上がりのビールもあれば最高だぞと、桜子さんの冷蔵庫から拝借し、カシュッ、シュワシュワ~っと喉越しを楽しんでいる時、有理はようやく思い出した。
「あ、やべ……」
そう言えば、昼間マナから話があると言われていたのだった。部活が終わったら連絡する約束で、アドレスも交換済である。操作にもたつかないよう練習までしたくせに、すっかり忘れていた。
慌ててアプリを起動し、慣れない手つきでメッセージを送ったら、返事は秒で返ってきた。
『ぶっ殺すわよ』
先方は大変ご立腹の様子である。ここは出来るだけ低姿勢に出て、これ以上怒られないようにしなければならない。
『すみません。下校途中に産気づいた妊婦さんを助けてたら遅くなっちゃいました』
『中学生みたいな言い訳しないで。あんた、それでも大人なの』
『ビールを飲めるくらいには』
『まさか、飲んでるんじゃないでしょうね?』
『そんな、まさか』
喉をぐびっと潤す。入力中の文字が点いたり消えたり、たっぷり一分くらい経ってから、
『もういいわよ。それより、大事な話があるから、今から会えない?』
『え? 今から? チャットじゃ駄目なの?』
『駄目じゃないけど、見たほうが早いのよ。見れば一目瞭然だから』
『そう。いいけど。でも、怒らない?』
『なんで?』
『さっき、風呂上がりに一杯引っ掛けちゃって』
また入力中の文字列がたっぷり一分くらい点滅してから、今度は電話が掛かってきた。
***
耳がキンキンするほど怒鳴られた後、寮を出てすぐ隣の雑木林で待ち合わせることになった。いつも桜子さんとコンビニへ行く時に通るあそこである。いくら学校の敷地内とはいえ、こんな夜更けに女の子と二人で会うのは気が引けるから、ロビーじゃ駄目なのか? と聞いてはみたが、どうしても人目を避けたいらしい。
何をそんなに隠したいのか気にはなったが、それも会えばすぐ分かるだろう。先方の指定通りに雑木林の中を進んでいくと、いつぞや張偉が猫を吸っていた広場にマナが先に来ていて、猫を吸っていた。
「あれ、ジェリー? おまえ、椋露地さんとも知り合いなの?」
「ジェリー? この子の名前はチョビって言うのよ」
聞けばこの猫、昼間は校内をうろついてるらしく、色んなところで餌を貰っているそうである。特に女子に人気で、どこでも引っ張りだこだから食うには困らないらしい。生徒会室にも時折やって来て、チョビという名で呼ばれて餌付けされてるようだった。
ジェリーは有理がやって来たのを見ると、マナの膝からぴょんと飛び降りて、彼の足に額をゴシゴシくっつけてきた。多分、チュールをくれるおじさんとして認識されているのだろうが、残念ながら今日は持っていない。
一人じゃ壁を乗り越えることもできないしなあ……と、コンクリ壁を見上げていたら、猫を奪われたマナが悔しそうに話しかけてきた。
「それであんたを呼び出したのは他でもないわ」
「あ、ああ……一体どうしたの? 急に呼び出されてびっくりしたけど。告白?」
「ぶっ殺すわよ。そうじゃなくって……まあ、いいわ。とにかく見てもらうのが手っ取り早いから」
マナは眉間に皺を寄せながらそう言うと、有理からは数歩離れてから振り返り、まるで中二病みたいに空中に腕を翳しながら、
「イル ファイロ」
と呟いた。
すると彼女の指先から炎が飛び出し、有理の横を通り過ぎて直進し、壁にぶつかってボンと燃え上がった。結構な火力だったから、もしかしたら寮からも見えたかも知れない。これが彼女が人目を避けていた理由かと思った有理は何気なく訊いた。
「それで?」
「それでって……あんた、わからないの?」
マナは有理の態度に腹を立てているようである。なにが気に食わないのか分からないが、そんなパワハラ上司みたいにポンポン怒らないで欲しいと思いつつ、有理は彼女の意図するところを推し量ろうと頭を悩ませていると、すぐ、違和感に気づいた。
「……あれ? ちょっと待ってくれ、椋露地さん。今の、どうやったの?」
「見ての通りよ」
「見ての通りって……それ、ゲームの語魔法だろう? あ、分かった! 詠唱に合わせて、普通の爆発魔法を使ったんだろう。そうなんだろう?」
マナは首を振りながら、
「違うわ。だとしたらアストリア語の詠唱も同時に行わなければいけないじゃない」
「確かに……」
「私はそこまで器用じゃないわよ」
「それじゃ、なにかい? 君はゲームの中の魔法を外に持ち出せたっていうのか?」
まさかそんなはずはない。有理は半信半疑に彼女と同じように手を翳すと、
「アクウォ!」
と叫んで様子を見守った。しかし、待てど暮せど、彼の指先から水が飛び出したりはしなかった。
「ほら、やっぱり。今のは何か種があるんだろう?」
「種なんかないわよ」
「じゃあ、椋露地さんだけ特別なんじゃ?」
「それは……どうかしら。そんなことないと思うけど。ねえ、ところであなた、ちゃんとイメージはした?」
「イメージ?」
彼女は頷いて、
「私たちルナリアンが使ってる魔法ってのは詠唱だけじゃなくて、その結果どうなるかってイメージも重要なのよ。もし、言葉だけで発動するなら、授業で先生が詠唱のやり方を伝えようとする度に、魔法が発動しちゃって危ないでしょ」
「そういえば……そんな光景見たことないな」
「ゲームの中で魔法を使った時のことを思い出して、もう一度、ちゃんとイメージしながら詠唱してみてよ」
「ゲームのイメージね……」
有理は言われた通り、今度は半信半疑ではなく、魔法はちゃんと使えるものだと意識して、集中しながら詠唱してみた。何しろ、体感時間で1ヶ月もの間、魔法が普通にある生活をしてきたのだから、イメージするのは簡単だった。
「……アクウォ」
するとその『語』を詠じた瞬間、体の中に何か身震いするようなものが駆け抜け、指先が熱くなったと思ったら、彼の目の前にじわじわと水蒸気のようなモヤモヤが集まってきて、それは透明の球体になって数秒間プカプカ浮いた後、パシャっと音を立てて割れてしまった。
いきなり水が滴り落ちてきた事に驚いて、猫のジェリーが逃げていく。
有理は自分が今やったことが信じられず、暫し震える手をじっと見つめてから、また確かめるように指先を虚空に突き刺すと、
「リガードゥ ベスト」
そう、口にした瞬間、周囲の空間が薄っすらと輝き出し、たった今逃げていった猫のフォルムが光となって、真っ暗な雑木林の中に浮かんで見えた。その不思議な光はコンクリート壁の向こう側まで映し出していて、たまたまそこを通り過ぎようとしていた車の中の人の形までもが、くっきり映し出されていた。
それは、あのゲーム世界で有理が探知魔法と呼んでいたものだった。
もう間違いない……あの日、ゲームの中に閉じ込められた二人は、何故かは知らないが、その時に覚えた魔法を全部、現実へと持ち帰ってきてしまったのだ。




