ハイドアウト
授業を抜けて研究室まで戻ってきたは良いものの、特にやることがなかった。結局、あと1時間もしたら二人がやって来るわけだが、サーバーのメンテナンスや、AIの改善などをやるには時間が足りなすぎる。こんなことなら、つまんなくっても授業を受けておけば良かったかな? と思いつつ、手持ち無沙汰にブラウザを起動する。
ここ数日は高尾メリッサのニュースばかりを追っかけていたから、検索履歴がそれ一色になっていた。こんなものを見られたら張偉はともかく、関が何を言い出すかわからないから、消してしまおうとクリックを連打する。
そうして削除ボタンと格闘すること小一時間、操作ミスしてうっかりまた高尾メリッサ関連のニュースをクリックしてしまった。めんどくせえと吐き捨てながら開いたタブを閉じようとしたが、ふと、これまで見たことがない見出しが目について手が止まる。
『高尾メリッサ生存説』
開いてみたら、報道機関のものではなく、個人ブログのようだった。それによると、高尾メリッサ死亡のニュースは大々的に流れたが、続報がまったくないのは不審である。もしかして、死亡したというのはフェイクで、実は彼女は生きているんじゃないかという主旨だった。
確かに、訃報が伝えられて以降、続報は何一つ上がってこないが、そもそも彼女は声優と言っても、一般人には殆ど馴染みがないから、タブロイド紙も追いかける価値がないと判断したのではないか。彼らも生活が掛かっているから、読まれない記事を書いてもしょうがない。
アイドル声優惨殺! という見出しはセンセーショナルだが、その声優の通夜が行われました、では誰も読みたいとは思わないだろう。通夜に有名人が続々と駆けつけるのなら話は別だが。
なので、自分もファンだから気持ちは分かるが、やはり彼女が生きていることはないだろう。無責任なコメンテーターの言う通り、彼女の死は第2世代への差別を考える切っ掛けになったのだ。今はそれで良しとするしかない。
「ん……?」
そんなことを考えながら、検索履歴を消してたら、いきなりサーバーにメールが届いた。ここのアドレスを知っている人は限られているので、誰だろうかとメールを開くと、漢字だらけの文面が出てきてびっくりする。
スパム? それとも文字化けだろうか? いや、よく見るとどうも中国語らしい。すぐメリッサに翻訳させようと思ったが、ふと思い直し、宛先を確認する。
するとどうやら、これは張偉に届いたもので、差出人は天穹の米国法人のようだった。そういえば、有理が閉じ込められていた時、彼に開発元と連絡を取ってもらっていたのを忘れていた。他人のメールを開けてしまって困っていると、タイミングよくその張偉が研究室にやって来た。
「張くん、ごめん。君に届いたメールをうっかり開いちゃったんだが」
関と一緒に部屋に入るなり、いきなりそんなことを言われた彼は少し面食らったようだったが、すぐにメールの文面を確認すると、
「ああ、問題ない。依頼していたハウジング機能が完成したから、modのアドレスを送るからテストしてくれって言ってきただけだ」
「ハウジング?」
「ほら、物部さんがゲームに閉じ込められていた時、インスタンス空間からなら出られるかも知れないって言ってたじゃないか」
「ああ……」
確か、ログアウト方法を探して中央の冒険者ギルドに行った時、そこの冒険者が教えてくれたんだった。試してみる価値があると開発元にお願いしたが、その前に自力で出られたもんだから忘れていた。どうやら、今になってそれが完成したらしい。
問題が解決してから既に数日が経過しているから、開発も相当難航していたのだろう。本当なら、助かった時点ですぐに連絡するべきだったが、気が抜けていてすっかり忘れていた。今更、もう必要ありませんとは言い出しにくい。
「追記で、開発陣もメリッサを使ってゲームにログインする方法を試してみたいって言ってるんだが」
「ああ、いいよ。でも、くれぐれも口外無用と伝えといて」
メリッサとヘルメット型コントローラーを併用すれば、フルダイブに似た感覚でゲームを遊べるのは、もしかしたら商売になるかも知れないから、まだ世間には秘密にしておきたかった。とはいえ、その時には彼らにもお世話になるだろうから、これくらいは許可してもいいだろう。ちょっとした罪悪感もあるし。
「それじゃあ、せっかく作ってもらったことだし、mod入れてやってみる?」
マップの探索も進めたいところだったが、新機能はいち早く試してみるに限る。指定されたアドレスからmodをダウンロードしてインストールし、三人並んでヘルメットを被って暫くすると、いつものようにギュンッと不思議な感覚がして、目を開けば中世というか、ド田舎の町のど真ん中に立っていた。
そこは前回ログアウトした場所だったが、いきなり人が現れたら騒ぎになりそうなものなのに、町の人達はみんな特に何も言わずに通り過ぎていった。続いて張偉と関もログインしてきたが、町はどこ吹く風で日常を描いている。どうも彼らには普通の光景に見えるようだ。
