第九十七話 久しぶりの酒
ベースはたくさんの人々でごった返していた。
夕闇の迫る中、所狭しと並ぶバラックの間をせわしなく行き交っている。
「ここは大森林の探索活動前線基地なんですよ〜」
前を歩く少女、アップルが言った。
その言葉に首をかしげたパンジャンドラム。
かしげられた彼の頭は、紙袋をかぶっていた。
両目の部分だけ穴を開けた紙袋。ゴブリンだと知られたくないからベースに入る前にかぶったのだ。荷物から長袖の革のジャケットと長ズボンも取り出して、それらを身につけることで、緑がかった肌の色も隠していた。
それはいいのだが、紙袋に関しては映画に登場する猟奇殺人鬼のようで、正直かなり不審度が増したように見えなくもない。かぶらない方がマシなのでは。
「そうです〜。冒険者ギルドの探索基地なんですよ〜。ガスンバの大森林じゃ色んな素材が取れるけど、森は危険な場所だから……こうして生活圏を作ってあるんです〜」
アップルはそう言いながらずんずん歩いていく。
「なんかおいしそうな匂いがするですね」
鼻をうごめかすラリアの呟きに、何となく周囲を見回してみる。
たしかに夕暮れの人里にふさわしく、ベースはそこかしこから漂う夕餉の匂いに包まれていた。
やがて周囲よりも大き目の、2階建てバラックの前までたどり着くと、
「ここが冒険者ギルド、ガスンバ支部です〜」
そのまま中へ入って行った。
俺、ラリア、パンジャンドラムは顔を見合わせた。
正直我々は冒険者ギルドに用はない。
しかしアップルが我々に何の挨拶もなしに建物に入って行った以上、我々の関係はまだ終了していないようにも受け取れる。
アップルが入り口から顔を出した。
「あ〜私ったらごめんなさい〜! 中へどうぞ〜! さっきのお礼をさせてください〜!」
3人で揃ってガスンバ支部へ入った。
バラックは駐屯のための簡易的な建物らしく、簡素な木造。中も特に飾り気はない。
だが壁には、タイバーンやサッカレーのギルドで見た以上の枚数のクエスト表が所狭しと貼られていて、ゴチャついた印象をいだかせた。
部屋の奥、右寄りにデスクがあり、『受け付け』と書かれた札が置いてある。
そこにはやはり緑色の髪の女性が座っていて、立ち上がって言った。
「アップルちゃん、無事だったのね!」
「受け付けのお姉さん、ただいま〜」
受付嬢は部屋奥の扉を覗き込み、「支部長、アップルちゃんが戻ってきました!」と叫んでいる。
すると中から眼鏡をかけた、30半ばほどの年齢の男がドタバタと飛び出してきて、
「アップルか⁉︎ いやもう心配したんだぞ! 魔獣にやられたかと……」
「魔獣じゃなくてオークでした〜。でも、こちらの方たちが助けてくれて〜」
アップルは俺たちの方を手で示した。
ギルドの支部長らしき眼鏡の人物は俺たちを見た。
「本当に⁉︎ いやありがとう! 彼女が午前に出かけて行って昼になっても戻らないからどうしたのかと思ってたんだ、捜索隊を組もうかと思ってたところだったんだが……」
「支部長〜、私が大森林なんかで迷子になんかなるわけないじゃないですか〜」
「何言ってるんだ、現にオークに襲われたんだろ!」
「そ〜でした〜……」
肩を落としたアップル。
支部長はもう一度俺たちを見ると、
「それで……あんたたちはどういった人なんだ? 大森林にいたってことは兵士……には見えないな、軍属……?」
軍属……。軍属とは、兵士や軍人ではないが軍に属して、食料や兵器、資材の搬入などに携わる民間の業者をそう呼ぶのだったか。
俺はシャツの胸元からギルドカードを取り出し……
「いや。冒険者だ」
たと見せかけて素早くシャツに戻した。
「冒険者?」
「なんだ〜、私たちと同じだったんですね〜」
俺のギルドカードはびっしりとSの文字が刻まれていて、それを見たギルドの関係者はたいてい血相を変えていた。いちいち騒がれるのも面倒なので、だいたい私はこのような者ですと知らしめられればいいだろう。
支部長が言った。
「そうだったのか。……しかしおかしいな? 私はここしばらくこのガスンバで支部長を務めてるが、あんたたちの顔を見たことがないが……」
「通りすがりだ。今日ガスンバにやってきたばかりなんだ」
「そんなバカな……?」
支部長が首を傾げた。
「どうやってベースまできたんだ?」
「歩いてだが」
「……まさか。南から⁉︎」
「……いや、東だ。サッカレーから」
「サッカレーか、どうりで……! 南側のルートから人がこられるはずないと思ってたが、東という手があったなあ!」
支部長は拳で手のひらを叩きながら、1人で納得しているようだった。
「あの……」パンジャンドラムが言った。「南から人が来られないってのは……」
その時だった。
ぐう、と音が鳴った。
左方向。そちらに目をやると、ラリアが顔を真っ赤にしてうつむいている。
「お腹減りましたね〜。ご飯食べましょう〜、助けてくれたお礼に、私が奢りますよ〜!」
アップルに案内された食堂は、ギルドの建物とは別のバラックにある。
切り出した木を組み合わせ板を貼り合わせて高床式の長方形を維持しているだけの、簡素な造りの建物。
その殺風景な食堂の中は、やはり夕飯時なのだろう、ガヤガヤとした喧騒で賑わっていて、冒険者らしき人々が椅子代わりの樽に腰掛け食事を摂っていた。
「さ〜めしあがれ〜」
壁際のテーブルで待っていた俺とパンジャンドラムのもとへ、アップルとラリアがトレイに乗せた料理を運んできた。
「悪いね、運ばせちゃって。オレも手伝ってもよかったのに」
「いいえ〜、お礼ですから〜」
アップルが料理を頼みにいく時、ラリアは自発的に配膳を買って出ていた。
彼女たちは2人して、皿をテーブルに並べていく。
晩餐は蛋白質が豊富だった。
ラリアが何の肉なのかアップルに尋ねていた。彼女が言うには、大森林で獲れた、幾つかの種類の動物だそうだ。
「ベースの食料もあるんですけど、毎日食べてるとなくなっちゃいますから〜。森の動物はめったなことでは食べないけど、今日は特別です〜」
ホーンフックボアという四足獣の肉と、ガスンビ鳥という鳥の卵が主な食材だった。
卵は目玉焼き。ボア肉はワイルドに大きなサイズのステーキ。
4人で席に着き、食べ始める。
「や、これは……」
「む、うまい……」
「歯ごたえがプリッとして、コクがありつつまろやか、口の中でふわっと広がり、かつ優しい味がするですっ!」
「さすがにベースの保存食と違って味が濃いですね〜」
ボア肉は酒に漬けられていたようだった。
そう言えば異世界にやってきてからというもの、酒をとんと飲んでいないのを思い出した。
「うわー、米が欲しいねこれ」
そう言ったパンジャンドラムを尻目に、
「アップル、ここは酒は置いているんだろうか?」
と俺は尋ねた。
アップルが食堂のカウンターまで立っていこうとしたのでそれを制止して自分でいくことにし、テーブルの間をすり抜けた。
カウンターの向こうに見える簡易的な調理場では、エプロンをつけた固太りのタフガイが鍋を火にかけている。
酒が欲しい旨を伝えると、彼は調理場の棚から酒瓶と、それから木のコップを持ってきてカウンターに置いた。
ガラス瓶だった。透明の瓶に、琥珀色の液体。
「繁盛しているようだな」
俺がタフガイにそう話しかけると、彼は言った。
「顔ぶれは変わらんがね。もう20日だ。どいつもこいつももう見飽きたよ……おにいさんは新顔だね?」
「今日ここへきたばかりさ」
「……嘘だろ? いったいどこから……」
カウンターへやってきた別の男(たぶん冒険者だ、革鎧を着ていた)が注文を始めたので、タフガイはそちらの応対を始める。俺はそれを潮にテーブルへ戻ることにした。
「いややっぱここまで食って米もあったら太るな。いらないや」
「アップル、聞いていいだろうか?」
「なんですか〜?」
「支部長が、南から人がくるはずないと言っていたが、どういうことなんだろう?」
アップルはフォークを口に入れたまま首をかしげた。
「ごぞんじない〜?」
「ああ」
「東から入ってきたって、さっき言ってましたもんね〜」
口に入れていたフォークを置いて、懐からハンカチを取り出すと口をぬぐう。
それから俺とラリアと、パンジャンドラムの顔を交互に見比べる。
そして彼女は言った。
「このベース……今、孤立してるんですよ〜。行くのも戻るのもできません〜」
俺は瓶からコップへ、酒を注ぐ。コップを持ち上げ匂いを嗅ぐと、ウィスキーのそれに似ていた。
「孤立……ってどゆこと?」
パンジャンドラムが尋ねていた。
コップに口をつける。味もウィスキー。小麦を使った酒なのだろう。
「もともとですね〜。ガスンバのベースは南にあったんですよ〜。ただ、もう少し深く大森林の内部に入って、探索をすることになったんです〜」
外国へ行った時最も注意すべきことは食べ物だと人は言う。味の良し悪しは、旅の良し悪しを左右する、そればかりか、まるで受け付けない食べ物しかない国に紛れ込んでしまえば、その国のあらゆる良いイメージを打ち消しかねないうえ、健康にまで影響を与えてしまうものらしい。