そんなことを考えていたら、突然、頭の中でポーンと音が聞こえて、新機能『hideout』が追加されました、というシステムログが表示された。直訳すれば『隠れる』だが、意味的には『秘密基地』の方が相応しいだろうか。追加機能を遊ぶには、冒険者ギルドでクエストを進めてくれと言うので、言われたとおりにギルドへ向かう。
クエストと言っても、特にお使いみたいな面倒なことはなく、単にギルド職員の説明を聞くだけだった。職員によれば、この秘密基地はプレイヤー固有のプライベート空間で、基本的に他のプレイヤーは入れないが、招待されたフレンドなら入ることも可能である。秘密基地で出来ることは、そこにいるNPCが教えてくれるから、チュートリアルを受けてくれ、とのことだった。
それで、三人別々の空間に行ってもしょうがないから、代表としてまず有理が秘密基地を作って、二人を招待することになった。職員から貰った鍵型のアイテムを使うと、空中にドアが現れ、「お邪魔します」と言いながら中に入ると、そこにはなにもない、だだっ広いだけの空間が広がっていた。
なにもない、とは本当になにもない空間である。どこもかしこも見渡す限りの草原で、凹凸が無く、フラットな地面がどこまでも続いている。空は青空で雲が浮かんでいるが、太陽は見当たらず、それでいて明るいからなんだか不思議な感覚がした。本当に急いで作っただけの、やっつけ感を如実に感じる。
これはどこから手を付ければいいんだろうか……? 暫し唖然としてしまったが、すぐに職員が言っていたことを思い出し、NPCはどこにいるのだろうかと、何気なく背後を振り返ったときだった。
「うお!? ……おお~う……」
何故か有理のほんの数メートル背後で抜き足差し足していた少女が、ビクッと肩を震わせて、だるまさんが転んだみたいに硬直していた。いかにもバツが悪そうな表情で、うっかり見つかってしまったといった感じに目を白黒させている。
彼女は暫くして硬直が解けると、
「えへっ……えへへへっ……えろうすんまへん。えへっ、お邪魔しております。えへへっ……すぐ出ていきますんで」
と挙動不審に言いながら、後頭部に手を当て、何度もペコペコ頭を下げながら、有理の前を通り過ぎると、そそくさと彼が入ってきたドアをくぐって外に出ていってしまった。
「なんだあれ……?」
あまりに突然過ぎて何も出来なかったが、もしかして、あれがギルド職員が言っていたNPCだろうか? しかし、それにしては様子がおかしすぎる。
そう思ってよく見てみれば、少女がいた更に奥の方の空間に、ぽつんと浮いているイタチみたいなキャラクターが見えた。輪郭が不確かで、いかにもプログラマーがテスト用に用意したのをそのまま転用した感じである。近づいていくと、勝手にウィンドウが開いて、メニュー画面が表示されたから、多分こっちがガイドNPCで間違いないだろう。
それじゃ、さっきの女は何者だったんだろうか? もしかして、張偉を通じて許可した天穹の海外法人の誰かが、早速ログインしてきたのだろうか? それにしては早すぎる気がするし、日本語を喋っていたのも変である。
やはり関係ない何者かだろうが、それなら、どうやってこのプライベート空間に入り込んだんだろうか……それに何となくだが、彼女の顔はどこかで見たことがあるような気がしてならなかった。それもごくつい最近……なんならこの学校のどこかで……廊下ですれ違ったりしたとか……?
『パイセン、まだあ? いつまで待たせるのよ。待ちくたびれちゃったよ』
考え事をしてると、パーティーチャットを通じて関が話しかけてきた。はっと我に返れば、結構な時間が経過していた。
「悪い悪い、ちょっと手間取っちゃってさ。もうちょっと待っててくれる?」
有理は慌てて返事をすると、チュートリアルを飛ばし読みして招待に関する項目を探した。まだβ版だけあって、やれることが少ないから、それはすぐに見つかり、手順通りに許可を送ると間もなく二人が『秘密基地』に入ってきた。
入ってきた二人も有理と同じように、暫くの間唖然としていたが、すぐに気を取り直すと、取り敢えず出来ることからやっていこうと、三人で機能を試すことにした。
この『秘密基地』は、やっつけ感は拭えなかったが、代わりにカスタマイズ性はしっかり確保されていて、機能自体は充実していた。草原に岩などのオブジェクトを置いたり、木々を植えたり、地面削って山や谷などの地形を作るのも自由自在だ。デフォルトの建物もいくつか用意されており、今はメニュー画面から選ぶだけで出現する。まだ実装はされていないが、行く行くはクラフト要素も追加する予定らしい。
そんなわけで、三人は豪邸をぽんと建てると、それぞれ好きな部屋を選んで、思い思いに内装を始めた。
有理はこういうクラフト要素はあまり凝るタイプではなかったが、自分が実際に中に入って作業出来ると思った以上に楽しくて、気がつけば時が経つのを忘れて作業に没頭していた。
そうこうしている内にさっきあったことは忘れてしまい、結局、彼女が何者であるのかは分からずじまいのままだった。