俺の口の中に広がる小麦酒の味は、当たりを引いたことを俺に知らせていた。
もうひと口。
「アップルちゃんって、学術研究……何だっけ」
「学術研究調査員です〜」
「冒険者ギルドなんだよね? 大森林の探索っていうのが……?」
「そうです〜。私のような研究調査員は〜、魔術用素材の動植物の分布や発生を調べたり〜、一般的にはダンジョンって呼ばれる場所の〜魔獣の発生原因を調査研究したり〜。そういうことを〜ギルドが国から請け負ってるんですけど〜、私ガスンバでその調査員をやってるんですよ〜」
3口目といこう。
まったくアルコールは小説に似ている。
はじめの一章は魔法のようだ。
二章目で作者と読者は心を通わせる。
そして三章目からは決まりごとになる。
あとはいつやめるのかタイミングをうかがうだけだ。
そしてたいていはそのタイミングを見失ってダラダラ飲むことになるのだ。
「へえ、そんなんがあるんだ。子供みたいに見えるけどすごいんだね」
「こ、子供みたいに見えるのはお互い様です〜!」
「ごめんごめん。それで、孤立っていうのは?」
空になったコップを置くと、ラリアが瓶を持って注いできた。何と気の利く子供だろうか。まるでわんこそばだ。
「それなんですよ〜。ここのベース、最近できたんですけど〜、双子山っていう火山を目指すために作られたんです〜」
「あー、火山あったね」
「ベースの設営が済んで、さあこれからっていう時に〜ガスンバの妖精さんの攻撃が始まったんです〜」
それにしても、遠目に見るテーブルのパンジャンドラムは異様だ。
紙袋を少しだけ持ち上げて、露出した口へフォークで食べ物を運んでいる。
何となく、超常的な力を持った男たちがプロレスをする昔の漫画を思い出した。
「攻撃?」
「はい〜。ベースから双子山へ向かおうとすると、幻術を使って道に迷わせてくるんですよ〜!」
「あ、オレらもやられた、それ」
「そ〜なんですか〜? 私たち〜それで南へも戻れなくなっちゃって〜」
白銀の鎧を着た情緒不安定なイギリス出身のキャラクターが、ちょうど今のパンジャンドラムのように仮面を持ち上げて飲み物を飲むシーンがあったことが、連想した理由だろうか。
俺が連想した漫画はよく整合性がないとか、設定が矛盾していると言われていた。だがそのイギリス出身のキャラだけは、情緒不安定なため常に矛盾した言動を取り続けるという点においては、一貫していた。
「でもさ。たしか運撃草とかいう草をいぶせば、妖精は寄ってこないんだよね?」
「そうなんですけど〜……1匹だけ、すご〜く手強い妖精さんがいるんですよ〜! 見ましたよね〜⁉︎」
「え、何」
コップを置くたびにラリアがチャージしてくる。
ところで興味深いのは、もう1人イギリス出身の髭面のキャラがいて、そいつもまた情緒不安定で整合性のない言動を繰り返していたという点だ。
とにかくその2人は登場するたびに以前と違うことを口走り始める。髭面の奴にいたっては次の大会でまた会おうと言ったその日に入水自殺のため川へ飛び込み、直後やっぱり死にたくないとほざく始末。
必ず矛盾するということに関しては矛盾していない、そんな矛盾した2人だった。
「あの透明の妖精です〜! 危ないところでした〜!」
「え、あの、爆弾みたいなの飛ばしてきた奴⁉︎ あれ妖精なの⁉︎ 宇宙からやってきたハンターだと思ってた!」
「な、なんですか宇宙って……それでですね〜、調査の依頼主の、国の偉い人が全然作戦が上手くいかない〜って、怒ってて〜」
そう言えばパンジャンドラムはゴブリンだが、ゴブリンもイギリスの妖怪だったか。いや、妖精だったか?
俺も彼とは出会って別れてを繰り返したが、どこか矛盾した点があっただろうか。
思い出せない。
ラリアに注がれた酒をあおろうとした。さすがに体がぐらついてきた。まるでわんこそばなのだ。椅子の背もたれの力を借りよう。後ろに体を預けた。
「国? そう言えばアップルちゃんどこの人……」
どこかで大きな音がした。人が倒れるような音だ。
奇妙なことだが、さっきまでラリアの顔が見えていたはずなのに、天井が見えている。
「わ〜だいじょ〜ぶですか〜?」
「ロス君何やってんの……?」
「マスター……背もたれないですよ……」
誰かが倒れた音がしたはずだった。ラリアと、知らない女の子と、紙袋が俺を見下ろしていた。その向こうに天井が見えている。
まあいいか。飲もう。
まったくアルコールというのは小説に似ている。
どこまで話が進んだのか思い出せない……。
………………………。
………………。
…………。




